第3話ひとりじゃできないもん

【ひとりじゃできないもん】


 朝から情緒不安定でようやく迎えた放課後。楽しい楽しい部活の時間に、俺たちは楽器も持たずにテーブルを囲んでいた。もちろん先輩も俺の隣に座っている。この人鞄一つ持たずに部室に来たんだけど、教室に全部置いてきたのだろうか。

 とりあえず今朝の出来事を先輩側の見解も交えてみんなに説明した。交差点で幽霊を見て、引っ付かれて、怖くなって部室に逃げ込んだ。いつものようにギターを弾いていれば恐怖を忘れられて幽霊もどっかいってくれると思っていたのにうまくいかなくて、そんなときに先輩が部室に現れた。

 先輩は、俺の震える演奏を聞きつけて部室に近寄ったら中を見つめる幽霊が見えて、中に何があるのかと思って入ってきたという。

 それから二人で幽霊をどうこうする話になって、風波に見つかり、訳もわからないまま先輩の言うとおりにしたら幽霊の姿は消えてコード譜は燃えた。

 説明していても訳がわからない。誰かに解説してもらいたい。


「先輩って、想像以上にハードな目にあってたんですね」


 説明終わりの風波の第一声がそれだった。

 羽智が抱きついてきて「なんでこの子はそんなに我慢しちゃうの~も~」と、オネエキャラを爆誕させている。ちょっとは外見に寄せよう?


「やっぱり廊下でなんか燃えたのは見間違えじゃなかったのか。それにしてもコード譜でお祓い? 親近感があるんだかないんだか」


 それな。まさか俺も楽譜とギターでどうにかなるもんだと思わなかった。今のところそこが一番の謎だ。


「あれってどういう理屈なわけ。あ、いや、正解がないってのはわかってんだけど、先輩の中での理屈が一応あるわけだろ?」


 椅子に姿勢良く座っている先輩の赤い瞳がきょとりと瞬く。開きすぎだったブラウスのボタンが一つ留められていた。言えば留めてくれるのか。


「信じるものは救われる。じゃよ」


 じゃよ。じゃ、ねえよ。説明になってねえわ。納得していない俺の表情で察したのか、細い指が顎を撫で頬に沿い首が傾げられた。赤がどこか遠くを見る。


「むかーし昔はな、歌や演奏や舞というのは神に捧げるものだったんじゃ」


 唇が少しだけ笑みを象る。ああ、恋人を思い出してるのか。


「歌や楽器を扱えることは一種の才能じゃ。芸能ともいう。ワシも、舞を奉納しておったのじゃ」


「お神楽とかはそういうのの一種?」


 部長がちょっとだけテーブルに身を乗り出す。対先輩の口調に慣れなくて妙にむず痒い。羽智も風波も思うところがあるのか微妙な表情で身じろいでいた。

 懐古から現在に帰ってきた先輩が部長に微笑む。


「そうじゃよ。松本くんはよく知っておるのじゃな」


 笑顔と褒めのダブルパンチに部長が仰け反った。耳の先まで真っ赤になる。きゃわわ~。


「あ、まあ、野球部の時、たつ川神社のお神楽を見たことがあったから。あそこ、芸事の神様らしくて必勝祈願とかで運動部が揃ってお参りとかしてたし」


 めっちゃ早口。

 たつ川神社とは学校の西側にある小さいとも大きいとも言えない微妙な規模の神社だ。俺のトラウマ現場でもある。ちなみに学校と神社の間を流れる川は「たつ川」という。


 部長を挙動不審にさせた先輩はとくに気に掛ける様子もなく俺のほうを向いた。赤に見られるのは気分がよくなる。その表情が確実にこっちを庇護対象と見ている聖母めいたものだとしても、反発心は起こらない。


「難しく考えずともよいのじゃ。歌で救われた、元気が出たという経験があるじゃろ?」


 無言で頷く。俺はロックに救われて支えられてきた。ワンフレーズに慰められて、一小節のメロディーに勇気をもらってきた。


「歌や演奏は人の心を動かす。理解できない呪文なぞよりよほど確実にな。だから昔は芸能者を特別な存在と見なしていたのじゃ。厄を祓い、福を呼び、心を癒やす」


 だからギターを弾いてたり音楽を聴いていたりすると恐怖を忘れられてたのか。すんなり納得できた。すごいなこの人。


「坊の歌と演奏には力がある。見えているからなのか、強い恐怖を感じているからなのか、霊に作用しやすいようじゃ」


「波長があうってやつですかね」


 風波に対して先輩が「そうとも言えるのじゃ」とか答えていたが心外だ。波長なんてあいたくなかった。なんで幽霊相手にバイブスあわせてんだよ。


「そんな才能いらねぇよぉ~」


 椅子の上に足を上げて膝を抱え込み顔を伏せる。もういやだ。怖いのから逃げたいのになんで関わる方向になってんの? 


「まあまあ志紀。恐怖の原因を自分で取り除けるんだからある意味志紀にとっては大切な才能なんじゃない?」


 右肩が温かい。


「才能があろうがなかろうが見えてしまうんじゃから諦めるのじゃ」


 左肩はちょっと低めの温もりに包まれた。


「先輩属性盛りすぎですね。収集つきます?」


 ついてないからお前たちの前で大泣きしたんだよ。お前が忘れても一生忘れないからな。


「自分の尻を自分で拭えるんだから考え方によっちゃ楽なんじゃないか?」


 ……確かに? そこに行くまでにいろんな人を巻き込む気がするけど。


「その才能でもって幽霊遠ざけたりできないの?」


 何にしろ希望は必要だ。見えることは諦めるにしてももう少し救いがほしい。

 顔を伏せたまま呟けば結構軽い調子で返された。


「できるはずじゃよ」


 座っている椅子が揺れるほどの勢いで顔を上げる。先輩は目をまん丸にして俺を見ていた。本当に目がでかいな。この赤が本物の宝石だったら国宝とかになってそうだ。


「できんの? もう見なくても済む?」


 期待が高まって思わず先輩に詰め寄ってしまった。部長が「近いっ」と文句を言ってくるが今後の人生を左右する案件なのでそんなものは無視だ。

 で? どうなの? 見えなくなるの? どうやるの?

