第3話 宿代

 レイダが応援を呼びに森の奥へ消えた。

 袖の下にしまい、祠にもっと近寄る。

 そこそこ大きな祠だ。土台もしっかりしていて、柱も桁も破風板も羽目板も丈夫に作られている。おそらく古祠群の中心的な祠だったのだろう。

 祠の内部は散々に荒れている。暴風のせいで壇上の物が散らばり、その壇自体が飛んできた男が扉を突き破って突撃したせいで破壊されている。奥行き一メートル数十センチの祠堂内に、酸鼻な死臭が充満している。小耳鼠がちゅうちゅう死体の側で泣いている。雑食で、漬物も食べれば死骸も食べる。


「こら、死体を荒してくれるな。いや、もう遅いか。これだけボロボロになってりゃあな……一応、所持品を確認しておくか」


 顔は無惨に潰れているが、特徴的な耳からエルフだとわかる。どれだけ誇り高い民族でも、顔が潰れちゃあな、と思いながら所持品や服装を調べる。

 服装は、さっき拾った布切れと同じ材質、同じ色だ。所持品は腕輪以外見当たらなかった。

 性別は、男だろう。胸の盛り上がりがないし、そこそこ筋肉質で長身だ。しかし、それこそ長城の壁を思わせるような胸の全くない女も存在するし、エルフは帝国人と較べて、男女ともに長身だ。筋肉だって、男特有のものではない。

 死体のまたぐらを触るのは、石取でも発疹が出そうだと思ったので、やめた。あとで検死役が調べるだろう。

 石取は、木祠と反対方向を向いた。

 古祠群はまばらな低木に囲まれていて、石取が向く方向の奥には長城の壁がある。


「ってことは、この死体は長城を越えて吹っ飛んできたわけか……もしくは、長城の上で吹き飛ばされたか」


 後者の可能性は高くないだろう、と石取は思った。長城は緩衝地帯にある関所と違って、完全に足利の機関だ。防衛軍務省の重要組織である国境庁が管轄する。長城を通り過ぎるエルフ族ならたくさんいるだろうが、長城の上を歩いている者はいないだろう。外国の防衛設備に不法侵入したということになる。

 再び死骸を確認する。

 衣服以外に着用しているものは、腕輪くらいだ。

 薄汚れているし、罅が入っているが、そこそこ高級品だと勘付く。おそらく銀製だ。森の奥、アーギスラウスという地帯では、銀成分を根っこに含む草が採取できると聞いた。鉱石以外から鉱物が取れるとは夢のような話だが、実際砕石技術が未発達にもかかわらずエルフ族は銀製品を身に着けている。草木を好むエルフに一番身近な金属だ。なんと医薬品にさえ用いられるらしい。


「こりゃ、売ればそれなりの値がつくんじゃねえか。これ、もらっていいか? ああ喋らなくていい。死人に口なし。頷く顔もお前さんにはないわな。沈黙は肯定、ってことで」


 都合が良すぎる解釈で、袖の下に腕輪を隠す。流石に重く、袖がだらんと垂れさがる。

 レイダが戻ってきた。後ろに、レイダよりも重い風格の妖艶な美女と、妖艶というより妖怪じみた中年男がいる。


「これは、ソルベ様。直々のお越しですか」


 石取が低頭する。ソルベ・フラシアトルは見回り役の筆頭で、関所の役人の中でも二番目か三番目くらいに高い立場にいる。一番はもちろん隊長だ。

 いくら死体が出たとはいえソルベが出張るとは思わず、石取はただ頭を下げた。


「石取相模だったか。祠の中に死体があると報告が来た。身元はわかったのか」

「いえ、損壊が激しく……」

「おお、これはこれは。損壊どころではないよ、フラシアトル女史」


 レイダの後ろにいたはずの中年男が、いつの間にか死体を覗き込んでいる。

 レシャスタ第二関所が抱える検死官、木曽清きそきよしだ。本人談では、帝国人とエルフの間にできた混血児……いわゆるハーフエルフだというのだが、ずんぐりした低身長に丸鼻、みごとに後退した頭髪や愛嬌とも奇怪ともとれる大きな眼からはエルフ的要素の欠片も見当たらない。耳も普通だ。いや、ある意味普通ではない。右耳は若いころ性病に罹って自分で切除したとか。検死官としては優秀だが、エルフを騙る汚い中年男として同僚エルフからは散々に嫌われ、普通に接してくれるのはソルベくらいだ。


