第2話 河原乞食
祖父から聞いた話だと、遠いご先祖様は河原で石を拾って売る商売をしていたらしい。子供心に、そんなんで金が稼げるのかと不思議に思った。実際、河原の石に金を払うくらいなら自分で拾うという建設的な人間が大半で、大した稼ぎにはならなかったそうだ。
河原乞食というやつだ。ある日、その遠いご先祖様がいつものように飯盒の台になる手ごろな石を探していると、川辺にきらりと光る何かを発見した。
拾ってみれば何とそれは、拳大の
もちろん乞食風情にそんなことがわかるはずもなく、ただの綺麗な石だと思ったご先祖様は町の雑貨屋に売りに行った。本当に何でも売れる場所で、河原で売れなかった石を、最低級の石材として買い取ってくれる生命線だった。
その店の主は流石に持ち込まれた宝石がトンデモな品だと気づき、すぐさま通報した。
果たしてそれらは、遠く離れた帝都の商売人が運ばせていたもので、輸送途中で襲撃に会い奪われたのだった。二つの宝石は強盗団が逃走中に落としたものだとして周囲を捜索した結果、河原沿いの掘っ立て小屋が強盗団のアジトだと判明し、全員捕縛することに成功した。
盗まれた宝石もほぼ無事で帰ってきた商人は大喜び。きっかけになった乞食ことご先祖様を帝都に呼び寄せ、たんまり礼金と宝石類を渡し、極めつけに男爵の株まで買ってくれた。足利帝国は帝府と政府が共立した二大政権制で、貴族制度も一応存在する。ただし貴族の地位と領土は結びついておらず、あくまで勲章としての地位である。貴族になると、特権として爵位に応じた年金が支給されるので、ご先祖様は鼻水を垂らして大喜びしただろう。
そのご先祖様が死に、後を継いだ息子も死に、三代目の時代。政府の方で大規模な政変が発生し、巻き込まれる形で失脚してしまう。男爵の地位を失い、失意の中で三代目が早逝。四代目、五代目と代を重ねるごとに家格を下げていく。
以上、
レシャスタ第二関所に所属する役人である。
エルフ族との融和を象徴する場所の警備を預かる栄えある任務……としてこの役を受け止めている者は、まずいない。たとえどれだけ栄えがあろうとたかろうと、中央からもっとも遠い位置にあるこの場所は役人の最終左遷先だ。ここへの転属は『森流し』と呼ばれて半ば罪人の行く場所という認識だ。
この役目すら御免となれば、本当に乞食くらいしか道がない。
「俺の息子は、河原乞食か……いや、ここら辺の川石は砂利ばっかだからな……雑草でも売らせるか」
などと生まれてくる子供への教育に思いをはせる石取だ。しかし、子供以前に妻がなく、なってくれそうな人もいない。そして年齢は二十九だ。まだまだ全然いけるじゃないか、と思うかもしれないが、逆である。三十路前にこんな役人廃棄場みたいな職場に飛ばされてくる男に、だれも見向きやしない。
もっとも、女がいないわけではない。関所では、融和の象徴として帝国人とエルフがバディを汲んで職務にあたる。エルフは女性の社会進出が進んでおり、関所の役人にも女エルフは数多くいる。そして、エルフは大抵美しい。出世レースからド派手にクラッシュアウトした男共にとって、臨終の地での楽しみと言えば美人エルフを眺めてニヤつくことしかない。
しかし、石取は違った。エルフより美しいものが、手のひらで輝いている。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、とな。なかなか豪勢に包んでくれたな、あの細工店。贔屓にしてやろう」
満面の薄汚い笑みで、巻き上げた金を袖の下に隠す。
まさに不浄役人の四文字が服を着て歩いているような男だ。
袖口がゆったりした帝国風の着物は解れが目立ち、その袖の下には見回りの道中にせびりとった賄賂がたんまり入っている。
