第32話 そこまで望んでない

「な、何なんだ、一体!?」


 ムートー子爵は外の様子がどんなものかはわかっていないので、いきなりイーサンに怒りをぶつけられて困惑している。

 窓の外を見ると玄関に向かって、大勢の人間を引き連れて誰かが歩いてくるのが見えた。


「リアム様?」


 まだ少し遠いから、はっきりとはわからないけれど、先頭を歩いている人物がリアム様のような気がして窓に手を当てて呟くと、ムートー子爵が声を上げた。


「な、なんだって!?」

「クレア、君は窓の外を見ておいてくれ」

「え?」


 イーサンに優しく肩を叩かれて聞き返すと、彼は私に笑みを見せたあと、すぐにムートー子爵とノマド男爵の方に振り返った。

 イーサンには外を見ておけと言われたけれど、彼の事が気になってしまい、そのままイーサンに視線を向けてしまう。


「俺は自分が傷付けられたり、嫌な事を言われたりするのは気にならない。だって、そいつの考えと合わないだけだからだ。だけど、相手の事をなんにも知らない人間に大事な人の事を悪く言われたり、傷付けたりされるのは大嫌いだ」


 イーサンはムートー子爵とノマド男爵に一気に近付いたかと思うと問いかける。


「お前たちは右利きだよな?」

 

 イーサンの殺気に圧されて声が出せないのか、無言で頷く2人の左手首をつかむと、イーサンは言葉を続ける。


「これからお前らは捕まって、色んな調書を書かされる事になるだろうから、優しさとして左の手首にしておいてやる」


 そう言うと、彼らが何か言う前にイーサンは彼らの左手首を握りしめた。

 ボキボキという骨の音が聞こえて、思わず声を上げないように口をおおった。

 けれど、声を出しても大丈夫だっただろうと思った。


「ぎゃああああっ! て、手がっ!」

「ああああ! なんて事をするんだ!」


 ムートー子爵とノマド男爵が絶叫したからだ。

 骨を折られたからか、ぶらりと垂れてしまった左手を右手で支えながら、2人は涙目で訴える。


「酷い! 酷すぎるだろう!」

「そうだ! 大体、俺はジュード卿には何もしていないんだぞ!」


 抗議するノマド男爵に、イーサンが冷たい声で言う。


「何もしていないだと? 俺の大事な友人の奥様に悲しい思いをさせたんだろう? しかも実の親なのに! 友人の大事な人は俺にとっても大事な人だ。リアムがヤキモチを妬くから、アイリス様とはお友達にはなれないけれど、大事な人に変わりはない。それに、クレアも巻き込んだ」

「俺はアイデアをムートー子爵に売っただけですよ! クレア様には何も!」


 ノマド男爵は媚びる事に決めたのか、敬語をつかい始めた。

 けれど、イーサンはそんな事は気にする様子もない。


「お前がそんな馬鹿な事を考えなければ、アイリス様もクレアも嫌な思いをしなくてすんだんだ。それくらいですんだ事をありがたいと思え。後は」

「僕が引き継ぐよ」


 イーサンの言葉を引き継いだのは、リアム様だった。

 笑顔を見せてはいるけれど、目は笑っていない。


「久しぶりですね、ノマド男爵」

「……」


 リアム様が現れると、ノマド男爵は焦った表情になって逃げようとしたけれど、逃げ道はリアム様が連れてきた人達に塞がれていて、すぐに逃げるのを諦めた。


「ムートー子爵も、うちの妻が大変お世話になったようで。妻から話を聞いて、あまりにも腸が煮えくり返ったもので、自らお礼に来させてもらったよ」

「あ、あの、俺は、何も知らなくて、その! 全部あいつです! あいつが悪いんです!」

 

 ムートー子爵は私を指差して続ける。


「あいつが大人しく戻ってきて、うわっ!?」

「あいつとはクレアの事を言ってるのか?」

 

 イーサンがムートー子爵の首をつかんで、彼の身体を近くにあった壁に叩きつけた。


「うわあっ!」


 イーサンが手をはなしたため、ムートー子爵はずるずると壁にそって崩れ落ちる。


「どうしたら学習する。死なないとなおらないのか。それとも俺をなめてるのか? 俺がお前を殺せないとでも?」

「ちち、違います!」


 涙を流しながら首を横に振るムートー子爵に、イーサンが手を伸ばそうとした時だった。


「イーサン、もういい。後はこっちに任せて。ここで人殺しはまずい。使用人も見ているし、何より、クレア嬢がショックを受けるかもしれない」


 リアム様がイーサンを止めてくれて、私の方を心配げに見てきた。

 なので、首を縦に振る。


「イーサン、私はそこまで望んでない」


 そう言うと、イーサンは困った顔をして、ムートー子爵に向かって伸ばそうとしていた手を引っ込めた。

 このまま、彼らは連れて行かれて、もう私とは二度と会う事もないかもしれない。

 だから、やっておきたい事をやっておく事に決めた。


「ムートー子爵」


 近付いていき名前を呼んだあと、しゃがみこんで震えているムートー子爵の顔を思い切りグーで殴った。

 それから、その勢いでノマド男爵にも近付いて、一発お見舞いしてやった。


「本当は一発では足りないけど、あとはリアム様に任せるから」

「任された」


 リアム様はぽんぽんと私の頭を撫でてくれると、周りを取り囲んでいた人達にムートー子爵とノマド男爵を拘束するように指示した。

 

「どうして、俺までつかまるんだ!? 何の関係もないだろう!?」


 叫ぶノマド男爵に、リアム様が背筋がぞくりとするような笑みを浮かべて答える。


「俺はあなたにも用事があるんですよ」


 その笑みを見たノマド男爵は青ざめて言葉をなくした。


「リアムの一人称が俺に変わった時はキレてる時だから、ただではすまないだろうな」


 いつの間にか隣に立っていたイーサンがぽつりと呟いた。

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