「このお方も耳がちぎれているね……おや、この腕、何か装飾品を嵌めていた痕があるね。腕輪ですなあ、こりゃ」

「なに……どこへ行ったのだ」

「石取。どこに隠した」

 

 さすがに相棒は、心得ている。

 

「さっきより袖が重くなっているようだが」

「いやほら、盗まれるといけないからですね……貴重な証拠品ですので」


 わざとらしい作り笑いで、ソルベに腕輪を渡す。

 ソルベは腕輪を厳しい目でみつめている。

 石取はレイダを脇で小突いた。


「何も、ソルベ様の前で言わなくてもいいじゃありませんか。あれが金になったら、あんたも誘って一杯奢ろうと思ってたのに」

「馬鹿者。死者の遺留品を横に流した金で、気持ちよく酔えるわけないだろう。恥を知れ」

「耳と心で、恥か。どっちも失ったあの仏さんは、まさしく恥さらしってね」


 石取は、レイダにこの手のジョークが通じないことをたびたび失念する。

 思い出した時には胸ぐらをつかまれていた。

 

「不謹慎な男だ。そこに直れ!」

「じょ、冗談ですってば」

「死者を涜するようなことをよくも平然と……」

「待てレイダ。石取の言う通りかもしれん」


 ソルベが腕輪を睨みながら、言った。

 レイダが、どういうことですかと、胸ぐらをつかんだまま聞く。


「この腕輪、汚れて見えにくいが、特徴的な刻印がある……おそらくだが、カンペーチェ監獄から脱獄したレジギンガ・ジェイキルコンではないか」

「レジギンガ……強盗殺人犯ですね」


 レイダが憎々し気に吐き捨てる。民族に誇りを持っているため、同族の犯罪者には人一倍厳しい。

 胸ぐらを解放された石取が服を整えつつ、レジギンガの情報を思い出す。

 たしか、病気で欠勤し、養生のため居酒屋『栗鼠の丸焼き』でくすりを飲んでいたとき、脱獄の噂を耳にした。

 カンペーチェ監獄を脱獄し、監獄の近くにあるエルフ商人の宝石倉庫から大量の風属性宝石である翡翠ジェイドを強奪し、倉庫番を殺害して逃走した。これが十日ほど前の話だ。

 カンペーチェ監獄は重罪犯を拘禁する恐怖の施設だ。殺人、強盗、度重なる暴力、卑劣な詐欺行為などを犯した者が入獄する。入獄するのはエルフのみだ。帝国人は、森林内で罪を犯しても、その場で罰せられることはない。関所を通じて、本国で裁きを受ける。

 故に帝国人は監獄の恐ろしさを知らないが、エルフにとっては、カンペーチェ監獄に入獄することは槍衾が敷かれた穴に投げ落とされるようなものだ。監獄内には床を覆いつくすほどのダニと、壁紙の模様と見まごうほどの蛇が蠢いていて、囚人の血を吸い毒を盛るのだという。

 カンペーチェの他に、地下牢獄テスカトリポカというものもあるが、これは森林放火と世界樹に対する損傷行為を犯した場合のみ放り込まれる。森林の恵みと、それを司る世界樹を信仰するエルフ族の中から、そんな大層な反逆者が出たことは、数千年の時の中で数人いるかいないかだ。

 そんな、エルフ文化で実質最高レベルに厳しい徒刑を受けたレジギンガは、レイダに言わせれば『それでも生温いほどの恥知らず』だそうだ。


「誇りも人の心も捨て去った屑だ。こんな死に方をしても仕方ない男だ、この罪人は」

「そこまで言ったら、なんか可哀そうになってきますね」

「この男がしでかしたことを知らないからそう言える」


 レイダとソルベは、一様に苦い顔で腕輪と、木曽が検死を終えた死体を交互に見ている。


「もう、運んでいいよ。この哀れな強盗くんをね」


 自称ハーフエルフの検死官は、特に嫌悪を抱いていないようだ。

 風が吹いて、死臭を運ぶ。少し爽やかな空気になる。昨晩とは大違いの、薫風だ。


「ともかく、この件は詳しく調べなければなるまい」

「どういうことですか」


 ソルベは、関所へ戻る道中レイダに事情を説明する。

 朝早く、長城の不寝番責任者風間忠四郎の名で連絡があり、手紙を見てみると人と思しき飛来物が暴風によって見張りの兵士にぶつかった。もし身元不明の死体が見つかったときに参考にしてくれと、こう書いてあった。


