おかあさん
後日の夕刻。階段の踊り場で、三菜子が靴を履く。バルカンファイバー製のトランクを脇に置いて。
「どうしても、一人で行くのか?」
二階の廊下から、僕は三菜子に声をかける。
「こうなった以上、キミらに迷惑はかけられないよ。ワタシがここにいれば、この家の者に迷惑が掛かる。それだけは避けたい」
三菜子が、家族に黙って出て行こうとしている。
「ワタシの
「お前が犠牲になる必要なんてないだろ!」
「ヒカルを失う心配もない」
「だからって!」
引き留めようとする僕に、三菜子は微笑む。死を覚悟している顔で。
「他のみんなには黙って出て行くと?」
「……うまく言っておいてくれたまえ」
ローファーを履き、三菜子は玄関のドアに手をかけた。
「あら、どうしたの三菜子ちゃん?」
何事かと、母親がキッチンから顔を出す。エプロンで手を拭きながら、玄関に向かって歩いてくる。
「今まで、お世話になりました」
バッグを手に取る三菜子は、悲しげな表情を浮かべていた。
「ここが嫌になっちゃった?」
刺激しまいと思ってか、イタズラっぽく、母が尋ねる。
三菜子は微笑んで、首を振った。
「ワタシがいると皆さんのご迷惑になります。だから出て行きます」
「そう。それで、今晩何が食べたい?」
母は、いつもと変わらず、三菜子に問いかける。
笑顔を引きつらせ、三菜子が首をかしげた。出て行くと言っているのに、どうしてそんな事を聞くのだろう、と。
「え? ワタシ、今まで嘘をついていたんですよ?」
「分かってます」
いつもの柔和な表情を閉じ込めて、母は強めに言葉を放つ。
ピリッと空気が張り詰める。
「どう、いう、事でしょう?」
「だって三菜子ちゃん、妹の写真を見ても、何の反応も示さなかったんだもの」
母が、食卓にある写真立てを手に取った。
「妹って? その写真はお二方の――」
「これは、妹夫婦の写真よ」
母の言葉が、三菜子の耳に突き刺さる。
意外な言葉が返ってきて、三菜子が呆気にとられ、言葉を失う。
そうなのだ。僕の両親は、叔父夫婦とうり二つである。
父と叔父は双子だった。
また、叔父母と叔父の奥さんも、双子同士なのだ。
父も母も、はじめから三菜子が叔父の子供ではないと、気づいていた。
「僕も、三菜子がいつ気づくかと思っていたけど」
案の定、三菜子は最後まで気づかなった。情報は瞬時に集められても、僕達の心理までは読めなかったのだろう。
「それが分かっていて、ワタシをここに置いていてくれたのですね。だとしたら、ワタシはとんだ卑怯者です」
言いながら、三菜子は自分をあざ笑う。
「どうしてそう思うの?」
「出生を偽って、図々しく居座って、ご飯までいただいて。それだけじゃない。あなたの大切な家族の名を騙った」
「何を言ってるの? あなたの帰る場所はここです」
曇っていた三菜子の瞳が、輝きを少しずつ取り戻していく。けれど、まだ自分が嘘をついていたことを引きずっているようだ。
「なぜ、こんなワタシを?」
「だって、三菜子ちゃんはお母さん達の家族なんだもん」
三菜子の隣に座り、母は語りはじめる。
「お母さんは、あなたを追い出したくて、こんな話をしてるんじゃないの。お母さんね、あなたがウチに来てくれたとき、嬉しかった。妹が帰ってきたみたいで。私に娘が生まれたら、こんな感じなんだろうなって」
段差に腰を下ろし、母は足を投げ出す。
「でもワタシは、あなたを裏切ってしまった」
「裏切ってなんかいないわ」
普段の暖かな表情へと戻り、母が三菜子を抱き寄せた。
「あなたはウチの子よ。だから、いなくなるなんて言わないで。そうでしょ、三郎?」
「そうだよ。お前は僕達の家族だ。放っておけるか」
言ってはみたが、何も三菜子に同情しているわけではない。
僕は、コイツも犠牲にしない策があると確信している。思いつかないだけで。
なのに世界は、三菜子やヒカル達を追い詰める。誰かを犠牲にしたくて溜まらないといった風に。周囲は彼女たちを背水の陣へと導く。死ねと、人身御供になれと。
その思惑に乗せられていることが許せなくて、僕は腹が立つ。マニフィカトの思い通りには、絶対にさせない。
必ず、誰も誰も犠牲などさせるものか。
「それに、両親を守ってくれていたしな」
「知ってたの? 誰にも話していないのに」
「同じ血が流れているんだ。僕が分からないわけないだろ」
半分当てずっぽうだった。しかし、三菜子ならそれくらいはするだ。僕が三菜子でも同じことをしていただろう。
「許してくれるのかい?」
「母さんは初めから、お前を無条件で招いてくれただろ? それが答えだよ」
「お、かあ、さん」
そう呼んでいいのか分からない、そんな口調で、怖々とした口調だった。それでも、言葉は三菜子の口を突いて出た。母に感謝するように。
人間の愛情が、追放された神を救うとは。
