第9話かくれんぼ

【かくれんぼ】


「うあ~買っちゃったの? しかもこれ高い方でしょ?」


 ライブハウス「WEDNESDAY」の上、地上一階には楽器ショップの「SATURDAY」が入っている。ちなみに二階にある収録スタジオの名前は「MONDAY」だ。もはやなんで七階建てにしなかったのか。その「SATURDAY」で俺はギターケースを新調した。


「なにやら強そうじゃのう」


「バイト代が吹っ飛んだけどな。頑丈なのに越したことないだろ?」


 今手に入る中で一番頑丈なハードケースだ。外装はミリタリーグレードだっていうんだから多少手荒に扱っても中のギターは守られるだろう。なにかあったらこいつで殴れるし。何を殴るのかは考えないことにする。ストラップをつけて背負えるように調整する。


「装備の見直しは大事ですよ。準備八割ですから」


「ポーション99個持ったか?」


 こいつらこの手のことになると急にゲーム感覚になるんだよな。

 新しいケースにギターを収める。弦を張り替えた相棒はお高いクッションに包まれてかっこよく輝いている。


「ねえねえ~このクッションの間に護符を仕込んでおくってどお~?」


「吾妻先輩天才ですか!?」


「ギターケースで敵を倒すとかそのゲームやってみたいな」


 ゲーム感覚大概にしろ?


「悪い考えではないのじゃ。どうなるかはワシにもわからんが、目くらましくらいにはなるやもしれんのじゃ」


 マジか~。

 先輩のゴーサインを貰ってしまったらやるしかない。俺は新品のギターケースの内装を剥がし、外装の内側に護符を敷き詰めていく。幸か不幸か、この事務所にはパソコンとプリンターがある。五線譜はいくらでも印刷できた。っていうか、これ、紙じゃないとダメですかね? 


「ワシ、スマホ持ってないからわからんのじゃが、燃えても大丈夫なものかや?」


「あ、だめだわ。諦めて書くわ」


 そういや使った札とか燃えてたな。いちいち火を噴くスマホとか嫌すぎる。


「携帯端末からお札を出してお祓いするってゲーム、バズる予感しますね」


「伊音、俺、手伝うぞ?」


 ビジネス閃いてんじゃねえよ。こっちは割と命掛かってんだぞ?


「はあ~なんで俺は見えないんだろう。志紀と一緒に行けたのに」


 護符を書く俺に羽智が抱きついてくる。こいつこんなにスキンシップ多い奴だったっけ?


「お前は見えなくていいよ。そのほわほわした感じで俺を癒やしてくれれば」


「志紀ぃ~」


 実際、何も知らないけれど傍にいてくれた羽智にどれほど助けられたことか。同じものが見えなくたって一緒にいられる。それだけで俺の救いになる。


「坊、ワシは? ワシは?」


 なにが!?


「押しつけんなっ。アンタもっと自分大事にしろって」


 ペンを握る方の腕を抱き込まれる。当たってるって言うか腕が埋まってるから! ブラウスから零れそうだから!


「ってかあとなんかできることねえの? 猫にお守り持たせるってできる?」


 ろくなことしない奴には役目を与えればいいってバイトの時礼兄が言ってた。先輩が離れていく。礼兄最強か。


「そうじゃなあ……はや?」


 手を頬に当てて可愛く首を傾げた先輩は何かを見つけて事務所の隅へ歩いて行った。積み上げられた段ボールを覗き込む。


「これは使えそうなのじゃ!」


「団扇?」


 何かのイベントの時にノベルティーとして作ったあまりだろう。バンド名が派手な色合いで表記されている。


「団扇とは顔を隠す道具でもあるのじゃ。かくれんぼにはうってつけじゃろ?」


 団扇に護符を貼って幽霊からこちらの姿を見えなくさせるらしい。


「あ、じゃあ団扇作りは俺たちがやりま~す」


「なんか文化祭みたいですね」


「今年は軽音部で出し物するか?」


 楽しそうでなによりです。

 三人は長テーブルとパイプ椅子を引っ張ってきて団扇に護符を貼り付け始めた。どれとどれを組み合わせるだの、このコンボが決まれば勝ちだのまたカードゲームが始まる。


「あとは猫ちゃんじゃったかや?」


 ソファーで護符を作る俺の隣に先輩が座る。目の前のテーブルに自分が話題になったと察した黒猫が乗ってお座りした。可愛い奴め。


「こいつたぶんついてくるだろ? 念のためにさ」


 この黒猫がどういう存在なのかいまいち理解出来ていない。龍神様は眷属だとかなんとか言っていたが、先輩に訊いても「眷属は眷属じゃ」ぐらいの答えしか返ってこなかった。


「優しい坊のために一肌脱ぐのじゃ」


 そう言って先輩はリボンを解いた。

 いや、待って!? 一肌脱ぐってそういう意味じゃないよね!? 服は人間の尊厳だから簡単に脱がないで!

