第7話だれかがさがしている

【だれかがさがしている】


 学ラン野郎の名前は吉野明司よしのめいじというらしい。なんで名前を知ることになったかと言えば、先輩がうっかり口にした「弟」という単語を、行方不明らしい自分の弟のことだと勘違いし、俺たちがなにか知っているんじゃないかとファミレスにむりやり連れ込まれたからだ。ちなみにむりやりだったのは俺だけで、先輩はもう一回分のガチャ資金で簡単に釣られた。しかも先輩、それをまた楽器ガチャに投入し、さっきとは色違いのギターキーホルダーを引き当てた。一回目が青のエレキギターで二回目が赤いエレキギターだ。有名どころのメーカーとのコラボガチャらしくなかなかかっこいい。「こっちは坊にやるのじゃ」と、赤い方をくれた。先輩の瞳の色と同じ色だ。金が貯まったらこのギター買おうかな。


 簡単にホイホイされた先輩は今、俺の隣でパフェを食べている。このままCMにできるほどうまそうに笑っているので吉野の話を聞くのも、まぁ、聞くだけ聞いてやってもいいかな、という気がしてきた。もう、勝手に話始まってるんだけどな。


 吉野明司、隣の市にある高校の一年生。年下だ。母親の再婚で小学生の弟ができたらしく、そこそこ家族仲は良好らしい。んで、その弟、みつる小学四年生が一週間ほど姿が見えないらしい。警察にも相談して届け出たらしいが、吉野は隣町まででてきて探し回っているということだった。新米の兄の見解によれば、満に家出をする理由もないし、姿を消したのは学校からの帰りだそうだ。


「なんで学校帰りにいなくなったってわかるんだよ」


 アイスコーヒーをすすりながらテキトーに話を繋ぐ。先輩はパフェの次にクレープまで頼んでいた。見ているだけで口の中が甘くなる。うんざりと見ていれば「坊も食べるかや?」と、アイスと生クリームをたっぷりすくって差し出してくる。丁重にお断りした。


「公園にランドセルが放置されてたんだよ。茂みに隠すみたいに。いつも一緒に帰ってるっていう友達に聞いたら、その日は走って先に帰ったって。見つかる前に先に帰るって言ってたって言うんだよ。学校でなにかイタズラでもしたんじゃないかっておもったって」


 なんとなくどこかで聞いた話に聞こえた。


「なんだよ、逃げ帰るほどのイタズラって。窓ガラスでも割ったの?」


「知らねぇし、あいつはそんなイタズラする奴じゃねぇよ。俺とは正反対に真面目な奴なんだから」


 そうか? 友達に聞き込みしてるし隣町まで出張ってるし、こいつめちゃくちゃ真面目で弟大好きじゃん。身近な兄弟の弟を思い出して、兄ちゃんがうざがられてなきゃいいなぁと思った。左腕にぶら下がっている手が本当に弟ならあっちも兄ちゃんが好きなんだろう。無視しようとしてもチラチラと目に入るので困る。この手にも何かしらの原因があるんだよな?

 先輩を見ると、スプーンを咥えたまま動きが止まっていた。見開かれた目がまっすぐ吉野の左腕に向けられている。


「先輩?」


「……坊。追われている、じゃ」


 追われている? なんだっけ? 

 頭の隅になにかが引っかかっているがうまく掴めない。

 俺より先に反応したのは吉野だった。


「なんだよ、まさか満が変質者に追いかけ回されてるとでもいうのか?」


 吉野の言葉で引っかかっていた物がなにかわかった。小山秀と間々原いつきが事故の直前、何かに追われているみたいだった、という証言だ。


「いや、でも、こいつの弟は小学校違うし関係ないんじゃねぇの?」


 起点は鹿住吉宏だと先輩が今日言ったばかりだ。


「鹿住くんは転校してきたと言っておったじゃろ」


 俺は吉野に詰め寄った。吉野満の通う学校名を聞き出し伊音にメッセージを送った。吉野は鹿住吉宏という名前に覚えはないが、弟のスマホを調べればわかるかも知れないと言って鞄からやけにポップな色合いのケースに収まったスマホを取り出した。

 どんだけ弟のこと心配してんだよ。兄弟ってスマホのパスワード共有してるもんなの?

 画像フォルダを漁ると友達数人との集合写真が出てきて。だけど俺と先輩はスクロールされて一瞬見切れた画像に同時に反応した。


「待て待て! もう一度見せるのじゃ!」


「は? は?」


「最新の画像だせ!」


 突然調子が変わった俺と先輩に、吉野は面食らいながらもスマホを操作してくれた。こいついい奴だな。

 フォルダのトップにある最新画像はノートにマジックのようなもので描かれた奇妙な絵と文字だった。真ん中に直線だけで描かれた人形みたいな図形があって、文字のような何かが並んでいる。平仮名でも片仮名でも漢字でもない。アルファベットでもない。それに意味があるのか、本当に文字なのかも怪しい、あえて言うなら平仮名と片仮名が混じったようなふにゃふにゃした文字で、でも途中で漢字のような複雑な構造が混じっている。文字だとして縦方向に七文字か八文字の並びだ。人形の両側にも同じようなものが並んでいる。こっちは二行ずつだろうか。唯一わかるのは、人形の外、頭側に書いてある漢字「鬼」だけだ。意味がわかるだけにその一文字が強烈に印象に残る。不気味さだけが際立った。


「これ、なんだかわかるか?」


 吉野もわからないと首を振る。が、メッセージアプリでノートに落書きされたらしいと友達に相談している履歴が残っていた。呪いの札だのこっくりさんだのネタとして盛り上がったようだ。


