邪神の秘策
「俺はいい。早く逃げろ、ヒカル」
鬼気迫る表情で、タケルは振り返る。ヒカルを逃がす時間を稼ぐつもりだ。
「そうはいかん」
ヒカルをつれて逃げるなら、とっくにやっている。
「僕の邪魔をする奴は、どんな相手だろうと容赦しない」
「はあ!? アタシの恋の邪魔する気? 指導されたいの、アンタ?」
生徒指導教師に取り憑いたマニフィカトが、いよいよ表に出てきた。
「死ねよガキども! 教育してやるよ!」
「いいだろう。僕を相手にしたのを後悔させてやる!」
「待って、三郎くん!」
何を思ってか、ヒカルが僕の腕を掴んだ。
「離せ!」ヒカルの手をふりほどく。
けれど、ヒカルはなおも僕にしがみついてきた。
「あの人達、学校の生徒だよね? やっつけちゃうの? 友達かも知れないんだよ?」
ヒカルの手が僕を離そうとしない。
「タケルならいいのか、奴らを殺しても?」
「それは……っ!」
何か言いかけて、ヒカルが口をキュッと結ぶ。
「だから、逃がせと言ったんだ! ヒカルは生徒に手を出せん!」
僕が戦闘すれば相手を殺してしまうと、ヒカルは思っている。
「安心しろ。タケルは人を殺してはいない。タケルが斬ってるのは純粋な天使のみだよ」
確信を持った言葉で、三菜子がヒカルに告げる。
戦う相手が学校の生徒だと分かって、僕の想像以上に、ヒカルは戦闘不能に陥っていた。
ここにきて、メンタルの弱さが露見するとは。
僕がシェーマを操れると知ったとき、ヒカルが悲しい顔をしていたのは、これが理由だったのだ。僕に人殺しをして欲しくなかったから。
そのヒカルの優しさは、今は枷にしかならない。
僕には策がある。とっておきの策が。
ソードレイを構え、僕は空いた手で、ヒカルの手を再びふりほどいた。拒絶するためじゃない。手をギュッと握りしめる為にだ。
「え、どうしたの、三郎くん?」
「お前の気持ちはよく分かる。誰も傷つけたくないお前の優しさは、尊いものだ。だからヒカル、お前の力を貸せ」
戦意喪失しているヒカルの手を、強く掴む。僕はヒカルから、能力を分けてもらう。
「何をする気なの、三郎くん?」
握っているヒカルの手が、熱を帯びる。何をされるか分からず、緊張しているのか?
「大丈夫だ。僕を信じていてくれ」
「うん。分かったよ」
疑惑を浮かべていたヒカルの視線が、信頼の光に変わった。
強くヒカルに握り替えされて、僕の方も意識してしまう。首筋が熱くなり、背中がむず痒くなった。構わず、ヒカルの手を握り込んだ。
「コ、コホン。いいからやるぞヒカル!」
武器を高々と上空へ振り上げた。
ソードレイの色が、濃い紺色から桜色へと変色していく。ヒカルの霊磁力が、ソードレイに集まっていくのを感じた。
「わたしの霊磁力を、吸ってる?」
その通り。ヒカルから吸い上げた霊磁力を、僕の霊磁力で練り込む。
小さな雨雲が、僕の上空に集まってきた。
ヒカルの力は【浄化】だ。ハート型の弾丸に込めた浄化の炎を、雨に溶かし込む。熱を吹くんだ雨は蒸気となって、桜色の雨雲ができあがった。
「桜雨!」
雨雲が、スプリンクラーのように強い雨を降らせる。ヒカルの力を借りた浄化の雨が、天使共の身体を濡らす。
広範囲に降り注ぐ雨に打たれ、天使達が次々と精霊の姿へ変わっていった。
「まだまだ、これからだ」
霊磁力を集中させ、豪雨の軌道を真横へ移動させる。
天使に取り憑かれた生徒達が、桜色の雨を浴びて正気に戻り始めた。
マニフィカトを吐き出し続けていた空も、落ち着きを取り戻す。
しかし、アルラウネには通じない。校舎一面を覆う葉っぱの傘を作り上げ、四方からの雨をしのぐ。
「私の身体がそんな攻撃で清い心に戻るとでも思った? どんだけ甘ちゃんなの?」
