まんじゅうが怖い奴等の末路

十余一

まんじゅうが怖い奴等の末路

 皆さまは、怖いものなどお有りでしょうか。

 私はね、月並みですが暗闇が怖い。真っ暗闇には妖怪だの幽霊だの、そういったものがいるような気がしてしまうのです。本当はそんなものいなくて、怖いという気持ちがそうさせているのかもしれませんがね。


 ところで、この“怖い”を逆手にとった「まんじゅう怖い」というお話はご存じでしょうか。

 怖いものは何かと聞かれた者達が「クモが怖い」「ヘビが怖い」と口々に言う中で、一人だけ「そんなものを怖がるなんて情けない。自分には、怖いものなど無い」と豪語する者がいたのです。しかし問い詰められると「本当は、まんじゅうが怖い」と白状する。情けないなんて言われた側は仕返ししてやろうと、山ほどまんじゅうを買い込んで、部屋に投げ込んでやる。するとまあ、「怖いから腹の中に仕舞ってしまおう。ああ、美味すぎて怖い」という具合にたらふく甘味を味わえるのです。


 さて、本日話しますのは、この話をたいそう気に入った若者たちが遭遇した不思議な出来事でございます。



「八っつぁん、どうしたんだい!? ずいぶんと浮かない顔してるじゃァないか!」


 長屋に住む長吉は、久方ぶりに会った八五郎を見てギョッとした。なんせ青鯖が空に浮いたような顔色で、おぼつかない足取りは酔っぱらったムジナよりも酷い。兎にも角にも部屋に上げてやり、粉茶を出して、背をさすってやる。そうすると、ようやっと八五郎は震える声色で喋り始めた。


「……。熊さんが……、熊さんが死んじまったんだ」

「なァに? 熊さんが死んだ? 熊さんってェのは、お前さんと仲良しのあの熊五郎のことかい?」


 気が優しくて、力持ち。絵に描いた金太郎のような熊五郎。酒を飲むと気が大きくなって少しばかり乱暴になってしまうのが玉に瑕だったが、悪い奴じゃあ、決してない。


「しかし何だって急に……。ついこないだも、お前さんと一緒にまんじゅうが怖いだの何だのと元気にたわむれていたじゃァないか」


 どこで聞いたか「まんじゅう怖い」、これならタダでまんじゅうを腹いっぱい食えると考えた熊五郎と八五郎の二人。顔見知りにけしかけて、やいのやいのとやっていたのは記憶に新しい。それもそのはず。騙されて憤慨ふんがいした者たちをドウドウとなだめて間を取り持ったのは、他でもない長吉だった。

 しかし、かけた迷惑はどこへやら、八五郎は気にせず尚も喋り続ける。


「その後のことさ。まんじゅうの後も酒が怖い、富くじの突留つきどめが怖い、水茶屋の看板娘が怖いとふざけて、方々で遊んでいたんだけどね。富札を買えば一の富が当たるわ、鍵屋のお百ちゃんは俺たちが特別だと言って良い茶を振舞ってくれるわで、すっかり気を良くしちまったんだ」


 粉茶をすすりながらのたまう八五郎。いったい何をやっているんだいという、長吉の冷ややかな視線もなんのその。

 ちなみに、富くじは今でいう宝くじのこと。一番最後の抽選を突留と言い、一の富は一等賞にあたります。水茶屋というのはその名の通り茶屋ですが、お茶をみ話し相手になってくれる女性がいたのです。人気の看板娘ともなるとグッズとして手ぬぐいやら双六やらを販売して、アイドルのような一面もありました。


「そうして、暮れ八つ 深夜 の頃だったか、深川のあたりをぶらついていたんだ」

「深川といやァ、富岡八幡宮と永代寺、それから常に弦歌げんかの声絶えずと言われる門前だ。その深川かい」

「ああ、その深川で間違いないよ」

「……しかし、ずいぶんと遅い時分に行ったもんだ」

「いや、ほら……岡場所があるだろ」


 下卑た笑いを含みながら言う八五郎と、納得した様子の長吉。

 当時の深川仲町といえば、吉原に負けず劣らずの賑わいをみせる歓楽街でございました。吉原ほど高級で格式張っているわけでもなく、しかしその辺りの遊郭の中ではちょいと高級。深川の岡場所というのは、そういう所でした。


「そこでも熊さんはな、『器量良しが怖い、通鼻つびが怖い』なんて言いながら上機嫌だったんだ」


 何てこと言ってんだいという、長吉の呆れた顔にはやっぱり目もくれず八五郎は続けた。


「そうしたら急に熊さんがワッと悲鳴をあげて、屏風を引き倒すような慌てぶりで帰っちまったんだ。女郎が言うには、何もない部屋の隅を見て急に顔色を変えたらしい……」


 ちなみに当時の遊郭では、二人ないしは三人、多ければ五人ほどの相部屋で事に及ぶこともままありました。客と客の間を隔てるのは屏風のみでございます。

 さて、自宅に逃げ帰った熊五郎はというと。


「それからというもの、熊さんは縮こまって泣いてばかりいたんだ。しかも、うわ言のように『カカアが怖いカカアが怖い』と繰り返してるときたもんだ」


 長吉はそこで、はて? と思う。たしか熊五郎の女房は、流行り病で亡くなったんじゃァなかったか。喪が明けて間もなかったはず。しかし、長吉が口を挟む間もなく八五郎は話を続ける。


「そうして泣いていたと思ったら、また急に、酷く苦しみだして! ……そのままポックリさ。その様子の怖ろしいこと怖ろしいこと……。お不動様だって裸足で逃げ出しちまうね」


 八五郎は青ざめた顔で最期にこう言った。


「ああ、怖いったらないよ。熊さんが怖い」



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