「このノートはどこにあるかや?」


「満が捨ててなきゃ家にあると思う……けど、これ、そんなに重要か?」


 三時間くらい前の俺なら同じ意見だった。小学生の落書きだとおもって流していただろう。それかイジメにでもあってんのかなって考えるだけだ。でも今は、この落書きの不気味さに意味があるのだと確信できてしまう。小山秀のノートを開いたときと同じ寒気を感じてしまった。


「たぶん、弟の行方不明に関係してるぞ、そのノート」


 吉野が息をのむ。だけどいまいち状況を飲み込めないらしく俺たちとスマホの画面を行ったり来たりしていた。

 説明してやりたいが俺も明確な言葉にできない。

 こういうとき説明してくれる先輩はスマホ画面をじっと見たまま無表情で動かない。


「とにかくそのノート探してくれ。転校した鹿住吉宏も行方不明になってんだ。もしかしたら同じことに巻き込まれてるかもしんねぇ」


「わ、わかったっ」


 慌てて席を立つ吉野を引き留め連絡先を交換する。支払いは俺が受け持つから、と送り出した。

 一騒ぎして席に戻っても先輩は食べかけのクレープを放置してテーブルを見つめ続けている。アイスもクリームも溶けて見た目は最悪だ。俺が椅子に座り直してしばらくすると、ようやく動き出して皿を引き寄せた。無表情のままドロドロになったクレープ生地を掻き集め口に入れる。眉間に皺が寄って人形が人間に戻った。


「おいしくないのじゃ……」


「だろうな」


 もぐもぐしながら口をへの字に曲げる器用さを見せて、それでも最後まで食べてしまった。紙ナプキンで口を拭い、俺の薄くなったアイスコーヒーを一口飲んでグラスを突き返してくる。ここ数週間こんなことばかりなのでもうスルーすることに決めた。不思議と他の奴にはやらないのだ。むしろ俺が譲った物を進んで配り歩く。意味不明だ。


「坊、まずいのじゃ」


「全部食ってから言っても遅いだろ」


 悲しげな顔で皿を見つめていた赤が俺の方にゆっくりと向けられた。


「違うのじゃ。あれは呪いなのじゃ」


「呪い?」


 呪いってあれか? 藁人形とかに釘打ったり、末代まで呪ってやるっていうあの呪いか? 六条御息所が夕顔に嫉妬して思わずヤっちゃった的なあれか? 首塚に背を向けて座ると不幸がある的な?


「呪いって本当にあるもんなの?」


 先輩は背もたれに背を預け組んだ指を太ももに置く。


「呪いとは祈りの一種じゃ。良き祈りと呼ばれるものは五穀豊穣を願ったり、鎮魂の効果があったり厄災を退けたりもするのじゃ。逆に悪しき祈りは天災を招き御霊みたまを荒ぶらせ人に厄災を降らせる」


 俺を流し見た先輩は暗く笑った。


「音楽と一緒じゃ。癒やされたり攻撃的な気分になったり、同じ音楽でも違うじゃろ?」


 納得した。


「人憎しと強く思えばそれだけでも呪いとなるものじゃ。陰口や悪口が本人に伝わると精神的に傷つくようなもんじゃな。その祈りを確実に成就させるために行う儀式を呪詛じゅそ呪術じゅじゅつと言う」


「藁人形に釘を打つ、みたいなことか?」


「そうじゃ。憎い相手を藁人形に見立てて心臓に釘を打ち付ける。殺したいほど憎い相手に「死ね」という呪いをぶつけているのじゃな。怨霊おんりょうとよばれる霊は自らが呪いとなって死を振りまいておる存在じゃ。生きていれば復讐鬼とか連続殺人鬼とか呼ばれていたかもしれんのじゃ」


 怨霊怖い。そんなになるくらいなら生前に恨みは晴らしておいてもらいたい。ちょっとはましになったとおもったのにさらに幽霊が怖くなるじゃねぇか。


「人の心は十人十色じゃ。その分だけ呪いの形があり呪詛の様式が存在する。その中の一つに、御霊を呼び出し相手を害する方法がある」


 幽霊って殺し屋だったの!?

 

「ノートに書かれていた図形があったじゃろ? あれはヒトガタと言ってな、器のような役割を果たす物じゃ。御霊の依り代になる。藁人形の原型じゃな。あのノート自体が御霊を呼び出すために書かれた札、呪符じゅふじゃ」


「御霊って、どんな?」

 

 指先から冷えていく。この先を聞きたくない。でも、聞かなきゃもっと怖い。


「鬼じゃ」


 鬼? 角が生えた赤とか青とかのあれか? 節分の時の? ピンとこなくて反応出来ずにいたら続けられた言葉に心臓が冷え込んだ。


「かくれんぼの鬼を呼び出して遊ぶための呪符じゃ」


 呪いとかくれんぼ。だいぶ温度差がある単語が揃うと不気味になるのはどういうことだろうか。

 先輩はヒトガタの両脇に書かれた字が読めたらしい。曰く、「鬼に見つかったら負け。鬼を見つけたら勝ち。もういいかい」


「いや待てよ、鬼を見つけたら同時に鬼に見つかるじゃねぇか。どんなルールだよそれ」


「呪いに公平さを求めてどうするのじゃ。殺したいほど憎い相手にわざわざ勝ち条件を教えるはずないじゃろ?」


 ぐうの音も出ない。殺人犯にフェアプレイを求めた俺がバカだった。


「つか、誰がそんな変な呪いかけるんだよ。憎けりゃさっさと殺しちまうのが早いだろ」


 自分でもだいぶ物騒なことを言っている自覚はあったが不思議でならなかった。俺が気が短いタイプだからなのかもしれない。面倒事はさっさと済ませてしまいたい。ましてや嫌いな人間のことを長々と考えていたくない。