「レジギンガが盗んだのは、大量の翡翠だ。しかも高純度のな。それだけの翡翠と、強力な属性増幅器を用いれば昨晩の暴風を故意に起こすことも可能だと思う」

「ではソルベ様……昨晩の暴風は意識的に引き起こされたと?」

「恐らくな……」

「おのれレジギンガ……罪なき人の命を奪い、財産を奪取し、その上災害までもたらすとは……許せん」


 重々しい話をしているので、軽口をたたいて紛らわそうとした石取が、口を手で押さえる。今度は胸ぐらではなく首を掴まれるところだった。

 石取は石取で、事件について考えることにした。

 考えながら歩いていたら、前方を歩いていたレイダにぶつかった。その衝撃でレイダはソルベにぶつかった。

 ソルベはよろめきもせず、道の外れにある丈の長い草にかこまれたぼろ小屋を睨んでいる。


「何者だ!」


 ソルベが鋭く誰何するのと、石取が地に這いつくばるのはほぼ同時だった。

 石取の頭があった場所を弾丸が飛び去る。外れた弾丸は、木の枝に当たった。折れて回転した枝が草むらを薙いだ。

 小屋の横の、三段積まれた丸太の陰から小太りの男が二発目を狙っている。

 ソルベは何事か唱えると、指先を狙撃者に向けて、透明な小粒を放った。小指の爪程度大きさの氷の欠片だ。

 銃口を氷の欠片で寸分の狂いなく塞ぎ、それに気づかず狙撃手は引き金を引く。

 悲鳴のような金属音と共に銃とそれを握る手が吹き飛んだ。

 小屋の中から四人、鉈や斧を装備したごろつきが飛び出る。この辺りは人通りが少なく、かといって全くないわけでもないため、通りがかりの者の懐や貞操を狙う悪党が巣食っている。

 飛び出て早々、ごろつきの頭分が狼狽する。

 

「げえ、どっかで見た女だと思ったら、関所の女将軍じゃねえか。こりゃ厄介なのに手ぇだしちまった」

「女将軍……そう呼ばれているのか」

「なに、俺っちが勝手に呼んでるだけで」

「この辺りは確かネパルティチカが担当していたな。奴は何をしているのだ、こんな屑を放置しておくとは」

「へへへ、役人相手に喧嘩売るつもりはありませんや。大人しく引き上げます」

「待て! 逃すと思うか」


 叫んだのはレイダだ。

 既に弓に矢をつがえている。弓の達人である母親から譲られた、大層な名のある弓だと、以前石取は聞いていた。弧が二か所、互い違いの三日月型に曲折している。三日月の縁は金色で、三日月の腹には浄水を表す空緻玉ターコイズがはめ込まれている。古書に『それは雲一つなき夏の天空を煮詰めたような』と形容される宝石だ。

 ごろつきの背後の男は、レイダを見て舌打ちし、斧を投げつけようとした。しかし、頭分が止めた。


「相手が悪い。ここは大人しくしようや」

「しかし、あにさ」

「落ち着け。役人殺しは、花屋のガキンチョ犯して殺すのたわけが違うんだ」

「……下種」


 レイダが低い声で呟く。だが、抵抗しない相手に矢を撃ち込むわけにはいかない。

 頭分は恩田静也おんだしずやと名乗った。このあたりは特に決まった呼称が無いが、手入れする人間がおらず草が伸び放題なので近隣住民から『伸び放題の髭』を意味するリュカチェカと呼ばれている。

 恩田は観念した様子だったが、木曽が引く台車に寝かされている死体に目をつけた。


「だれか殺ったんですか」

「……」

「へへ、石取の旦那ぁ、どうなんです」

「昨日の嵐の犠牲者だ。馴れ馴れしく触んな」

「お前、知り合いなのか、この下種男と」


 石取は曖昧に頷く。まごうことなき悪党だが、役人を畏れ敬う気持ちがあるので、ときどき悪事を見逃す代わりに情報や金をせびっている。ソルベの手前、金のことは言わず情報とだけ言った。


