立ち読み
ひろたけさん
第1話
俺は平々凡々な高校三年生の男だ。
173cmと日本人男性として平均的な身長と人並みの容姿で、学校では目立つこともなくかと言って友達が皆無という訳でもない。
趣味は漫画を読むこと。
部活はバドミントン部に入っていたけど、試合はいつも一回戦負けの弱小チームで、活動内容も半分遊びだった。
将来は普通に大学に入って、公務員試験でも受けようかと思ってる。
来年の年明け早々に控えた大学共通テストに向けて、俺たち高三生は部活も引退して勉強漬けの毎日を送っていた。
成績はそこそこいい。先日返って来た全国摸試の成績も、第一志望はB判定とまずまずの結果だった。
担任の
今日も学校は終わったが、これから予備校に行って勉強だ。
毎日勉強勉強。大学に入ったら思い切り遊ぼうと思っているけど、それまでの受験生として過ごす一年間が何ともダルい。
何の変哲もない勉強ばかりの日常に少々飽き飽きしていた俺は、ぶらぶらと無気力に歩きながら商店街を通りかかった。
ありふれたアーケード街に、特に面白い店などない。
だが、勉強漬けの日常に疲れていた俺は、立ち読みでもして気分転換を図ろうと小さな本屋の入り口をくぐった。
予備校の授業が始まるまで一時間。いつもなら自習室に直行する所だろうが、一日くらい道草してもいいだろうと自分に言い訳しながら、漫画コーナーを目指す。
と、俺はとあるコーナーの片隅に見知った姿を認めて立ち止まった。
正直、俺とは住む世界が違うなと思っている。遠巻きに見ているだけの存在で、個人的な接点はない。
田辺は何やらえらく真剣な顔付きで、手にした本を読んでいた。
あいつが本を読むなんて珍しいな。
俺はただそんな感想を抱いただけで、すぐに目線を漫画コーナーへと移した。
だが、翌日も放課後に商店街を通りかかると、同じ本屋の同じコーナーで立ち読みをする田辺の姿が店のガラス越しに見えた。その翌日も、翌々日も毎日だ。
その表情はいつも真剣で、食い入るように本を読んでいた。
俺は田辺が何をそんなに真剣に読んでいるのか気になって来た。
田辺は運動神経は抜群だが、勉強の方はからっきしで、本を読んでいる姿など一度も見たことはない。
そんな彼が連日本屋に通い詰める程読みたい本って何なのだろう。
俺はこっそり田辺が立ち読みする隣のコーナーに身を隠し、やつが帰るのを待った。そして、棚に戻された本を手に取ってみる。
田辺が読み漁っていたもの。それは恋愛指南書だった。
俺の頭の中には「?」が浮かぶ。
田辺といえば、同級生からだけでなく、後輩の女子からも大人気の存在だ。
去年のバレンタインには貰ったチョコレートを大きな紙袋一杯に入れ、食い切れないからと男子たちにこっそりお裾分けをしていた。
俺もその時、田辺からおやつをいただくという恩恵を受けたのだが、そんなモテ男が恋愛本を真剣に読んで勉強する意味とはどこにあるのだろう。
あんなやつ、女なんかとっかえひっかえ付き合ってもお釣りが来るくらい、選び放題じゃないか。
それとも、真剣に悩む程、意中の相手がいるのだろうか。
普段は恋愛など全く興味のない俺だ。
だが、田辺が真剣な恋する相手は誰なのか、俄かに興味が沸き上がって来た。
つまらない勉強だらけの日常に、ちょっとしたスパイスが加えられた気分だ。
クラスで友達に囲まれて普段通り賑やかに振舞う田辺を見ながら、あいつに実は真剣に恋する相手がいるんだと思って可笑しくなる。そして、そんな田辺の秘密を俺だけが知っていることに謎の優越感を覚えた。
直接言葉を交わしたことさえほとんどない癖に、田辺に対する親近感が沸いて来る。田辺は俺のことなど眼中にもないだろうに。
そんなある日のこと。
いつも通り、本屋の前を通りかかると、中で田辺が店主の親父にこっぴどく叱られているのが見えた。
おいおい、あいつは何をやらかしたんだ?
