第6話

 ともあれ、私は一度目で幼稚園以降に出会った人々全ての人生にとって最初から存在しない人間になった。ドブにはまって担ぎ込まれた幼児の緊急手術に手を取られた医者もその分、他の患者をゆっくり診るか、休憩をとることができたかも知れないし、消しゴムを持って帰ることもなかった男の子はそれを気にすることもない。解答欄を書き間違えて「残念なやつ」とその教師が思うこともないし、駅で転倒した女子高生の救護活動に忙殺された駅員や救急隊や搬送先の病院もその時間を平穏に過ごせただろう。バイト代の入った財布を見つけられなかったやつはその分、余計な運を引きずらなくてすむし、とある会社も社長の講演中に寝落ちするような新入社員を採用してしまうような目に遭わずにすむ。

 そして、彼───。

 彼は二度目の人生にはどんな形にしろ、どこにも現れなかった。もしかしたら、出会わない方がよかった相手だったから?

 もしかしたら、彼は私より先に理不尽に死んで生き直していて、私と出会ったけど、私がそれを取り消してしまった・・・なんて想像もしてみる。どちらにしろ、それでお互い『不運』でないならシステムは良好ということだ。

 そして何よりも、あの無差別殺傷事件がどういうものだったのか、どれほどの死傷者が出たのか浮世の報道は知るよしもないが、二度目の人生ではその事件そのものがニュースに出て来なかった。私があの時間線を変えてしまうことで他の人たちがどう動いたのか知る術もないが、多分、その事件までもが起こらなかったのだと思う。犯人は狂気に及ぶようなことがなかったのだろう。

 もしかしたらあの講習の席に、その事件で同じように亡くなった人がいたのかもしれない。あの席でお互いのことを話すことも聞くこともないが、その人も『生き直し』を望んだとしたら、その人の『運の好転』も浮世の時間に組み込まれたことになる。だからこそその事件は起こらなかったのだろうか? 色々複雑に絡んでいそうである。

 結局、両親も祖母も、自分たちより早く理不尽に逝ってしまう娘を見送らずにすみ、北海道の自然の中で娘の大都会での活躍を毎日見守っている。 

 それほどまでに、このシステムは『不運』を広範囲に回避させていく。

 

 私が支社長に就任して十年近くたった頃、ずっと共同経営者として二人三脚でやってきた父の元同僚が亡くなった。末期ガンが発覚したのだ。そしてもちろん、父は後を託されたのだった。私は支社長を勤めながら、度々北海道の本社へ、父のサポートに駆けつける生活になった。もちろん、恋するいとまなどあるはずもなく・・・興味も湧かなかった。そしてその生活を邪魔しようという奇特な殿方が現れることもなかった。心乱されることもなく、満ち足りていた。

 父が勇退し、私が二代目としてCEOとなってからは、私のやりたい放題だった。

 と言っても、『免許証』が私の魂の清らかさを担保してくれている。

 私は一点の恥じることもない経営を続けた。決して自分のためでなく、社員のため、世のために会社を動かした。全てが幸運に回っていく。会社は派手な動きはしないが、超がつくほど安定していた。社員も幸せそうで、まとまりも良く、会社の行事があるとみんな家族ぐるみで参加してくる。子供ができた社員は、登録制にした定年退職後のOB社員に悠々とその間を任せ、OB達は時には社屋内に作った託児室で子連れ出勤した社員の子供の面倒を見たりした。本社も各地の支社も、巨大な一つの『家族』と化していた。もちろん、毎年社員は順調に定年退職してその後のバックアップ隊となり、新入社員が新風を吹き入れる。就活学生の人気企業ランキングの5位以内の座を常に守り続けた。もちろん、新商品の開発も途切れることなく行われ、そのことごとくが良好な売り上げを見せる。

 そして、後継者はちゃんと現れた。社内有志で「経営プロジェクト・チーム」を組んで、経営そのものの研究をさせていたのだ。全く、「やりたい放題」だった。

 メンバーは私と一緒に行動し、現場で経営状況をつぶさに見てきた。様々な研修会にも送り出し、実際の経営判断までも議論させた。もちろん、支社長や幹部の経験者が中心で若い社員を巻き込んでチームを育てている。それぞれが自分の所属部署で自分の職務を果たしながらのチームである。

 メンバーでなくとも、みんな経営者のつもりで自分の仕事をする───。

 いよいよ自分が引退を考え始めたとき、次期CEOはチームからの立候補と、全社員による選挙で選出することになった。もちろん、チームの一人一人が経営手腕を鍛えられている。一人がCEOになっても、チーム経営は続いていくのだろう。なぜか、経営を学んだからと言ってよそへ移る者がいない。たとえ、ヘッド・ハンティングされたとしても。独立する者は必ず関連会社や協力会社となる。定年退職した社員が進んでバックアップ隊に登録するのも、中途退職する社員が他社に比べて極端に少ないのも。つまり誰一人として縁を切りたがらないのだ。そういう会社になっていた。

 「やりたい放題」が次々と実を結んでいく・・・。

 そして、大事なことは、社員の中に、あるいは取引先や顧客やその家族やあらゆる関係者の中に一人でも『生き直し』をしている人がいるとしたら、そこからも連鎖、波及して不運は回避されていくということだ。その人個人の『運』を常に好転させるために。しかし、誰もそれが『生き直し』の人生であると思う者などいない。不運も幸運も誰にもわからないのだ。私の人生の進み方も、私に与えられた補償だけでなく、もしかしたらそういう他人の『生き直し』の影響も受けているからこそのことなのかも知れない。

 私は引退後もしばらくは会長職に留まった。社員達から「まだまだ道を照らしてほしい」と乞われてのことだ。「いつまでもそんなことじゃ困るわね」とは言ったが、本社の最上階は自宅のように改装され、否応もなく居場所を作られてしまった。居てくれるだけでいいと言うのだ。もちろん、そこにこもっていたわけではないが、それにしても毎日のように入れ替わり立ち替わり、社員の子達が遊びにくる。ほんとに「遊びに」来るのだ。そして一緒に相談事などもしていく。本当に厄介な経営判断や商品開発なんかのこともあれば、若い子達の人生相談だったりもする。人の出入りが絶えない。少しは孤独になりたいと思うほど。

 ようやく会長職も退いて、本宅に帰った後で知ったのだが、社内では最上階と私のことを誰言うともなく「天の岩戸の天照大神」と呼んでいたらしい。冗談にしても畏れ多いにも程があるのだが。

 本宅でも孤独になることはなかった。両親とも他界した今、自分の家族を持たなかった私は、このそれほどセレブでもない邸宅で孤独死でもするのかと思っていたが、まるで最上階がここへ移動してきたかのように社員達が合間を見ては詣でてくる。今後のためにと介護の資格を取ったような子達も何くれとなく世話を焼きにくる。「練習です」などと言いながら。

 それでも、私は彼らにはできるだけ面倒はかけないように暮らしていた。そして、意識も薄暗くなってきたある日、砂時計が落ち切ったかのように力尽きた。

 もう会社のことは何も考えていなかった。全てを彼らに託していた。

 たくさんの涙を浮かべた顔に見守られて、私は二度目の人生をそっと閉じた。


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