「世界を救え」とは言わない

 僕は自分の精神を街中に飛ばす。この一体に放ったシェーマと、意識を一つにする。

 シェーマを介して、街のあちこちで何が起きているのか分かった。

 以前助けた兄妹の家が見える。

 子どもの母親が、自分の子どもに詰め寄り、床に散らばったおもちゃを踏みつぶす。天使に意識を奪われているのだろう。

 兄妹は抱き合いながら、壁際に追い詰められる。

 他にも、監視に回しているシェーマ達を介して、この付近の様子を探った。

 僕は絶句する。

 同じような現象が、街中で起きていた。街じゅうで聞こえてくる。子ども達の悲鳴が。見える。天使に追われる人々が。

 祖父母が、親が子を襲い、子どもが親に牙をむく。

 恩師が、恋人が、同僚が暴れ出す。

 近しい人が暴走し、人はなすすべがない。

 軍隊のような武装集団が、天使達の前に立ちはだかった。彼らが次元調査団だろう。人々を避難させ、天使に銃口を向けている。

 しかし、どこまで対応できるのか。

 しかも、手を借りられない子ども達はどうすれば……。



 泡沫の歯車が勝ち誇る。

「人の弱みにつけ込むなんて小細工はしてないんだよね。結構ネガティブな感情は溜まったからさ。こっからは、片っ端から強制的に身体を乗っ取ることにしたから」

「なんだと」

「この世界は、もうすぐ終わるから。神様でもない限り、マニフィカトの侵攻を止めることはできない。この地域の愚民共は滅びるべき、そうすべき」

 世界が絶望する様を想像しているのか、泡の歯車はニタリと笑う。

「お前だってそう思っているのだろ? 愚民共に世界を汚されて、憂いているはずさ。やっぱ世界は滅びるべきだ。それとも、この魔法使いのように、すべての力をすり減らし、世界を守ろうとあがくっての?」

 ヒカルに視線を向けて、泡沫の歯車はほくそ笑む。

 突然、ヒカルが手をかざす。ヒカルの頭上に、特大のハートが浮かび上がった。

「何をする気だ?」

「デピュレーションを拡散させる。世界中に霊磁力をばらまいて、天使達を止めるんだ!」

「よせ! いまここで必殺技を使ったら、こいつを倒す切り札がなくなるぞ!」

「街を浄化できるのは、わたしだけだもん!」

「お前は気にするな、ちゃんと考えがある。だからお前はどこかで身を隠せ!」

「無理だよ! ほっとけない!」

 瞳にいっぱいの涙を溜めて、ヒカルは大声を上げる。

 こんな感情的になったヒカルを見たのは、初めてだ。

「僕達は、お前を戦わせないために、今まで動いていたんだ」

「だからって、何もしないわけにはいかないよ! わたしには守りたい人がたくさんいるんだもん!」

 ヒカルが声を出す度に、ハートが拡大していく。

「いいんだ。そういうのも全部含めて、僕が面倒を見るって決めたんだ。お前は、自分の幸せだけ考えて――」

「わたしだって、自分の幸せだけ考えていたいよ!」

 ヒカルは涙声で叫んだ。

「でも、この世界にはまだ泣いてる人がいて、苦しんでいる人がいる。どこかで誰かが泣いているのに、幸せじゃないのに、わたしだけ幸せになんてなれないよ!」

 僕は、涙ながらに語るヒカルの言葉に、納得した。

 そうだよな、お前ってそういう奴だったよな。

「ヒカル、僕は昔から、お前のそういう所がな……大嫌いだったんだ!」

 僕の発言に脚気に取られたのか、ヒカルの涙が唐突に引っ込む。

「いつもいつも自分を押さえ込んで、人の顔色ばかり伺って! お前は自分の幸せだけ考えていればいいんだよ! 邪魔な要素は、全部僕が取り除いてやるっていつも思っているのに! もっとワガママになっていいんだよ!」