 一人で猛烈に焦っていると先輩に手を取られてリボンを握らされた。


「へ?」


 かなりの間抜け顔をさらした気がする。


「一節歌って息を吹き込む。首に巻いてやればいいのじゃ」


 にっこり笑われてその笑顔の邪気のなさに猛烈に恥ずかしくなった。先輩に背を向けて拳の中に歌を吹き込む。

 もうムリ。消えたい。何考えてたんだよ。


「坊? 坊? どうしたのかや? お腹痛いのかや?」


 温い体温が背中に張り付く。柔らかい弾力も感じる。俺の男心弄ばないで!

 ますます先輩の顔を見られなくなって俺は猫を手招く。賢く俺の前まで歩いてきた猫を抱き込みリボンを結んでやった。

 黒い毛並みに赤のリボンがよく似合う。先輩みた――――ああああああああっ墓穴掘ったあああああああっ! 

 前門の虎後門の狼。前を向いても後ろを向いても黒と赤。もう、本当に勘弁して。


「また猫ちゃんだけずるいのじゃ~」


 ひっつくな! 押しつけるな! 情けない声出すな! 

 何かがあふれ出しそうで黒猫を撫でて必死に心を落ち着ける。間違えるな俺。人間には理性というストッパーがある。己の理性を信じろ。

 先輩が喚き伊音の低い声が地を這い、羽智の煽りが俺を揺らす。懐でスマホが揺れた。


「ふぎゃ」


 猫を抱きしめたままソファーから飛び出しスマホを見る。実川泉の文字が浮かんでいた。連絡先、教えたっけ? 通話にして耳に当てる。雑音が酷かった。


「お兄ちゃん助けて! 貰ったお守りが燃えちゃったの!」


「おい、今どこにいんだ!?」


 叫んだ俺に全員が立ち上がる。先輩が楽譜をまとめ、伊音がスマホを操作する。羽智が団扇に貼ったあまりの護符をギターケースに突っ込んだ。部長は人数分の団扇を持って歩いてきた。


「わかんないっわかんないよっ! 助けて! 鹿住くんに見つかっちゃう!」


 悲鳴が雑音で途切れる。その向こうに聞き慣れない「もーいいかぁい」の声があがった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――――」


 ぶっつりと声が切れて音がクリアになった。


「も~いいよ~」


 酷く歪んだ不協和音でゲームの始まりが告げられた。通話が切れる。

 かけ直そうにも実川泉からの着信履歴なんて残っていなかった。そもそもあいつに番号を教えていないしあいつの番号も知らない。


「団地じゃ。急ぐのじゃ」


 羽智からギターケースを受け取り担ぐ。部長から団扇を一本。先輩も受け取り俺に並ぶ。


「下に家の車が来ています。後から向かいますので先に行ってください。鹿住吉宏の祖父の部屋は五階の一番東です」


「お守り持った? 気をつけてね!」


 やっぱり俺の幼なじみ母ちゃんかもしれない。


「行こう、先輩」


「うむ」


 腕から飛び降りた黒猫が先導して走り出す。手を繋いだまま外階段を駆け下りた。始まりもこんなだったな、と関係ないことを思い出した。あのときは逃げるために走っていた。今のこれはなんなんだろうな。守るため? 俺のため? 誰かのため?


 階段を降りて駐車場に出るとアイドリングしている黒塗りの高級車があった。運転手に開けられた後部座席に滑り込む。かくれんぼをしに行くのには立派すぎる。行き先を告げなくても走り出した車は安全かつ迅速な運転で団地に連れて行ってくれた。


 相変わらず白く見えるたつ山の裏手に五棟並んでいる真ん中は、ただの黒く塗り込められた壁に見えた。人がいないなら明かりもないのは当然だが、それにしても暗い。両側の棟の光を反射してもいいものなのにただただ黒かった。

 建物の中央にメインの階段があり両翼が東西に延びている。両端には外階段が付いていた。


「坊、怖いかや?」


「正直逃げ出したいくらいには」


 指先が冷えて握る先輩の手が温かく感じるぐらいには恐怖を覚えている。たぶん、本物の心霊スポットになっているんだろう。近づいちゃいけないと本能が訴えている。


「でも、ま、先輩が一緒だろ?」


 隣を向けば笑顔が迎えてくれる。


「そうじゃよ。さて、行きはよいよい帰りはこわい。こわいながらも通りゃんせじゃ」


 だからなんでここでそういう意味深な童謡ぶっ込んでくるの!?


 第三棟の正面に立ち黒い箱を見上げる。ふと気配を感じて先輩とは反対の隣を見れば喪服の女が立っていた。

 悲鳴は寸でで飲み込んだ。小山さんの奥さんだ。俯きながらも目はじっと建物を見ている。急に顔を上げて走り出した。


「しゅうううううううううううううううっ!!」


 階段を駆け上がって消えていく。


「あああああああああああああっ!!」


 切り裂くような悲鳴に耳を塞いだ。


「坊、行くぞ」


 先輩に手を引かれて走り出す。

 奥さんは二階に駆け込んだ。後を追うと廊下の両端に段ボールが並べられている。


「なんだこれ……」


 奥さんが片っ端から段ボールを開けて中を覗き込む。クローゼットから出された段ボールを抱え込んだ光景とダブった。奥さんが進む先のドアが突然開き段ボールを弾き飛ばす。外廊下の壁に当たって転がった段ボールの一つから黒い塊が飛び出してきた。