 先輩のまばたきがめちゃくちゃ多くなった。面食らわせてしまったらしい。長いまつげがめちゃくちゃパシパシ音を立てている。そういえばこの人化粧してないな。肌つるっつるだし色白いしまつげ上向きだし二重くっきりだし唇も赤いし、なんだこの造形美。


「見えなくなるかどうかはわからんのじゃが、自分の能力に対する理解が深まれば自在に操れるようになるはずじゃよ? ご婦人を遠ざけたように常に力が働くお札を作るとかじゃな。坊の場合は楽譜じゃけど」


「理解を深めるってどうやって?」


「力を使うのが一番じゃよ。ギターも最初から弾けたわけではないじゃろ?」


 たしかに。指が吊りそうになりながらコードを覚えて、体にしみこむまで練習した。練習しすぎてじいちゃんばあちゃんに怒られたり、遊んでくれないって羽智に泣かれたり。好きなアーティストの曲を聞き込んでひたすら真似して自分の音楽にしてきた。 

 ただただ覚えていたコードに音楽理論が加わったり、エフェクターで試行錯誤してみたり、自分で独自に解釈してみたり、好きになっていく過程で興味と好きが加速していった。


「あ~音楽とおんなじだ~っておもってるね~この子」


「先輩ってばロックバカですもんね」


「なにかにバカになれんのが一番強いんだよな」


 全部聞こえてるってえの。でも、その通りだ。


「じゃあやる。幽霊の証明でも祓いでもなんでもして、ビビりながら生きなくてもいいようにする」


 固い決意を口にすれば先輩の赤が溶けるように緩んだ。


「坊は男の子じゃのう」


 当たり前だ。いつまでも周りに泣きすがってられるかっての。でも今は助けてもらわなくちゃなにもできない。


「教えてくれよ、先輩が信じてること。俺が、変えちまうかもしれないけど」


 先輩が信じていることは忘れられない恋人との思い出で、それは大事なもののはずだ。俺と恋人は違うから、きっと同じことをしようとしても俺の形に変わってしまう。先輩が変化を嫌うなら、教えを請うのは酷いことだろう。

 だけど、先輩は誇らしげに笑った。


「人も物も変わるものじゃよ。彼のお人も常に変わっておったのじゃ。一度として同じ演奏はないと言っていたのじゃ。ワシの思い出はワシだけのものじゃ、坊に与えたものは坊の好きにしてよいのじゃよ。受け取ってくれるかや?」


 明け渡すように白い手が伸びてくる。俺に届く前にその手を掴みにいった。ぬるい体温と俺の熱が手の平で合わさる。

 余計な言葉は必要ない気がした。


「めちゃくちゃ見せつけられてますね」


「本当に付き合っちゃえばいいのに~」


 我に返って先輩の手を離した。


「ばっ……なにっ、これはちげえし。握手だしっ」


 そもそもこの人は今でも死んだ恋人が大好きなんだから俺が入る余地なんてねえだろ。いや、余地があったら入るとかではなく、そもそもガキ扱いの後輩なんて恋愛対象として見られてないだろ。いやいや、見られたいわけでもなくて。

 …………なにやってんだ俺。


「くそ、どうしたらよかったんだ。幽霊が見えてたらよかったのか……」


 部長、道は踏み外しちゃだめだぞ?


「付き合っちゃうかや?」


「アンタはもっと自分を大事にしろ」


 あと周りにも気を遣ってやって。部長が燃えカスになってるから。

 なぜか異様にノリ気な先輩と、くっつける気満々の羽智によって脱線しまくり、部長が瀕死のところに「やっぱり顔ですかね?」とか風波がオーバーキルをかまして事態を悪化させ、本題に戻るまでにしばらく時間がかかった。

 目が死んだままの部長はしばらくそっとしておくことにして、騒ぎ飽きた三人と俺で話を進める。


「まずは何を調べるのか決めないと証明も調査もできませんね」


 なにやら風波が生き生きしている。キーボード弾いているときより輝いている。


「そういえば、交差点で志紀が見た幽霊は今は校門にいるって話だったけど、本当に校門にいるの?」


「……いる」


 休み時間に恐る恐る確認しに行ったら本当に校門前に俯いて立っていた。校門前を通らないルートで帰ることも可能だがあんなところにあんな奴が立っていたら安心できない。いつ入ってくるかもわからないならもうどうにか解決するしかないのだ。頼みの綱は先輩だ。四人の視線が一カ所に集まる。


「まずはご婦人がどこの誰さんか調べることじゃな。お札と演奏で強制的に消し去ることも可能じゃが、こちらの力が足りないと逆鱗に触れて悪化する可能性があるのじゃ」


「悪化、っていうのは呪い殺される的なやつですか?」


「まあ、そんなところじゃ。じゃから基本的にはお悩み相談と一緒じゃ。恨み辛み、心配事、この世への引っかかりを解いて自ら橋を渡るように仕向けるのじゃ。その時の手助けとして供養としての歌であったり演奏であったりが効果を発揮するのじゃ。真言マントラとか祝詞のりととか言われるものの代わりじゃな。普通これらは修行やら訓練やらが必要じゃが、坊は長いこと音楽を身近に置いてきたようじゃし効果のほどは朝に実証済みじゃから問題ないじゃろう。問題はご婦人のことをなにも知らないことじゃ。よく知りもしないでされる説教ほど不快なものはないのじゃ」


 なかなか現実的で納得できる話だ。軽音部ってだけで不良扱いされるとマジで不良になってやろうかって思うもんな。

 段々と立ち直ってきた部長がめちゃくちゃ頷いている。野球部を怪我で退部して軽音部を立ち上げた人だから周りの態度の変化に思うところは多いのだろう。


「手がかりは……交差点?」


 羽智が俺を見て首を傾げる。同じ方向に俺も首を傾げる。

 女がいたのは交差点だが、それがどう手がかりになる?


