第七章 霖雨

第七章 霖雨りんう


       一


 紘彬と如月は聞き込みを終えて署に戻ると団藤に結果を報告した。


「桜井、捜査報告書、届いてるはずだぞ」

 報告が終わると団藤が紘彬にそう告げた。

 紘彬がパソコンを見るとメールが届いている。

 捜査報告書のファイルが添付されていた。

 紘彬はそれを開いた。


 蒼治が地下鉄の駅を出て家に向かおうとした時、桃花が高校の校門の前でスマホを手にして立っているのに気付いた。

 また紘一を待ち伏せしているらしい。

 蒼治はスマホを取り出すとLINEで紘一に居場所を訊ねた。

 すぐに『帰る支度してるとこ』という返事がきた。


「よ、桃花」

「蒼治君、もう出歩いて大丈夫なの?」

「ああ。心配してくれてありがとな。じゃ」

「え、もう行っちゃうの? もしかして、まだ具合悪いの?」

「紘一がいつ出てくるか分からないぞ。まだ教室にいるって言ってたし」

「べ、別に、私、紘ちゃんのこと待ってるわけじゃ……」

 桃花が赤くなった。

「じゃあ、俺と一緒に帰るか?」

「え、それは……」

 桃花が困ったように校門に視線を向ける。

 蒼治は微笑わらって、

「頑張れよ」

 というと、桃花に手を振って歩き出した。


 紘一が出てきた時に蒼治がいたら三人で帰ることになってしまう。

 桃花は紘一と二人だけで帰りたいだろう。

 自分も真美に片想いをしていた時、同じ事をした。

 あの頃のことを思い出すと胸が痛む。

 事件前は桃花を見る度に懐かしさと微笑ましさで温かい気持ちになっていたのに、今は真美との数多あまたの思い出があふれ出してきて胸が苦しくなる。


「桜井、如月、応援の要請だ。闇サイトの指示役の自宅を家宅捜索する事になった。手を貸して欲しいそうだ」

 退勤直前、紘彬と如月は団藤に呼び止められてそう告げられた。

 上田達は既に帰ってしまっていて部屋には他に誰もいない。

「応援要請って事は捕り物になりそうなのか? 暴力団事務所とかじゃないだろうな」

 紘彬が警戒するように訊ねた。

「仮に捕り物だったとしても他所よそに応援要請するくらいなら大勢で行くことになりますから」

 如月がなだめるように言った。

 とは言え、もし紘彬を名指ししてきたなら大立ち回りを演じさせられるのは間違いないだろうが。


 紘彬と如月は久し振りに紘一の家に来ていた。

 蒼治が退院したのでようやく遊ぶ気になれたというので三人でゲームをしていたのだ。

 夕食の時間だと告げられ三人は食卓に移動した。

 テーブルには紘一の両親と姉の花耶もいる。

 如月は退勤後に紘彬と、紘一の家でゲームをしにきた時は夕食をご馳走になっているのだ。

 夕食の席で紘一の話になった。


「へぇ、また桃花ちゃんに会ったんだ。最近よく会うんだな」

 紘一の話を聞いた紘彬が言った。

「うん、放課後、校門の前を桃花ちゃんが通り掛かることが多くなったから」


 紘一君、偶然だと思ってるんだ……。


 紘一の両親や花耶の表情を見ると、どうやらみんな気付いているようだ。

 幼馴染みだから桃花が紘一に片想いしているというのは公然の秘密なのかもしれない。


「中三だし、帰宅時間が同じくらいになったのかもな」

 紘彬がそう言うと紘一が納得した表情で頷いた。


 桜井さんも気付いてないのか……。


 紘彬は剣道の全国大会で優勝したことがあると聞くと体育会系のように思えるが医学部卒である。

 医師国家試験に通ったというと凄そうに聞こえるが実は医学部を卒業する方が難しいと以前捜査で知り合った医師から聞いた事がある。

 大学側としては試験に落ちた卒業生がいるという不名誉はけたいので卒業試験は医師国家試験より遙かに難しくしているという話だった。

 医師国家試験に受かりそうにない者は卒業出来ないらしい。


