末章

第9話 楊少年


 ヤンと名付けられた少年は。

 路地で生まれ育った。

 親をグゥイに襲われ、亡くしたのだ。

 それ以来、盗みを働いて生きて来た。

 世間がグゥイの存在を忘れて久しいある日の事。

 楊少年の下に一人の女性が現れる。桃色の結った髪に、瑠璃色の瞳、瀟洒な召し物には桃の刺繍。彼女の名は西王母。知る人ぞ知る仙女である。

「あんただれ」

「君、名前はあるかい? 私は西王母と言う」

「……ヤン」

「そうかい、楊少年、君に頼みたい事があるんだ」

「盗みくらいしか出来ない能無しに何させようってのさ」

「その盗み、だ」

 楊は訝しむ。西王母が何か金に困っている様子にも見えなかったからだ。

 怪しい、そう思った楊はさっさと逃げようとして――

「おっと話は最後まで聞くもんだよ」

 回り込まれた、細い路地で。なんの冗談かと思った。

「君に盗んで欲しいのは他でもない、斉天大聖のくらいだ」

「せいてんたいせー?」

「あはは、いいねマヌケな響きだ」

 馬鹿にされている気がしてむっとなる楊。

 しかし、西王母は結った髪をを手でいじくりながら。

「それがねとある孫悟空バカが天に向かって盛大に反逆して戦争を始めたもんだからお釈迦様も怒っててんやわんや、んでそこに斉天大聖の位が空いたんで誰かを据えようとなった段で私は君にしようと思ったわけなのさ」

「意味わかんない」

「あははだろうね! それでいい、今ね、天は誰が斉天大聖の位に就くかで陰謀蠢く伏魔殿になっているんだよ。全く誰だろうね仙人は悪意を持たないだなんて吹聴したのは」

 楊はついて行けない話を延々とされて眠気が襲ってきていた。

「そこで私はこう提案したのさ、『斉天大聖ともあろうもならば純粋無垢な方が相応しい』ってね」

「じゅんすいむく? 俺のこと?」

「そう、君は変な所で賢いね、そんなところが好きなんだが」

「その、せいてんたいせー? になったらなにかいい事あるの?」

 ふと顎に手を当てて考え込む西王母、そして答えを出す。

「もう盗みをしなくてよくなる」

「やる」

 即答だった。

「いやいや、もう少し考えたまえよ」

「もう盗みなんてしたくなかったんだ俺、だから、やる」

 西王母は少し悲し気な笑みを浮かべると楊の頭を撫でた。

「君は偉い子だ。きっと斉天大聖の器に相応しい。だけど斉天大聖になるには権謀術数の渦を乗り越えなきゃいけない。もちろん、私も一緒にね」

「じゃあ大丈夫だよ」

「なんでそう思うんだい?」

「お姉さん、いい匂いするから、綺麗な桃の匂い」

「あはは、理由になってないよ君」

 さて、少し状況を整理しよう。

 孫悟空バカという爆弾はいつ爆発してもおかしくなかった。

 しかし、三蔵法師の死の際、天が法師を仙人として受け入れず、法師もまた、それを是とした事にぶちぎれた孫悟空は、斉天大聖の位を捨て、地獄から妖魔の軍団を呼び寄せ天と戦争を始めたのである。これが事の発端。悪意からの保護が破られた天は戦争の真っ最中であり、その余波で地まで被害が及び、再びグゥイが湧くにまで至っている。来則天は、兵士を集め、天へと加勢する準備を整えた。まさに群雄割拠の戦乱の時代が始まろうとしていた。そこで西王母はそれを治めるための新たな斉天大聖が必要だと考えた。戦争は短くは終わらない。長いものになるはずだ。だから人間の子供を一人、新たな仙人として育てる事にした。かといって西王母が子を産むわけにもいかない。そこで白羽の矢が立ったのが楊だった。天から見て彼は確かに素行の良い人間とは呼べなかった。しかし、だからこそ、斉天大聖に相応しいと西王母は考えた。かつての孫悟空がそうであったように、斉天大聖とはそういう役職なのだ。天へと喰らいつく、天と並び立つ者を自称した愚か者。しかし、今回の戦争のような二の舞を生まないためにも三蔵法師の様に説法を説くのではなく、子供の頃から教育していく。それが西王母の結論だった。楊はまだ幼い。文字の読み書きも、計算も出来ないであろう。

「だがそれがいい」

 純粋無垢な白紙の絵に西王母の描く斉天大聖を示していく。これぞ賢く気高い桃園の主の在り方だった。

 こうして天と孫悟空と地の戦争、そして楊少年を斉天大聖に据える頭脳と肉体の踊る戦いが始まるのだった。

 

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