「うっ」


「しゅううううううううっ!」


 塊は千々に散る。箱から赤黒い液体が零れて廊下に広がっていく。転がってこっちを向いたのは半分になった子供の頭だ。


「秀! しゅうううぅ」


 奥さんは必死に欠片を掻き集め近くの段ボールに入れていった。そんなことしても体は戻らない。それでも奥さんは泣き叫んで息子を集める。


「呪符は段ボールの一番下に収められていたのじゃ」


 欠片を集めていた段ボールが部屋から伸びてきた手に持ち去られた。奥さんはそれを追って部屋に飛び込むが別のドアから飛び出してきて段ボールを弾き飛ばしまた塊をまき散らす。またそれを掻き集める。


 真っ黒に塗りつぶされた小山秀のヒトガタ。父親の手で整理された遺品の一番下になったノート。家族全員が苦しむように仕組まれていたんだ。何も知らないとはいえ、両親の手で押し込められまき散らされる小山秀。そして俺たちも、なにも知らずあの呪符を箱の下に戻した。


「止めなきゃ……」


「待つのじゃ」


 生まれた罪悪感をどうにかしたくて踏み出せば先輩に手を引かれ止められた。


「一人ずつ救っている間にまた犠牲者が出るのじゃ。泉くんと鹿住吉宏くんを探せば小山母子も救われるはずじゃ。今は堪えるのじゃ坊」


「――くそっ」


 泣き叫んで同じことを繰り返す母子に背を向け階段を昇る。鹿住吉宏はこの団地のどっかで泉を探しているはずだ。鬼よりも早く泉を見つけるか、泉が見つかるより早く俺たちが鬼を見つける。手がかりは、やはり五階の東端だろうか。


「助けて!」


 二階から三階に繋がる踊り場に出ると子供の声が聞こえた。


「誰か助けて!」


 折り返した階段を見上げると登り切った先で子供が倒れていた。どこかで見た覚えがある。


「間々原いつきくんじゃ」


 目を見開いて正気を失っている顔しか見たことなかったが言われて見れば、階段に手を掛けて必死に這ってきているのは間々原いつきだった。


「おい!」


 思わず声を掛ければ間々原はこっちに気づいて手を伸ばしてくる。


「助けてぇ!」


 駆け上がるが間々原の体が見えた瞬間足が止まった。下半身が食い散らかされていた。犬や猫や鳥が下半身に群がり牙や爪やくちばしを突き立てている。この状態で正気なはずがない。生きているはずがない。それに間々原の体は病院で横たわっている。


「御霊が食いちぎられているんじゃ」


「離せ!」


 団扇で扇ぐと動物たちが間々原から距離を取った。文化祭ノリが大いに役に立っている。

 先輩が間々原の体を越え動物たちの間に入り団扇を仰ぐ。威嚇はするがそれ以上は近づけないようだった。後を付いてきていた黒猫も前に飛び出し自分より体がデカい相手を威嚇する。

 体が千切れても楽になれない間々原は必死に階段を降りようともがいていた。

 せめて護符を貼った部屋にでも入れておけばこれ以上苦しむことはないかもしれない。俺は間々原の肩に手を伸ばすが横から出てきた影に廊下を飛び降りた。


「うあ――――先輩逃げろ!」


「坊!」


 俺と先輩の間に影が入る。見上げたそれは人の背丈よりでかい黒い犬だった。真っ黒の中、光る目と白い牙が浮き上がって見える。


「もうやだああああっ!!」


 黒い犬は先輩には目もくれず間々原を咥えて三階の奥へと消えていった。


「くそっ!」


「坊、無事かや?」


 三段飛ばしで駆け上がると先輩が振り向く。間々原を食い散らかしていた動物たちはバラバラに逃げていった。


「大丈夫、先輩は?」


「大事ない。獣の習性から考えれば獲物は巣穴に集めるはずじゃが、どうするかや?」


「可能性があるなら行くしかねえだろ」


 黒い犬が消えていった方向に踏み出すがそれ以上動けなかった。一度は俺の前に出た黒猫も毛を逆立てて足元に隠れる。恐怖が近づいてくる。食い散らかされた間々原よりも、食い荒らす動物たちよりも怖いものが暗がりからこっちに向かってくる。


「も~い~か~い」


 甲高い声が廊下に反響した。

 

「ダメだ先輩、近づけない」


「坊、攻撃札じゃ!」


 攻撃札は内ポケット。反射で取り出し口笛を吹く。札を暗がりに向かって投げ、さらに団扇で扇いだ。

 ただの紙が矢のように飛んでいって暗がりの手前で燃えた。


「ドアに護符を貼るのじゃ」


 先輩が三階の反対側に駆け出し片っ端からドアを開ける。廊下を塞ぐように開いたそれに俺は護符を叩きつけるように貼った。階の端の部屋に駆け込み内側に護符を貼る。

 息が上がって玄関を入ってすぐの廊下に倒れ込んだ。


「くそ……情けねえ。あれじゃろくに探しに行けねえじゃねえか」


 恐怖に逆らえない自分が悔しい。


「これはかくれんぼじゃ。見つかったらこちらの負けなんじゃから坊の恐怖レーダーは有効じゃよ」


「本当にアンタ、褒めるのうまいよな」


「褒めて育てるが心情じゃから」


 一瞬笑って見せた先輩はすぐに真顔になって玄関のドアに張り付いた。


「よいか坊、見つかったら負けじゃ。要は見つからなければいいのじゃ。見つかりそうになったら相手か自分の顔を隠すのじゃ」


「かくれんぼってそういうルールだったっけ?」


「お子はいきなりルールを増やしたり減らしたりするじゃろ。あっちの都合ばかり押しつけられてはたまらんのじゃ。気合いじゃよ」


 ラップバトルだってもうちょい勝敗基準ちゃんとしてるぞ?