 紘一も紘彬同様、頭がい。

 紘彬が卒業した高校は都内でもトップクラスの進学校なのだが、何しろ通勤手段で医師より警察官を選んだ人間である。

 高校の志望理由も「徒歩五分」だった。


 そして紘一も同じく「家から一番近い」という理由で同じ高校を選んだ。

 以前、紘一に志望理由を聞いたら、

「志望校どこにしようか迷ってたらクラスメイトが偏差値なんか地元の人間しか知らないんだしこだわる意味ないから近くにするって言ってたから」

 と言う答えが返ってきた。

 言われてみれば紘一も隣県の千葉や埼玉、神奈川の高校ですら偏差値など知らないからと、その言葉に納得して家から一番近い高校を選んだ。

 地元でなければ知らないというのは事実で、如月も他県出身だから都立高校の偏差値などはよく分からない。

 だが同期で都立高卒業者の話によると紘彬達の高校は都立では上位十位以内らしい。

 都立高は二百五十校前後と言う話だから入るのが難しそうだというのは容易に想像が付いた。

 合格した後、

「お前が近所にするって言うから俺もそうした」

 と報告したら何故かクラスメイトの顔が引きっていたと言っていた。

 入ったのが同じ高校でなかったのならもありなんとなるだろう。


 二人共、強くて頭が良くて優しくて、見た目もいい。

 しかも自宅は新宿の住宅地で土地付き持ち家一戸建てという、モテない要素を見付けるのが難しいくらいだ。

 実際、紘彬はバレンタインディには署内の女性全員からチョコレートを貰っている。掃除のおばさんも含めて。

 が、紘彬は大学を卒業するまで遊ぶ暇もないくらい勉強に明け暮れていたのではないかと思わせる世間知らずな一面がある。


 二人とも賢い割りには、この手のことには鈍いんだな……。

 モテてる人って自分では分からないものなのかな……。


 如月は首をかしげた。


 翌朝、紘彬と如月は団藤に指示された警察署に出向いた。


「せっかく来てもらったが無駄足になったかもしれん」

 警部が紘彬達に言った。

 その言葉通り、指示役の家はもぬけの殻だった。

 家の中はついさっきまで誰かがいたような感じだった。

 テーブルの上には飲みかけのコーヒーもある。

 だが肝心の証拠になりそうなデジタルデータの記録媒体で持ち出せそうなものは全て無くなっており、パソコンは初期化されていた。

 紘彬と如月は大して手伝う事もないまま帰された。


       二


「誰もいなかったぞ。どういう事だ?」

 署に戻った紘彬が訊ねると、団藤は黙ってモニターをけた。

 画面に記事が映る。


〝闇バイトの指示役、ついに家宅捜索か!?〟


「今日行ったとこじゃないか!? どっから漏れたんだよ!」

「うちだ」

「え、俺達誰にも言ってないぞ。な」

 紘彬が如月に同意を求める。

 如月が頷いた。

 二人が団藤から指示された時には上田達は帰宅した後だったから彼らも知らなかったはずだ。


「お前達が使う予定の覆面パトカーの行き先を話しているのを記者に盗み聞きされたらしい」

「なんで行き先の話なんかしてたんだ?」

「パトカーを管理している者が利用予定の話をしてたんじゃないですか?」

「そういう事らしい」

 団藤が如月の言葉を肯定した。

「もしかして叱られた?」

「がっつりとな。始末書も書かされたぞ」

 それを聞いた紘彬が同情したような表情を浮かべた。


 そんなに始末書嫌いなんだ……。


 まぁ始末書は誰でも嫌だろうが。

 何気なく記事を眺めていた紘彬が不意に目を見開いた。


「どうした」

「まどかちゃん、これ、公にはしないはずだろ」

 紘彬が画面を指した。

「パトカーの管理でこんな話はしないよな」

 紘彬が指した箇所には証拠に関する詳細な内容が書かれている。