「お願い、三菜子ちゃん。本当に事を言ってちょうだい。こんな時間にどこへ行くの? 大変な事なの? お母さんでも解決できない?」
「どうもしないよ、母さん」と、僕は一階へ降りる。
「三郎、ついて来るなってあれほど」
「ヒカルが困ってるんだ。ちょっと人助けに出かけてくる」
「そう、ヒカルちゃん、大変そうだものね」
どうやら、母は信じてくれたようだ。
「そうなんだ。相手が、ちょっと手が付けられない奴でさ。母さんに心配かけたくないから、三菜子は強がっているだけさ。僕が一緒に行くから、安心して待っててよ」
「わかったわ。お夕飯までには帰るのよ」
母が、段差から立ち上がる。
「それはそうと三菜子、夕飯は何がいい?」
三菜子は裾が汚れるのも構わず、口を開く。
「焼き肉!」
◇
翌日、経過報告のため、『こうのとり』にて会議を行う。
具体的な解決策は出なかったが。
「対策はあるんだ。耳を貸してもらう」
僕は、天使のボスである【
『……なるほどな。道理でやたらと人前に出てこないわけや』
「数さえいれば、なんとかなりそうじゃのう」
「問題はそこだ。僕達は圧倒的に数が足りない」
このままでは、弱点が分かったとしても、負けてしまうだろう。
「それと話は変わるが、認定こども園はどうにかなりそうだ。新垣駅を調査して、託児所として使えそうなスペースを確保した」
僕の提案をヒカルが聞きつけて、南郷院が資金提供してくれることになった。結局、南郷院に頼る状況になってしまったが。
「ありがとうね。三郎くんって、なんだかんだ言って優しいところあるよね」
無垢な眼差しで、ヒカルは僕を賞賛する。
「僕は優しくなんかない! これ以上天使に食われる奴らを減らそうとしているだけだ」
「けど、バラバラになっちゃったお友達もいるんだよね」
「世界が問題なんじゃない。ずっと一緒になれなくとも仲間は繋がっている」
こども園には、格安のタブレットを支給した。昼休みに使用できるようにして、別の保健所にいる仲間と相互会話できるように。ただ遊ぶためではなく、避難時に連絡網として活躍するとヒカルは提案した。
「僕はいらないって言ったけどな。彼らはそんな配慮をしなくても強く生きていけると」
「だって、お友達と一緒じゃないとかわいそうじゃん」
その一言で、タブレット所有許可を勝手に決まってしまったのだ。
絶対遊ぶに決まっているのに。
「なんだ、なんだ?」
お盆を二つ持った鴻上が、ラーメン四人分を僕達のテーブルに並べる。
「お前のオゴリでラーメン食うのはおいしい、って話していたんだよ」
細かい事情は話していないが、「寝ぼけてヒカルの胸を揉もうとした」と語ると、あっさり鴻上は信じた。
騙したみたいで悪いが、僕達に奢る義理、義務がコイツにはある。
「嬉しいね。四人分はキツいが、しょうがねえか」
「それにしても、今日はバイトが少ないな」
周りを見渡すと、鴻上一家の三人以外は働いている気配がない。
「男子どもが全員デートなんだってよ。まったく、人手が足りないってのに。マジで最近の若い奴は」
お前も若い奴だろ、という言葉は飲み込んだ。
「まあ、お前がいるだけでも店は回せているみたいだけどな」
奢ってもらっている身なので、できるだけ煽てる。
「だよな! 俺様が分身の術でも使えたら、この店も安泰だろうよ!」
分身……。そうか、この手があった。
「これだ。ナイスアイデアだった」
僕の脳裏に悪魔的アイデアが浮かんだ。
「すまん。鴻上。やはり、ここは僕が出すよ」と、僕は財布を出した。
「いいって。俺が悪いんだからよ。ここは友達のよしみで」
「違う。お前には感謝しているんだ」
僕は鴻上のお盆に、千円二枚を置く。
僕の意図を読み取れないのか、鴻上は怪訝そうな顔をしながら去って行った。
「どうしたの、三郎くん?」
「いや、なんでもない」
ヒカルにはそう言う。だが、実際には違った。
『奴らを撃滅させる、決定的な策が浮かんだ。耳を貸せ』
僕はこっそり、アイヤネンと三菜子に脳内で思念を送る。
『ほほう。いかにも三郎らしい姑息な手段だね』
「姑息は余計だろ」
『だが、悪くない。でかしたよ三郎』
気に入ってもらえたようだ。
『さすがネクストブレイブ。お前、やっぱり鬼畜やな』
『邪神、と言ってもらいたいね』と、美奈子は鼻で笑う。
「みんな黙り込んでどうしたの?」
プンスカと、ヒカルが頬を膨らませた。
「本当になんでもないから、黙って食え」
ハブられた怒りを隠さず、ヒカルは「むー」とうなりながら、ラーメンをすする。
できれば、使いたくはないが、やむを得ない。僕達をキレさせたマニフィカトの連中が悪いんだ。
天使共よ、僕を敵に回した事を後悔させてやる。
(第四章 完)
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