 僕の言葉を聞きながら、ヒカルはワナワナと顔を歪ませた。

「ひどいよ。三郎くんだっていっつも本当の気持ちを聞かせてくれなかったじゃん! どうして今頃になってそんなこと言うかなあ!?」

 一度死を覚悟して吹っ切れたのか、ヒカルも容赦なく僕に罵声を浴びせてくる。

「やかましい、この自己犠牲主義者!」

「ほっといてよ、この分からず屋! にぶちん!」

「分からず屋はどっちだ!」

「三郎くんはわたしのこと、なんにも分かってないじゃん!」

「口に出さないからだろ!」

「言ってもん! なのに、いっつも三郎君の方がはぐらかすじゃん!」

 僕とヒカルは、終わりなき口論に明け暮れた。

「あのさ、二人ともいつまでイチャついてんの?」

 僕達の口論を、三菜子が冷徹に遮る。

 熱を失い、僕は段々と顔が熱くなってきた。

「初めてだな、こんなにもケンカしたの」

 顔の熱をヒカルに悟られまいと、話題をそらす。

「うん、そうだね」

 清々しい顔に戻ったヒカルが、花のような笑顔を僕に向けてきた。

 更に僕の体温が上がる。とはいえ、頭は冷静になった。僕にあるアイデアが浮かぶ。

「僕に考えがある。この場は預からせて欲しい」

「三郎くん、いいの?」

「ああ。僕に任せろ、ヒカル」

 僕が言うと、ヒカルは安心した顔になった。かざしていた手を解く。

 空を覆い尽くしていたハート型の霊磁力が、霧散する。

「へえ、アンタも魔法少女の肩を持つの?」と、泡沫の歯車は煽ってきた。

 首を振って、僕は言葉を放つ。

「僕は、世界平和になんか興味はないよ」

 僕の言葉に、悲痛な面持ちでヒカルは俯いた。

「だってそうだろ、僕には守りたい世界なんかない。そういうのは、守りたい者がある者達がやるべきだ。僕がしゃしゃり出て、世界を救いましたなんて言ったって、誰も納得しない。僕も嬉しくないよ」

「へっ、だったら――」

「だが、世界の殲滅には賛成できないな。僕は人間の自由をこの手で掴む!」

 銀色に濁った空に向けて、僕は高々と腕を伸ばす。

 僕はヒカルに自由を提供しようとした。もう戦わなくてもいい、と。

 でも、ヒカルは拒否した。弱い人のために、彼女は戦うことを選んだ。自分が犠牲になるべきだと。

 マニフィカトの狙いは、ヒカルが誰かのために動いて、霊磁力を摩耗する状況を作り出すことだ。事実、今もヒカルを精神的に追い詰めている。

 だったら、答えは一つじゃないか。ヒカルがやろうとしていたことを、僕がやればいい。

 手のひらから、自分が鍛えてきたパワーを、ほとんど放出させた。

 僕と三菜子が、一つの身体から離れていく。力を全て外に放出し尽くしたのである。

「ふ……ふ、はっははは! バッカじゃねーの!? 世界を手に入れてやるって言って、自分から力を放出してやんの! 敗北宣言じゃん! まさにお手上げって感じ!」

 笑いすぎて、泡沫の歯車が腹を抱えて悶絶した。

「無駄だって。たとえお前が全部の力を注いでボク達を排除しようと、マニフィカトは無限に溢れ続ける。世界はマニフィカトのものなんだよ」

「そうかな?」

 僕は、突き上げた手を下ろす。ほぼ全部の力を放ったので、脚がふらついた。

「強がらなくていいって。そんな霊磁力を失った身体で、何をするって言うのかな?」

 勝利を確信したような笑みを浮かべ、歯車は首を鳴らす。

「降参しちゃいなよ。滅びは止められないっての」

「いや、止められるさ。なぜなら……」

「世迷い言を……なあ!?」

 歯車の背後で、大爆発が起きた。

 爆心地では、数百を超えるマニフィカトが、アクション映画のように吹っ飛んだ。

「ああ、何事?」

「大変です。あちこちでシェーマと契約した者達が暴れ回ってます!」

「シェーマだと!?」

 歯車が後ろを振り返る。

 街の至る所に、希望の光が幾本も立ち上っていた。黄金の光柱は人の形を取り、絶望で染まった街を浄化していく。

「我々が守備していた拠点もすべて、あっという間に壊滅しました! 奇妙な力により、再生の目処は立ちません!」

「再生できないとか、どういう……そうか、浄化能力だと」

 泡沫の歯車が、ギリギリと音がするほどに歯噛みする。

「貴様……何をした!?」

「何って、僕の力を一時的に、街の住人に分け与えたんだ」

 黒い歯車は、未だ僕の言葉を理解できない様子だ。



 今まさに、都市じゅうにシェーマが溢れ、人々に呼びかけているところだ。

 僕が助けた少年は、ブレスレットを変身ツールとして武装し、天使を殴って追い払う。

 少年だけではない。シェーマの呼びかけに応じた人々が、自分の望む姿となって、マニフィカトに立ちはだかる。

 ある少年は、自分の妄想を働かせ、未知の力を宿した右腕を振るう。

 とある少女はシェーマそのものを使役する。少女に操られたオオカミ型シェーマが、口から火炎を吐く。

 あるサラリーマンは、あこがれの人型ロボットを駆って、大型機動ライフルを放つ。

 ある学生は、ゲーム端末から魔法少女ヒロインを引っ張り出して、天使と戦わせている。って、あれ鴻上じゃないか!

 先導したのは、僕と三菜子だ。各々の意識を拡散し、この街に飛ばした。相手に応じて、呼びかける担当を変えて。

 彼らに向かって、僕はこう言ったのである。

「世界を救えとは言わない。誰かを守りたいなら、僕の手を取れ」と。

 どうやら、何人かは僕の呼びかけに応えてくれたようだ。

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