 警察は事件の細部は公表しない。

 逮捕したのが真犯人かどうかを見極めるため、真犯人しか知りようのないことを伏せておくのだ。

 誤認逮捕を防ぐためだけではなく、有名になりたいとか、誰かをかばいたいなどと言う理由で他の人間が自白したとき真犯人かどうか確かめるためである。

 伏せていたこと全てが書かれているわけではないものの記事には指示役を突き止めた方法など本来なら公表されない事実がいくつも載っていた。


「その部分は少なくともここの警察官からではないな。うちでは知りえないことだから」

「なら、あいつ、他の署でもぎ回ってるのか?」

「あいつ? その記者を知ってるのか?」

「この前しつこく訊いてきたヤツがいた。あいつには関わらないようにした方がいいな」


 そこに異論はないのだが……。

 この人の場合、始末書書きたくない理由が〝面倒くさい〟だからなぁ……。


 聞き込みに向かうために外に出た紘彬は如月の方を振り返った。


「なんて言ったっけ、田中陽平の家を見てて職質された人」

「清水久さんです」

「アリバイの確認は? もうしたか?」

「いえ、まだ」

そうな場所に見当は付くか?」

「多分……」

 特定の場所に住んでいるわけでも勤務先があるわけでもないため、ここになら確実にる、と言えるところは無いのだが大凡おおよその見当は付く。

 如月は時計を確認した。

「この時間だとちょうどコンビニが弁当などを廃棄する時刻なので、いつも通りなら……」

 如月が時間を確認しながら場所をげる。

「じゃ、行ってみようぜ」

 紘彬に促された如月は以前清水と会った場所の近くのコンビニに向かった。


「清水さん」

 如月がコンビニの裏にいた清水に声を掛けた。

 表情からするとどうやら収穫がなかったらしい。

 紘彬は財布を出すと千円札を三枚出した。

「如月、弁当買ってきてくれ。好みはあるか? 食いたいものとか、飲みたいものとか。あとアレルギーがあって食えないものとか」

 紘彬に声を掛けられた清水が戸惑ったように如月に視線を向けた。

「桜井さん、金は自分が……」

「いいから。それより、あるかどうか分からんが好きなものがあるなら言ってくれ」

「いや、好みとかは別に……」

「なら適当に頼む。俺達はそこの公園で待ってる」

 紘彬がそう言って金を渡すと如月はコンビニの入口に向かった。


「その……有難ありがてぇんだが……」

 如月からコンビニのレジ袋を渡された清水が困惑した表情で紘彬達を見た。

「聞きたい事があるんだ」

 紘彬が答える。

「田中陽平の事でいくつか教えて欲しい事がある」

「あいつに何かあったのか!?」

「いえ、そうではなくて……」

 如月が言い淀んだ。


「田中陽平の会社をクビになったそうだがいつの話だ?」

「二〇〇〇年だよ。三月いっぱいで解雇されて四月から無職になった」

「二十年以上も前なのに正確な年を覚えてるのか?」

「あんた達、二千年問題って知ってるか?」

「世界が滅びるって予言ヤツ?」

「それは一九九九年じゃないですか? 二千年問題って言うのはコンピュータの誤作動の方だと思います」

 如月が答えた。


 昔のコンピュータのプログラムには日付の年数で一九の部分を省いて下二桁だけものがあった。

 一九が付いていれば年数が増えても数字が二〇〇〇になるだけだから問題なかったのだが、下二桁だけのものは○○になって過去にさかのぼった事になってしまう。

 まだコンピュータのメモリ容量が少なくてプログラムのコードを一字でも減らしたかった頃の苦肉の策である。

 そう言うプログラムを組んだのは二〇〇〇年まで最短で二十年近く、古いものだと四十年近く前で年数に猶予ゆうよがあった為、メモリに余裕が出来る頃には対策が取られるだろうと考えられていた。

