関所役人の袖の下

大魔王ダリア

第1話 暴風夜の長城

 鳥瞰すれば、広漠な森林地帯の端っこに、ハンカチの縫い目のような茶色い線が細長く伸びているように見えるだろう。

 日ノ本族の名門が統治する足利あしかが帝国と、エルフ族中心の国家が散在するシェルケータ大森林の国境に添った長城だ。

 古来、国境防衛の手段として長城を設けることは珍しくない。とてつもない労力を要する割にあまり防衛効果は期待できなかったりするのだが、それでも作られた。というか、建造期間中にとあるエルフの魔法薬研究者が一時的に生身の人間を浮遊、飛行可能にする薬を開発したのでほぼ意味をなさなくなったのだが、それでも工事は続いた。その時には予定の六割ほど完成していて後に引けなかったのだ。

 世界各地、大小長短さまざまな規模で造られた国境の長城だが、この長城には類を見ない特色がある。木製であることだ。留め具の一部に金属や強化粘土が用いられるが、他は全て木材、もしくは草の繊維材が用いられている。

 夕方、やけに長い凪だった。それが、陽が落ちるや否や強風に変わり、壁板から柱、天井を支える梁までぎしぎしと軋ませる。

 よほどの巨漢でなければ、宙に浮いて吹き飛ばされるほどの暴風だ。雨が無いのが救いといえば救いだ。しかし、木の葉や木屑や、人家から飛ばされたバケツやビニールシートが飛び交っている。

 今晩、長城の上に立つ見張り番は、そういった事情から『よほどの巨漢』が選ばれた。

 巨漢は巨漢だが、筋骨隆々ではなく、超肥満体の方だ。

 ぶっくりした下半身を引きずるように、のっそりと長城の上を徘徊する。

 越境者がいても、この男に止める能力はない。しかし、なんなら風に乗って越境できそうなこの悪天候のもとで、地に足付けて見回りができる体重の持ち主が彼だけだったのだ。


「鳥になりたい」


 分厚い唇から、絵空事を溢す。

 彼を風に乗せるには、鳥ではなく竜の翼が必要だろう。

 しかし、酷い風だ。環境汚染が引き起こす異常気象と言えばそうなのだろうが、しかしこの風はあまりにおかしい。

 息を吸おうとすると、吸引力と風速が拮抗して、なかなか肺に入ってくれない。

 噂によると、エルフの資産家が所有する属性宝石ジュエル倉庫に強盗が押し入り、風属性の力が濃密に込められた翡翠ジェイドを大量に盗んでいったらしい。噂を耳にした時は金目当てだろうと思ったのだが、本当はこの暴風を引き起こすためだったのではないか。


「ま、まあ、どうでもいいよな」


 肥満男はできるだけ風上を見ないように見回った。風上から飛んでくる物が目に刺さりでもしたら大けがをする。体ならまあ、痛いが脂肪のお陰で血が流れる程度で済む。天然の鎧とはよく言ったものだ。下級兵士に支給される安っぽい胴鎧よりよっぽど頼りになる。

 大抵飛んでくるのは枝とかバケツとか、危険なものだとはがれた屋根板などだ。きっとその家は数日間雨漏りに苦しむだろう。森の近辺の家宅は、日ノ本族もエルフ族も区別なく木造だ。

 それに、見間違いでなければ、さっき五メートルくらい頭上をヤギが飛んでいった。飛行薬を飲んだのでなければ、哀れな暴風の被害者なのだろう。

 ヤギに黙祷をささげて、詰め所に戻ろうとする。

 一際巨大なものが飛んできた。それは肥満男の脇腹に突撃し、男はバランスを崩して転ぶ。鎧を着用していなければ内臓が損傷したであろう、物凄い衝撃だった。肋が折れている気がする。

 

「な、なんなんだよう」


 ぶつくさ言いながら、長城の縁欄に引っかかっている飛来物を蹴たぐる。

 蹴ろうとしてあげた足は、そのまま止まった。

 飛来物は、人だ。しかも、死んでいる。

 肥満男は、吃驚と体重が邪魔をして立てず、体を引きずりつつ詰め所に戻る。

 城内に下る階段の脇で、不寝番の同僚が夜食を食っている。


「うお、負けた」

「ほら、言った通りだろ。途中で転倒して、立ち上がれずに這って戻ってくるって。賭けは俺のひとり勝ちだな」

「ったく、五十銭だったか」

「ああ、貸しはなしだぜ」

「わーってる。それより、起き上がるのに手ぇ貸してやれよ」


 彼の肥満体を揶揄うのは日常茶飯事で、べつに虐めとかそういうわけではない。女っ気がなく、出世コースとも縁遠い長城の番役には、中央の巨大役所にはない和気藹々とした長閑な雰囲気がある。

