ライバル、南郷院ヒカル

 約一時間前。


 掲示板に貼られた中間テストの結果を、僕は苦々しく眺めていた。


 一位:|南郷院(なんごういん) ヒカル

 二位:|山田(ヤマダ) |三郎(サブロウ)


 順位は二位だ。僕はまた、南郷院ヒカルに負けた。これでもう何度目だろうか。


「また、眺めてるのか」


 友人の|鴻上(こうがみ) |裕之助(ゆうのすけ)が、僕に話しかける。ラグビー部を思わせる巨体だが、実物は帰宅部で二次元フェチだ。


「飽きないな、山田も」

「お前には分からんだろ、鴻上。永遠のライバルに差を付けられ続ける日々など」


 僕が言うと、鴻上が大げさに肩をすくめた。


「女子に負けたくらいで、ひがむなよ」


「ひがんでなどいない! それに、僕は女子に負けることが悔しいんじゃない。南郷院に負けたのが悔しいのだ」


 男女の差など、今更議論する気はない。各々の長所を高めていけばいいのだ。


「お前、南郷院の事めっちゃ好きだもんな」


「はあ!? 何を言ってる!?」


 何の根拠もない話をされて、僕も声を荒らげた。


「女子に負けたらカッコ悪いよなー。アタックできないよなー」


「毎回毎回、バカも休み休み言えっ! 僕は南郷院ヒカルなんぞ好きではないっ! 断じてないっ!」


「はいはい。分かった分かった。耳タコだよな」


 こんな事態は今に始まったことではない。鴻上といると、いつもこのような調子になる。南郷院が絡むと、いつも鴻上に茶化されてしまうのだ。


「そういうお前は、相変わらず二次元に傾倒しているのか?」


「おうさ。俺はエストちゃん一筋だぜ」


 彼は生徒会書記でありながら、学校にゲーム端末を持ってきている。


 画面に映る少女は、魔法少女風な衣装に身を包んでいた。ピコピコハンマーを抱きしめながら、鴻上扮する主人公に愛を振る舞う。


「サブヒロインだろ、その子。メインヒロインが可愛くないとか?」


 アクが強すぎて敬遠されるメインヒロインってのは、この手のゲームにはよくあるから。


 だが、鴻上は首を振る。


「違うって。メインヒロインはファン投票で一位だよ。でも、俺はエストちゃんがいいんだ。全キャラ攻略してみたら、この子が一番癒やされるって分かったんだぜ」


 こいつがキャラ愛を語ると、また時間が長くなりそうだ。


「学校にバレないようにしろよ」


 学内にゲーム端末を持ち込むのは、校則違反だ。今時そんな校則なんて珍しいと、うちの両親すら疑問に思っている。だが、ここの生徒会長が古風な考えなのだから仕方ない。


「いいさ。ゲームを知育玩具として認可させたらいいだけさ」


 鴻上は「ゲーム機の学内持ち込み許可」を公約にして、書記に立候補したんだっけ。いかにゲームが社会に貢献したか、犯罪に無関係かを訴えた演説は、すっかり校内で語りぐさになっている。そのくらい、彼は行動派なオタクだ。


「お、生徒会の話をしていたら」


 腕時計を改め、鴻上が鞄を持ち直す。


「確か、後期生徒会選挙の準備があるか」


「それと、文化祭企画委員の引き継ぎ準備な。じゃあ、俺は生徒会があるから。すまん」


「ああ。またな」


 手を上げて、鴻上を見送る。


「一点差だったね、三郎くん……」


 短い髪をポニーテールに束ねた少女が現れた。やや茶色い髪が、日に照らされてチョコレート色に輝く。そこに存在しているのに、この世界の住人ではないような。幻想的な雰囲気を醸し出す。


 僕の天敵、南郷院ヒカルである。


 圧倒的な存在感といえば、ふっくらした双子星である。今にもカーディガンからはち切れそうだ。本人曰く、Fになったばかりだとか。そんな情報なぞいらん。


 こちらの意気消沈も気にしていない様子で、晴れやかな笑顔を、僕に振りまく。眼鏡越しから、僕をジッと見つめる。


 面白くない。


「だが、三択さえ間違えなければ、僕の勝利だった」


「わたしが一番なんて、まぐれだよ。最後なんてヤマを張っただけだもん」


 勝者の余裕というやつか。謙遜している。


 おのれ、こういう所が鼻につくのだ!