 だが対策が講じられないまま――というか皆が失念したまま年数が経過してしまい、九十年代後半になって問題が表面化して慌てる羽目になったのである。

 レコーダーの録画予約程度ならともかく、管制塔や発電所などでコンピュータの誤作動が起きたら大事故に繋がりかねないと世界的な騒ぎになったのだ。


「まだ生まれてなかっただろ。よく知ってるな」

「いえ、さすがに生まれてましたよ。と言ってもまだ赤ん坊でしたけど」

 如月が苦笑した。

「一九九九年の年末までは二千年問題の対策に追われてたんだよ。年が明けて、問題が起きなかったって安心してたら二月二十九日にトラブって……」

「ああ、閏日うるうびの」

 如月が頷いた。


 二千年問題とは別に、二〇〇〇年は特殊な閏年うるうどしだったため二月二十九日にシステムトラブルを起こしたものがあったのだ。

 地球が太陽の周りを一周するのはきっかり三百六十五日ではない。わずかだが短いのだ。

 そこで調整のために四年に一度、閏年を入れている。

 しかし四年に一度、一日追加だと今度は少し長い。

 だから修正のため百で割り切れる(つまり下二桁が〇〇になる)年は平年という例外を作り、更に百で割り切れる年のうち、四百で割り切れる年は閏年という例外の例外を作ることで誤差を減らしている。


 プログラムをする時、この『百で割り切れる年は平年』という例外規則を組み込んでいなかったものは誤作動が起きなかった。

 問題は、百で割り切れる年は平年としてしまったものに『四百で割り切れる年は例外』という、例外の例外を入れなかったケースである。

 二〇〇〇年は四百の倍数年だから例外の例外で閏年だった。

 百で割り切れる年は平年という例外だけ入れて四百で割り切れる年は閏年という例外の例外を入れ忘れていたものの一部が誤作動を起こしたのだ。


       三


「ただでさえバブルがはじけて苦しかった時に消費税率の変更があったり二千年問題への対策だったりで赤字が続いてたんだ。そこにニッケル価格が急に上がって打撃を受け……」

「ニッケル?」

 紘彬が清水を遮った。

「ニッケルって食い物じゃないよな?」

「そりゃ、ブラのワイヤー食うヤツァいねぇだろ」

「ワイヤーってことは形状記憶合金か? いつから?」

「ワイヤー作り始めたのがいつからかって事か?」

 清水が困惑したような表情を浮かべた。

「いや、化学メーカーになったのはいつかって意味だ」

「え?」

 紘彬の質問に清水は首をひねった後、

「ああ、そういや、最初は食品メーカーか何かだったんだったな。高度成長期の頃に化学製品も扱い始めたって……けど俺が入社した頃にはもう食品は扱ってなかったぜ」

 と答えた。

「入社したのは何年だ?」

「八二年だ」

 清水の答えに紘彬が考え込むような表情になった。


「とにかく、それで閏年のシステムトラブルの責任を取らされる形で俺のいた部署の人間は全員クビだよ」

「再就職は……」

 如月が訊ねた。

「運良く仕事にありつけたヤツもいるんだが、就職氷河期って言われた時代だから」

「そうか、超氷河期って言われた頃か」

「そういうこった」

「田中陽平の子供の事は何か知ってるか?」

「子供?」

「子供がいるって話は聞いてないのか?」

「そりゃ、年を考えりゃたんだろうが社長と個人的な話を出来るような小さな会社じゃなかったんだよ。こっちは顔を知ってても向こうは俺のこと知らねぇと思うぜ」

「それだけ大きな会社ならブラのワイヤー以外にも作ってたよな。何を作ってた?」

 その問いに清水が考え考え製品名をげていった。

 紘彬はそれらを全てメモしていく。


「レンズとかフィルムとか写真関係が多いな」

 紘彬がメモを見ながら言った。

「デジカメが出てくる前はフィルムが主力製品だったからな。今後はデジカメが主流になるだろうって事で徐々に主軸をカメラ関係からワイヤーとかに移していったんだよ」

「光ファイバーは作ってなかったか?」

「俺がクビになった頃はネットはそれほど普及してなかったから……」

「光回線も使われてない、か……」

 紘彬が考え込んだ。


「なんで会社のことなんか聞きに来たんだ? 製品のリコールとかは刑事の仕事じゃないだろ」

「それは……」

「田中陽平にバカな事しないようにするために如月に名前を教えたんだよな」

「ああ」

「それなら話しておく。田中陽平の次男一家が殺害されたんだ。それと二十三年前に発見された身元不明の遺体が最近になって田中陽平の娘だと判明した」

「次男一家と娘……?」

 清水が驚いたように目を見開いた。

「じゃあ、クビになった年を聞いたのは……」

「娘の方は犯人の目星が付いてるが、次男一家の方は手懸かりが無いから念の為に確認しに来た」


 犯人の目星……?