「言ったじゃろ? 人の心は十人十色。それに、人は恨みをこじらせるととんでもなく面倒になるものなんじゃよ」


 諭すように言われて、そういうものか、と納得しそうになる。一つしか歳が違わないはずなのにばあちゃんと話している気がしてくるから混乱する。へんなしゃべり方もそれに拍車をかけていてどんどん先輩がわからなくなっていった。


「霊とは記憶と感情の化け物じゃ。他人の理屈など通用しないのじゃ。条件に触れれば問答無用で襲いかかる。そして恨みの原因に固執し、こじらせてよりむごたらしくなる。この呪いがかくれんぼを強要するなら、原因はどんな形であれかくれんぼに関係しておるのじゃ」


 恨みの原因がかくれんぼって、ガキかよ。


「おい……呪った奴がいるんだよな? 呪詛? を誰かに向けてやった奴が。もしかしてそれって」


 人死にと行方不明事件の起点にいるのは一人の子供だ。

 先輩が唇を噛む。俯いた拍子に黒髪が頬を滑った。濡れたようにしっとりとした黒の合間から揺れる赤がこちらを見た。


「使われている文字は神代文字じゃ。音を表し組み合わせによって意味を成す、大昔の音符のようなものじゃとおもえばいいのじゃ。ヒトガタの中には乗り移らせる御霊の名前を書くものじゃ。これは神代文字でなくともいい。むしろ漢字であるほうが作法としては正しいのじゃ」


 音符と説明されると途端に身近に感じる。全く読めないのに読める気がしてくる。時々混ざる複雑な構造はト音記号みたいなものじゃないだろうか。そうするとヒトガタの中にあった名前は七音。名前としてはよくある数字だし、関係していると思われる小学生の半分以上が該当する。でも、たぶん、俺の予想は外れない。


「音にして、かずみよしひろ、と、読めたのじゃ」


 やっぱり、よりも、どうして、が勝った。そりゃ、人を嫌いになったり、殴ってやろうかと思ったりすることはある。それでも、じゃあ殺すか、とか、呪ってやるか、なんてことを考えたことはない。小学生のガキが、実際に人を呪うなんてことになった原因がきっと一番怖い。


 先輩がイヤイヤと首を振った。


「まだわからないのじゃ。鹿住くんの先にさらなる原因があるのかしれぬし鹿住くんはただ利用されているだけなのやもしれぬのじゃ。鹿住くんの友達とやらにも早急に会わねばならんのじゃ」


 幽霊を前にしても堂々と余裕を見せていた先輩が明らかに焦っている。実際に人が死んでいるしこれから死ぬかもしれない。気分がいいもんじゃないのはわかるが、感情が抜け落ちたような無表情でも何かを皮肉がる暗い笑みでもない。出会って間もないがひどい違和感を覚えた。


「先輩、なにが、まずい?」


 小さな口がきゅっとすぼまり下がった眉が困り顔を作る。


「一番は、きっともっと怖くなることじゃ」


 表情の割にたいしたことは言われなかった。今まででも十分怖かった。先輩が傍にいたからどうにかやってこられた。それが今更問題なんだろうか。もしかして俺に愛想尽かしたとか? それは困った。ここで放り出されたらなにもできなくなる。

 先輩の体が傾き俺との距離が詰まる。下から覗き込まれた。傾けられた顔の角度があざとい。


「この呪いはただ殺すだけではないのじゃ。現に間々原いつきくんとやらはまだ生きて苦しんでおる。できるだけ苦しめてやろうという意図が見える。わざわざ遊びに誘う呪符にしてもそうじゃ。これ以上調べれば生きている者も死んでいる者も惨たらしく苦しむ様を見る羽目になるのじゃ。坊は優しい。霊が怖いのも神様に怯えるのも、そこに敬う心があるからじゃ。人の悲しみに共感し、神様の威光を知ることができるからじゃ。じゃから――――」


 胸に、こつりと先輩の額が当たった。


「こんなことになるとは思わなかったのじゃ。坊が泣いておるようじゃったから、助けたかっただけなのじゃ。呪いとは人が作り出した一番醜いものじゃ。そんなものを見せつけたかったわけではないのじゃ」


 ああ、この人やっぱ変人だったんだなぁ。

 なんで怖くて泣いているのがわかってんのに原因の前に突き出して助けになると思ってんだろ。荒療治にもほどがあんだろ。この人の本性は獅子なの? 獣なの? たまに赤ん坊扱いするくせに対応が雑なんだよなぁ。そういうポンコツ具合がさらにハマる原因なんだろうけど。


「ワシのこと、嫌いになるかや?」


 しかもよりにもよって俺に嫌われるかどうかを気にするってどういうことだよ。俺、アンタにすがりついて震えるような男だぞ? しかもアンタがいなけりゃな~んにもできない。


「俺さ、先輩と会ってからの方が怖い思いしてると思うぞ?」


 先輩には悪いが面白くなってしまって声が笑いに震えた。


 木からぶら下がってる奴もなぜか上半身がない奴も首だけ別会計の奴も見てきたが、わざわざ会いに行ったり話しかけたり過去を調べたり後を追ったりしたのは初めてだったしただ遭遇するだけではない怖さがあった。龍神様なんて規格外の恐怖対象も知ってしまった。


 小さな肩がビクリと跳ねる。胸に引っ付いている頭がモゾモゾ動くのを手で押さえた。髪、柔らかいな。ツルツルのサラサラだ。シャンプーの匂いでもするのかと思ったが、森の中で小川の傍に立ったときのような匂いがして吸い込んだ胸を爽やかに冷やす。


