第5話ライブ

【ライブ】


 早ければ早いほどいいと先輩に言われて、ライブは結局三日後、「WEDNESDAY」の営業開始直後のほとんど人がいない時間帯に一曲ねじ込んでもらうことになった。予定が入っていたバンドには前座ということで納得してもらったらしい。客が少ないと盛り上がりもいまいちだからさほど問題にならなかった。

 問題になっているのは軽音部のほうだ。事前に連絡を入れていたからと言ってライブハウスで客を入れてのライブが初めてなうえ準備に三日しかない。

 人前に出ることが苦手な風波は顔を青くさせていた。兄ちゃんについて問いただすことも今は後回しだ。ちなみに、小言が多い部長は先輩に黙らせてもらった。「松本くんならできると信じているのじゃ」と、にっこり笑顔を向けたら一発だった。誰よりもヤル気になっている。羽智は相変わらずののほほん笑顔で「いいよ~、なんとかしよ~」と、請け負ってくれる。お前が幼なじみで本当によかった。

 演奏するのは一曲。今までコピーしてきた中から選べば間に合うだろう。


「要するに、奥さんや旦那さんに寄り添う感じの曲を歌えばいいってことだよね?」


 経緯を説明すれば羽智がわかりやすく翻訳してくれた。マジ優秀。こいつテストの成績もいいんだよなぁ。


「特定のフレーズや歌詞に効果があるってことはないんですか?」


 人前での演奏には抵抗があるらしいが、幽霊に関しては興味津々の風波がキーボードをポロポロ弾きながら先輩に質問する。


「言葉や音がどうであるかは関係ないのじゃ。そこにどんな思いが乗ってどう届くかが重要なのじゃ。無音であっても無言であってもいいのじゃ。じゃが、坊の気持ちは音楽に乗る。ただ言葉にするよりも歌にしたほうが気持ちを乗せられる。そうではないかや?」


 先輩の言うとおりだ。

 歌でなら愛しているも大好きも不平不満もいくらでも素直に乗せられる。表現できる。


「じゃあ極端な話、歌詞が全然見当外れでも気持ちが届けば成功ってこと?」


 羽智の言葉に先輩は頷く。


「坊にそれができれば、じゃが。そんな器用なことできるとはおもえぬのじゃ」


「たしかにそうだね。志紀って素直で真面目だから」


 この感じ知ってるぞ。先輩と礼兄の雰囲気に似ている。血は争えないっていうか羽智が礼兄の子供じゃないことが不思議で堪らなくなる。

 それはさておき、たしかにそんな器用なことはできない。歌詞とメロディーを無視して気持ちを入れ込むなんて曲にも失礼だろう。


「でも先輩俺に言っただろ。他人の感情を勝手に推察するなって。こっちで曲を決めるのは勝手な推察にならないのか?」


 なんというか、そのときの先輩の表情はやたら綺麗で、優しげで、嬉しげで、イメージとしては聖母って感じだった。


「ちゃんとワシの言ったことを覚えていたんじゃな。偉いぞ坊。たしかに押しつけるのはいけないことじゃ。じゃがな、坊が坊の気持ちを伝えることは坊の自由じゃ。坊が言ったな、旦那殿が生きて考えてやらないと誰も救われない、と。幽霊というのは記憶と感情の化け物みたいなものじゃ。じゃから生きている人間の祈りが届く。供養の念が作用する。これは生きる者と死した者、拗れた夫婦の感情への供養じゃ。双方に届けたい想いを歌うのじゃ」


 小山さんは奥さんに言ってしまった言葉を悔やんでいる。自分の言葉から奥さんを救いたいと願っている。奥さんは旦那さんから向けられた言葉を真に受けて辛い瞬間を何度も繰り返している。旦那にすがりついている。