「交差点と言えば交通事故?」


 思い出したくもないが女の体は酷い有様だった。印象としてはヤバい事故だったんだろうな、だ。こんな連想ゲームみたいなことでいいわけないよな?


「うむ。ご婦人の姿がああじゃからな。交通事故じゃなかったら猟奇殺人じゃろ」


「じゃあとりあえず学校近くの交差点で起きた交通事故を調べてみますね」


 いいんだ!?

 風波は意気揚々とスマホを操作する傍ら鞄からタブレットも取り出して同時に操り始めた。なにこいつ。並列思考? ピアノやってるとそういうこと出来るの?


「じゃあオレたちはなにする?」


 羽智が次はどの曲演奏する? みたいなノリで訊いてくる。こいつのこの顔、子供の時から変わってないんだよな。


「お札を作る練習でもするかや? お札はお守りにもなるのじゃ」


「は~い。やりま~す」


 なぜみんな俺よりノリ気なんだよ。

 かといって俺がやらない、というわけにもいかないのでテーブルに五線譜とペンを広げる。部長もいつの間にか手元に五線譜とペンを引き寄せていた。

 楽譜が読めなくてもバンドは出来る。ライブハウスで出会う音楽仲間にも楽譜が読めない奴は多い。けれど今の軽音部は全員が楽譜を読めるし簡単なものなら書ける。風波は子供の頃から習っているピアノのおかげ。俺と羽智は礼兄に叩き込まれた。部長は独学と学校の授業で読めるようにしたんだとか。真面目。だから俺たちは曲の共有を五線譜の楽譜とTAB譜でする。


「この六本線があるのがギターなのかや? 吾妻くんは五本じゃよ?」


「ギターは基本的に六弦だからな。一番下が六弦で、この数字が押さえるフレットの位置を表してんの。羽智のベースは五弦だから五線譜をそのまま使うんだよ。ベースは四弦が多いんだけど、体もでかけりゃ手もでかいし格好いいからってこいつは五弦使ってんの」


「慣れると五弦のほうが楽だよ~」


 性格おっとりしてるのに渋いっていうかエロいっていうか、ベース演奏してる羽智は「兄貴!」って感じなんだよなあ。俺の方が誕生日早いけど! 早いけど! 


 俺は五線譜にTAB譜とダイヤグラムを並べて書いて先輩に説明する。コード名を書けば全部盛り楽譜の完成だ。こんなこと、誰かに説明するためじゃなきゃやらないが、「はや~」とか「ほよ~」とか、先輩が奇声を発して感心するからどんどん楽譜がごちゃついてくる。

 あれ、なにやってたんだっけ?


「サウンドが攻撃的なら攻撃魔法の札になる、であってる?」


「そうじゃよそうじゃよ~。松本くんは飲み込みが早いのじゃ~」


 この人とりあえず褒めるのな。部長はデレすぎ。なんかすげえ手の平の上で転がされてる感。


「へえ~、それでこれが幽霊を追い払ったコード譜? あ、これ志紀が大好きな曲じゃん。俺も覚えちゃったよ~。じゃあこんなのは?」


「攻撃的っていうならドラムも組み込めよ」


 羽智が書く楽譜に部長がドラム譜を足す。もうこうなってくると新曲を作っているみたいで楽しくなってしまう。


「リズムが入るならギターはこうしたい」


「ああああっいい! これ格好いい!」


「ちょっと先輩たち、ボクがんばってんですけど! そっちだけで楽しまないでくださいよ!」


「これ練習だから。必要なことだから」


「志紀志紀、これ、これ書いてよ。俺このフレーズお守りにする」


 俺がテキトーに書いたコード譜にいつの間にかベースとドラムが足されていた。


「これ、お守りになるの?」


「お守りになると思えばなるんじゃないかや? ワシにはさっぱりじゃから、どれがどう作用するのかわからんのじゃ」


 それじゃもっと書こうぜ、となるのがこのメンバーだ。好きなところを好きなように書きだして好きなところでやめられるからどんどん五線譜が消費される。


「ああもう! ピアノのパートも入れてくださいよ!?」


「はい! じゃあこれ防御!」


「俺の攻撃の方が強い!」


「トラップ発動!」


「部長そんなのあり!?」


「はやや、楽しいお遊びになってしまったのじゃ」


 用意していた五線譜がなくなるまでよくわからない盛り上がりは続いた。風波は泣きながらタブレットとスマホを操作し続けていた。マジありがとうな、風波。いや本当に。羽智がお守りにしたがったフレーズにピアノパートも加えて差し出したら泣いて喜ぶので、俺たちは素直に謝った。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 風波という尊い犠牲を払った盛り上がりが落ち着いた。その間、我らが軽音部の出来る後輩はあらゆる手段を駆使して情報を掻き集めてくれた。


「学校周辺の交差点での死亡交通事故、ということなので五キロ圏内の交差点で検索をかけました。三ヶ月遡って交通事故は十二件。そのうち死亡事故は一件だけです。範囲を広げると件数が増えますが、とりあえずこの一件を報告しますね」


 学校の周囲で死亡交通事故があれば噂になっていてもおかしくないし学校側が注意喚起をしているはずだ。そう考えると、なんとなく記憶に引っかかる話がある。


「およそ一ヶ月前ですね。まさに先輩が幽霊とであった交差点で歩行者と車による死亡交通事故が発生。被害者は小学生の男の子。当時現場には母親もいて、目撃者の話では赤信号で突然男の子が飛び出し直進してきたトラックに撥ねられて死亡。母親は半狂乱で男の子の遺体を掻き集めていたらしいです」