「その通り、まぐれだ! 僕の調子が良ければすぐにでも!」


「そうだね。期末テストも一緒にがんばろうね。三郎くん」


「きさ……、く……」


 激高したかったが、生徒が通りかかったので、握った拳を下ろす。突き立てようとした指ごと。


 まあいい。次の戦場は、一〇月末の生徒会役員選挙だ。


「ところで、生徒会には立候補したのか?」


「ううん。してないよ」


 当然だとでも言いたげに、ヒカルは言い切る。


「なにぃ!?」


 南郷院ヒカルが立候補しなければ、全校生徒の前でヒカルを負かせられない!


「なぜだ、貴様なら余裕だろ!」


 その気にさせるため、あえてヒカルを立てる。


「だって、今の会長は立派だもん。わたしには務まらないって」


 確かに、現職生徒会長も優秀だが。それでも、ヒカルのようなおっとりした雰囲気の女性は求められているに違いない。


「わたしは今まで通り、クラス代表がいいな。あちこち走り回る仕事の方が性に合ってるから」


「クラス代表といっても、端役じゃないか」


「それがいいんじゃん。人前に立つだけが生徒会の仕事じゃないんだし」


 手を組んで、伸びをする。


 それだけアグレッシブなら、それこそ生徒会長の器と呼べるだろう。


 これでこそ、僕のライバルだ。


「選挙に出たって、アワアワって緊張して、声も出せないよ」


「スピーチなんぞ、他の奴にやらせればいい」


「答弁を人任せにする生徒会長なんて、誰からも指示されないよ」


 仕事さえしていれば、誰も文句を言わないはずだ。


「三郎くんだけが立候補すればいいじゃん」


「それじゃダメだ! よし。こうなったら、先生にお前を推薦してくる! 不戦敗は僕が許さん!」


「いいよ、そんな事しなくたって」


 ヒカルが僕の腕を掴む。


「生徒会なんて、わたしには似合わないよ。選ばれないって」


「違うね。こういう役割は、お前にこそふさわしい! むしろ、南郷院ヒカル以外にはあり得ない」


 ヒカルを直接倒すのは僕だ。僕の好敵手は、ヒカル以外には考えられん。他の誰とも戦って負けても悔しくはないが、ヒカルには負けたくない。


 後を追うなと、ヒカルの手をふりほどく。


「ん?……」


 どういうわけか、僕はヒカルの足下が気になった。別に変な意味ではない。視線を感じたのだ。


 足下を彩るのは、膝上にマンガ風のニワトリの顔がプリントされたオーバーニーソックスである。まるで生きているみたいで、今にも語り出しそうな存在感だ。


 そのニーソと、目が合った気がした。バカじゃないのか、と、自分でも思う。


 気のせいか。そう思うようにしよう。


「どうかしたの、三郎くん?」


「な、なんでもない!」


 ズカズカと、大股で廊下を歩く。


 振り返ると、ヒカルは僕を止めるのをやめていた。なぜか、顔が赤かった気がする。


 職員室で担任を探すが、見当たらない。


 もうすぐ日が暮れる。強制下校時間のリミットも近い。早いとこ探さないと。


「先生はどこです? 急用なんです。どこにいるか教えて下さい」


 周りの先生に手当たり次第、担任の居所を聞き出す。


 ようやく、居場所を知っている先生を見つけた。


 担任は、旧校舎のある裏山に向かったらしい。あそこは近いうちに取り壊されると聞く。


 そんな過去の遺物に何の用事なのか。


 僕は特に考えもせず、裏山へと向かったのである。


 今思うと、それが間違いだったのだ。もっと警戒すべきだった。


「リア充が! 女子としゃべってんじゃねえよクソがああ!」


「先生何を」


 気がつけば、裏山の谷底に脚を滑らせていたのである。


 こんな所に谷なんてあったのか? 


 なぜ先生が僕を突き飛ばした?


 そう考える暇もなく、僕の身体はクレバスへ真っ逆さまに落ちていく。

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