第22話 一発殴らせて
「待ってくれ。話を聞いてくれ」
ムートー子爵は私達の方に向かって両手をのばしながら叫ぶ。
好奇の目にさらされるのが嫌なので、イーサンにお願いする。
「イーサン、ムートー子爵を路地裏にお連れして」
「ボコボコにするのか?」
「まだ何も言ってないでしょ。ちょっと話をしたいだけよ」
イーサンはどうもムートー子爵を見たら、ボコボコにするという選択肢しかないような気がする。
前回はムートー子爵が逃げていったから追いかけはしなかったみたいだし、今度は近付いてきても無視するという事を覚えさせなければ。
「わかった。でも」
イーサンはなぜか悲しそうな表情で私を見るから、小さく息を吐いてから彼を見上げて尋ねる。
「何が言いたいの」
「もしかして、クレアはムートー子爵が好きになったのか?」
「イーサン。それだけは絶対にありえないから安心して」
「絶対?」
「そうよ。どんな事があっても、イーサンより好きになる事はないから安心して」
「俺が1番?」
「そこまでは言ってないわよ」
はっきりと否定すると、イーサンはしょぼんとしてしまう。
ああ、これは喜ぶ事を言ってあげないと、いつまでたってもムートー子爵を連れていきそうにない。
「イーサン、私はデートなんて今までした事なかったの。初めてのデートの相手はイーサンなのよ? それって特別よね?」
「俺は特別?」
「そう」
イーサンはぱあっと、花開く様な笑みを浮かべると、私に向かって何度か首を縦に振ってから、後退りするムートー子爵との間合いを一気に詰め、彼のシャツの襟首をつかまえると、叫ばないようにか彼の口をおさえ、ずるずると路地裏にひきずっていった。
「あ、大丈夫ですぅ。知り合いですぅ。吐きそうだって言うんでぇ」
驚いた顔をして見ている通行人達に、私は声色を変えて、いかにもムートー子爵を心配しているような顔で言うと、納得してくれたのか、何も言わずに通り過ぎていってくれた。
「クレア、あんなに可愛い声を出せるんだな」
聞いていたようで、イーサンが目を輝かせて私を見ながら続ける。
「でも、いつもの怖いクレアの声も好きだぞ」
「あなた、私の嫌いなとこあるの?」
「…わからない。たぶん、あったら言ってると思うけど、俺は良いところも悪いところも全部ひっくるめてクレアが好きだからなあ」
「イーサン、あなた、そのセリフも本で学んだの?」
普通なら照れが入るようなセリフをサラッと言うものだから、さすがの私も照れてしまう。
「ん? 正直に答えただけだが? 本にはのってないぞ?」
そう言って、ポケットサイズの本をジャケットのポケットから出して、私に手渡してくれた。
調べたら良いと言いたいんだろうけど、後にしておく。
何より、嘘じゃないだろうから。
というか、イーサンの恋の指南書はポケットサイズまで販売されてるの?
「ありがとう、イーサン」
私がお礼を言うと、イーサンは不思議そうにしたけれど、それどころじゃなかった事を思い出し、つかんでいたままのムートー子爵の襟首から手をはなすと、ムートー子爵はどさりと地面に落ちて尻もちをついた。
「どうするんだ?」
「イーサン、少し話をさせて。ねえ、ムートー子爵、あなたは私にどうしてほしいわけ?」
「戻ってきてくれ! お前がいなくなってから、俺がどれだけお前、いや、クレアに助けてもらっていたか気付いたんだ!」
「あなたねぇ」
私がこめかみをおさえて言葉を返そうとすると、イーサンが尻もちをついていたムートー子爵の襟首をつかみ、今度は立ち上がらせると、店の壁に彼の身体を押しつけた。
「イーサン!」
「クレアを追い出しておいて、よくもそんな事を!」
「反省しています! 今日も滞っている金の支払期限を、もう少し延ばしてもらうために街に出てきたんです! そこでクレアに出会ったのは運命だと思うんです! だからお願いです。クレアを返して下さい。このままでは、ムートー家が没落してしまうんです!」
「勝手な事を言うな」
イーサンがムートー子爵の首を壁におさえつけるのを見て焦る。
戦場でもあるまいし、こんな所で貴族を殺せば、イーサンは罪に問われてしまうし、辺境伯の座だって、どうなるかわからない。
「イーサン、落ち着きなさい」
「クレア! こいつはクレアをバカにしてたんだぞ!? 君を家から追い出したんだ!」
「そうよ。私は彼の家から追い出されたの。だから、イーサンと一緒にいれるのよ?」
「…そうか。でも、こいつにお礼は言いたくない」
イーサンは少し冷静になったのか、力を緩めてから私にふてくされた顔をして言った。
「言わなくていいわよ。ところで、ムートー子爵」
「…?」
「とりあえず、一発殴らせて」
彼の返事を待つ前に、私は先程、イーサンから渡されたポケットサイズの恋愛についての指南書を強く握り、本の角で彼の頭を殴った。
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