第5話
私は二度目の人生を終えて戻ってきた。
戻ったら、そのまま講習室へと入る。二つの人生を比較し、神々にシステムの効果を報告するためだ。
縄文紳士が笑顔で迎えてくれた。ジーンズ・ジャケットの下は派手な南洋柄のアロハみたいになっていた。そして下もジーパンにサンダル履きだ。頭はオールバックだが、前にはなかったポニーテールがくっついている。そう言えば、風貌は時に合わせて変えているんだった。
「お帰りなさい。いかがでしたか?」態度は全然変わりない。
「ええ、それはもう、いい人生でした」
私も笑顔で即答した。102歳になっていた。大往生である───。
****
私は同じ両親のもとへと帰った。今、比較してみると幼児の頃は最初とまるで同じだった。あの、玄関ドアの「指詰め事件」までは。
結局、それは起こらなかった。ここから、私の時間線は大きく分かれて行った。前の時間線を上書き消去して。
あの日、私は母と祖母に連れられて買い物に行った。帰ってきて母が玄関の鍵を開けた。私は母の足にちょこまかとまとわりついていた。母が大きな重いアルミドアを少し開けた時、少し離れて玄関のあたりを眺めていた祖母が母を呼んだ。何か気になることがあったらしい。母はドアの取っ手を放して祖母の方へ行こうとした。早く家に入ろうと思っていた私は少し開いたドアの端っこをまともにつかんでいた。ドアが勝手に閉まろうとするのを私は止められなかった。
「ぎゃあ〜〜〜!」
指四本、まともにドアに噛みつかれていた。一度目は。
二度目は、祖母が声をかけた時、私はなぜか自分が呼ばれたと思って祖母の所へ母より先に飛んで行った。すんでのところで私の手はすり抜けていた。ドアはガチャンと閉まった。私の悲鳴の代わりのように。
一瞬の差だった。自分が動くか動かないかだけの違いだ。
その夜、仕事から帰ってきた父と家族四人、大好きなTVのアニメを見て笑いながら晩御飯を食べた。
一度目はそうはいかなかった。どんどん腫れてくる指を見て母と祖母共々病院に駆け込んだ。母がびっくりしてドアを開けてくれる前にパニクって自分で無理やり引き抜こうとしたのが悪化させていたようだ。
その夜、包帯で棍棒のようにぐるぐる巻きにされた私の左手を見た父は、「二人もいて何をしとるのか!」と母と祖母に怒鳴った。アニメを見るどころではなかった。右手は大丈夫なのに、祖母が「ごめんねごめんね」と何度も言いながらスプーンでご飯を食べさせてくれた。私は痛いのと父が怖かったのとで半泣きで食べた。
二度目ではそれが何一つなかった。文字通り、自分だけでなく両親と祖母もこのトラブルを回避できたのだ。その日の晩御飯がどれほど違うものになったことか!
そして私が幼稚園児になった頃、あろうことか私の家族は祖母も一緒に北海道に移り住むことになったのだ。人生が一変してしまった。
そう。北海道へ飛ばされたのだ。縄文紳士が富士の裾野から旅に出たように。
「環境を制御する」とは、まさに本人を他の環境へと移動させることなのだ。おかげでそれから後のことが帳消しになった。何もかも。
三輪車でドブにハマることも、お気に入りの消しゴムを持って行かれてしまうことも、テストで欠点を食らうことも、駅で骨折することも、バイト代を失うことも、研修で寝落ちすることも───。
そして、もちろん、二十代で命を落とすことも。
彼と出会うことも───。
父が会社を辞めた元同僚に誘われ、北海道で新しく事業を始めることになったのだ。母も祖母も仰天したと思う。しかし、父が新しく抱いた夢と決心を変えさせることはできなかった。父の人生までも根底から変えてしまったのだ。私の不運を好転させるために。
もしかしたら、このシステムは一件一件を細かく変えるより、元から変えてしまうようにでもなっているのかも知れない。その方が効率的だとでも・・・?
とにかく、私は新しい大地で、新しい出会いを作っていった。
父の始めた事業は、後継者不足で廃業しかけていた畜産農家を引き継いで建て直していくというものだった。と言っても、誘ってきた元同僚の実家だというに過ぎない。自分だけでは間に合わなくなってきたから一緒にやってほしいというのだ。そしてその元同僚はそれを土台に新規事業を展開する計画を持っていた。そしてある程度進めてもいたが、本当なら誰もが危ぶむような話だ。しかし、私は『自動運転免許証』を所持している。私が不運に見舞われないためにも、まわりが私に不運をもたらすようなことにはならないのだ。もっとも、その時普通に人生を生きている私にそんな自覚などあるはずもないが。
なるほど事業に失敗することはなかった。それどころか東京や大阪の有名パティシエとのコラボにもこぎつけ、全国展開の大手スーパーの契約農家にもなって家内工業程度だった工場も新設して乳製品を大量に送り出し、コンクールで優勝して肉牛のブランド化にも成功した。あっという間に、大企業とまではいかないが、中堅規模の、ガタイのしっかりした企業に成長した。父にも元同僚にもその事業が思い通りにいかないことはまずなかった。
その間、私は大自然の中で、牛や鶏や、家で飼っているウサギや犬やネコなんかに囲まれて、ほとんど野生化していた。駅で転んだぐらいで骨折するようなひ弱なタマではなくなっていた。そして、学校では必然的に面倒見も良く、皆から好かれて人気者になっていた。
獣医になりたいと思った。しかし、生来の勉強苦手は変わらないらしく、大学受験には見事に失敗した。これは不運ではないようだ。もともと家業を手伝う形で父の会社には早くからどっぷりと関わっていたので、学校の勉強よりも業務の方に詳しくなっている、と言うのが本当のところだろう。自前の無添加食材のみを使う洋菓子店の店舗展開を目論んでいた父は、これ幸いとばかりに高校を卒業した途端に私を東京へと送り出し、新規事務所の立ち上げメンバーに放り込んでしまったのだ。父は私を見込んだのかどうか、獣医にはしたくなかったようだ。なれるとも思ってなかったらしい。別に不服ではなかった。仕事はそれなりに面白かったし、正直、学校の授業よりよく頭に入った。獣医というのもそれほど熱意があったわけでもない。
それよりも私は無意識に放つオーラで、若輩ながら都会の人々からも信頼され、事務所は大いに繁栄し、営業拠点も広がっていった。事務所は程なく東京支社となった。そんなに大所帯ではないが、私は二十代のうちに、支社長となっていた。父に言われたわけではなく、まわりから是非にと推薦されて。
今、比べると、ちょうど一度目では人生最後の災厄に見舞われた頃だ。私は二度目の人生で、一度目にはなかった時間を歩み始めた。
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