 部長、羽智の顔が曇る。

 おそらく、掻き集めていたのは頭の中身だったんだろう。そんな気がしたし、見たこともない映像が浮かんできた。

 血の気が引いていく俺の横で先輩は細い指で顎を撫でた。


「母親は、息子が突然怯えて走り出した、と証言していたらしいです。なにかに追いかけられているようだったと」


 先輩が首を傾げる。

 そんな先輩の反応に俺は内心で首を傾げた。もし、その小学生とやらが女の幽霊を見てしまったのなら走り出したくなる気持ちは痛いほどわかる。


「この母親の証言は根拠も物証もなくて捜査されていないです」


 原因が幽霊なら証拠なんて出てこないだろう。証明もできない。それをしようとしている俺たちの無謀さにびっくりだ。


「彼女は被害者男児の葬儀の日に首を吊って自殺しています」


 誰かが息をのむ声が聞こえた。


「ご母堂が自殺? 首を吊って? どこで亡くなったのかや?」


「自宅で、と、ありますね。息子の死を目の前で見てしまい精神を病んでしまった。というのが警察の見解です。事件性はない、と」


 風波の報告を聞いて先輩は俯いてしまった。表情が落ち白い横顔に人形味が増す。

 日が校舎の影に入って部室が一段暗くなった。


「これにショックを受けたのか、旦那さんは買ったばかりの一軒家を手放してアパートに引っ越しています」


 それにしてもどういう情報網を持っていればここまで調べられるのか。確実に警察が情報漏らしてますよね?

 事故の詳細がわかったのはいいとして、これどう処理すりゃいいんだ? 一個もピンとこないんだが? 


「なんかよくわかんねぇんだけど、これ関係あんのか?」


「少なくとも、男児の死にご婦人は関わってないじゃろう」


「なんでわかんだよ?」


 俯いていた顔が上がる。赤はどこを見るでもなく虚空を覗き込んでいる。


「男児の交通事故が一ヶ月前。坊は毎日同じ交差点を使っていたのかや?」


「まあ、そうだけど」


「ではご婦人が現れたのはいつかや?」


「…………今日」


 一ヶ月前も俺はあの交差点を使っている。交通事故があったと朝礼でいわれようが噂が流れようが花が供えられているわけでも何かが見える訳でもないから気にしていなかった。 

 道路脇に供えられた花には敏感な質だ。十中八九何かが見えるからできるだけ避けるようにして生きてきた。ましてやあんな女がいるなら早々に遠回りをしていたはずだ。


「その間一ヶ月。時間的に開きがありすぎる。ご婦人が現れる要因が別にあるはずじゃ」


「そういう現実的な考え方でいいなら、そもそも交通事故被害者が男児ってところからして違うんじゃないのか? 探しているのは交通事故死した女なんだろう?」


「う~ん。でもその女の人が現れた場所から察するに関係ありそうな交通事故は男の子の事故だけなんだよね~?」


 部長が腕を組み羽智が天井を仰ぐ。

 頭がごちゃごちゃになってきた。死んだのは男子小学生で現れたのは女。考え出したとき、ザリザリと何かを引っ掻く音が聞こえた気がした。咄嗟に耳を塞ぐが物理的な音ではないのか脳内に響いてくる。


「志紀?」


「坊?」


 違う。引っ掻いているんじゃなくて掻き集めているんだ。道路にちらばったなにかを。


「葬式はいつだったって?」


 脳裏に浮かんできそうになる映像を無視して言葉を発する。自分の物じゃないみたいだった。


「えっと、事故の一週間後ですね」


「ご婦人がご母堂だと仮定しても三週間の空きがあるのじゃ。まだ不自然じゃな。もしくは、自宅から交差点まで三週間かかる原因があったかじゃ」


「引っ越しじゃねぇか?」


 こびりついていた音が遠ざかって俺は耳から手を離す。彷徨っていた視線が落ち着いて周りの景色が認識できるようになった。四対の瞳が俺を見ていた。全員真顔で悪夢でも見ているのかと思った。


「坊、どうして引っ越しが原因じゃと?」


 椅子の座面に両手を突いて上半身を傾けてまで俺を覗き込んでくる。胸を寄せるのやめてください。弾け飛びそうです。いろいろ。


「息子が目の前で死んで、それを苦に自宅で自殺した。でもその自宅から旦那は出てった。空っぽの家にいるより事故現場のほうがいいとおもったんじゃねぇの? その方が深い関わりがあるだろ?」


「今までで一番納得できはするな」


「引っ越し時期ですね、ちょっと待ってください……元自宅の引き渡しは二日前になってますね」


「それっぽいね」


「家に誰もいないことに気づいて関係の深い事故現場に戻ってきた。か?」


 誰も赤の他人の自宅引き渡し情報まで把握している風波にはツッコミ入れないのかよ。

 それっぽい形にはなってきたが辻褄があってるのかあってないのか、どうやって答え合わせすればいいのかわからない。


「あの……先輩と朝香先輩は女の人の顔見ているんですよね?」


 タブレットに半分顔を隠して窺ってくる風波に俺たちは顔を見合わせた。

 見てはいる。俺はなるべく見ないようにしていたがはっきりと見てしまった瞬間があった。先輩に至ってはがっつり正面からまじまじと観察していたはずだ。


「生前? の写真出てきましたけど、確認しますか?」


「ちょっと待て、個人情報どうなってんだよ!?」


 もうなんか風波のほうが怖くなってきたんだけど。


「個人情報の管理は厳重になってますけど、個人レベルだとSNSの普及で逆にガバガバになってるんですよ。怖いですよね。で、見ます?」


 俺と羽智と部長が引いている横で先輩は「見せてほしいのじゃ」と、風波に両手を出していた。俺も品行方正なタイプではないが先輩の嬉々とした様子に「この人とんでもない不良なんじゃないか」と、思ってしまった。