 ただ怖くて直視できなかった女の事情を俺は今知っている。なにかを伝えたいと思えている。


「乾、お前が決めろ。何を選んだって三日でそれなりに仕上げてやる」


 部長かっこいい。決め顔が先輩に向かってなかったら惚れてた。

 かなりの重責を背負って俺は曲を選んだ。ドラムの部長、ベースの羽智、キーボードの風波、ボーカル・ギターの俺で必死こいて練習してあっという間に三日経ってしまった。

 アンプやスピーカーはちょっといいやつを借りられることになってワクワクした。すぐ緊張で吐きそうなのを思い出したけど。


 リハーサルを終えて営業時間になる。客の入りは悪いが好都合だ。開店と同時に入ってきたのはなんと風波兄だった。スタンバイしていた風波が「あ~……兄さん来るんだ」と複雑な顔をしていた。兄弟仲微妙なのか?

 続いて先輩が小山さんを伴って入ってきた。小さく手を振ってくるから軽く頷いた。視界の端で部長がスティックをチラチラと振っていた。物珍しそうにしている小山さんはペットボトルに生けられた榊を抱えている。先輩が持っていったときのまま青々として赤いリボンも結んであるままだ。小山さんの肩に白い手が乗っているのが見えるからそれが奥さんなのだろう。ずいぶん控えめになった。めっちゃ怖いけど。手だけってのものそれはそれで怖い。ビビりがましになるどころか酷くなってる気がする。


 俺たちは前座で、繋ぎで、開場前BGMみたいなもんだ。挨拶もいらない。ただ二人に届けばいい。

 ステージ真ん中にセットされたスタンドマイクの前に立つ。羽智、部長、風波と視線を合わせて最初の一音を奏でた。

 ピアノのメロディーが、ドラムとベースのリズムが、ギターのコードが会場を満たして空気を震わせる。その中に小さな鈴の音が混じった。見守ってくれている赤い瞳に勇気をもらう。想いを歌にのせる。


 傷つけあって壊した愛が雨に濡れていく。ひとりぼっちになってようやく気づいた。未来にもあったはずの温もりを冷めた体で思い出す。


 酷く感傷的な失恋ソングだ。だけど、雨音のように切なく響くピアノが、温かく慰めるようなベースの低音が、二人を癒やしてくれればいいと思った。俺たちの音を支えてくれるドラムのリズムのように、時間をかけて捩れた糸が戻ればいい。悲しいまま終わってしまったけど、過ちを悔やみ安らぎを願えるならきっと大丈夫。


 傷跡も涙も雨に流せばいい。今日はずっと雨だから。


 押さえるコードに想いを込める。

 しんみりした曲にライブハウスのテンションは下がる。穏やかな川のように凪いでいる。

 小山さんの横に喪服の女が立っていた。俯いた顔が黒髪に覆われている。頭が上がり横に立つ小山さんを見上げた。髪が滑り白い頬が現れる。小山さんがふと横を見て奥さんを見つけた。何かを語りかける。奥さんの色をなくした唇も動いた。

 あと数フレーズで曲が終わる。メンバーを見ればみんな小山さんを見ていた。

 小山さんの隣に立つ先輩が穏やかに笑っていた。ステージに向き直って俺と目が合う。大丈夫だと頷かれた。

 夫婦の頬に涙が伝う。最後のコードの余韻と共に喪服姿がもやのように消えていった。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「一発目には向かない曲だったけど、いい演奏だったぞ。やるじゃねぇかお前ら。またやる気になったらやらしてやるよ」


 ステージを本命のバンドに明け渡した俺たちは会場の隅で礼兄に褒められた。嬉しいはずなのにどこか上の空で、それはメンバーも同じだった。自分たちがなにをやらかしたのかよく理解出来なくて、でも達成感というか、「ああ、これでよかったんだな」っていう安心感で気が抜けていた。


 そばに寄ってきた先輩に腕を引かれ体を屈める。本命バンドの演奏はまだ始まっていないが客が増えて普通の会話をするには苦労するざわめきになっていた。俺の耳と先輩の唇が近づく。


「無事、届いたようじゃよ」


 優しく爪弾いたFメジャーの響きが鼓膜をくすぐる。

 慣れない場所に戸惑いながらも近づいてきた小山さんを見れば、ずいぶんとすっきりとした顔をしていた。すがりつく手も見えない。供養ってのは生きている人間にも必要なことだったんだな。