 ツッコミを入れようとしたが目に入ってきたものに気を取られた。玄関を上がってすぐにキッチンがある。前の住人が残していったものなのか、小型の冷蔵庫が床に直置きしてあった。色は白で、縦横二リットルのペットボトルが入るくらいの大きさしかない。その冷蔵庫から何かが漏れていた。何か、なんてこんな所に来ておいてごまかすのも疲れていた。赤黒い、血だ。


「先輩……あれ」


 先輩は俺が指さす先を見て、チラリと一度ドアに目を向けると再び冷蔵庫に向き直り靴のままキッチンに上がっていった。血だまりにしゃがみ込みドアに手を掛ける。一気に開かれて見えた中身に俺はその場で吐いていた。


「これまた惨いことをするのじゃ」


 中に詰め込まれていたのはおそらく人だ。目を見開き大きく口を開けた顔面がこっちを向いていた。手指と足指が頬にくっついていたからきっと体はバラバラだ。

 胃がひっくり返った気持ち悪さと痛みで涙が出てくる。


「くそ、くそ……なんなんだよ……情けねえのにどうにもなんねえ……」


 自己嫌悪が一番辛い。どんどん弱くなっていく。先輩が平然としているから余計に情けなくなる。自分で決めてここまで来たのに。見つけてやるって意気込んでいたのに全部投げ捨てて逃げ出したい。


 背中を小さな手に撫でられた。頬を黒猫が舐める。


「ワシがついているのじゃ。大丈夫、大丈夫。坊のその恐怖が正常なのじゃ。ワシは慣れすぎて麻痺してしまったんじゃよ」


「なんだよ麻痺って。何見てきたんだよ、怖いわ」


「その調子その調子じゃよ」


 ここで逃げ出したら死亡フラグだ。むりやりにでも立ち直るしかない。ネクタイで口元を拭い投げ捨てる。


「それは?」


 先輩は片手に何かを摘まんでいた。血まみれの丸まった何か。


「口の中に入っておったのじゃ」


 誰の口だとは訊かない。冷蔵庫の中から出てきたってことだろう。先輩が団扇で扇ぎながらそれを振る。どうやら丸まった紙のようで皺が伸びていった。開いてみたら離婚届だった。血で汚れてしまっているが鹿住の文字が見える。男女の署名がヒトガタで囲まれていた。


「どうやら冷蔵庫の中身は鹿住くんのご母堂らしいのう。この分じゃと別れた旦那とやらも無事ではないじゃろ」


 自分の親すら殺し尽くす。本当に鹿住吉宏はそんなこと望んだんだろうか。

 バタンとドアが乱暴に閉められる音がした。


「鬼がこちらに気づいたようじゃ。ギリギリまで引きつけてまた散らすのじゃ。できるかや?」


「やってやるよ」


 階段に近い方から順番にドアが閉められていく。音が近づいてくると「もーいーかーい」の声も近づいてきた。ドアは階段側を隠すように開く。不意を打つなら隣のドアが閉まってこっちに近寄ってきた時だ。

 俺がドアノブに手を掛け隙間に滑り込める位置に先輩が待機する。今は二軒隣。

 隣のドアが閉まった。息をのむ。先輩の赤が閃く。

 肩をぶつけてドアを押し開けた。先輩が飛び出す。ドアの影から小さな影が飛び出してきたが低い頭の位置を先輩の団扇が隠した。口笛を吹き用意していた札を団扇とドアの隙間から見える胴体に貼り付ける


「ぎゃああああっ」


 甲高い悲鳴を上げて影が霧散した。


「今のうちじゃ、急げ!」


 突き当たりのドアを開けて外階段に飛び出した。都合の悪いことにこっちは西側だった。


「五階まで行くのじゃ」


 四階をすっ飛ばして五階を目指す。五階に入り外階段のドアに護符を貼る。用意してきた護符も残り少ない。


 五階は静かなものだった。一見すると何もないし、足を止めたくなる恐怖も近くには感じない。鹿住の爺さんの部屋は反対側だ。なにもないとは思えないが行くしかない。足音が響かない程度に早足で廊下を進む。先導する黒猫が途中の部屋の前で止まりドアを引っ掻いた。先輩と視線を合わせる。先輩も不思議そうに首を傾げていた。念のため猫にお伺いを立ててみてもドアを引っ掻き続けている。猫を置いていけないのでドアを開けてみた。猫がするりと中に入り、玄関から続く廊下の先、和室にある押し入れの前でお座りした。

