第16話 ふざけんな

「イーサン、別に返事は急いでないから! 今度、家に遊びに行くね!」

「来なくていい。迷惑だ」


 今のイーサンに何を言っても無駄だとわかったのか、レーナは笑顔で手を振って、今日のところは大人しく去っていった。

 彼女の背中を見送ってから、イーサンが口を開く。


「あの、クレア、誤解しないでほしいんだが」

「どうしたの?」

「俺と彼女は何の関係もない! それに、先程の令嬢もだが」

「ノマド男爵令嬢の事ね?」

「そう。俺にはクレアしかいない! 最初は可愛い猫みたいに思っていたが、今はクレアの事を人間だと思っている!」

「最初から人間なんだけど…。 っていうか可愛さでいえば、猫のほうが可愛くない? 可愛い猫でいいわ」


 素直に答えを返すと、イーサンはがっくりと肩を落として呟く。


「何が間違ってるんだ?」

「……」


 あなたが読んでる本が明らかに間違っていると思うわ。

 というか、こんな事を言えなんて書いてある本を読んでも、普通の令嬢だってオトせやしないわよ。


 心の中でそう教えてあげてから、イーサンの肩をぽんぽんと叩いて慰める。


「今日はもう疲れたでしょう。家に帰りましょう」

「クレアはもうお腹いっぱいになったのか?」

「そうね」


 あの虫を見てしまったせいか、食欲が吹っ飛んでしまった。

 いや、あの虫は悪くないわよね。

 悪いのはノマド男爵だわ。


 それにしても、リアム様の奥様はあの男の娘らしいけど、すごく性格が悪いのかしら?

 それとも腹黒?


「どうかしたのか?」


 考え込んでいると、イーサンが顔を覗き込んでくるので、彼なら知っているかもしれないと思って聞いてみる。


「イーサンはリアム様の奥様の事を知ってるの?」

「リアムから聞いた奥様の話は知ってる」

「会ってお話した事はないわけね?」

「ああ。リアムから聞いた感じでは、なんか、最初は捨て犬を拾った感じで可愛がってたみたいだけど、今は人間…」

「ちょっと! リアム様の奥様を私と同じ様な扱いにするのは止めなさい!」

「会う事があったら謝る!」

「謝らなくてもいいから、絶対にそんな話をしちゃ駄目よ!」


 イーサンは悪口を言っているつもりではないんだろう。

 もしかしたら、捨て犬を拾ったという表現はリアム様自らが言ったのかもしれない。

 そうなると、さっきの私への猫発言は、リアム様の言葉を応用したものになるけれど…。

 たぶん、いや、絶対にリアム様は奥様が捨て犬から人間になった、とは言ってないと思う。


「あ!!」


 大きな声が聞こえて、後ろを振り返ると、今度はイーサンがまいてきたはずの令嬢の姿が見えた。


 こんな所でモタモタしていたからか、ノマド家にまた捕まってしまう事になった。

 さすがに男爵はいないけれど、彼女は1人ではなく容姿からするに、彼女の母親らしき人物と一緒だった。

 それにしてもノマド家の母と娘、顔は可愛らしいんだけど、中身が残念…。


「あ! いたいた! お母さま! この方です! お父さまにイタズラをして、お父様を泣かせちゃった人です!」

「まあまあ! イタズラを理解してくださる人がいたのね!?」


  きゃーきゃーとイーサンを囲んで2人が話しかける。


「私達のユーモアを理解してくださる方って中々いないんです!」

「本当にそうなんですよ。嫁にいった娘なんて、私達のイタズラは良くない、まったく面白くないなんて言うんですよ」


 それ、当たり前の感覚ですよ。


 と言ってあげたいところだったけど、先にイーサンが言った。


「俺も全く面白くなかったが? 俺のやったイタズラをノマド男爵は楽しがっていたのか?」

「えっと。お父様は怒ってましたけど…。でも、やっぱりイタズラを付き合ってくれるなんて、本当はいい奴かもしれないって…」

「どれだけポジティブ思考なの」


 ついつい口に出してしまうと、母娘は私の方に振り返ると、自分達のドレスの胸元に手を入れたかと思うと、黒い何かを投げつけてきた。


「ひっ!?」


 虫かと思って飛びのいてよく見てみると、床に転がっていたのは虫の形をした作り物だった。


「あっはは! そうそう! そういう反応が見たかったんです!」

「まあまあ、驚かせてごめんなさいね。でも、こうやって楽しめるでしょう?」

「……」


 娘をたしなめる事なく母親の方も一緒になって笑う。


 私は虫が大嫌いだ。

 というより、この虫と毒の持っている虫が大嫌いなのだ。


「ク、クレア」


 イーサンの焦るような声が聞こえたけれど、こっちはブチ切れてるので関係なかった。


「ふざけんな、何がイタズラよ! こんなものただの嫌がらせにすぎないのよ! そんな事もわかんないなら、二度と家から出るな! この常識知らずのクソ親子が!!」


 私の罵声を聞いて、母娘は身を寄せ合って身体を震わせた。

 

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