「アンタ本当にズレてるよな。もっと怖くなったらアンタのこと嫌いになるって? 怖いなら怖いでいいって言ったのアンタだろ? もっと怖くなったら遠慮なく背中に隠れさせてもらうよ」

 

「坊~~~~~」


 細っこい腕が背中に回る。いつもは年上ぶっているのにこういうトコロを見せられるとますます抜けられなくなる。しっかし、なんだよな、坊って。一つしか違わないってのに、なんで俺だけ「坊」なんだよ。全く格好つかねぇっての。


「アンタがいないと俺泣くぞ? ちゃんと最後まで付き合ってもらうからな?」


「任せるのじゃ。坊はワシが守るのじゃ」


 シャツ越しに肌に響いた声はちょっと涙声だった。本当にテンションが落ち着かない人だな。

 ぎゅうぎゅう抱きついてきて「うう~」とか「ぐぅ」とかうなっているから背中を撫でた。これであっているのかわからないが、誰かが傍にいて触れてくれるのは不安定になったときは救われる。経験からそう知っている。


「ごめんね~志紀。デート中に悪いんだけどそうも言ってられないでしょ~?」


「どあっ!?」


「ふぎゃっ」


 急に背後から座席の奥に押し込まれて先輩を窓と挟み込んで押しつぶしてしまった。振り返れば羽智がいた。いつからいた!? どこから聞いてた!? 

 視界が揺らぐぐらい体が熱い。そういえばここファミレスだった。


「あ、いや……え、え? えっと? え?」


「出直しましょうって言ったんですけど、先輩方が強行しまして。お邪魔します。わあ~これがファミレスですか、ドリンクバーってどうやるんですか?」


「ファミレスで不健全なことをする部員を部長としては放っておけないからな。そこにあるのがメニューだ。ここの注文はタブレットだな」


 吉野が座っていた対面の席には伊音と部長が滑り込んできた。


 言葉すらろくに出てこない。てか、なにを言えばいいわけ? 言い訳? なんの? 


「先輩が送ってきた情報の裏付けをとってこれは急いで知らせなきゃっておもってがんばって探してみたらこれですか、残念ですよ」


 注文タブレットに隠れる伊音が怖い。タダでさえ表情が見えないのに、普段はハスキーな高音が地を這っていて怖い。


「いや、ちがくて……こっちもいろいろあって……」


 本当に色々あったんですよ? いや、っていうか、羽智さん? ハッチー? 羽智ぃ? そろそろ許して。もうなんかわんないけど許して。先輩マジで潰れるから。お前性格の割に図体デカくて力強いんだからそんな全力で押さないで。寄っかからないで。

 窓に肘を着いて先輩を庇うが結構きつい。羽智は俺の背中に寄っかかったまま悠長に注文を始めてしまった。腕の下で体を丸める先輩を窺う。両腕を胸に抱え込む格好でこっちに横顔を向けている。緩く波打つ髪で表情は見えない。めちゃくちゃ頼りにしてたし、守ってやるって言われて嬉しくなっていたけど、この人俺の腕にすっぽり収まっちゃうんだな。


「よ~し、ドリンクバー行くぞ、伊音」


「初体験です!」


 部長と伊音が揃って席を立った。羽智に飲み物を確認してドリンクバーコーナーに歩いて行く。え~、俺たちの分は?

 二人がいなくなると座席に変な格好で収まっている三人だけの不思議な空間のできあがりだ。なにこれ。


「な~にまた泣かせてるの」


 羽智がボソッと低い声で言う。またってなに。あ、はい、風波に挑発された時ですね。はい。その節はすみませんでした。たしかに、先輩が泣くのって俺関連なんだよなあ。嬉しいとか思っている自分を殴りたくなる。死んだ恋人だって笑わせているっていうのに。

 何も言えずにいると先輩がもぞりと動いた。


「泣いてないのじゃ。ちょっと失敗を悔やんでいただけなのじゃ」


「危ないことになってるの? 伊音もあんまりいいこと言ってなかったんだよね」


 羽智がようやく体を起こしてくれた。窓についていた肘を伸ばして先輩の空間を確保する。そろそろと背筋が伸びる。横顔を隠す髪を耳に掛けて涙の痕を確かめる。近くなった顔が俺を見上げた。赤い目を細めて微笑まれた。涙は零れなかったようだ。


「あんまり気持ちいいモンじゃないだろうって、先輩が」


 言って、ようやく俺たち三人は適正距離で座席に収まる。図体デカい同士の羽智と部長で二人掛けしたほうがいいとおもうんですけど、違うんですかね? あ、違うんですか? そうですか。


「でも、志紀は関わるんでしょ?」


「もろもろ見ちゃったしな。小山さんのこともあるし、風波にバカにされそうなのも嫌だし」


 見ず知らずの柄の悪い俺に思わずすがってしまった吉野の顔も浮かぶ。その腕を掴んでいた小さい手も。救われたくて許されたくて旦那に抱きついていた小山亜希菜の手に似ている。

 自分でも不思議なのだ。どうあがいたって怖いものを見ることは確定しているのに、ここで投げ出したら後悔する自分が簡単に想像できる。軽音部まで巻き込んで関わることなのかよくわからない。でも、たぶん、最後を見届けなくてはいけないとおもっている。


「怖がりのくせに。志紀のそういうところだよ~」


 意味不明ですよ羽智さん。

 羽智が頭を寄せてくる。悔しい身長差で俺の頭をつっかえ棒にするような体勢になった。反対側から先輩の頭が肩に乗っかる。俺は支柱じゃねえぞ?