 鬼が出てくることを想定して構え一気に襖を開けた。


「あああああああっ!」


 叫び声に体が反応して後ろに飛んだ。足元の畳に斧が刺さる。髪を振り乱したセーラー服の女だ。幽霊というには恐怖の張り付いた顔に生気がある。なにより俺が恐怖を感じない。


「先輩これ生きてる!?」


「あっちいけええええ!」


「はやややっ! たぶん――のじゃ!?」


 畳から抜かれた斧を横向きに振られた。先輩のブラウスのボタンが飛んだ。相手が人間ならなんのことはない。俺は背後に回って首に腕を回し斧を持つ利き手を捻った。


「いやだいやだ死にたくない死にたくない!」


「落ち着けまだ生きてる!」


 そもそもこいつルールわかってる? 俺たちが鬼なら死んでたぞ?

 死にたくないと連呼する女の顔を先輩は団扇で扇いだ。かなりシュールな光景だがこの団扇、なかなかの優れものである。女ははっとして辺りを見回した。


「え? へ? あんたたち人間? ひとりかくれんぼしたの?」


 よく見ると中学生ぐらいだ。涙と鼻水で顔が酷いことになっている。


「そういうことやるから死にかけるんだよ。とりあえずここからでるぞ」


「いや! 外にはあいつらがいるの! 鬼に見つかったら殺される!」


 ルールは理解していたみたいだ。


「今はいねえよ。これ持ってろ。鬼に顔を見せるなよ。ここにいたらいつか見つかる、出るぞ」


「坊が無防備になるのじゃ」


「俺にはこれがあるよ」


 担いでいたギターケースを先輩に見せる。出番がなくて先輩も忘れていたのか目を丸くして納得してくれた。羽智考案の攻守両用仕様である。効果のほどはわからない。


 この部屋に貼ってやるだけの護符は残ってない。喚くようなら気絶させてでも連れて行くしかなかったが、女は泣きそうになりながらも自分で動き出した。

 先輩が手を繋いでやって俺たちは中央階段に近づく。この団地は十階建てで階段の横にエレベーターがある。警戒しながら階段を越えようかとしたとき場違いなほど軽い到着音が鳴った。

 思わず足を止める。女が団扇に顔を隠して蹲った。先輩が俺とエレベーターの間に這い入る。


「先輩違う」


 先輩の肩を掴む。足元の猫もエレベーターを見ているが警戒はしていない。

 ドアが開いてやたら明るい照明に照らされた内部に今度は学ランの男がいる。包丁を構えたそいつは俺たちの顔を見るなり表情を引きつらせて首に刃を当てた。


「猫!」


 思わず叫んだら猫が飛び出して男の手に噛みついた。包丁が落ちる。ドアが閉まる前に俺は男を引きずり出した。


「死んで楽になれるなら苦労してねえんだよ!」


 説明も面倒になって男の首根っこを掴んで走る。


「やけくそじゃな」

 

 どいつもこいつもなんで怖いことに首突っ込みたがるんだよ。かくれんぼは明るい場所で友達とやれよ!


 訳がわかってなくて喚く男に、自分の足で走れ、黙ってついてこいと怒鳴る。もう見つかったら見つかったで正面突破だロッカー舐めんなよ!


 東の端が見えてきた。でも確実にそこに何かがいる。体が震える。

 掴んでいた男を先輩に投げ渡した。先輩は男の顔に自分の団扇を伏せる。

 さあどうする? 考えろ。俺一人ならギターケースを盾に押し切れるが下手に突っ込むと先輩が鬼に見つかる可能性がある。相手の目を潰し、俺の目を生かして部屋に入る隙を作る。もしそれがうまくいっても、爺さんが孫の味方なら俺たち終わりなんだけどな。それも俺が部屋の前まで行けばわかるはずだ。

 こんなことなら羽智たちのカードゲームノリにもうちょっと真剣に参加しておくんだった。


「坊、一旦引いて鬼を部屋から引き離すしかないのじゃ」


 先輩が俺の背中に隠れて耳打ちしてくる。


「こいつら連れ回してたらどっかで捕まる。さっさと決着つけたほうがいいとおもうんだけど」


「なにか勝算はあるのかや?」


「俺の賭けに乗る?」


「最初から坊に全賭けしておるのじゃ」


 顔は見えないけどきっとドヤ顔してんだろうな。

 俺は先輩に最後の一枚になった護符を渡す。


「俺が合図したら部屋に飛び込んでくれ」


 俺の手持ちは攻撃札五枚と防御札二枚、その他五枚だ。防御札はお守りの予備。その他は用途不明である。なんだよ用途不明って。完全に遊んでんじゃん。防御札を残して他をまとめて持つ。


「んじゃ行きますか」


「武運を」


 先輩に背中を押されて走り出す。先手必勝攻撃は最大の防御。恐怖で足が固まる寸前に札を前方にばらまいた。攻撃札は一種類だがその他は全部種類が違う。冒頭一音を全部繋げて口笛を吹いた。これで起動しなかったら俺の負け確だ。

 十枚の札が燃え上がる。十枚もあると炎の塊だ。一瞬で燃え上がる炎に視界が白ける。ギターケースを盾に突っ込んだ。霧の向こうの龍神様がわかるように視界が塞がれていても鬼の場所はわかった。マジで扉の前に立っている。食らえ、新品護符だるまギターケース。