 如月は首をかしげた。

 焼死体とは聞いたが事件性の有無については何も言っていなかったはずだ。

 他殺の可能性があるとしても、つい最近まで身元が分からなかったくらいだから、てっきり犯人も分からないのだと思っていた。

 身元の鑑定とは関係ないから杉田は言わなかっただけで、この前送ってもらった捜査報告書に被疑者の名前が書いてあったのだろうか。


「そうか」

 清水が頷いた。

「田中陽平に何かあればすぐに警察が飛んでくるって分かったんだからバカな真似しようなんて思わなくなっただろ」

「そうだな」

 清水が苦い笑みを浮かべた。


「今日の聞き込みだが……」

 団藤が捜査の割り振りをしようとした。

「なぁ、まどかちゃん、田中尚子の事件は捜査してるのか?」

「管轄外だから分からんな」

「杉崎巡査部長に聞いといてくれる?」

「杉田巡査部長です」

 如月が突っ込む。

「杉田さんは担当じゃないから知ってるかは分からんが、管轄署に聞いておく。何か伝える事はあるか?」

「田中政夫のDNA鑑定」


 紘彬と如月は聞き込みに向かうために警察署を出て歩いていた。


「なんだ、捕り物か?」

 紘彬が見ている方向に目を向けると、大通りを曲がった道の先の民家の前で複数の男達を制服警官達が取り囲んでいる。

 住宅街へ入る道の入口で警察官が二人立って通行人が入らないように規制していた。

「見なかった振り……」

「ダメです!」

 如月の即答に紘彬は不承不承警察官の方に向かった。


 二人の制服警官のうちの一人は紘彬と如月の顔見知りだった。


「何があったの?」

 如月が知り合いの警察官に訊ねた。

「強盗のようです。毎朝あの家に届いている食事が今日は外に置きっぱなしだという通報があったので様子を見に来た警察官が気付いて……」

「住人は無事なの?」

「まだ確認は取れていません。逃げられないように包囲している途中で気付かれてしまい睨み合いの最中で……」

 野次馬達はスマホを向けて男達と警察官を録画していた。

 それを見た紘彬もスマホを取り出すと警察官の横を通り抜けた。

 スマホを持ち上げて録画している振りで男達に近付いていく。


「おい……!」

 野次馬を制止している警察官が紘彬を止めようとしたが、

「あの人も警察官だから大丈夫だ」

 と顔見知りの警察官が遮った。

「しかし……」


 男達を取り囲んでいた警察官達も戸惑った様子で近付いてくる紘彬の方を振り向いた。

 警察官達の注意がれた事で男達がマヌケな野次馬――紘彬に突進してきた。

 男達との均衡が崩れると即座に警官達が男達に体当たりして取り押さえる。


 警察官の間をすり抜けた男が二人、紘彬に向かってくる。

 紘彬はスマホを真上に放り投げると先頭の男が真横を通った瞬間、足払いを掛けた。

 男が倒れる。

 駆け寄ってきた如月がすぐに男を拘束した。


 もう一人も紘彬の側を駆け抜けようとする。

 紘彬は振り返って一歩足を踏み出し手を伸ばすと襟首を掴んだ。

 男が紘彬に向かってナイフを振る。

 紘彬は一旦襟から手を放してナイフを持った腕を受け止めると、もう一方の手で襟を掴んで背負い投げを掛けた。

 男が倒れる。

 紘彬は地面に倒れた男を俯せにした。

 片手で男の腕を後ろ手に回しながら、もう一方の手を伸ばして落ちてきたスマホを受け止めた。

 スマホをポケットに入れると規制線を張っている警察官に顔を向ける。


「おい……」

「野次馬が入って来ちゃうからダメです! 今回は自分で逮捕して下さい!」

 如月にたしなめられた紘彬は渋々ポケットから手錠を取り出そうとした時、応援の警察官達が駆け付けてきた。

「お、ちょうど良かった。手伝ってくれ」

 紘彬が警察官の一人を手招きした。

 警察官が近付いてくる。


「こいつに手錠頼む」

「え……」

 この人は警察官じゃないのか? という表情で紘彬を見る。

「手錠、持ってるだろ」

「もちろん」