 そろそろ関係ない奴らが固まっているのも邪魔になってきた頃合いで礼兄に裏に通された。ステージ裏には控え室と器材室、倉庫があってビルの裏に抜ける階段がある。裏は小さな駐車場だ。メンバー四人と先輩と小山さん、風波兄、礼兄の大所帯で狭い通路を抜け駐車場に出る。最近温くなってきた空気が体を冷やして気持ちよかった。


「なんかお経でも唱えるのかなって想像してたんだけど普通にいい演奏だったね」


「お経?」


 不本意ながら見慣れている俺でも処理できない光景だった。普段見えていないメンバーは余計に混乱しているだろう。何も言葉にできなくて、だけど同じ想いを共有している、そんな沈黙を風波兄が胡散臭い笑いでぶち破ってきた。

 幽霊云々を説明していない礼兄が反応する。ジロリと風波兄を睨み俺を流し見る。

 俺がごまかすより先に風波が動いた。


「ごめんなさいごめんなさい。無神経な兄でごめんなさい。こういう空気をあえて読まない兄でごめんなさい。兄さんちょっと黙ってて。ていうかもう帰って」


「こらこら伊音くん?」


 なんとなくこの兄弟の関係性が見えてきた。風波が顔を全力で隠しているのもきっとこの兄ちゃんのせいなんだろうなあ。


 礼兄が夜なのに掛けているサングラスを直し視線を隠す。


「ま、なんにしろお疲れ様。話があるなら事務所使え。帰りはそのまま閉めて帰れよ」


 礼兄が俺の手に鍵を握らせた。メンバーの肩をポンポンと叩いてビルに戻っていく。

 余計なことを言わない礼兄マジで格好いいな。


「あはっ、嫌われちゃったかな」


「兄さん嫌い」


「やだな、伊音くん。嘘ついちゃだめだぞ?」


 俺たちの兄貴分が礼兄でよかったな、と、羽智とうなずき合った。


 事務所はビルの三階だ。裏にある外階段を使うことになる。

 話、といっても何を話していいのかわからず小山さんを振り返った。


「ありがとう、ございました」


 涙の跡が残る頬に少しだけ笑みを浮かべ小山さんが頭を下げた。宝物のように胸に抱いた榊はすっかり枯れてしまっている。


「水と榊は川に流すのじゃ。ペットボトルはゴミ箱じゃぞ?」


 先輩がわりかし重要な話を茶化して伝える。小山さんはしっかり頷いてまた強くペットボトルを抱きしめた。


「僕、よくわかってないんだけど、一段落ついたってことでいいのかな?」


 風波兄の言い方から察するにこの人には見えていなかったんだろう。もしくは見ていなかったか。小山さんよりステージ側に立って案外熱心にステージを見てくれていたから気づかなかったのかも知れない。

 風波兄の疑問には小山さんが「乾くん達のおかげで」と、言ってくれた。それに先輩も同意する。


「そうじゃな。あとは日々供養を忘れぬことだ」


 小山さんが深く頷く。


「疲れたじゃろう。ワシらはもう関わることはないじゃろうが息災で暮らすのじゃぞ。それを川に流したらゆっくり休むのじゃ」


 高校生に偉そうに言われて、でも小山さんは心底感謝した様子で俺たちに礼を言って帰って行った。


「さてと、それじゃ僕も帰らせてもらおうかな」


「本当に!? すぐ帰って! 今すぐ帰って! おやすみ兄さん!」


「ツンデレかな? この子ツンデレかな? そうだよね? 伊音くん?」


 風波兄が弟の頭をもしゃもしゃと撫でる。風波が「ひぃぃ」と小さく悲鳴を上げていた。謎な兄弟仲だ。改めて礼兄の偉大さを噛みしめていると笑顔を消した風波兄と視線があった。


