付喪神書房

十余一

付喪神書房

「美しさの基準は時代の移り変わりと共に変わっていくのでしょうけど」

「不変、そして普遍ふへんの美というものもあるはずよ」

「現代でも、美を追い求めている方の元へ行きたいわね」


 それぞれから流れ出てくる言葉に、「はあ……、そうですか」という覇気の無い返事しか出来ない。祖父に代わり店番をすることになったこの古書店で、俺はこうして毎日のように言葉を浴びせかけられていた。


「ちょっと、店主代理さん。背筋を伸ばしなさいな」

「美しさというのは何も化粧けわいのことだけではないの」

「立ち振る舞いも大切よ。ワタシたちにもそう書いてある!」


 そうしてペラリと開いたところで、のたうち回るミミズのような字が並んでいるだけだ。髪を結った着物姿の女性が書かれている挿絵だけはわかる。多くの人が読んできたロングセラー本も、教養の無い俺にとっては読めない絵本みたいなものでしかない。


 長い年月を経た道具には魂が宿る。そして、それは書籍も例外ではない。祖父が半分道楽で集めた古本は、そのいくつかに魂が宿り、付喪神になってしまった。


 彼女たちの名は『みやこ風俗ふうぞく化粧傳けわいでん』、上中下の三冊からなる美容の手引きだ。江戸時代に出版され、大正の頃まで活用されていたらしい。


 彼女たちに代わり、今度は別の本が口を開く。口がどこにあるのかわからないが。


「オレは温柔しなやかな心で文学を愛する者の手に渡りたい。優美しとやか恍惚うっとりする恋を楽しむ文学愛好家だ」


 明治時代のベストセラー小説『婦系図おんなけいず』だ。大ヒットして演劇や映画にもなったことがあるらしい。都以下略の彼女たちも囃し立てて、「素敵ね!」「その気持ちわかるわ」「待っていればきっと来るわよ」だなんて口々に言っている。


 一人も客の居ない古本屋は、今日も古書たちの話し声で賑わう。


「美の探究者は、いったいいつになったら来店してくれるのかしらね」

「そういえば、現代では殿方も化粧をするらしいわよ」

「まあ、ではそういう殿方がワタシたちを手に取ることもあるのかしら」

「ニャーニャー」

猶予ためらわず来たれ愛好家よ」


 待って、途中で猫いなかった? 『吾輩は猫である』は猫の部分が自我になっちゃったのかよ。そんなことある?


 それはさて置き。

 ぶっちゃけたことを言ってしまえば、ここにある本は大抵どれもオンラインで読むことが出来る。古い資料は図書館のデジタルコレクションに加えられ、著作権が切れた小説は青空文庫で公開される。わざわざ本屋に行かなくても、スマホでぽちぽちーっとすれば読める時代だ。

 それでも、ページを一枚ずつめくっていく体験だとか、紙のにおい、装丁の手触り、印刷時に出来る僅かな凹凸や墨溜まり、時を経て得られるおもむき、本自体の貴重さ。そういった他に代えがたい魅力があるから、買い求める人がいる……、のかもしれない。


 俺の思案をよそに、相変わらずわやくちゃと好き放題に話す古本たち。


近来ちかごろ壮佼わかいものは文学に親しみを持っているだろうか」

「ニャーニャー」


 俺だって別に本が嫌いなわけではない。紙の本の良さも知っているつもりだ。ただ、静かに読みたい派なんだ。そして元来一人で過ごすことが好きな俺にとって、この空間は耐えがたい。年季の入った賑やかな古本たちに囲まれて、いつ新たな付喪神が生まれてしまうかと怯える気持ちすらある。陰キャおつ。

 だからどうか、誰か、誰でもいい、いや本に宿った魂と気の合う人でないと駄目だけれど。どうか、はやく買いに来てくれ。


 当店は美の探究者、文学愛好家、そのほか個性的な古書をお求めのお客様のご来店を、心よりお待ちしております。



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