「兄さ。この死体、どっかで見た覚えがねえか」

「言われてみりゃ、確かにな」

「馬鹿なことを言うな。見事に顔が潰れてんじゃねえか。てめえらにわかってたまるかよ」


 石取は鼻で笑ったが、恩田は首をひねるばかり。保身のためのでまかせ、というわけではないようだ。

 ソルベが、例の腕輪を見せた。何か思い出すかと考えたのだ。

 恩田が、あっと声を出して自分の腕をぴしゃりと叩いた。


「先日、このエルフ野郎を一日泊めてやりましたぜ」

「な……いつのことだ、それは」

「四日前の夜で。朝起きたらもういなくなってやした……その腕輪を、しきりに見せびらかしてましてね。いかにも高慢ちきなエルフ野郎でした。おっと、失礼」


 失言にレイダの怒気が増す。

 ソルベが、恩田に近寄った。恩田は薄笑いを浮かべて、後退した。笑ったのは妖艶な美人に近寄られたからで、後退したのは妖艶さ以上の覇気に気圧されたからだ。


「名乗ったか」

「へえ」

「なんと名乗った」

「へへ……それはまあ、そこの弓使いのお嬢さまを宥めてくださるんなら、お教えしましょう」

「通行人を射殺し懐中を狙う悪党を見逃せ、と言うのか」

「多分、それより酷い悪事をはたらいてますぜ、そいつは」


 どうやら本当に事情を知っている様子だ。ソルベは少し逡巡して、レイダに弓を引けと命じた。

 不満そうな顔をして、従った。


「そいつぁレジギンガ・ジェイキリコンと名乗ってやした。脱獄してきた、とも」

「ふむ」

「脱獄したてで金はねえが、悪党のよしみで一晩だけ泊めてくれって言ったんで、寝床を分けてやったんで。嫌な野郎ですが、流石にエルフだ。森ん中で獣を狩って夕飯の具を豪勢にしてくれたんで、弟分も納得したってわけで」


 これも、報告と一致する。レジギンガはイノシシ狩りを主にする狩人集落の出身で、やはり弓の腕は相当なものだったそうだ。


「他に何か、言うことはあるか」

「ええありますとも。こいつ、連れがいやした」

「一人ではなかったのか」

「ええ。逃亡中に道連れになった、って言ってやしたがねえ」

「名は」

「さあてそこまでは。レジギンガと違って無口不愛想なやつでしたよ。それに用心深い。ただの善良なエルフじゃねえのは確かでさあ」

「なるほど……」


 連れは男で、三十代後半だろうということだ。

 ソルベが、厳然と恩田に告げる。


「約束は約束だ。今回は見逃すが、今後無法行為を起こしたら容赦なく捕らえる。悪事が染みついた貴様らには余計な節介だろうがな」

「そうですか。じゃ、ごめんなすって」


 恩田は小屋に引き上げていった。

 積まれた丸太の裏を調べた弟分が、大声で叫ぶ。


「兄さ! 手ぇ吹っ飛んで死んでますよ!」

「適当に埋めとけ! 手向けの花はねえが、雑草なら厄介なほどあらあな」


 そんな会話が、徐々に後ろに遠ざかっていく。

 レイダは憤懣を持て余している。


「あのような悪党を見逃すなど……よろしいのですか、ソルベ様!」

「仕方あるまい」

「いきなり発砲するなど……ソルベ様が叫んだお陰で石取は命拾いしましたが、一歩間違えば死んでいた。とんでもない者共だ」

「その石取だが、どこへ行った」


 ソルベの言葉に見回してみれば、姿が見当たらない。

 まったくあの男は……と、より憤懣が溜まる。相棒などと気安く呼ぶくせに、連携すらとろうとしないのだ。

 レイダの歯噛みをよそに、石取は恩田の小屋へ引き返していた。

 弟分が丈の長い草を刈り取って、藁糸で束ねて地面に差している。いちおう鎮魂花のつもりなのだろう。

 石取に気づいた。


「まだ、用ですか」

「まあな」

「兄さ!」


 弟分の呼び声に恩田が小屋から出てくる。

 石取を見て、おやという顔をした。


「何か聞き忘れたことでも?」

「俺を舐めちゃいけねえぜ。俺は相棒やソルベ様と違っておめえ達のことをよく知ってんだ。恩田静也ってのは、夕飯くらいで小屋を貸すほど甘い男じゃねえ。その夕飯に薬を盛って、身ぐるみ剥ぐくらいはやりかねねえ」