と言っても、しけた小銭を鼻をかむ紙に包んだ、子供の小遣いのような額だ。しかし格言にもチリが積もればなんとやらとある。
毎日倦まず弛まずこつこつと、小銭を着服する小役人。それが石取相模だ。
関所こと森林警備隊は、警備隊長を筆頭に、治安維持のための見回り役と隊内の雑務記録を行う内勤が下につく。何か事件があれば見回り役が動き、他の隊や機関との連絡や交渉は内勤の者が担当する。
レシャスタ第二関所は、足利帝国とマルフレカを繋ぐマルフレカ街道から分かれる脇街道、通称『
石取はというと、街道から外れに外れた、森の中の祠を見回る『古祠群見回り役』だ。観光名所にもならない、古ぼけた木祠を見回ったところで何もない。時々風変わりな考古学者がうろうろしているが、それ以外には観光客ひとりいやしない。
石取は長いこと回り道をして袖を重くしながら、古祠群を見回した。
「問題なし。無いよな? よし、昼飯にするか……よっと」
ちょうど座りやすそうな分厚い木の台があったので、腰掛けて握り飯を取り出す。
野鼠が一匹寄ってくる。漬物の匂いのせいだ。
「なんだお前。しっしっ。ガキの頃に、鳩に餌やるなって殴られてから野良動物にゃ餌を与えねえようにしてんだ。悪く思うな」
「ちゅうちゅう」
魔物のくせに、可愛い鳴き声で漬物をねだる。
小耳鼠は、尻尾で器用に紙包を持っていた。
「ありゃ、これは俺の大切な袖の下じゃねえか。なんだ、拾ってくれたのか」
「ちゅう」
「や、そうとも知らずに悪かったな、ほれ、漬物は全部持ってきな」
「ちゅう!」
小耳鼠は漬物を受け取るや否や、全速力で巣穴に戻って行った。尻尾に包みを持ったまま。
「あ、おい、待て! 待てったら」
「どうした、下品な大声を出して」
声がかかった。
棘を含んだ声だ。後ろから聞こえる。
「ああ、こりゃどうも相棒さん」
「黙れ。お前に相棒などと呼ばれたくない」
「しかし一人じゃ駕籠をかつげない」
「黙れ」
石取は振り向かずに握り飯を頬張った。辛く味付けした野菜が種の握り飯だ。
石取が相棒と呼ぶのは、レイダ・ソロトル。肩に毛先が届く程度の銀髪が特徴だ。そして何より、エルフの代名詞たる長い耳。血統や種族によって長さや尖り具合が違うらしい。
「お前、どこに座っている。立て」
立とうとする前に首を掴んで引き上げられる。
「不埒な奴だ。御神体の台座に座るとは」
「肝心の御神体があれなんだ、構わんと思うんですがねえ」
石取は、地面に半身埋まった木像を指さして笑う。エルフ族はあまり偶像崇拝というものをしない。昔は今より活発だったらしいから、木彫り職人か何かが寄進したのだろう。
レイダは今時珍しい、真面目一辺倒な若者で、辺境の閑職の、その中でも地味な役目である古祠群見回りを熱心に勤める変わり者だ。口うるさいし、顔を合わせれば何かしら文句を言われるし、相棒関係はあまりよくない。しかし、彼女が真面目に勤務してくれるお陰で、石取が散々怠けられる。
誠実な男を自負する石取は、感謝を欠かさない。
「今日も掃除か、ご苦労様なことで」
「そう思うのならお前もやれ」
「はは。まっぴらごめんだ」
役所の御用部屋や便所掃除ならともかく、なぜこんな一日に一人、人が訪れるかどうかというさびれた場所の掃除をしなければならないのか。昨日の大暴風の影響で、いくつかの祠が木っ端みじんになった。その残骸が散らばっているので、掃除するごみだけは大量にある。やる気と理由があるかは別にして。
「レイダさん、あんたもそうカリカリせずに、適当にやれないもんですか。どうせ大したお給料もらってるわけじゃないし」
「お前はいつも金、金だ。そのみすぼらしい根性に、私は腹が立って仕方ない」