 恐怖の中心を狙ってタックルを仕掛けると手応えがあった。子供の悲鳴が聞こえ良心が痛まないでもないが今は無視だ。

 ドアの前を通り過ぎる。怖いのは前方で部屋の中ではない。


「先輩入って!」


 外階段に繋がる廊下の奥に鬼を押しつけ仕込んだ護符のメロディーを吹く。ギターケースの下で小さな足が暴れていた。ガキガキしくて細い足だ。これから部長みたいに筋肉でガチガチになったり羽智みたいにすらっと長くなって足を組むだけで女子に騒がれたりするかもしれなかった未熟な足だ。青白い炎がケースと壁の間に上がる。ふっと、手応えが消えた。


「坊、来い!」


 ケースで顔を隠しながら下がり先輩が開けてくれたドアに飛び込んだ。目の前に人影が見えて体を捩り廊下に倒れ込む。


「おわっ!?」


 玄関に正座していたのはミイラみたいに痩せ細った爺さんだった。俺が飛び込んできても微動だにしない。じっと座り玄関を向いている。


「乾!?」


 呼ばれて廊下の奥を見れば、小学生ぐらいの男の子を抱えた吉野がいた。


「よ、吉野!? お前なんでこんなところにいんだよ!」


 呆然と座り込むセーラー服と学ランを掻き分け部屋に上がり込む。


「おまえ、訳わかんないこと言うし満のアカウントは凍結されるし、なんか絶対ヤバいっておもって、手がかりになればっておまえらが気にしてたノートの落書き真似して書いてみたんだよ」


「ばっかじゃねえの!?」


 いやもうホントばか! 兄バカ!


「こんなことになるなんておもわねえだろ!?」


 そうですね。普通はおもわないですよ。そうですよ。でも人生予想外の展開なんてゴロゴロしてんだよ。


「んで、そっちが弟?」


 吉野に抱きついている男の子は泣きそうになりながらも兄の服を必死に掴んでいた。やっぱりあの手は弟だったんだな。


「ああ、ここどうなってんだよ。変なのは追っかけてくるし。ここにいれば大丈夫だけど出方がわかんねえし、あの爺さんどんどん痩せ細っていくんだよ」


 見た目としては爺さんの方がよほど怖いけど吉野の信頼は得ているらしい。


「ねえ、吉宏がいたんだよ。助けに行けないの?」


 満がか細い声で言う。散々怖い思いをしたはずなのに友達の心配が出来るんだな。鹿住吉宏が思わず頼ってしまった気持ちがわかる気がする。


「お前が満だな?」


 膝をついて問いかければ小さく頷いた。


「鹿住吉宏とは友達か?」


 さっきよりはっきりと頷いた。小さな頭を撫でる。


「俺は鹿住吉宏を探しに来た。俺が見つけてやるからここで兄貴と待ってろ」


「坊、泉くんを見つける前に身動きがとれなくなってしまったのじゃ」


 先輩が廊下を歩いてくる。その足の間を黒猫が走ってきた。みんな無事だ。まだ大丈夫。

 俺はギターケースを開けた。


「吉野たちがここまで来られたんだ、俺たちの相手をしてて鬼は泉を追っかけ回すどころじゃなくなってるだろ。ここに呼ぼう」


 ギターに通したストラップを肩に掛けて先輩を見上げる。

 先輩は場違いなほど嬉しそうに笑った。


「坊も自分の力がわかってきたようじゃな」


「先輩が無茶ぶりばっかりしてくるからな」


 黒猫を招き寄せて自分のお守りをリボンに結びつけた。予備の守護札を内ポケットに忍ばせる。


「泉をここに連れてきてくれ。出来るか?」


「にゃ~お」


 得意げに鳴いているから大丈夫だろう。ドアに走って行って前足で引っ掻く。先輩が後を追った。部屋から廊下に出る境で振り返る。


「思い切りやるのじゃ、坊」


「おうよ」


 パワーコードから始まる前奏を掻き鳴らす。

 ここに来いよ。服従の快楽を味わいたいだろ。

 背徳がコンセプトのビジュアル系バンドの歌だがステージに引き込まれそうになるサウンドが格好いいんだ。

 甘美な堕落だの血を捧げろだの指先まで蜜で満たすだの歌詞は引き寄せたいのか突き放したいのか怪しいものだが一貫して俺が助けてやるからここに来い、と歌っている。だから来い。ここまで来い。泉。


 一番の盛り上がりのギターソロにかぶって地鳴りが響いた。構わず弦を弾くが部屋自体が縦に揺れる。地鳴りは遠くから近づいてきて揺れが大きくなり立っていられなくなった。あちこちから悲鳴が上がり床が大きく傾く。前から何かに押されて後ろの壁に激突した。


「かっは――――!」


「坊――――」


「顔隠せ!」


 痛みの中でそれだけ叫んだ。

 鬼が来る。

 押し入れから土砂が部屋に流れ込んできた。流れの中から影が飛び出し壁に打ち付けられたままの俺にのしかかる。真っ黒な体は細くて小さい。頭に二本の角が生えた、絵に描いたような鬼だ。見開いた目も黒い。横に裂けて広がった口だけは真っ赤だった。