「坊は優しいのじゃ~」


 二人がウザったいぐらいに頭を押しつけてくるのを粛粛と受け入れていたら目の前にアイスコーヒーが二つ置かれた。


「説教は終わったか?」


 羽智の前には別のグラスが置かれている。俺と先輩の分なのだろう。アイスコーヒーを運んできた部長は俺ではなく羽智を見て言う。


「は~い。ちゃんと叱っておきました~」


 俺に甘すぎない? 

 乱暴に転がされたシロップとミルクを一個ずつ片方のグラスに入れて先輩にパスする。すぐに突き返されてもう一個ずつ追加させられた。誰が注文したのか料理が運ばれてきた。取り分けられる大皿料理ばかりだ。伊音と先輩のテンションが異様に高い。とりあえず来てしまった物は食うしかない。ちゃっちゃと取り分けて小皿をそれぞれの前に流す。


「先輩って見た目に反して世話焼きですよね。そういう甲斐甲斐しいのって吾妻先輩だとおもってました」


「獲物は仲間に分け与える。本性が狼なんじゃろ」


「それ言えてる~」


「一匹狼じゃねえところがらしいじゃねえか」


「好き勝手言いやがって」


 給仕待ちの先輩と伊音がいなけりゃ取り分けなんてしてなかったんだよ。こんなモン、テキトーに直食いが基本だろ?

 とうの先輩はパフェとクレープを食べたと言うのに渡した皿を次々と空にしていく。ちゃんと食わせてもらっているんだろうか。

 料理があらかた片付いたところで伊音が紙ナプキンで上品に口を拭い鞄からタブレットを取り出した。


「はい、それじゃ調査報告します」


 空になった皿を避けて聞く体勢を整える。先輩はフライドポテトをもそもそ食べ続けていた。食べ方がウサギだ。追加頼む?


「結果から言いますと、先輩から送られてきた吉野満の通う学校と鹿住吉宏が以前通っていた学校は一致しました。それから、今から共有するのが吉野満とその友達と思われるSNSアカウントです」


 ガバガバだな。非公開になってないから見られるのは仕方ないにしてもここまで簡単に特定できるのは怖いな。運用には気をつけよう。

 部長、羽智、俺がそれぞれスマホを出して共有情報を確認する。先輩はもぐもぐしながら俺の手元を覗き込む。


「同時期に、友達が転校するっていうワードが見られますよね。鹿住吉宏の転校と同じ時期なので良好な友達関係だったんじゃないでしょうか。ちなみに、鹿住吉宏はSNSアカウントを持ってないみたいです。もしかしたらスマホもまだだったんじゃないかな」


 平和そうなSNSだった。隣町なんだから中学になったらまた会えるかもしれない、とか、お別れ会の準備をするだとか、そこからは吉野満が鹿住吉宏に恨まれるような言動は見当たらなかった。


「坊、あったのじゃ」


「ああ」


 先輩が指さす。俺も同時に気づいた。吉野満の友達のアカウントに乗せられた画像だった。


『友達がノートに落書きされたみたい。なにこれおまじない?』


 そんなコメントと一緒にアップされていたのは、吉野満がメッセージアプリで友達に送っていた呪符の画像だった。イジメにしてもイタズラにしても意味が不明で派手すぎる落書きだ、SNSに載せたくなる気持ちはわかる。


 俺はみんなが見えるようにスマホをテーブルの真ん中に置き、小山さんの家で見たものと吉野から聞いた話、それらが呪いなんじゃないかということを説明した。みんなの反応は一様に、「呪いなんて本当にあるんだ?」と、言うものだ。そうなるよな。


「ちなみにこの呪い、見たら呪われるっていうタイプですか?」


 伊音が爆弾を落とす。なんだよその無差別バイオテロみたいな呪い。視線が先輩に集まる。先輩は小さな舌で指先を舐め、おしぼりで拭いてアイスコーヒーを一口飲む。


「呪符、もそうじゃが札というものは基本的に使い切りじゃ。呪いに使うならなおのこと相手を指定する必要がある。見た者を害する、などと曖昧な呪いは即刻死ぬか指先を怪我する程度に弱いかのどっちかじゃ」


 安心したいのに出来ない複雑な表情たちが先輩を見ていた。

 俺も吉野も死んでいないんだから見ただけでどうこうにはならないはずだ。そもそも、謎で妙な画像だが死ぬほど怖い、という感じはしなかった。見ていたいものではないが逃げ出すほどでもない。小山秀の塗りつぶされたノートは表紙を開く前から怖かった。俺の本能はなにに反応しているんだろうか。