「こりゃまた随分買いかぶられてますねえ」


 恩田の顔が、引きつった。

 にやにや笑いの下で、わずかに顎をしゃくる。

 背後で弟分が、丸太を掲げて振り下ろそうとしている。当たれば頭蓋が潰れて脳漿が吹き散るだろう。

 石取は無造作に、携帯していた銃を抜いて脇の下から放つ。後ろを見もせずに、だ。

 帝都の偉大な工匠が手掛けたという、最高級の片手銃だ。辺境の小役人が携帯する代物ではない。

 丸太が地面に転がった。

 うめき声が聞こえる。銃声を聞きつけて、他の弟分が飛び出してきた。


「掘る穴を増やすような真似は、控えてやったぜ。この意味、おめえならわかるだろ」

「ええ、感謝しやす。てめえら、一切手ぇ出すんじゃねえ!」


 銃弾は、弟分の膝を砕いた。歩行が生涯不自由になるだろうが、命に別状はないはずだ。


「宿泊費に、何を置いてった? 俺の予想じゃ、翡翠だと思うんだが」

「旦那にはかなわねえな。ええ、そうですよ。売ればこんな稼業やめるだけの金になるんですが、なにせ盗品でしょ。捌き方に苦悩してたんでさ」

「じゃあ、その苦悩の種は俺が預かっていく。感謝しろよな」

「ぐぇ、丸ごとですかい。すこしくれえ残してってくださいよ」

「馬鹿。盗まれたもんは、持ち主に帰すのが道徳ってもんだろ。おめえらが持ってる道理はねえよ」

「まさか旦那……そうか、売るんじゃなくて持ち主に帰すんですね」


 返すだけでなく、もちろん礼金をせしめるのだ。

 完全な悪事で大金を稼ぐのではなく、ちまちまこつこつ、河原の石を拾うように地道に稼ぐ。それが石取のやり方だった。


「旦那もやりますねえ。まあ、仕方ねえからもっていってください」

「居酒屋のつけと、賭場の借金と、今度の宴会費を捻出して余ったら、おめえらにも礼をしてやるよ」

「期待せずに待ってます……んじゃ」


 けが人を小屋に引きずり込んで、恩田が小屋に消える。窓から麻袋が投げ出された。

 中には大粒の翡翠が十三粒入っている。これだけで、魔術の素養なき者が竜巻を起こせるレベルだ。

 関所へ帰る途中、暴風の爪痕を見た。

 屋根が吹き飛んだ家の玄関前で、泣き叫んでいる未亡人がいる。旦那を亡くしたか、行方不明なんだろうなとなんとなく想像をつけた。

 そういう被害者の側を通り過ぎるたびに、非難の視線を向けられる。

 なぜ助けてくれないんだ、あんたはお上の人間だろう、と。小さい声で、小金をむしりとるだけとって、困ってるときには何の助けにもならないんだから、と陰口をたたく者もいる。


「風をひっ捕まえるわけにもいかねえだろ」


 小声で弁解する。

 しかし、その風が人為的に起こされた疑いが濃いのだ。

 もはやテロ行為だ。脇街道のレシャスタ第二関所だけの問題ではなく、第一関所やマルフレカ街道の関所、それにマルフレカ本国と帝国さえ巻き込むことになる。暴風の被害者の多くはエルフだし、エルフ族が大切に守る森も損害を受けた。そして、風向きから考えて、翡翠がその能力を発揮したのは長城の向こう側、帝国領だ。その翡翠を盗んだのはエルフの脱獄犯で、盗まれたのはエルフの豪商。国際問題に発展する可能性すらある。

 とても、小役人風情がどうこうする話ではない。

 どうにもいたたまれない気持ちになる。同情とか正義感とか、そういう感情は左遷前の職場に置き去ってきたはずだ。

 やがて、思い当たる。これは同情でも正義感でもなく、後ろめたいというやつだ。


「まあ、俺にできることなんて汚い金をかき集めることくらいだ。多少集まったら、寄付でもすっか」


 言い訳のように呟いて、足取りを早める。その腰に、拳銃と括りつけた翡翠入りの麻袋が揺れている。

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