「乾くんと朝香さんには僕にも見えない情報が見えているらしいね」


 思わず風波兄寄りに立っていた先輩を引き寄せて背中に隠した。

 つり上がった唇に浮かぶのが気味の悪い笑みだったからだ。

 また謝りそうになっている風波は羽智が肩を掴んで宥めて一歩下がらせた。部長が俺と並んで壁になる。どんな幽霊よりも風波兄のほうが得体が知れない。


「そんな怖い顔しないの」


 風波兄が笑った口元に人差し指を立てる。黒縁眼鏡の奥が三日月形に歪む。俺の周りには優しく笑う奴らが揃っているから、腹黒い笑顔がやけに怖かった。


「僕ね、他人の秘密が大好きなの。隠されているものを見つけるのが大好き。情報のかくれんぼで僕はいつでも鬼でいたい。君たちがなにをどんな風に見ているのかは知らないけれど、それは情報だよ。うらやましいなぁ。他の人には見えない情報が、君たちには見えているんでしょ?」


 ふざけんな。


「うらやましい? こんなもんが? ほしいならくれてやりたいくらいだよ」


 こっちは見たくなくて慣れないことに首突っ込んでるっていうのに、この男はケンカ売ってんのか?


「目を抉ればいいのかな? それとも脳を弄ればいいのかな? もらえるものなら貰いたいねぇ」


「だめじゃ」


 なぜかはわからないが挑発されている。わかってはいるが頭に昇る血はどうしようもなくて踏み出しかけたときブレザーの背中を先輩に掴まれた。


「坊のキレイな瞳は誰にもあげられないのじゃ。坊も坊じゃ、くれてやるなど簡単に言うでないのじゃ」


 顔は見えないが結構本気で怒っているようだった。ポカスカ背中を殴られている。全然痛くないけど。


「授かったものは自然に別れるまで勝手に捨ててはならんのじゃっ。辛いならワシがついておるのじゃっ。吾妻くんも、伊音くんも、松本くんもおるじゃろっ、一人で嫌になるでないのじゃっ」


「わかったわかった。俺が悪かったって」


 泣きそうに声が震え出すから俺は慌てて謝った。振り返りたいが先輩が張り付いているから身動きがとれない。挙げ句、「霞先輩霞先輩、落ち着いて。志紀のは冗談だから。喧嘩っ早いのが短所なの。許してやって」なんて羽智が言うからすっかり俺が悪い流れになってしまった。風波と部長も加わって俺の背中で先輩を宥めにかかる。


「本当にわかっておるのかや? 見えなかったら坊は音楽にもワシにも出会ってなかったのじゃぞっ」


「わ~かったって! 泣くことないだろ!?」


 しかもその泣き顔、俺見えないし。


「泣いてないのじゃっ」


「痛っ!」

 

 全然痛くないけど、両手で殴られて声が出た。絶対泣いてるじゃん。なんで他の奴に見せて俺が見られないんだよ。


 わちゃわちゃやっていたら風波兄、いやもうこんな奴風波で十分だわ。風波が吹き出した。なに勝手に見て笑ってくれてんだ。


「あははははっ、興味深いなあ。すごくいいよ。はあ~面白い。伊音くんが珍しくお家に関わっているから何事かと思ったけど、なるほど、こんな面白い情報源があるなら動くわけだよね~」