「まあどっちにしろここまで関わっちゃったら途中で降りるのも怖いのでボクは引き続きお手伝いします」


 かなり軽いノリで伊音が言う。こいつ男らしいな。なんでおとなしくカツアゲになんてあっていたのか疑問だ。


「オレも。志紀が帰ってくる目印が必要だしね~」


「ドラムだけじゃバンドは成り立たねえしな」


 なんだお前ら、最高か。俺はずいぶんと仲間に恵まれたらしい。


「仲間とはいいものじゃ」


 先輩の笑顔に同意を求められて俺は素直に頷いた。言葉に出来なくてもそれぐらいならできた。

 部長が太い腕を組む。


「相手を指定するってことは、その呪符もどっかに名前が仕込まれてんのか?」


「画像を見る限り書いてないのじゃ。それがずっと引っかかっているのじゃ。どこかに名前があるはずなのじゃが」


「ノートには自分の名前書くものじゃない~? 小学生なら余計にさ」


 羽智の指摘に全員が納得した。


「小山秀のノートも名前だけ書かれた新品だったな」


 中学高校になればイレギュラーも出てくるだろうが小学四年生ぐらいならノート全てに名前を書いていてもおかしくはない。


「なるほど。ノート全体で一つの呪符なのじゃな」


「なんか手抜きというか、小賢しいというか、厄介な相手の臭いがしますね」


 伊音の言い方に含まれる毒は気になるが同感だった。


「そもそも、小学生がこんな小難しく呪うもんか? 呪いたいほどのなにかがあったとしても、そいつを道連れにしておしまいじゃだめだったのか?」


 恨みを拗らせる云々は先輩からも聞いたが、それにしても拗らせ方があるだろうとおもうのだ。わざわざ自分を鬼として呼び出してかくれんぼに誘って呪い殺すだなんて手間がかかることをなぜしたのか、どうにも違和感がつきまとう。


「それは――」


 先輩の声に羽智の声がかぶった。


「もしかして、これ、自分のノートに呪符を真似して書いたら呪われちゃったりする?」


 空気が凍った。

 一瞬で張り詰めた緊張の中で先輩の漏らした「可能性はあるのじゃ」という言葉が背筋を撫でた。


 伊音がタブレットを操作しながらスマホを耳に当てる。


「不本意ですが兄の力も借りましょう。複数のアカウントに拡散されているみたいですし、多少無理を通して大本のアカウントを凍結しちゃった方が早いかもしれません」


 伊音の呼び方が揃って変わったことからもわかるように、ここのメンバーは伊音の兄ちゃんにあまりいい印象は持っていない。それでも誰も反対しなかった。そもそもが風波が先に追っていた事件だ。情報を共有するしかない。


 俺は吉野に電話をした。家は隣の市だと言っていたし、寄り道をしていないならそろそろ帰り着いているはずだ。数コールで繋がった。


「なんだよ、なんかわかったのか?」


 期待を孕んだ声に心苦しくなる。お前の弟は友達に呪われているなんて言えるわけがない。


「まだわかんないことだらけだよ。とりあえず、あの落書きな、あんまりいいこと書かれてないみたいだからメッセージアプリに流した画像消しといたほうがいいぞ」


「あ? あ~……まあわかった。ああ、それとな、ノート見つかったぞ」


 俺は思わず先輩を呼んでいた。


「ノートに名前は書いてあるかや? 落書きに変化はあるかや?」


 俺の腕に両腕を掛けた先輩はスマホに口を近づけ矢継ぎ早に質問する。


「名前って満の名前? 表に書いてあるぜ。まだ一ページしか使ってない算数のノートの真ん中辺りに画像と同じ物が書いてあった。写真に撮ったときのまま変わってないとおもうけど」


 スマホ越しの吉野の言葉に先輩はほっと息を継いだ。


「封筒か布に包んでおくのじゃ」


「家の者を向かわせます。吉野さんはご自宅ですか?」


 タブレットを操作しつつスマホで会話していた伊音がさらにこっちの会話も把握していた。先輩が頷いたから吉野に居場所を確認して受け渡し方法を伝えた。


「なあ、満は、大丈夫だよな?」


 訊きたくなる気持ちはわかる。普通に生活しているときは死と自分は縁遠いと勘違いしてしまうんだ。けど、人は意外と簡単に死ぬ。今日笑っていた誰かが、明日には冷たくなって目の前に横たわる。その光景を見たことがある俺になにを断言できるわけもなかった。吉野の腕を掴んでいた小さな手が、死人の手じゃないことを俺だって信じたい。


「断言はできんのじゃ。じゃが、間に合う可能性は残されているのじゃ」


「俺になにかできないのか?」


 見えていたってなにもできないのに、何も知らない吉野になにかできることがあるとはおもえない。けれど、それを言われたら不甲斐なくて苦しくて、死にたくなるほど辛いだろう。


「お前、最近左腕が重かったりしない?」


「は? あ~……言われてみれば?」


 俺、今めちゃくちゃ胡散臭い霊能力者みたいなこと言ってるな。絶対ああいう感じにはなりたくないって思ってたのに、胡散臭いって思ってた中の何人かは本物なのかもな。


「そこでお前と弟繋がってるから、お前もしっかり握ってろ」


 説明を求められてもなにも言えないが、これ以外、吉野を傷つけない言葉が浮かばなかった。吉野も吉野で半信半疑なまま頷いて、お互い言葉が出なくなってテキトーな挨拶をして通話を切った。


「ほら、あの手が可愛く見えてきたじゃろ?」


「百歩譲っても可愛くはねえよ」


 ドヤ顔すんな。うっかり可愛いっておもっちまうから。


「先輩、明日の放課後、校門前に兄が迎えに来るそうです。間々原いつきと実川泉への面会を取り付けたそうです。それから、両家族に不審なノートがないか探してもらうって言ってました。これで大丈夫ですかね?」


 最後は先輩に向けてだ。


「助かるのじゃ。伊音くんはよく気がつくいい子じゃな」


「あ、あはは、あり、ありがとうございます」


 ガチで照れて噛みやがった。

 部長、そこ悔しがるところじゃないから。


「志紀と霞先輩は面会で、伊音は情報収集でしょ~? 俺と法弦先輩はなにしようか?」


「それなんですけどね、先輩この前猫の幽霊見たって言ってたじゃないですか」


 羽智の疑問がなんで俺が猫の幽霊見た話に繋がるのか心底わからなくて首を傾げた瞬間、俺はそのまま先輩の方に顔を逸らした。赤い瞳と見つめ合う。先輩もじっとこちらを見つめて、不思議そうにしながらも笑った。