 風波がタブレットの画面をこちらに向けた瞬間、俺は先輩の肩に顔を伏せた。先輩の腕が画面から俺を庇うように肩に回る。おそらく抱き合っているように見えなくもないだろうが気にしていられなかった。


 ムリムリムリムリ。怖い怖い怖い怖い。痛い痛い痛い痛い。


 おそらく見せられたのは家族三人分の写真だ。それぞれ違うところから拾ってきてコピペでもしたのかピラミッド型に貼り付けられていた。頂点に旦那だろう男の写真。下側右が母親で左が息子。母親の顔はまさに霊として現れた女の顔をしていた。頭の半分が崩れて血まみれになり、見開かれた片目でこっちを見ていた。息子のほうはどうなっていたかわからない。黒くもやっていたようにも見えたが目を逸らすことに必死でよく見えなかった。


「おい乾!?」


「あれ、充電切れちゃったかな」


「あ、停電?」


 ふっと部室の電気が切れた。日の入りにはまだ時間があるが本校舎の影に入って部室はうっすら人が確認できるぐらいの暗さに包まれた。中庭を挟んだ向かいの校舎の廊下は電気が付いているから停電ではないだろう。なにより風波が持っていたタブレットの画面も暗くなっている。明かりを求めて取り出したスマホも起動しなかった。


 幽霊の話をしていた最中だ、誰もが息をのんで辺りを窺う。おそらく一番パニックになっているのは俺だろう。

 先輩の肩にすがる手に思わず力が入る。

 俺の肩にあった腕が背中に回る。


「来るのじゃ」


 先輩のささやきをかき消すようにドアが廊下側から叩かれ大きな音を立てた。同時に上がった悲鳴が俺のものなのか誰かのものなのかわからない。

 叩くと言うより台車か何かが衝突したような衝撃があった。


「ああああああああああああっ!!」


 女の叫び声が部室中に響く。思わず両耳を塞ぐ音量で背後の窓すらビリビリと震えていた。


「くそっ! なんなんだよ!」


 部長が立ち上がってドアに向かう。


「羽智止めろ!」


 部長を制止するよりも速いと脊髄反射で叫んでいた。

 羽智が飛び上がって部長を羽交い締めにする。身長だけなら羽智の方がでかい。部長は羽智に拘束されて動きを止めた。


 廊下側の壁から天井に掛けて音が走る。大型車が段差を乗り越えるような音が衝撃と共に連続した。


「坊! 散々遊んだお札の出番じゃ!」


 耳元で先輩が叫ぶ。細腕に体を起こされてテーブルの上に散らばった楽譜を掻き分けた。


「あれに負けてはダメなのじゃ。遠くまで弾き飛ばして二度と近づけぬように防御じゃ!」


 すっかりデュエルごっこに染まってんじゃねえか!


「攻撃ならこれだろ!」


「防御はこっちですね!」


 羽智に掴まれていたはずの部長と固まっていた風波が一枚ずつ楽譜を差し出してきた。

 俺は二枚まとめて掴んで駆け出しスタンドに立てかけてあったギターを構える。シールドを差し込み不可思議な停電の中電源が入るかわからないがコンボアンプの電源を入れる。弦を弾くとひどい音が鳴った。チューニングがめちゃくちゃになってやがる。

 あまりにもひどすぎて全員の意識がこっちに向かった。さすが軽音部。なんだか面白くなって俺は構わずコードを押さえてかき鳴らした。

 狂った音に歌を乗せる。

 部長と風波が選んだ楽譜は偶然なのか同じ曲の雰囲気が違うフレーズだ。

 海外のロッカーがスキャンダルで大炎上してやけくそで作った曲だ。黙ってろ! 俺が俺の人生を生きて何が悪い! てめぇらが作り出した偶像なんて俺がぶち壊してやる。騒音は俺の音楽だけで十分だ! と、がなり立てる前半から、俺の音楽は俺がルールだ。ここから先は誰も入ってくるな、と、静かに激しく歌う落差の激しいサウンドをむちゃくちゃな音で響かせる。

 恐怖と音楽の快感がごちゃ混ぜになってテンションがぶち切れそうになったところでどこかの弦が切れた。譜面台にのせた楽譜が同時に燃え上がる。部室の電気がついた。


 壊れるんじゃないかというほど鳴っていた壁も天井も静まり返ってスマホもタブレットも画面が光っている。

 腰が抜けてその場に座り込む。


「先輩……それ」


 風波が何かを指さしていた。俺? 

 抱えたギターを見ると六弦全て弦が切れていた。おいマジか、タダじゃねぇんだぞ?


「張り替えたばっかだってえの……」


「そっちじゃなくて、アンプ」


「あん?」


 俺はアンプを見る。何もおかしなことはない。部費で買ったやつだからスピーカーと一体になってていつかスタックアンプを買って色々試してやろうと企んでいた。ぼんやりと眺めているとアンプの電源がついていないことに気づいた。振り返ると電源に刺さってない。


「マジかよ……」


 さっきの音はどっから出てたんだよ。


「ちとヘンテコだったがよい音じゃ」


 先輩が傍にしゃがんでにっこり笑っていた。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 部長が辺りが静まってからドアを開けた。俺も止めはしなかった。廊下には何もなかった。ドアにぶつかってきた何かも、叫びを上げるような人もなく、他の部室から聞こえるざわめきが流れるいつもの廊下があるだけだった。

 何事もなかったかのように元に戻った部室でしばらく放心していた俺たちは改めて風波のタブレットを覗き込んだ。

 俺は先輩の背中に隠れながら薄目を開け、片目を瞑り、歯を食いしばって、相当な時間をかけてようやく画面を見られた。怪現象に襲われた直後だったから誰もそんな俺を責めなかった。