「ボクは先輩を助けたいだけで兄さんとは違うから!」


 伊音が叫ぶと急に風波の笑顔が引っ込んだ。冷たくなった視線が俺を透かして弟を射貫く。


「同じだよ、伊音くん。僕も君も同じ。人って言うのは感情と情報の化け物なんだよ。そんな化け物に魅入られたんだから行き着く先は同じさ」


 スーツの懐に入った手が小さな紙片を取り出す。指先に挟まれたそれが鼻先に突きつけられた。『風波探偵社 風波玲音』名刺だ。


「乾くん、君のその目は素晴らしいよ。見えた情報に飲まれそうになったら連絡しておいで。僕が噛み砕いてあげる」


 俺が受け取らないと見るやむりやり胸ポケットにねじ込まれた。狂気じみた気配を胡散臭い笑顔で隠して背を向け帰って行った。

 駐車場を出て裏道を曲がり姿が消えても安心できなくてしばらく暗い道を睨み続けた。

 完全に帰ったんだと確信してさらに八小節分待って俺はその場にしゃがみ込んだ。盛大に吸い込んで声と共に吐き出す。頭を抱えてセットも気にせず掻き乱す。


「伊音」


「は、はい!」


「俺、お前の兄貴嫌い」


「あ、はい。全然嫌ってもらって大丈夫です」


 人は感情と情報の化け物って先輩と同じ表現するのも嫌いだし、何にもわかってないくせに「素晴らしい」とか言ってちょっと俺を喜ばせているのも気にくわない。そんな気にくわない奴に認められているって感じている俺自身がなんか嫌で、総合的にあいつ嫌い。


「坊? 大丈夫かや? 背中痛いかや?」


「痛くない痛くない。大丈夫大丈夫」


 あんなので痛いわけないだろ。この素っ頓狂でポンコツなボケをかます先輩が一番厄介で可愛いから始末におけない。

 腕の間から見上げた先輩はすっかりこっちを心配する顔だった。涙の痕はないが目元がちょっと赤くなっている。たかだか後輩の体の心配でこれなんだから恋人が死んだときはどれほど泣いたんだろうか。


「好きになれない人だけど、言っていることは案外まともだったな」


 部長が腕を組み、風波の消えた道を睨みながら言った。

 だから余計嫌いなんだよ。


「だから余計嫌いだな~」


 羽智! 俺お前好き!


「もう本当にごめんなさいごめんなさい。兄のことはすきに嫌ってくれて構わないのでボクのことは嫌いにならないでください」


 立ち上がって伊音の肩に腕を回す。その背中を羽智が撫でて部長は癖の強い髪をわしゃわしゃにした。「ワシもワシもっ」と先輩は俺たちの間から手を伸ばして伊音のおでこを撫でていた。

 思う存分伊音をなで回してから俺たちは外階段で事務所に入った。事務所って言っても半分は倉庫のようなものだ。各階のバックヤードに置けなくなったものをここに詰め込んでいるだけで事務員さんがいるなんてことはない。基本的には礼兄や他スタッフの仮眠室として機能している。シャワーブースがあって、端にちょっとした給湯スペースもあり、簡単な調理とコーヒーぐらいは淹れられる。礼兄が「使え」と言ってくれたのはパーティションで区切られた一角のことだろう。回り込むと二人掛けのソファーが二脚。その間にテーブルがある。テーブルにはビニール袋が三つ乗っていた。覗けば中身は近くのファストフードのテイクアウトと飲み物、スナックと紙皿や紙コップ類だった。


「礼兄~~~~~~」


「初ライブの打ち上げだ~」


「兄さんに爪の垢を煎じて飲ませてやりたい」


「部活動としてライブハウスの掃除でもするか?」


 ようやくライブを終えた感が出てきた。ありがたく食い物を広げ全員に飲み物を配る。先輩はいち早くコップを確保していて俺がペットボトルの蓋を開けるのを横で待っていた。

 乾杯の音頭は俺がとることになった。まあ俺が原因だしな。


「あ~きっかけもやる理由もしっちゃかめっちゃかだったけど、とにかく初ライブ成功おめでとう! 乾杯!」


 声を合わせてコップを掲げテンションに任せて飲み干す。

 椅子は足りないがどうでもよかった。先輩が最初にソファーに座る。この人自分が優先されるって知ってるんだな。恋人、めちゃくちゃこの人のこと甘やかしただろ。

 先輩の隣には羽智でも座らせておけば間違いないだろうと思ったのに小さな手がポンポコ隣を叩いて赤い瞳が見つめてくるから羽智にむりやり押し込まれた。いや、違うんだって先輩、このソファー二人掛けってわかってる? アンタ以外全員男なんだよ?