 いや、そうじゃないんだよ。


「なんで突然イチャつきだしたんですか?」


 伊音の声が低くなるが不可抗力だ。別に故意に先輩と見つめ合ったわけじゃない。


「もしかして、なにか見えてる?」


 羽智が横から抱きついてきた。きっと守ってくれているんだろう。


「え? どこに見えてます? 正面向かないってことはボクと松本先輩の間にいるとかですか?」


 伊音が窓側に寄り部長が通路側に寄った。


「違う。テーブルの上」


 言うと羽智が俺を背もたれに押しつけた。ありがとうな、おまえの気持ちは嬉しいよ。嬉しすぎて逆に申し訳ない。


「坊、本当にこの子が怖いのかや?」


 先輩が笑顔のままテーブルを指さす。

 俺は先輩からも視線を逸らして気まずいのをうなり声でごまかした。


「坊?」


 先輩はごまかされてくれない。


「条件反射なんだよ。幽霊を見たら目を逸らすって体に染みついてんの」


 もう十年もそうやって生きてきたのだ。体が勝手に動いても仕方ないだろ?

 自分に言い訳していると先輩が唇を尖らせる。


「怖ければ怖いでいいとは言ったが、正しく怖がらねばいけないのじゃ。風波兄くんではないが、目に見えるものは情報じゃよ。お守りが効いていれば坊に害あるものは距離を取る。体に任せてばかりでは大事なものを見損なってしまうのじゃ」


「わかってるよ。俺だって自分の反応に驚いてんだよ」


 格好悪い言い訳は口の中で濁った。一呼吸置いてテーブルの上を見る。黒猫が転がって毛繕いをしていた。部室の窓際で見た、小山さんの家で段ボールを威嚇したあの黒猫だ。俺の目の前でゴロゴロとだいぶリラックスしている。驚くことに怖くない。最近、幽霊は幽霊でも恐怖の度合いの違いに気づいてきた。近づいちゃいけないと本能に訴えかける恐怖。原型が崩れていて不気味さからくる嫌悪感。普通の人間と見分けがつかないぐらい自然に佇んでいる存在にそんなものが見える己への不信感。大まかに分けるとこの三つが視線を逸らしたくなる部類だ。そしてこの猫である。俺の目からはもう普通の猫としか見えない。ツヤツヤの毛並みを前足で整えこちらをチラリと見て尻尾をゆっくりと振る。警戒心ゼロで悠々と寝そべった。


「なにがいるの、志紀。怖くないの?」


 俺よりも警戒している羽智に顔を覗き込まれた。イケメンのあざとい角度に変な扉を開けそうになる。


「黒猫がいるんだよ。部室にいた奴。たぶん、怖くない」


「猫ぉ?」


 部長が声を裏返して座席からずり下がった。座席の端と端で距離を開けていた二人が真ん中寄りに座り直す。羽智も腕を解いて離れていった。


「そうそう、その猫ですよ。首に矢が刺さってたって言ってたじゃないですか」


 伊音の言葉に黒猫が反応した。四肢を投げ出して寝そべっていたのが起き上がり、伏せの体勢で顔だけを伊音に向けている。どうやら自分の話題だと認識しているらしい。


「それがどうしたんだよ」


「ほら、この世は全て必然、とか言うじゃないですか。小山亜希菜さんの事件もなんか大事に繋がっているみたいだし、もしかしたら猫が部室に入り込んだのも意味があるのかなあっておもってちょっと調べてみたんです。そうしたらですね、小山秀の学校の周辺で動物虐待の事件が頻発してたみたいなんです」


 黒猫が完全に伊音に体を向けて座った。


「最初は学校のウサギが怪我をしていたらしいんですが、ある日クロスボウの矢が刺さって死んでいたらしいです。そこから、野良猫やら野良犬やらが不審死するようになって、それがここ一ヶ月半ほどはピタリと止んでいるみたいです。証拠はないですよ。クロスボウの矢もおもちゃに千枚通しのような針をつけて加工したもので出所を特定できるものじゃありません。いくらでも邪推できるし、同じだけそうじゃない可能性があります」


 何の証拠もない。ただ俺の頭にはおもちゃのクロスボウがこびりついて離れてくれない。そして目の前の黒猫はじっと伊音を見ている。


「おまえ、犯人を見たのか?」


 黒猫に話しかけていた。

 振り返ったまん丸の目が俺をじっと見つめる。なにを言いたいのかはわからない。ただ、どうにも悪い感情で見つめられているわけじゃないことだけは感じられた。部室に来たこいつは、不自由な体で動き回り寝心地の良い場所を探していたのだ。日の当たる窓辺で気持ちよさそうに目を閉じたこいつは、人を恨んでいるように見えなかった。


「痛かったな」


 どうなるかなんてわからなかったけれど俺は黒猫に手を伸ばした。小さな頭に手の平を滑らせる。少しひんやりした毛並みを感じた。黒猫は目を閉じて耳を倒し俺の手の平に頭を擦りつけてきた。頭から背中を撫でて顎の下をくすぐる。キレイな毛並みだ。矢が刺さっていた首にも傷はない。

 はっとして俺は顔を上げた。逃げ出したいほど生ぬるい視線が俺に集中している。


 隣で頬杖をついて笑っている羽智なんて俺でもなかなかお目にかかれないほどデレきっている。反対隣は見なくてわかるほどまぶしい。


 黒猫はテーブルから俺の膝に降りてきて丸まった。ええ~。


「なにやら羨ましいのじゃ」


 やめて先輩。マジなトーンでぼそりと呟かないで。うっかり撫でそうになるから。


「もしかしたら、小山秀ってのは悪ガキかもしれないってことか?」


 俺が見たものに危険はないと確信できたのか部長が話を継ぐ。


「そうですね。実際、兄の調査ではいじめっ子だったみたいですよ。去年は三年生だった小山秀ですけど、今年別クラスになった児童からそういう類いの話がでてきたとか」


「イジメねえ……」


 他人事ではなかった。俺は暴力でもって撥ねのけてきたが、非力だったのならもっと性格が歪んでいたことだろう。一方的に難癖をつけられて虐げられるのは人生を左右する大事件だ。