 首を締められる。血が止まって頭がぼんやりする。


「もういいかい」


 鬼が何事か呟いた。首を締められて声が出ないはずなのに口から声が漏れる。


「もう……」


 鬼の小さな肩に白い手と枯れ枝の手が掛かった。先輩と爺さんだ。二人がかりで俺から鬼を引き剥がし押し入れに押し込む。

 先輩が俺との間に立ち塞がった。


「だめ……せんぱ……みつか……」


 波打つ髪がふわりと揺れた。冷気が渦巻いているのがわかる。靄が立って先輩の背中を遠くに見せる。

 キレイなFの和音が低く歪んでいく。


「ワシからまた奪うか。小童ごときが猿まねで呪いおって。よかろう。本物の呪いをみせてやる。殺し合いじゃ」


 それ、アンタが言う台詞じゃないだろ! 褒めて育てるのが心情なんだろ!? 子供は大事にしなきゃダメなんじゃなかったのか!?

 ここで止めなきゃ先輩が消える気がして俺は焦った。

 土砂に埋まる鬼に先輩がゆっくりと近づいていく。怖じ気づいたのか鬼は逃げないし先輩を見ているはずなのに呪いも発動しない。


「この程度が呪いか? 笑わせおって」


 振り払うように右腕が横に伸ばされた。スモーキークォーツのブレスレット光る。

 禊ぎの時の歌を叫ぶように歌う。帰ってこい! 先輩!

 甲高い音を立ててブレスレットが砕けた。

 先輩が自分の右手を見る。ゆっくりと振り返った顔は目がまん丸になっていた。いつもの先輩だ。


 鬼が押し入れの奥に消えていった。部屋は土砂がなだれ込んだ惨状のままだがみんな生きていた。爺さんは押し入れから溢れた土砂を折れそうな指で掻いていた。


「先輩、大丈夫だよな?」


 俺を見て、まばたきを繰り返して、子供っぽく頷く。


 ドアが開いた。黒猫が先に滑り込んできて、続いて顔を覗かせたのは泉だった。パジャマ姿で、手には俺が書いてやった護符が握りしめられていた。


「お兄ちゃん!」


「よっしゃよくがんばった泉。猫もよくやったぞ」


「んにゃ~」


 撫で倒してやりたいが許してくれ。爺さんに怯えながらも生きている人間ばかりが集まった空間に安心したのか泉は泣き出した。今は落ち着くのを待っていてやれない。涙に濡れる両頬を手で挟み込む。


「泉、お前が吉宏を見つけるんだ」


 ひくりと肩が跳ねる。涙で濡れる目が、信じられないと訴えてくる。


「でも、見つかったら……」


「鬼は吉宏じゃねえんだよ」


「え?」


 俺の首を締めたのは真っ黒な鬼だった。でもあれは吉宏じゃない。ここにいるみんながあの鬼を見つけた。俺と先輩はかくれんぼの手続きを踏んでいないから無効なんだとしても、他の奴らは呪符によってここに連れてこられたかくれんぼの参加者だ。それなのにルールが発動しない。俺たちを見つける鬼は黒い鬼で、俺たちが見つけなきゃいけないのは吉宏なんだ。なにより、


「鬼はお前だろ、泉」


 始めたのは四人だ。吉宏を隠した鬼の最後の一人が泉だ。


「怖くても、お前が見つけなきゃ終わらないんだよ。このかくれんぼはお前らが始めたんだから」


 泉は泉なりに泣くのを必死で堪えて頷いた。吉宏はギリギリまで泉を殺さなかった。こいつなら自分を見つけてくれるかもしれないと思ったからだろう。


 ギターをケースにしまい背負う。まだぼんやりと俺を見ている先輩の青白い頬を撫でた。


「任せていいよな、先輩」


 瞳に点る炎が弱い。


「いやじゃ、一緒に行くのじゃ」


 弱々しく首を振られると決意が揺らぐ。なんて情けない声だしてんの。


「先輩にしか任せらんないだろ、こんなの」


 俺は小指から指輪を外した。使われている石は瑠璃色のラビスラズリだ。先輩の小指にはブカブカだったから薬指に嵌めた。右手だったのか左手だったのかは考えないことにする。

 拳を握らせてその中に歌を吹き込んだ。


 見上げた先輩は盛大に膨れていた。


「怖がりのくせに生意気じゃ」


 ふくれっ面も可愛いなんて美人はずるいな。


「行くぞ泉」


「うん」


 左手で泉の手をしっかりと握った。土砂を掻いていた爺さんがベランダを指さす。


「孫はちゃんと見つけてくるからアンタにもここ、頼んだぜ」


 ウンともスンとも言われなかったがベランダに向かった。ガラス戸を開けると外はベランダではなく山の中だった。泉の手を引いて飛び出す。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 起伏がある昇り斜面を歩幅の違う小学生と走るのは思ったよりしんどかった。