 

 そんなところに羽智がでかい図体を俺の横にねじ込んでくる。待て待てこれ二人掛けだっての! ソファーに多少の余裕はあるが俺の体は押されて先輩に寄る。先輩は細いし小さいからはじき出されることはないが肘掛けと俺に挟まれる形になった。触れてるから! めっちゃ肩とか太ももとか触っちゃってるから!

 軽く殴ってやろうと思った羽智が抱きついてきて肩に額を押しつけてきた。え~、どういうこと?


「志紀、ああいうのずっと見てきたの?」


 押しのけようとしていた手の力が抜けた。


「…………まだましでキレイなほうじゃねぇか?」


 ライブハウスで見た奥さんは普通の人間と見分けがつかなかった。人体構造がおかしなことになってる姿じゃない。最初に見た姿だったら俺の声はひっくり返っていただろう。とくに何も考えず返したら後ろから風波に抱きつかれた。

 なにこれ? 俺ゴールでも決めた?


「ボクにも見えました。ちゃんと死んだ事実もありました。旦那さんも納得してたし、先輩が見たものは現実の情報です」


「まあなんだ。見える見えないはどうにもできないが、また必要になったら手伝ってやるからちゃんと相談しろ」


 部長、本当にかっこいいっすね。


「青春じゃのう」


 先輩こっちに頭寄せないで。せっかく部長がかっこいいこと言ったのにめっちゃ睨んでくるから。


「暑苦しいつぅの」


 まぁ、悪くないです。

 それなりに広い事務所なのに一脚のソファーによってたかってわちゃわちゃして、あそこは間違えただの、もっといい音出せただの、どこのフレーズが決まっただの軽音部らしいことで盛り上がった。一旦落ち着くと、風波一族どうなってんだ、という話になった。

 先輩、俺、羽智の対面に部長、伊音が並ぶ。先輩は俺の隣で興味なさげに俺が持つ皿からフライドポテトを摘まんでいる。アンタが持っているその皿にも食い物乗ってますよね?


「詳しくは言えないんですけど、まあなんというか、家族経営のシンクタンクだとおもっていただければ。兄の探偵業はほぼ趣味です」


 シンクタンク……。


「しんくたんく?」


 先輩が首を傾げるその単語に部長も羽智もぼんやりとした認識しかないのか説明しようとする奴はいなかった。要するに頭脳集団ってやつだろ? あまり真剣に考えたくないな。


「それでですね、今回の件で家の情報網を使わせて貰ったんですが、あ、兄とは別系統というか、なるべく兄と接触しない方法で調べたんですよ!? でも、兄も別方向から同じものを調べていたらしくてですね、タブレットを初期化している最中にバレちゃいまして。あんな人だからボクの周りを調べたわけですが、現実的にはなにも繋がらないことに興味持っちゃって」


 きっかけは幽霊だから既存の情報じゃ繋がらないわな。


「興味持っちゃうととことん突き詰めるタイプなので先輩に突撃しちゃったというわけです。力及ばずもうしわけありません」


「伊音は俺のためにやってくれたんだし謝ることじゃねえよ」


「それに、旦那殿に会えなければ間違った供養になっていたじゃろう。兄くんの人柄は好かんが不幸中の幸いじゃよ」


 俺の皿を空にした先輩は自分が持っていた皿を俺に持たせそこからまた食べ始めた。

 泣きそうになっている伊音のコップに羽智がジュースをつぎ足し何度目かの乾杯をする。


 それからは中身のないことで盛り上がり、気づけば夜もいい時間になっていた。急いで事務所を片付けて施錠する。手に持てる荷物だけ各自で持ち帰り、デカいものは伊音の家の車で明日部室に運び込むことになった。解散、となって、なぜか俺が先輩を送る役目を仰せつかった。風波は荷物と一緒に車で帰るのだから仕方ない。部長もバスに乗るなら方向が違う。が、羽智は確実に方向が一緒だ。俺は礼兄のマンションに居候しているから実質正反対まである。それなのに生温かい目で「また明日」と、言われ、部長には睨まれた。どういう状況? しかも当人、先輩は笑顔で手を振りみんなに別れを告げている。部長、鼻の下伸びてる。