「じゃ頼むよ」

 警察官が困惑したように周囲を見回すと、紘彬達と顔見知りの警察官が頷いた。

 警察官は戸惑った様子で男に手錠を掛けた。


「ついでに報告書……」

「いなかった人に報告書は無理です!」

 如月の突っ込みに、紘彬は「やっぱ見なかった振りすれば良かった」などとボヤいていた。

 男達が全員逮捕されると残った警察官が家の中に入っていった。

 紘彬と如月も後に続く。


       四


「まだ息がある! 救急車を!」

 中から声がした。

 声の聞こえた方に向かうと男性が倒れていた。

 それを聞いた別の警察官が消防署に連絡を入れる。

 すぐに救急車のサイレンが聞こえてきた。

 強盗の疑いがあると分かった時点で念のため即座に出動出来るよう要請してあったのだろう。

 紘彬は脇に膝をくと脈をた。


 まだ息はあるが……。


 ケガの具合をようとしたときサイレンが家の前で止まったので被害者から離れた。

 救急隊員が入ってきて被害者を担架に乗せて出ていった。


 紘彬はリビングに入って辺りを見回した。

 事前にアポ電で貴重品を入れてある金庫の場所などを聞き出していたのか、部屋の中はそれほど荒らされていない。

 真っ直ぐに金庫に向かったのだろう。

 金庫の扉が開かれている。

 一通り室内を見て回った後、外に出ると警察官が路上で何かを拾い集めていた。


「何してんだ? 証拠品でも落ちてたか?」

「証拠品といえば証拠品ですが……」

 警察官が拾った物を紘彬に見せた。

「切手?」

「なんでも相当な価値があるとかで……」

き出しで持ち歩いたら価値が下がるだろ。なんであいつらケースに入れてなかったんだ?」

「ケースというか、バインダーに入れてあったんですが逮捕の時に被疑者が落としてしまって……」

 警察官が近くに落ちているバインダーをす。

「散らばっちゃったんだ」

「はい」

「地面に落としたりしてなけりゃ値打ちもんだったのかもしれないけどな」

 汚れたり折れたりしたものは大分価値が下がる。

 紘彬と如月は切手を拾い集めている警察官を残して報告書を書くために署に引き返した。


「なぁまどかちゃん。あいつら闇サイト強盗だよな」

 警察署に戻った紘彬が団藤に訊ねた。

「その疑いが濃厚だ」

「なら警視庁に連れてかれたんだよな」

「そうだ」

「報告書必要?」

「当たり前だ」

 団藤の返事を聞いた紘彬が「やっぱり見なかった振りすれば良かった」とボヤきながら机に向かった。


 報告書を書いていて午前中が潰れた紘彬と如月、それに団藤と上田、飯田、佐久が刑事部屋で昼食を食べていた。


「今日も元気に警察叩いてますね~」

 飯田が言った。


 TV画面に


〝またも闇サイト強盗! 警察は黒幕の手懸かり掴めず〟


 というテロップが出ている。


「あれ? この現場、近所じゃないっスか?」

 中継を見ていた佐久が言った。

「さっき桜井達が犯人を取り押さえた現場だ」

 団藤が答えた。

「お手柄ッスね!」

「俺は逮捕してない」

 紘彬が答えた。


 はね……。


 如月が心の中で突っ込んだ。


「被害者は無事だったんですか?」

 飯田が訊ねた。

「まだ息はあるとのことだが……おそらく助からないだろうと言われたらしい」

 団藤が答える。

「死ななくても強盗罪なんて重いのに被害者が亡くなったら下手したら死刑だろ。現行犯逮捕だから言い逃れも出来ないんだし」

「実際、闇サイト強盗で死刑になった人いますからね」

「そうなのか?」

 紘彬が訊ねる。


「既に死刑執行された人いますよ。他にもだ執行はされてませんが死刑が確定してる者もいますし」

「バイトなんて言うくらいだから報酬は端金はしたがねだろ。それで人生棒に振るなんてな」

 TVでは警察の対応への批判が続いていた。

「叩かれても給料もらえるだけ闇バイトよりはマシなのか」

「命懸けで凶悪犯逮捕する警察叩くだけで給料もらえる仕事は更にマシっスね」