「それはどうかな? この雨の本質は別にある」
「ああ、何よ生意気なガキ……ね?」
アルラウネのツタが、腐り始める。校舎を覆い尽くしていたツタは枯れ果て、崩れ落ちていく。神々しかった花びらの羽根も、すっかり抜け落ちて風に舞う。
地面に落ちた雨は、土に染みこんでいく。アルラウネが防いでいる雨もろとも、地面へと吸収されていった。
「くそ、根腐れを起こして」
浄化の雨は僕の思惑通り、その効果を発揮してくれた。
「植物はその性質上、どうしても根っこから水分を吸収してしまうんだ」
土に溶け込んだとしても、浄化の力は死んでいない。浄化の水分を吸って、徐々に天使先生の力が弱まっている。
先生に巻き付いていた植物という植物は、ヒカルの浄化によって、すっかり消滅した。
「あああ、涙の味がするわぁ……」
生徒指導の先生が、うなだれながら屋上の床に倒れ込む。
先生に取り憑いていたマニフィカトが、ドロリと身体から溶け落ちた。白い液体となって、コンクリートの床に大きなシミを作る。人を貶めた敵にふさわしい最期だった。
空を埋め尽くしていた天使の群れも、ヒカルの暖かな霊磁力に当てられて、精霊へと昇華していく。ヒカルのために世界を作り上げ、天使の侵攻を食い止める礎となる。
メルヘンな領土が、学校を取り囲む。学校は、ヒカルの陣地と化した。これで、天使による被害が及ぶこともないだろう。
「言ったろ、タケル。逃げる必要はないと。ヒカルだって戦えるのだ」
「そんな。勝ったのは三郎くんだよ」
いや。ヒカルの霊磁力を借りて天使を倒す案なんて、僕には思いつかなかった。
「こんな使い方があるとは。ヒカルの力は、ヒカルだけしか持てないと思っていたが」
タケルが白鞘に刀を納める。
だがこれで、ヒカルの力は換えがきかないものと判明した。
「ますます我々は、ヒカルを守護しなければならなくなった」
気がつくと、異界化した世界が消滅していた。生徒達のざわつきも収まる。空も、もうすぐオレンジ色に染まる頃だ。
ようやく、戦闘が終わったと実感できた。
生徒指導の先生が、目を覚ます。ぺたんこ座りで、まだ目がうつろだ。
「先生、お怪我は?」
「あ、へーきへーき」
先生は、スマホを手鏡代わりに、髪を整える。タケルには見向きもしない。別人になってしまったみたいだ。
「生徒の中に、体調が優れない者が出たそうです。送ってあげてくれませんか?」
「あ、はいはーい」
ボーッとした頭のまま、先生はヨタヨタと保健室へ。
数分も経たず、救急車が続々と集まってきた。おそらく、南郷院が呼んだのだ。
保健室には、数名の生徒が避難していた。僕達が正気だと分かっていないのか、部屋の隅で身を縮める。
そっと、ヒカルが生徒達に寄り添う。怯えさせないように語りかける。
パニック状態だった生徒は、力が抜けたように安堵した。
「じゃあ、帰ろっか」
車を用意して、生徒指導の先生は生徒を乗せて走り去る。生気が抜けたというより、むしろハキハキして見える。口調まで変わって、取っつきやすくなった。
「何が起きたんだ?」
「どうも、今のが本来の先生らしいね」
人を寄せ付けない姿勢は、おそらくネガティブな感情の裏返しだったらしい。それが、天使を倒したことによって浄化されたと思われる。
「でも先生は、いつ頃天使に寄生されたんだ?」
「アプリを手に入れてからだろう。こども園に到着した際に【|泡沫の歯車(バブル・ギア)】と接触し、本格的に天使化が進んだようだね」
それの全部、あの歯車とか言う奴の仕業だろう。
アプリを作ったのも。
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