 この時間に女子一人を歩かせるわけにもいかないので行きますけど、三人の行動があからさますぎて正直戸惑う。周りから俺たちはどう見られているんだか。


 先輩を送っていくために住処とは反対方向に進む。並んで歩く先輩は相変わらずなにも持ってない。女子って荷物多いイメージだったんだけど、ギターケースに鞄まで背負っている俺が大げさに見えるほど身軽だ。


「どうじゃ? 少しは怖くなくなったかや?」


 幽霊が意味なくいるわけでもなく、より確実な対処法もわかった。


「おもしろおかしく幽霊やってる奴なんていないんだってわかっただけだ。やっぱり怖いよ」


 知ったら知っただけ悲しくなって苦しくなって、本当に怖いのは幽霊そのものじゃなくて幽霊になっちまった事情のほうなんじゃないかと思う。骨を折った甲斐があったんだかなかったんだか。


「坊は優しいのじゃ」


「……うっせぇ」


 赤い瞳を細めて微笑まれると体の奥がざわざわして落ち着かないからやめてほしい。


「先輩はさ、なんで俺なんかに構うわけ?」


 みっともなくビビって女の後ろに隠れるような男だ。腕を引いて、つきっきりで教えて、先輩になんの得があっただろう。


 先輩は手を後ろで組んで足を投げ出すように歩いている。繁華街を離れると街灯が減る。暗いなかで白い肌が浮き上がって見える。首筋でカールした髪がふわりふわりと踊る。


「なんでじゃろうなあ」


 赤い瞳は道の先にある夜を見ていた。


「もっと、坊の音が聞きたかったからじゃろうなあ」


 たっぷり十歩分の間をとって言われたことにむず痒くなった。

 出会ったその日にも言われたな。「よい音じゃ」って。そしてことあるごとに言ってくれる。この人、俺の音大好きだな? そういえば恋人も音楽やっていたって言うし、きっとその影響だろうな。

 いつかの帰り道も夢の中でも先輩はいつだって嬉しそうに楽しそうに舞っていた。そんなとき、先輩の中に流れる音楽は決まっているのだと思う。うらやましさとわずかな嫌悪感に指先を握った。


「今日のライブは? どうだった?」


「満点合格じゃよ」


「んだよ合格って。どっから目線だよ」


「先輩目線じゃ」


 意味のない会話をぽつりぽつりと続けて、たつ川の橋までたどり着く。夜も更け始まっているから家の近くまで送ると言ったが、先輩はもうすぐだからと橋の手前で俺に背を向けた。もうすぐって言ったって、神社がある山を回り込まないと家はないし、その山沿いの道が一番暗い。まさかこの時間に神社を突っ切るなんてことはしないだろう。いや、先輩ならしそうだけど。俺は部長たちから先輩を任された。ここで別れたら意味がない気がする。それとも、家の近くを男連れで歩いているのが不都合なのだろうか。


「本当に大丈夫なんだな?」


「大丈夫じゃよ。坊は心配性じゃのう」


「茶化してんじゃねぇよ。夜に女一人で歩かせるんだから心配ぐらいするだろ普通」


 なぜそこできょとんとする?


「坊はもしかしてモテるかや?」


「あ? 今関係ねぇだろそんなこと。おら、連絡先教えろ。何かあったらすぐ電話しろよ」


「持ってないのじゃ」


「は?」


「スマホ、持ってないのじゃ」


 俺はしばらく自分のスマホと先輩を見比べた。持ってない? なにを? 女子高校生がスマホを持ってない?