 結果、というか、さっきの怪現象でほぼ確定だと誰もが確信していたが、死亡した小学生の母親が件の女だと俺たちの中で意見が一致した。母親の写真は首吊り死体だったし息子の写真はほとんど包帯に覆われた死に顔だったのだ。風波がデータを削除するためにタブレットに触ったときには元の生前写真に戻っていたが五人全員が同じ死体写真を目撃していたから、問答無用で初期化された。


「決心したそばからこれかよ。さっきの音とか声とか、やっぱりあの女だよな?」


「そうじゃろうなあ。自分の話をしていたから近寄ってきたのじゃろう。どうやらご婦人は相当息子の事故死がショックだったのじゃろうよ。姿が記憶に引っ張られて歪んでしまったんじゃな」


 先輩は言いながらテーブルの上に散乱する楽譜の一枚を手に取る。


「それにしてもよく効くお札を作ったもんじゃ。これはどんな音かや?」


 先輩がこっちに向ける楽譜を四人で一斉に覗き込む。


「これ、部長が書いたトラップじゃねえか?」


「お札でトラップってどういう効果~? 落とし穴?」


「この辺の繰り返しがねちっこいんで捕獲用って感じではありますよね」


「ではこれはなにかや?」


 もう一枚差し出された楽譜はクラシックのロックアレンジだった。


「これは防御でしょ~」


 発案者の羽智が胸を張る。見た目に似合わずクラシックをゴリゴリのロックにアレンジするの得意なんだよな。


「ふむ。坊、全部覚えるのじゃ」


 抜いた楽譜をテーブルに戻した先輩が真剣な顔で俺を見た。一瞬何を言われているのかわからなくて思考が停止した。


「え!? これ全部!?」


 二枚消費したとは言えテーブルの上にはまだ数十枚の楽譜が残っている。これ全部!?


「用途と音を覚えて使えるようにするのじゃ。突然ギターを弾くのは難しいから歌か口笛で代用するのがいいじゃろ」


「待て待て口笛でコードはさすがにムリだろ!」


 口は一つしかねえって。三つ以上の音をどうやって出せばいいんだよ!?


「そういうことならボクにお任せあれ!」


「よし、かましてやれ風波」


 風波は散らばる楽譜を集めて向きを揃えて一束にした。こいつは編曲や複雑になりすぎた構造を単純化するのがうまい。


「新しい魔法を生成しているみたいでワクワクしますね。口笛で表現出来るように直してみますね!」


 めっちゃ楽しそうだな。


「お札自体はそのままでもいいのじゃ。お札の意図するものを坊が表現出来るようにしてほしいのじゃ」


「かしこまりました~」


 キビキビとした敬礼をして風波が楽譜に集中する。


「じゃあオレ、五線譜印刷してくるね~」


「ああ、俺も手伝う。他になにか必要なものある? 朝香さん」


「布と裁縫道具かのう。お守りを作るのじゃ」


「わかった」


 羽智と部長が出て行った。でかい二人がいっぺんにいなくなると途端に部室が広く感じる。

 部長、「朝香さんの手作りきたよな!? これ!」って部室にまで聞こえてますから落ち着いて?


「坊はさっきのお守りを人数分書くのじゃ」


「そんなにヤバいの?」


 電気が消えて壁や天井が揺れて鳴った。物理的に被害が出せる幽霊に手を出してしまったということだろうか。


「まだわからんのじゃ。じゃが、やはり坊には才能があるようじゃから繰り返して身につけばさらに効果は高まるはずじゃ」


 頷いて、俺はお守りの楽譜を風波から受け取った。キーボードを書き足して立派なバンドスコアだ。楽譜がお守りなんて軽音部らしくていいな。

 状況は微妙に悪化している気はするが一人で我慢しなくてもいい現状にニヤけた。楽譜を眺める振りで隠した顔を先輩が覗き込んできてまぶしそうに笑う。


「見てんじゃねえよ」


「坊はツンデレというやつじゃな」


「ボクもいるんであんまりイチャつかないでくださいね」


「イチャついてねえし!」


 ツンデレかツンデレじゃないかとかイチャついてるかついてないかとか騒いでいたら羽智と部長が戻ってきた。

 手芸部から裁縫箱と残布をもらってきた部長は照れておぼつかない手つきで先輩の裁縫を手伝い、その横で俺はお守り楽譜を必死に書き写す。さらに部室にも貼っておこうとなって全員でお気に入りの一枚を選びだし厄除けの護符ごふとして部室の四方に貼った。羽智は風波が編曲した楽譜を種類別に仕分けている。攻撃、防御、トラップ、その他。カードゲームかよ。その他ってなんだその他って。

 仕分けが終わったらそれを俺が必死こいて覚える。口笛が意外と難しい。それでも風波が編曲してくれたので楽譜そのままを演奏するよりだいぶ楽だ。ただ枚数が多い。攻撃楽譜だけで何枚あるんだよ。調子に乗って書きすぎた。

 自業自得だけれど愚痴れば、どの攻撃がどう作用するかわからないから漏らさず覚えて結果を記憶しろ、と帰ってきた。これ武器の導入試験だろ。辛い。唇痛い。

 そういえばこれ練習中に誤爆したりしない? 大丈夫?

