しち. 2


 気もそぞろにめぐらされる彼女の視界には、会いたい人ではなく、なんとなく追跡していた悪夢のがある。


 誰の、どんな夢なのかもわからないが…。


 他人の夢を削ったり、まるのみにしたりする弾力がありそうな球体だ。


 外見は、白っぽい陶器や鉱物のようであっても、ゼリーめいた軟体性の変化もみせる粘液質の玉で、小山ほどの大きさがある。


 それがバウンドし、転がると、接触した地面がかさかさに干あがり、その時その時の形状にくり抜かれたりして、そこにあった夢の材質が根こそぎにされる。


 襲われた夢に抵抗する力があったり、それと相容れぬものや嗜好にあわない部分が存在するときは、のこされ、吐きだされたりもするようだが…。

 他人の夢を食って歩いている。


 標的を視界に捕捉ながら、足をとめた夕姫ゆきは、おもしろくなさそうに空をあおいだ。


(コウのやつ…。また、呑まれちゃってるんじゃないでしょーね)


 それは、会いたいのに会えずにいる彼女の不満の発露。


 かたちだけの表現なので、悪意はない。


(とにかく、処理しよう…)


 思いたった夕姫ゆきが、タンッと大地を蹴る。


 現実世界の物理常識にしばられない眠りのなか。

 彼女自身のなわばりにあって。夕姫ゆきは、一〇〇メートルほどもあったそいつとの距離を、三度のジャンプで五メートルにした。


 そうしようと思えば一度の跳躍ですませることもできたが、動作に比例した消耗、疲労の蓄積もおこるものなのだ。

 このていどに小分けした運きであれば、許容のうちで…かるく大地を蹴ったていどの感覚でおさまる。


 この時、夕姫ゆきは、標的の様子を左に見ながら、まわりこむように動いて、その正面にでた。

 対象相手の動きにあわせて、一歩ひき、二歩ひき、ぴょんと六メートルも後ろ跳びに退いたりしながら、つかず離れずの間隔をたもつ。


 そうしながら、目標を間近に見た彼女の感想は、


(へんなやつ…)


 だった。


 強引で乱暴…。コミカルな印象もうける、そいつからは、なんとなく否定しえない悲しみ、憂いのようなものが感じられた。


 これは、すべてを消すことはない——


 処理しなければならないレベルの悪夢でも、そんなふうに感じることがよくある。


 この先、より大きくなることがわかっている成長過程のゆらぎを秘めたもの。

 そうゆうものを見つけた時、夕姫ゆきは感じたとおりに行動する。


 遠目に蛋白石オパールのボールのように思えたそれは、まぢかにして見ると、いろんな動物の骨をあつめて合体させた象牙めいた代物しろものだった。


 夕姫ゆきは、目標が地面におりるタイミングをはかりながら、見あげるほど大きな相手にさらに接近した。


 すっと、両腕をさしだして、そいつの表面に触れる。

 すると、


 ぴたっと。その場で動きを止めた球体の内部に、めくるめくような変化が生じた。


 それまで緩慢なゆらぎをみせていた色彩が、とつぜん自己主張をはじめたように、せわしなく、ひらめきだしたのだ。


 なげきの青、爽快そうかいにゆれる緑、ほのかにそよぐピンク…

 さらには、パステル調の発色が遊んで見えた球、全体が白銀の光を放ちだした。


 内部にあるすべてのいろどりをのみこんで、純白に染まる。


 触れていた物体に、ふんわりと、純度の高い綿毛のようなやわらかさを感じたところで夕姫ゆきは、そっと、身を退いた。


 彼女の仕事は、そこで完了だ。


 残存していた真白ましろな輪郭が、風もないのに、ばらばらになり、あたりに散ってゆく。


 そのようすは、風に吹かれたタンポポの綿毛の離散を思わせた。


 芯はのこされなかったし、ただよってゆくものに種など、ついていなかったが、

 いっぱいに空気をふくんだ幾何学結晶……純白の綿毛や糸状に発達した霜めいた繊細なまとまりが、四方八方へ泳ぎ、流れゆく。


 光を発しているみたいな、きわだった発色をみせるそれは、生じたポイントから離れるほどにぼやけはじめ、ほわんほわんと、雪や雲、薄霧のように一帯にとけて、消失していった。


 幻想的で、ひとの心をとらえそうな光景であったが、夕姫ゆきは、そちらに目もくれず、あたりに注意をちらした。


(コウ、どこにいるんだろう…)

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