レイダは木屑を一か所に集めている。石取は握り飯を食べ終え、包み紙を木屑の山に投げ込んだ。
「木屑も薪の材料になるよな……粗朶乞食、なんてのもありか」
「なにをぶつくさ言っている」
「いえなにも。しかし、昨日の風はすごかったですねえ」
「あんな嵐は初めてだ。降雨が無いから嵐ではないのか」
「さっき、畜舎の爺さんが喚いてましたよ。ヤギが飛ばされたって」
「そうか……気の毒なことだ」
それは爺さんに対してか、ヤギに対してか。
石取が回り道してきた道中、被害に遭った家作をいくつも見た。流石に半壊した商家や家族を亡くして沈んでいる相手に袖の下を要求するのは気が咎めたので、どっちかというと実入りが少ない日になった。
異常気象は、小役人の些細な副収入にまで悪影響を与えるのだ。
「おい」
「はいはい、手伝いますよ」
気が強い相棒エルフに怒鳴られて、仕方なく台座から腰を上げる。
足の裏で、踏んだ小枝がぱきっと鳴る。
レイダが顔をしかめて石取に聞く。
「変な臭いがする」
「ええ? まさか俺が? まだ加齢臭には遠い年齢だと思うんですがね」
「お前なんてどうでもいい。そもそもお前より私の方が年上なのだが」
そう言えばそうだ。エルフは長命で、老化が遅い。三十代を越えて、やっと見た目は帝国人の十代後半レベルだ。
レイダは三十を二つか三つ越えていたはずだ。
「確かになにか、腐ったような臭いが……」
「魔物の死骸かもしれん。探そう」
「ええ、嫌ですよ気持ち悪い。放っときましょうって。腐ってんなら食料にもならないし売りもできない」
「またそれだ。いい加減にしろ」
「探します、探せばいいんですね。ああちくしょう、まじめに仕事をするたびに俺の中の良心が指さして笑いやがる」
「お前の良心を荒縄で縛って、浮遊樹に括りつけて一晩放置したいものだ」
石取は、土塗れの胡乱な物体を拾い上げた。
布切れのようだ。質感から完全植物性だとわかる。レイダが着用しているものと同じ、エルフが好んで用いる衣服の材料だ。
「どっかの誰かさんが毎日掃除してやがるから、長い事あったゴミじゃないよな……昨日の嵐で飛んできたか」
「何か言ったか!」
「いいえ、何も……いや、待ってくださいよ……ありゃ、なんだ」
数少ない、まともな原形を残した祠の中から、人の足がぶらりと出ている。
こんな場所で昼寝でもあるまい。しかも異臭は、その祠から漂っている。
異臭は、死臭だ。
「ちょっと来てください!」
レイダを呼ぶ。
祠の中に、男の無残な死体があった。定規縁の扉に激突したのだろう、折れた扉も死体に重なっている。
「し、死んでいるのか」
「しかも、ひでえ死体だ……体中ボコボコになってる。昨日の暴風に負けて、あっちこちぶつかりながら飛ばされてきたんですかね」
「悲惨な死にざまだな。わ、私は応援を呼んでくるから、死体を調べるのは頼んだ」
「いえ、呼ぶのは俺がやりますんで」
「黙れ。誇り高きエルフは検死などという汚らわしい行為をするわけにいかんのだ」
「そういえば、不浄な物に触れると発疹が出るんでしたな」
特に汚水がダメで、少しでも汚い水に触れたら神聖な泉で数十分体を清めないと気が済まない。
液体でなければ多少は大丈夫なのだが、ここまで臭う死体に触れたら無事で済まされないだろう。
石取は黙って手をだした。
「何だその手は」
「人に仕事を押し付けるんなら、払うもん払っていただきませんと」
掃除を押し付けてひとり握り飯を食っていた男がぬけぬけと言った。
レイダは箒で撲りたくなったが、誇り高きエルフは小銭程度で怒ったりしないと自分を宥めて、小粒の銭を投げて渡した。
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