 

 すごい勢いでお守り袋が仕上がった。チクチクやる手つきがばあちゃんより早かった。意外と家庭的だったんだな、先輩。

 お守り袋に楽譜を入れるように指示されて俺は小さくたたみ息を吹きかけて袋に入れていく。息を吹きかけるのは演奏の代わりなんだとか。それでもってお守りは他人から贈られた方がいいってことで、歪ながら円になっているので右隣の奴に贈り合った。俺は羽智に、羽智は風波に、風波は部長に、部長は先輩に、先輩は俺に。ちなみにお守り袋は迷彩柄である。

 四人共がためつすがめつしてどことなく満足げな顔をしていた。わかる。俺もたぶんそんな顔してる。

 各々好きなように身につけて一段落ついたところで、さあどうする、という話になった。俺の札記憶は追々ってことで。


「とりあえず可能性を潰していこうかのう。家という依り代がなくなって生前一番辛かった事故現場にさまよい出てきたと仮定すると、家に帰してやれば解決するはずじゃ」 


 迷子扱いだな。そう思って気づく。


「てか、あの女どこに行ったの?」


 先輩以外は「それな」と、顔を見合わせた。


「どこに行ったかはわからんが、ご婦人の拠り所は今のところ交差点だけじゃ。未練を残しているのならなおのこと元の場所に戻るじゃろ」


「むしろ離れないでほしかった」


「坊が話を聞いてくれそうだったからじゃないかや? 目が合ってしまったんじゃろ? ワシとは目も合わせてくれなかったからのう。悲しいことじゃ」


 全然悲しそうじゃないんですけど。

 とにかく、あの札で消えたのなら御の字、消えてないのなら交差点に戻ってきているはずだからそこから旦那の元へ還す、ということになった。

 俺はそれでいいが、女が帰った先の家ってどうなるんだろう。爆弾送りつけているみたいな気分になって先輩に確認してみたら、「良心があるならなにかしら供養しているはずじゃ。ご婦人のわだかまりが家に帰れなくなったことだけなら自然に消えるじゃろうて」なんて軽い感じに言ったから迷子を家に届けるようなもんなんだと納得した。思えば普通は家で供養するんだよな。盆だって家に連れ帰る訳だし。父親と母親の幽霊なんて見たことないけど。そもそもが家の問題なんだから家で解決すればいいのか。なるほどなるほど。


「旦那さんの現住所ならすぐにわかるとおもいますけど」


 こっちもこっちで軽い感じに言っているが風波はアウトだと思うぞ。マジでどんな情報網なの? プライバシーとかないの?


「どうやって連れてくんだよ」


 背中に張り付かれるのはムリですよ?


「ワシに考えがある。明日神社に行くのじゃ」


 俺、神社トラウマなんですけど。


「そのまま神社におまかせしようぜ」


「神社の神様はよそ者を嫌う。そもそもご婦人は入れない可能性があるのじゃ」


 なんでも神様のために清められた場所だから下手に穢れを持ち込むと神様を怒らせることになって幽霊を相手にするよりも大惨事になるらしい。やっぱ神社嫌い。

 隣で羽智がそわそわと俺を気遣っているのはわかったが今は気づかないふりをさせてもらった。今このタイミングでトラウマを告白する気分には慣れない。声を出さずにいてくれる羽智に心の中で感謝した。


「それって俺たちにできることあるか?」


「ありがたい申し出じゃがゾロゾロとよそ様のお宅を囲むわけにもいくまい。ワシと坊だけで十分じゃ」


 気になる女子と一緒にいたい部長は目に見えてうなだれていた。先輩は全く気にしていない。

 てか、やっぱ俺も一緒に行くのか。


「じゃあ、明日はオレたちここで待機してるね。なにかあったら連絡して?」


「ああ、頼むわ。風波、住所共有しといて」


「明日の放課後までには必ず」


 怒濤の一日が暮れていった。

 今朝まではただ幽霊に怯えているだけだったのに、気づいたらお守り自作して自ら進んで関わってギターの弦が犠牲になった。

 めちゃくちゃすぎて目眩がする。

 さらに知りたくなかった自分の才能を自覚する羽目にもなり、今後の人生のためにも今怖い思いをするという、毒を食らわば皿までというか虎穴に入らずんば虎子を得ずみたいなことになっている。


「はぁ、とりあえずめちゃくちゃ疲れた」


「一日で一ヶ月分くらいのエピソードあったね~」


「このタブレット呪われたりしませんよね?」


「知らね。塩でも振っとけば?」


 下校時刻間際の校内を軽音部揃ってゾロゾロ歩く。そこまでまとまっている連中じゃなかったのだが、なんとなく一緒にいるのが自然なことに思えた。


「ワシがついておるのじゃ。美人と一緒で嬉しいじゃろ?」


 この人の肝はどうなっているんだろうか。弦が切れてかわいそうなことになったギターを抱えた腕に二の腕が触れる。どこもかしこも柔らかいんだよなぁ。


「通常の倍怖いから全然嬉しくねぇんだよなぁ」


 出会いが出会いなだけにこの人と恐怖はセットだ。かなり頼もしくて尊敬もしているが、美人という得点はプラマイゼロになっている。ってか美人だって自覚してんだな。ついでにボタンもう一個留めよ? あと、部長、「くっそ嬉しいだろうが」って聞こえてますから。

 昇降口を抜けて階段を降りればそれぞれの帰路に分かれる。風波は迎えの車が到着していた。羽智は自転車通学で川を越えた西側方面。部長は学校の北側に向かって帰るから普段は裏校門から出る。俺は交差点を避けて遠回りに繁華街方面へ南下する。


「先輩は家どこ?」


「ふむ」


 なぜ顎に指を当てて首を傾げる? あっち、と、指さした方向は夕日を背景に濃い影となっている小山があった。町の中心を流れる川の西側にあって中腹には明日行く予定の神社がある。たつ川神社だ。麓には昔からの住宅街やら畑やら田んぼやらが広がっていて、ほぼ裏手には陰気くさい団地が建っていた。

 なんとなくいいところのお嬢様っぽいから住宅街にある古い家なんだろう。


「じゃあ羽智と一緒か」


「あ、オレ寄るところあるから~志紀がちゃんと送っていってあげてね~おっさき~」


 おっさき~、もなにも、おまえ今から自転車取りにいくんじゃねぇか。


「あ……あっ、ボクもお先に失礼しますね! おつかれさまでした!」


 風波はさっさと車に乗り込んだ。闇に溶けるような黒い車が静かに走り出す。


「おい乾、おかしなことすんなよ? わかってんな?」


 部長に腰を軽く殴られた。ほぼ走っているに近い早足で中庭を突っ切っていく。

 いや、もう、本当にどうした?