「できあがった集団の中に異質な者が現れると人は攻撃的になる。昔も今も変わらん人間の愚かな習性じゃよ」


 また先輩は暗く笑った。瞳の炎が冷たくくすぶっている。先輩の実体験からの感想なのか、達観した結果なのかわからない。この表情を見ているとひどい罪悪感を覚える。


「鹿住吉宏が小山秀にいじめられていたとするよ? それで、志紀が見たノートが吉野満のノートと同じ呪符だとして、なんで吉野満は呪われたわけ? SNS見る限り、吉野満と鹿住吉宏は普通に友達じゃない?」


 羽智が指先でテーブルに置いたスマホをもてあそぶ。言われて見ればその通りだ。鹿住吉宏が吉野満を呪う理由が今は見つからない。


「本当は、楽しく遊びたかっただけなんじゃないですか?」


 一石投じたのは伊音だった。眼鏡を外し、長い前髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。


「ボクは見た目こんなだし、家は金持ちの部類だしでイジメられてきましたけど、仲間はずれにされればされるほど仲間に入れて貰いたいっておもっちゃうんですよ。あんな奴らの仲間になったって面白いことなんてなにもないのに、気まぐれに声を掛けられるとそれだけで嬉しくなるんです。それでまた仲間はずれにされると、誰か助けてくれないかな、どうして助けてくれないんだろうってどんどん卑屈になっていくんですよね。友達なら助けてくれるかも、また楽しく遊べるかもって思っても、ボクは不思議には思えません。先輩に助けてもらって軽音部に誘ってもらえなかったらボクも誰かを呪っていたかもしれないです」


 自分で乱した前髪を手ぐしで直し黒縁眼鏡をかけ直す。まるで何事もなかったかのようにする仕草が伊音の意地なのだろう。


「伊音くん、これを食べるのじゃ。たくさん食べれば元気が出るのじゃ」


「ありがとうございます、朝香先輩――冷めてる……」


 冷めたフライドポテトはおいしくないだろうに、伊音は先輩が差し出した皿から黙々とフライドポテトを口に運んでいた。しばらく食べ続けてソーダで流し込んだ伊音は眼鏡を直してタブレットを持つ。どうやら立ち直ったようだ。


「家庭環境もよくなかったらしいです。母親と二人暮らししていた部屋の惨状からネグレクトの可能性があるって話です。それから、母親には恋人がいたらしく、鹿住吉宏は祖父宅に預けられていたらしいです。最後の目撃証言が団地近くなんですよね」


「祖父って、孤独死してたっていうじいちゃんか?」


「そうです。たつ山の隣にある団地ですね」


 たつ山というのはたつ川神社がある山の通称だ。本来は違う名前があるらしいが所有が違う裏山も含めて地元の人間はたつ山と呼んでいる。


「その団地なんですけど、最近心霊スポットになっているらしいです」


「いや、あそこまだ人住んでるだろ」


 時代の流れか、団地全体の半数ぐらいしか人が住んでいないみたいだがまだ機能している。心霊スポットになるには騒がしすぎる気がする。


「そうなんですけど、クラスで団地に住んでる人も、第三棟が気味悪いって話が出てるんですよね。つい最近、動画サイトで肝試し動画もアップされたくらいで。第三棟って今、ほとんど無人なんだそうです」


「じゃあ、その噂は俺と部長が調べるよ」


 羽智が軽く請け負う。


「団地に入ったりすんなよ? 俺嫌だからな」


 結構真剣に羽智に釘を刺した。こんな体質なので心霊スポットがなによりも嫌いだ。普通の奴に見えるところに行こうものなら確実におかしなものを見る自信がある。しかも心霊スポットに肝試しに行ってきたっていう奴の大半がなにかをくっつけて帰ってきているのだ。羽智や部長があんなもの背負っているのを見たくない。


「わかったわかった。志紀がなんで肝試し嫌いなのかもわかったし、必要がなければ入らないよ」


 必要があれば入るんですか!?


「なあ、ちょっと都合がよすぎる気がするのは俺だけか?」


 明日の役目も決まって話が終わりかけたとき部長が唸った。しかめっ面がさらにしかめられている。


「乾が女の幽霊を目撃してからこっち、死亡事故やら行方不明やら、探偵まで出てきて猫だの呪いだの、挙げ句近くの団地が心霊スポットって、なんかこう仕組まれてるみたいに情報が集まりすぎて気味が悪いっていうか。伊音や乾をどうこう言っているわけじゃないんだが」


 まとまらなくて言葉に詰まった部長が坊主頭を掻き回す。


「気にしてませんよ」


「そう思われてもおかしくない程度には家の情報網はエグいです」


 俺と伊音が揃って言うが部長はまだ納得していない様子だった。


「川の流れじゃよ。流れるべきところに流れていく。何事もそういうもんじゃ」


 先輩に笑いかけられて部長は頭のてっぺんまで真っ赤になった。これもうどうでもよくなったな。


「もしくは、みんな坊に救われたいんじゃろうな」


 先輩!? 俺に笑いかけちゃったら台無しなんですけど!? 黒猫もこのタイミングで鳴くなよ。

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