「わっ!」


「止まるな走れ!」


 しかも後ろからは犬が追いかけてくる。一頭なら相手するが複数頭は手に負えない。試しに一頭、ギターケースで殴り倒してみたが効果はないし分裂して増えた気すらする。


 泉側から飛びかかってきた犬に腕を差し出す。噛みつかれるがそのまま腕を振って木に叩きつけた。児童虐待も動物虐待も気持ちがいいもんじゃない。命が掛かってなきゃ絶対できなかったことだろう。

 足も腕もかみ傷だらけで俺が心折れそうになる。それでも小さな体で懸命に走る泉がいるから男の意地で持って飛びかかってきた犬をケースで殴り潰した。ミリタリーグレード様々だぜ。


「お兄ちゃんあれ!」


 斜面を登り切るとボロ小屋が木々の間に見えた。

 吉宏を閉じ込めて崩れたはずの小屋が建っている。

 

「開けられるか?」


 泉を背に庇い犬たちを警戒する。犬はきっちりこっちを囲んで距離を縮めてくる。


「お兄ちゃん開かないよ!」


「どけっ」


 ギターケースを振りかぶって口笛を吹く。攻撃札が残っていてくれることを祈った。

 ベニア板を貼り合わせたようなドアをケースが突き破る。残った下半分を引き剥がした。


「鹿住くんみーつけた」


 中に頭を突っ込んだ泉が声を上げる。

 小屋の奥、影に蹲っていた子供が顔を上げた。泣きはらした顔がこちらを見る。気の弱そうな男の子だ。

 泉が手を伸ばせば吉宏も手を伸ばす。地鳴りがして足元が揺れた。咄嗟に二人を小屋から引きずり出して後ろに放った。ギターケースが肩から抜ける。

 地面ごと小屋が崩れて一瞬体が浮いた。引きずられるように斜面を滑り落ちる。土の上を土が滑ってきて飲み込まれた。


 目を覚ましたら真っ暗で身動きが一切とれない。息苦しいし圧迫感が半端ない。ああ、これ埋まってんな、と、察するのに時間は掛からなかった。ギターもないし口笛を吹く体力もない。なんかあったっけ? 残しておいた防御札も犬との追いかけっこで使い切ったしスマホはギターケースの中だ。動かない体に意識をこらして探る。右ポケットに何かある。なんだっけ? ああ、先輩がガチャガチャで当てた赤いギターだ。なんでなけなしの二百円をガチャで溶かしちゃうかなあ。しかもギターのキーホルダーであんなに喜んで。先輩、まだ持ってるかな。先輩とお揃いのギターと一緒に死ねるならまあまあ悪くないんじゃなかろうか。


「ああ、また置いていっちゃうな」


 声が出たことに驚いていたらどこかから歌が聞こえた。


 通りゃんせ 通りゃんせ

 ここはどこの細道じゃ

 龍神さまの細道じゃ

 ちっと通して下しゃんせ

 御用のないもの通しゃせぬ

 神楽をおさめにまいります

 行きはよいよい 帰りはこわい

 こわいながらも

 通りゃんせ 通りゃんせ


 顔の前に光が差す。ふんわりと柔らかな光は帯を広げて俺の体を包む。肌に触れるのはぬるい体温だった。形を伴わない体温が手を握り引き上げる。さっきまであんなに息苦しくて動けなかったのに軽く体が起き上がった。

 周囲は鬱蒼としているが目の前の斜面は木々を押し流した土砂の痕が生々しかった。土の間に木板やなぎ倒された木が埋もれている。横から白い手が伸びてきた。隣を見ると先輩が立っている。

 黒い髪はゆるく波打っている。首を傾げるたびに白い頬に踊る様を見るのが好きだった。前髪の間から赤い目が俺を見上げる。キレイな宝石に俺が映るのが心地よかった。ふっくらとした赤い唇が笑みを作る。いつも余裕で聖母のように笑っている。でも俺は、恋人を思い出しているときの恋している笑顔が一番好きだ。

 先輩がしゃがんで足元の土を掘り出した。どうやら俺が指輪を嵌めたのは左手の薬指だったようだ。無意識とはいえ、いや、どこかで狙ってたんだろうな。

 隣にしゃがんで俺も土を掘った。

 しばらく掘っていると指先に堅いものが当たる。撫でればそれは白くてつるりとしたものだった。周囲から土を避けて掘り起こす。

 小さな頭蓋骨だった。


「難易度高すぎだろ、このかくれんぼ」


 同意を求めて隣を見ればそこには白骨体が転がっていた。


 鈴の音が響いて慌てて立ち上がる。


「せんぱ――――」


 呼ぼうとして途切れたのは辺りの風景が神社に変わっていたからだ。霧の向こうから龍神様がやってくる。恐怖に抗える気力がなくて素直に膝をついた。

 長い黒髪で青い着流しを着た男の姿だった。浮世離れした美形で、今までで一番龍神っぽい。龍神様は両手で子供を抱えていた。たぶん鹿住吉宏だ。穏やかな顔で目を閉じている。眠っているようだ。

 腕の中の吉宏を、龍神様は目を細めてみる。


「遊び疲れたようだな」


 低く清く、流れるような優しい声だ。俺に向けられた視線にさえ慈愛が満ちている。


「歌ってやれ」


 そう言って龍神様は霧の向こうに帰って行った。

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