「さて、帰るのじゃ!」


 先輩は先輩でなんで帰るだけでそんな気合いいれてんだよ。

 俺と先輩は並んで校門を出た。校門が目に入った瞬間足が止まったが、女の姿はなかった。ここにも護符貼っておいちゃだめかな。本来なら俺は左に曲がるが先輩を送っていくなら右に曲がって西方面だ。川を越えるのに橋を渡るからまずは道路を渡ってまっすぐ南下する。

 街灯はあるが日が山に隠れた道だ。そこここに暗さが落ちている。

 隣を歩く先輩の横顔の白さが目立つ。街灯に照らされると内側から光っているみたいで思わず視線を奪われた。


「なんじゃ坊、見惚れたかや?」


 得意げに微笑まれて反発を覚えるが図星なのでなにも言葉が出てこない。この思わせぶりな言動にどれだけの男が振り回されたのやら。部長も大変そうだ。

 しかしやられっぱなしも癪だ。負け続けるのはロックじゃない。

 腰を曲げて先輩の顔に寄る。


「見惚れた。って、言ったら?」


 至近距離で見つめた赤が一瞬だけ大きく揺れて、でもすぐにいつもの余裕な笑みに変わった。


「嬉しいのじゃ。顔と舞だけはよく褒められたのじゃ」


 勝てねえわこれ。


「恋人も自慢だっただろうな。先輩みたいな美人」


 この人が大抵ニコニコしているのも自分の美形具合を自覚しているのも全部恋人が褒めていたから。そんでもって先輩がよく人を褒めるのは、そんな恋人と一緒に過ごしたからだろう。なんでそういう奴って幽霊にならないんだろうな。ここまで思われてんなら幽霊になってでも傍にいてやればいいのに。

 ケンカ売るのもバカらしくなって、俺はギターを背負い直しポケットに手を突っ込む。右の袖がツンツンと引かれた。


「そう思うかや? ワシ、彼のお人の自慢になれていたじゃろうか」


 な~に真っ赤な目キラキラさせちゃってんだろこの人。幸せそうな顔しちゃって。もういないのに。どれだけ自慢の彼女になっても、褒めてくれるのも惚れてくれるのも他の男なのに。

 なに可愛い恋人残して死んでんだよ。


「俺だったらめちゃくちゃ自慢するね。見せびらかしたくはないけど、勝ち確でドヤ顔してやる」


 実際は誰にも言わない。恋人もそうだったに違いない。隠してひっそり大事にして、腕の中で覗き見て幸運に感謝する。


「ふふっそうかや? そうじゃったら嬉しいのじゃ。ふふふっ」


 先輩はタタンッと靴音を響かせて前に出た。スカートとリボンを翻してターンを決める。飛び上がって両足で着地すると鈴の音のように高く澄んだ音が鳴った。腰を曲げ、膝を曲げ姿勢が低くなったところから右足を伸ばしコンパスのように円を描く。指先まで伸びた腕がひらりと舞う。アルゼンチンタンゴを一人で踊っているような、日本舞踊のような不思議な踊りだ。飛んだり跳ねたり回ったりしているのに激しさはなくて、すごく穏やかな空気の流れに乗って自在に爪弾いているみたいだ。

 踊りながら道を進んでいく。俺は後を追った。時々目が合うと、ちゃんと付いてこいと笑うのだ。


 部長が悔しがるだろうな。ついでにどこかで悠長に死んでる奴も悔しがればいい。


 くるくる回っているのに歩いている方向はわかっているようで、先輩は西に向かう角を間違えずに曲がった。通行人に二度見され、魅了しながら踊り続けた。

 

 川が現れ赤い欄干の橋が見えた。歩道と橋の境界で、先輩はピタリと止まった。


「ここでいいのじゃ。それではのう。気をつけて帰るんじゃぞ?」


「こっちの台詞だっつうの」


 一度振り向いて小さく手を振った先輩は軽い足取りで橋を渡っていった。恋人を思い出していい気分で踊ってたんだから他の男なんていらねえわな。

 白い肌と赤い瞳が見えないと小さな背中はすぐに夕闇に溶けてしまいそうだ。なんとなく、見えなくなるまで見送った。まだ人通りはあるから神社周りの暗い道も大丈夫だろう。

 しっかし、あの人何も持ってないな。

 また明日。変なしゃべりと綺麗な顔に出会うために俺は橋に背を向けて家路を急いだ。


 その夜、変な夢を見た。怒濤の一日を思えば妥当な夢とも言える。板張りの床で周りに壁はなく、低い欄干と四隅の柱に屋根が乗った舞台で、白い着物姿の先輩が榊を持ってゆったりと厳かに舞を奉納している。神楽と言うには動きが大きく、日本舞踊と言うには神聖すぎる不思議な舞だ。舞を終えた先輩が舞台から降りて目の前に立った。その顔に浮かんでいるのは恋人を思い出すときのあのキレイな笑顔だ。この世の幸福と柔らかいものを全部集めて磨いたらきっとこの笑顔になるはずだ。その頬を撫でる手が見える。

 やめろ。触るな。求められていたってそれに触ったらだめだ。

 叫ぶのに声にならなくて、先輩の目が閉じるのに合わせて視界が白く染まった。

 先輩の目が、赤くない。

 

 唐突な目覚めに吐き気を覚えた。会ったばかりの先輩の夢を見た気恥ずかしさや興奮なんて微塵もなくて全身を重くするのはとんでもない罪悪感だった。なんでこんな絶望的な気分になるのか、この罪悪感がどこから来ているのかわからない。ただただ酷く不快で、先輩に触れる自分が許せなかった。

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