やつが親父を怒らせた理由を知りたくなって、俺は本屋の中に入る。
「毎日毎日、買いもしない本を立ち読みするのはやめてくれ。こっちは商売でやってるんだ。お前が暇つぶしをする場所をサービスしている訳じゃないんだよ!」
親父がガミガミと田辺を怒鳴りつけている。
なるほど。そういうことか。
そりゃ、あれだけ毎日のように同じコーナーを長時間占拠し、立ち読みだけして帰って行けば、親父が怒るのも無理はない。
「すみません。今度ちゃんと買いますから……」
田辺の謝る声が聞こえて来る。
「今度だと? 今買え、今! もう何日ここで立ち読みしていると思っているんだ」
「でも、俺、今金欠で……」
「そんなもの関係あるか!」
田辺が悪いのは百も承知であるが、いつまでも怒鳴られ続けているのが少し可哀想になった。
しゃあないな。
俺は二人の間に割って入った。
「おじさん、この本、俺が買います」
「誰だ、お前?」
いきなり入って来た侵入者に親父が怪訝な顔をする。一方の田辺も驚いた表情で俺の方を見ている。
「俺はこの人の同級生です。俺なら今お金持ってるし、その本買うくらいの余裕はあるんで」
「お、おい。
田辺が焦った様子で俺を止めようとしたが、俺は彼の背中を軽くポンポンと叩いた。
「まあ、いいってことよ。気にするなって」
「そういうことなら今日のところは勘弁してやろう。二度と立ち読みしに来るんじゃないぞ」
親父は結局本が売れたことで気が
俺は金を払いながら、自分でも何をやっているんだろうと呆れた。
いくら同級生とはいえ、ほとんど話したこともない田辺のために本を買ってやっている。
彼に何か恩義がある訳でもないのに。ただ、怒られ続ける田辺が可哀想だっただけで。
どんなお人好しなんだよ、俺は。
そんなツッコミを自分に入れつつ、田辺に購入した本を手渡した。
「はい、これ」
「あ、ありがとう」
ぎこちなく俺から本を受け取る田辺の顔は真っ赤に染まっていた。
こんな恥ずかしそうな田辺の顔を俺は学校で見たことがなかった。新鮮だなぁ、などと呑気なことを思いつつ、「じゃあな」と片手を上げて帰ろうとしたその時だ。
俺の腕を田辺が掴んだ。
「あ、あのさぁ!」
田辺の声は不安定に揺れていて、振り返るとその顔はまだ赤く染まったままだった。まさか呼び止められるとは思っていなかった俺も弱冠動揺する。
「え? どうかした?」
「今度、金払うから……」
なんだ。そんなことか。案外律儀な所があるんだな。
俺はそんな田辺がちょっといじらしく思えた。
「ああ。わかった」
俺は苦笑いしながら田辺に頷き、再び帰ろうとする。
しかし、田辺は俺の腕を放そうとしない。
「田辺?」
俺は訝しんでもう一度田辺の方を振り返る。
田辺の顔は相変わらず真っ赤に染まったまま、目はゆらゆらと潤んでいる。
男の俺が見てもドキッとするその色気に、図らずも俺の胸がやけに大きな心音を立てる。
と、その時だ。
俺よりも頭一つ大きな田辺が俺を抱き寄せ、唇を奪って来たのは。
え? これ、どういうこと? どういうシチュエーション?
俺は混乱する中、されるがままに田辺の唇を受け入れていた。
どれだけの時間、俺たちの唇は合わさっていたことだろう。はっと田辺が息を吞む音が聞こえ、俺はパッと田辺の腕の中から解放された。
「わ、悪い、朝倉。今のは忘れてくれ」
田辺は自分の行動に自分で驚いているようで、焦った様子で踵を返し、商店街の雑踏の中を走って消えてしまった。
俺はボウッと田辺の後ろ姿を見送った。俺の唇には、田辺の柔らかくて熱い唇の感触がいつまでも残り続けていた。
続きはKAC2023第二作目『イルカ』へどうぞ!
立ち読み ひろたけさん @hirotakesan
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