「ホントだ! 俺も記者になれば良かった!」

 紘彬が残念そうに指を鳴らした。


 そこは医者では……。

 医学部出てるのに……。


 如月は呆れた視線を向けた。


「げ、まさか、うちを突き止めたのか!?」

 紘彬の言葉に如月が目を向けると、紘一の家の近くで蒼治と例の記者が何か話していた。

 というか逃げるように歩いている蒼治に記者が追いすがっている。


「蒼治」

 紘彬が声を掛けると蒼治と記者が振り返った。

「紘兄、如月さん」

 蒼治が紘彬を見て安心した表情を浮かべた。

「どうした?」

「この人が事件の事しつこく訊いてきて」

「あれ、お二人はお知り合いですか?」

 記者が食い付いてくる。


「蒼治が嫌がってるなら帰れ」

「国家権力で国民の知る権利を妨害する気ですか? 言論弾圧じゃないですかね。報道の自由って知ってます?」

「知る権利や報道の自由は他人の自由を侵害していい権利じゃない」

「自由を侵害したり……」

「してるだろ。蒼治の帰宅を邪魔してる。蒼治、迷惑なら通報していいぞ。目の前に警察官がいるんだからな。訴えが出たらすぐに捕まえてやるぞ」

「家や学校、通学路での付きまといや待ち伏せはストーカー規制法の対象だし、禁止命令を出してもらえば近くをうろつくのも禁止になるよ」

 如月がそう付け加えた。


「ネットに個人を特定出来るような情報や誹謗中傷を書き込まれたらそれもストーカー規制法に違反することになるからな。遠慮なく被害届出せよ。勤務先知ってるから禁止命令はすぐ出せるぞ」

 紘彬がそう言って自分の内ポケットから記者の名刺を取り出した。

 それを見た記者が渋々蒼治から離れた。

「元々警察がさっさと犯人を捕まえないから彼が被害者になったんでしょう。今日だってまた被害者が出たそうじゃないか」

 歩き出そうとしていた蒼治の足が止まった。


「ああ、そういえばお前の記事で家宅捜索が事前に知られて指示役を逃したんだったな」

「記事のせいで犯人を取り逃すことになったのか!? なんで捜査の邪魔してるやつ野放しにしてるんだよ!」

「警察の手抜かりを人のせいにしないで欲しいなぁ」

「お前、よくも……!」

 記者に殴り掛かろうとした蒼治の肩を紘彬が掴んで止めた。


「確かにこいつに知られたのはこっちの落ち度だ」

「けど、こいつのせいでまた被害者が出たって……」

「いいから、お前は帰れ」

 紘彬が促すと蒼治は悔しそうな表情を浮かべながらも帰っていった。

 蒼治の背中を見送っていた紘彬は、その姿が見えなくなると記者に向き直った。


「お前の給料がいくらなのかは知らんが、人の命に見合う金額なのか?」

「え?」

「今日の被害者、病院で亡くなったそうだぞ。あの日、指示役を捕まえることが出来ていれば死なずにんだ人だ」

「言い掛かりはやめてくれませんかねぇ。警察の失態しった……」

「今日、逮捕した被疑者が取調で言ったんだよ。あの家、ホントはあの日に押し入るはずだったけど指示役が急いで逃げなきゃいけなくなったから今日に延期したって」

 如月が答えた。

「あの日、指示役を逮捕出来ていれば今日の犯行はなかったんだよ」

「あの記事や続報、随分細かいところまで書いてあったな」

 ネットでの実行犯の集め方やアポ電での聞き出し方、被害者の見付け方など手口までかなり詳細だった。

「あれじゃ模倣犯が出るかもしれないよ。闇サイト強盗だけじゃなくて模倣犯による犠牲者まで出るかもしれないんだよ」

「真似だろうとなんだろうと悪いのはやる方じゃないですか」

「犠牲者の遺族にも面と向かってそう言えるのか?」

 紘彬の言葉に記者が答えに詰まる。


「あの記事に人の命を犠牲にするほどの価値があったのか? 本当に誰もが知る必要のある情報だったのか?」

 紘彬はそう言うと記者の返事を待たずに紘一の家に入った。

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