 同僚は、やがて肥満男の異変に気付いた。


「さ、佐川さがわ、何か異変があったのか?」

「あ、あふ、ひ、いひ、ひと、ひとと、ひが」

「おい、しっかりしろ! 人が、どうした⁉」

「と、飛んできて、飛んで、し、死んで……」

「何だって」


 勢いよく飛び出そうとした二人が、危うく飛ばされそうになる。

 先ほどよりも格段に風速が増している。これではとても見に行くことはできない。長城の扉が襖のようなスライド式だから良かったが、エルフ風の引き戸だったら閉められないところだった。


「これじゃあとても確認できないな」


 今夜の不寝番の責任者である風間忠四郎かざまちゅうしろうがぼやいた。熱々のコーヒーのせいで火傷したばかりで、舌先を丸めたり前歯で噛んだりしている。

 部下はそれぞれ顔を見合わせている。


「しかし、人が飛んできたのが本当なら、早くいかないと飛ばされていきますよ」

「もう飛ばされてるだろ。それに、いま出てったって死体が増えるだけだ」

「それはそうですけど」

「それより佐川の手当をしてやれ。俺は、報告内容を考えとく。明日暴風が止んでたら、関所の奴らの手を借りて探してもらうさ」


 風間はそう言うと、先が丸まった鉛筆で報告書を書き始める。

 関所というのは、長城よりさらに内側にある森林内で、足利帝国人とエルフたち双方の通行を監視する施設だ。

 そもそも、エルフ族の共通意識として、足利帝国は森林土着の民ではないため森林資源の採取を認めない。神聖な森を穢す奴らだ、と考えている。森林資源をめぐって帝国とエルフの国家ないし共同体は幾度も戦争を繰り返した。

 歴史の中で、長い事いがみあっていたその合間に、この長城も建造されたのだ。

 しかし、転機が訪れた。それも両国間の転機ではなく、惑星レベルでの転機だ。

 足利帝国やシェルケータ大森林があるシムラクルム大陸は巻き込まれていないが、南方のバルフレア巨大陸と南東のカリブ海洋地帯、更にその他二大陸を巻き込んだ世界大戦が終結したのだ。

 散々大地と海と空と国家と人心を痛めつけた空前の大戦争は、世界的な最低限の決め事を作ろうという意識を生み出した。

 グロティウス二世主導の元、『国際法ゼノコード』が締結され、戦争に直接関係のないシムラクルム大陸の主権体にも批准を求められた。

 足利帝国は、比較的簡単に同意した。一方、閉鎖的なエルフ族は猛反発した。エルフ族たちは、自分たちは国家ではなくただの共同体であり、民族であるから、国家間を拘束する法にも条約にも批准しない、と主張した。

 その後また色々あったが、結局世界的な圧力には負け、また森林の魔物が凶暴化してきてそちらの対処のための支援物資を都合してほしいというニーズもあり、長らく保ってきた鎖国政策を転換した。

 さて、その国際法が森林の関所とどう関係するのかというと、ズバリ国境問題と資源についてである。

 エルフ族はシェルケータ大森林そのものがエルフ族その他土着の種族の領土だとして、それ以外の土地分割概念が希薄だった。

 国際法において、国家の領土を侵犯していると見做すためには厳密な国境が必要だが、森林にはそれがなかった。帝国と森林の間に丁度国境に相応しい建造物、つまり長城があったので、それを国境と定めたわけだが、森林の端に作たために資源が確保できる範囲が極めて狭い。

 そこで、帝国は土地の知識に疎いエルフたちを丸め込んで緩衝地帯を設けた。ここでは、帝国人とエルフが共生し、互いの理解と協力のもと物資交換を行う。帝国人は豊かな森林資源を獲得し、またエルフ族独自の魔法技術を教授してもらう。エルフたちは鎖国で遅れた世界情勢や、交易路の開拓の補佐などを受ける。これが認められたのは、帝国が提示した追加条件の功績だ。その条件は、緩衝地帯を認めれば帝国が預かる全てのエルフ族捕虜を解放するというもの。

 気位の高いエルフ族との対立は完全になくなったわけではないが、両者は一応友好国になった。エルフたちも国際情勢を鑑みて国家を樹立し、現在三つの大国が森林内に存在する。

 その緩衝地帯の交通、治安維持、警備巡回や揉め事の解決など警察行為を担うのが関所の役割だ。ただの門ではないのだ。本来は『森林警備隊』と呼ばれるのだが、やはり国境付近で互いの出入国を見張る役目が一番重いので、関所と呼ばれる。

 

「こんなもんでいいか。後はレシャスタの連中に任せるとしよう」


 風間は鉛筆を机上に放り、書き上げた報告書と関所への連絡所に押印して引き出しの中に放り込んだ。

 周囲を見ると、部下はみな眠りこけている。不寝番とは何だろうか。

 まあ、起きていてもやることはない。なら、寝るしかない。

 風間も大あくびをするや否や、睡眠の渦に身を投じた。

 暴風は未だ止まない。

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