祐紀の過去

 そう。ここはかつて、三菜子の故郷だった世界だ。今は再び、マニフィカトの巣くう世界となり果てている。三菜子の特攻とは何だったのか、と思うくらいに。


 三菜子が負けた世界に降り立ち、三菜子はずっと故郷を見渡す。


 六角との交渉は、僕だけで進めた方がいいだろう。


 岩山から、無数の天使達が顔を覗かせていた。僕達という獲物を見据えている。


 気がつけば、僕達は無数の天使に取り囲まれていた。カリカリという機械音が耳障りだ。


「マニフィカトが巣くう異界の中でも特大級だ。お前にコイツらを殲滅してもらいたい」


「言われなくても殺してやるさ。一匹残らずな」


 鵺(ぬえ)を脇に従える美少女を前にした天使達の末路など、決まっている。


 踏み出そうとした六角の肩を、僕は手で制した。

「待て。その前に、このリボンを付けてくれ」と、六角に蒼いリボンを差し出す。


「オレも持ってる」と、六角はポケットからリボンを出した。


 分かってる。制服の付属品だしな。


「このリボンは、しかる人物からもらった特別製だ。毎回このリボンをどこか身体の一部に結びつけてもらう。それを付けて戦え。それだけでいい」


「もし断れば?」


「この世界にいる天使は僕が全て片付ける。お前は腹ペコのままだ。縁も切れる」


 はん、と六角は短く息をつく。


「理由は、教えてくれるのか?」


「ああ。ただし他言無用だ。耳を貸せ」


 六角の耳に、顔を近づける。同時に、僕は六角の手首に、リボンを結びつけた。


 なぜか、六角はキュッと身体をこわばらせた。僕を気味悪がっているのか? あるいは、男が苦手なのかも知れない。僕が事情を説明すると、六角は硬直を解いた。


「マジかよ。できると思ってるのか?」


「物は試しだろ。僕はいつだって大マジメだ。本気で考えた作戦だよ」


「いいね。乗っからせてもらう」


 天使に気づかれないように、作戦を広めない事を厳重に約束させた。


「そのリボンがあれば、現実世界にも帰れるからな。では、よろしく頼む」


 後は、好きなようにさせる。


 天使の断末魔をBGMに、六角は踊った。ただひたすら、本能のままに。最後の一匹を吸収し、六角の《食事》は終了した。


 世界が色を変え始める。野生の動物ばかりが集まる山だ。湖には白鳥が羽を休めている。温泉まで湧き、ニホンザルとカピバラがうっとりした顔で湯を楽しんでいた。


 てっきりロクサーヌの趣味で、マッチョやら美少年やらが支配する世界が出るかと思ったけど。


「この世界はアンタの世界だろ? 部外者のオレ様が独り占めしていいのかよ?」


「構わないよ。ワタシには別の使命があるから」


 神様からお許しが出たのだ。何の問題もないだろう。


『まさかアンタ、この世界を思い通りにする代わりに、祐紀を自分の思い通りに!?』


 ロクサーヌの妄想に感化され、六角が自分の身体を抱きしめる。


『け、ケダモノだわ! ヒカルちゃんだけじゃ飽き足らず、祐紀の身体まで求めるなんて、そりゃあ、祐紀はちっこくて胸も大きくて可愛いけどさっ!』


 コイツの方がよっぽどケダモノだ。主に発想が。


「違う! 僕はそんなもの必要ない!」


『それはそれで傷つくわ!』


 だったら、どうしろっていうんだ!?


「そうじゃなくて、ちゃんと学校に通え。これは僕だけじゃなく、生徒会の頼みでもある」


 露骨に、六角がイヤな顔をする。


「丸一日、ここにいちゃダメなのかよ?」


「ダメだ。もし約束を破ったら、この世界を地球と結ぶのをやめるからな」


 チッ、と六角が舌打ちをした。


「お前が学校に通いたくない理由を、僕は知らない。学校に行っておいた方がいいなんて年寄り臭い説教もしない。けれど、勉強ができないってだけで不登校になる奴は、見捨てたくはないかな」


 叔父の受け売りだ。

 かつて叔父は、僕の家庭教師をしてくれたのである。

 幼少の頃、僕は叔父が語る異世界論の方に興味があって、ろくに勉強をしなかった。

 叔父は僕の勉学姿勢に責任を感じたのか、自らが家庭教師をする、と言い出したのだ。


「僕がそれなりの成績を収めているのも、叔父の勉強方法あっての事だ。だから、勉強の遅れは心配しなくていい。勉強ってのは、やり方が分からないからつまらないんだ。やり方さえ分かれば、勉強ほど楽しいものはない。一応、家族に申し訳も立つと思う」


 身内の話題になると、六角が不快感をあらわにした。「何が言いてえんだよ?」


「調べさせてもらった。キミはバレエの名門の出だとか」


 中でも六角祐紀は、百年に一人の逸材だったという。家族の信頼も厚かったそうだ。


「しかし、中学三年からグレだして、家出の頻度が増した」


 そうだよ、と六角は吐き捨てる。


「それが唐突に、ストリートダンスに転身した。理由は? まあ無理にとは聞かないが」


「こいつさ」


 おもむろに、六角がパーカーのファスナーを下ろした。小さな身体に不釣り合いな程の双丘がドンと顔を出す。


『中学から急に胸がデカくなったんだって』


 周りから好奇の目で見られるようになって、六角はその視線から逃げるように、家出をしたという。



「そこを先輩に救われた。オレにケンカとストリートダンスを教えてくれたのさ」


 彼女の手引きによって、後にストリートダンスの道に走ったと語る。


 女性だと舐められると思った六角は、男装して踊りを続けた。時には男性ダンサーにからかわれそうになったが、踊りを見せるとあっと言う間に賞賛されたらしい。

 踊りの他にカポエラも会得し、ケンカでも負けないようになっていく。


『だけど、先輩は天使に食われたの。祐紀の目の前で。キレて無謀な戦いに挑もうとした祐紀を、アタシがスカウトしたって訳』


 ロクサーヌの力を得て、六角は先輩を食い殺した天使を殺害する。カポエラにも磨きが掛かり、無敵の存在へと進化した。復讐の鬼へ。


「オレは、先輩を殺したマニフィカトを絶対に許さない。一匹残らずぶっ殺す」


「だから家には帰りたくないと?」


『本音を言うとね、そっとしておいて欲しいわ』


 六角の心を、ロクサーヌが代弁をする。


「それにしては、お優しいな」


「何がだ? テメエにオレの何がわかるってんだ?」


 不快感を、六角が吐き出す。


「お前が本当に子どもをエサにして天使をおびき寄せていたら、食わせていただけだ。最初のうちは本当にエサとして子どもを利用していた。が、途中でかわいそうになって、結局は助けた」


 つまり、六角は強がっているだけだ。本当は優しい女なんだろう。


「うるせえ」と、六角が気まずい表情を浮かべる。図星を突いたのだろうか。


 僕はため息をつく。


「まったく、自分の気持ちに正直になれないとは、不器用な女だ」


『アンタにだけは言われたくないわね!』


 どうしてお前がキレる!?


「学校にさえ通えば、この一帯のマニフィカトを片っ端から始末していいんだな?」


「ああ、約束しよう」


「分かった。学校に行ってやるぜ」


 とりあえず、天使対策の第一段階は終了だな。


「制服の格好になったオレを見て笑ったら殺すぞ!」


「笑わないさ、誰も」

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