「そんなことありえんのか?」


「現にここにおるじゃろ?」


「それでどうやって生きてくんだよ。家に連絡もできねぇじゃん」


「今まで生きてこられたから特に必要を感じていないのじゃ」


 結構動揺している俺の前で、先輩は意味がわからない、という顔をしている。マジか。この人マジなのか? この時間にまだ家に帰ってなくて連絡も入れていないのに家の人心配しないわけ? そういう家? この人に途中で何かあったらどうするんだよ? この町が比較的犯罪件数の少ない田舎だからってそこまで安心できる世の中でもないだろ。いいところのお嬢様かと勝手に想像していたが家庭で虐待でも受けているんじゃないだろうか。間違っていたら失礼な想像が、でもこびりついて離れていかないしどんどん心配になっていく。先輩の手を握って橋に踏み込んだ。


「坊、坊、急にどうしたのかや!?」


「家の前まで送る。家の人に見られるとヤバい?」


「そ、そんなことはない……と、おもうのじゃ」


 大概のことには飄飄としている先輩にしては歯切れが悪い。立ち止まって先輩を振り返る。だいぶ困った顔をさせていた。


「もし俺に送られるのがいやなら風波に連絡して車出させる。それが嫌ならせめて神社周りの暗い道は付き添わせろ」


 ポカンと口を開けた間抜け顔を晒していた先輩は突然笑い出した。俺が柄にもなくめちゃくちゃ心配してるっているのに、なんなんだよこの人。

 細い指を唇に当ててコロコロ笑う姿に絆されてなんかやらねぇからな!? 最終的に涙まで滲ませた先輩が潤んだ赤で見上げてくる。


「坊はワシのお父さんかや? ずいぶんと心配をかけてしまったのじゃな。ではお言葉に甘えて送ってもらうのじゃ」


「最初からそう言えって」


「すまんのじゃ」


 握った手をブラブラと揺らし先輩は隣に並んで歩き始めた。

 神社のある山は夜でも仄白く光る霧に包まれて浮かび上がっている。その山の南側に回り込み住宅街へ向かう。


「ほんに坊は優しいのじゃ。モテモテじゃろ?」


「いや、知らねえし」


 夜道で美人の先輩と手を繋いで歩いている事実が今更ながら恥ずかしくなってきた。


「つか、先輩こそモテるんじゃねえの?」


 先輩が今でも昔の恋人のことを大好きなのはわかっている。だが、外見は美人だし中身はちょっと残念だが基本的にニコニコしていて人当たりがいい。羽智タイプの人だ。周りが放っておかないだろう。実際、部長は結構必死だ。


「美人すぎると逆に周りに敬遠されてしまうのじゃ」


 安心した。そうだよな。しゃべったら残念美人だしな。そこら辺の男が普通に付き合えるわけないか。幽霊に正面切って話しかける人だし。ってか安心したってなんだよ。いや、これはあれだ。部長が振り回されることを心配しているんであって、俺がどうこうではなくて。


「ここなのじゃ」


 俺が必要以上に自分に言い訳していると先輩の足が止まった。

 先輩が指さすのは住宅街にある一軒家。ブロックを積み上げた塀とアルミの格子門で区切られた二階建ての家だ。表札は出ていないし庭も雑草が生えて荒れている様子だった。見上げた家には外灯すらついていない。カーテンも閉めきられていて真っ暗だった。


「家の人、帰ってくるの遅いの?」


 あまり他人の家庭事情に首を突っ込むのはよくないとわかっているし普段ならしなかったとおもう。でも、この暗い家に先輩が帰るのかと思うと訊かずにはいられなかった。


「そうなのじゃ。もしかしたら今日は帰ってこないかもなのじゃ。慣れているから心配しなくても大丈夫なのじゃ。ここまでありがとう、坊」


 なんとなく押し切られた気がした。

 先輩は、今度は逆に俺を見送ると言って門前で俺が角を曲がるまで手を振り続けた。釈然としない。

 振り返るが角を曲がってしまったから先輩の家は当然見えない。辺りの家はどこかしら窓に明かりが点っていたり車や自転車が庭先に止めてあったりと生活の匂いがした。屋根越しに団地の四角い影が見える。黒い箱にポツポツと明かりが穴を開けている。いくつかならんだ箱の内の一つは角度が悪いのか明かりが見えなかった。先輩の家もまだ明かりがついていない気がして、でもとって引き返すこともできず俺は来た道を戻った。あの家に比べれば、霧に包まれた神社のほうがよほど明るく見えた。

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