14-悩むのは

 夜の帳が落ちた男爵家の私室で、シルヴィがぼんやりと月明かりを見上げている。


 考えるのは、日が出ている間に、ヘラクレイトス第一王太子が打ち明けた計画についてだ。

 彼は移動中の車で言っていた。


「レイは君も知っての通り、少々短慮でね。いや、年相応といえば年相応なんだが、公爵家による英才教育を施されたうえでと考えれば水準に達していない。扱いの難しい子だよ」


 シルヴィが「わたしはもっと短慮ですが」と返すと笑われた。

 初日の休憩時間に談話室で行った『四十鬼夜行』が良くなかったらしい。

 王太子の中でシルヴィは深謀遠慮の到達点にいることになっていた。

 ボコったのはソフィアだ、と言ったところで信じてもらえないだろうな、とも思った。


「そして、さらに難しいのは君だ」


 王太子は国の実情と水面下の動きを、シルヴィでもわかるように説明した。


「この国には僕のほかに、二人の王子が存在している。それは国を確実に存続させる安全策でもあるけれど、けれど同時に、王位継承権をめぐって国を内分する脅威でもあるんだ」


 要するに、第二王子を国王にしたい人間が、第一王太子であるヘラクレイトス・レオ・ペンデュラムの暗殺を企てる恐れがある、ということだ。


「僕とレイの婚約は、第一王太子派の権威を強化し、この王位継承権をめぐる内乱を未然に防ぐものだと言ってもいい」


 寄らば大樹の陰とはよく言ったもので、王家と公爵家が縁を持てば、そこに属そうとする貴族は多い。

 第二第三王子を国王にしようと企てるものがいたとしても、諸貴族の制裁がけん制になり、内乱のリスクを押さえられる、という仕組みだ。


「そんな水面に波紋を生んだのが、君だ。君が歴代最高峰の聖力せいりょくを有しているのは、権力者であれば誰もが知っている」


 衝撃の事実にシルヴィはカエルが潰れたような声を零した。

 王太子は口元に笑顔を浮かべたが、目は笑っていなかった。

 笑い事ではないらしい。


「つまり、君が第二王子や第三王子の派閥に取り込まれれば、僕とレイへの対抗馬として成立してしまうんだ。その先に、何が待つと思う」


 王太子は、ひどく、硬い声で、こう言った。


「民を巻き沿いにした、王位継承権を巡る内乱だ。それはなんとしても防ぎたい。そこで、レイとの婚約を破棄し、君との婚約を新たに結びたい」


 王太子の目は暗く、光の届かない深海のような冷たさを放っている。


「レイが君にした無礼は、積み重なれば婚約を破棄するのに十分な理由になる。そしてレイに非がある婚約破棄であれば、公爵家の権威失墜は免れえない」


 言いたいことは、わからないでもない。

 ただし、感情論を抜きにした場合だ。

 頭で理解できることと、感情で納得できることは違う。

 そしてシルヴィは、感情で動くタイプだ。


 やだ。


 シルヴィは王太子の提案に二文字で返した。

 王太子は、触れれば凍るほど冷たかった目に柔らかな光をともし、困ったように笑った。


「まあ、気が変わったらいつでも言っておくれよ。そのための準備は、きちんと進めておくからさ」




 はあ、と再び長い息を吐いた。


「言いたいことが、わからないでもないけどさ」


 相手が真剣かどうか判断できないわけじゃない。

 覚悟の重さがわからないほど間抜けじゃない。


 王太子が、真剣に国のことを思い、自分より賢い頭で、個人的感情を排除した最適解がそれなんだと、シルヴィにもわかる。


『大丈夫です、シルヴィはレイツェルさんの未来を守ったんです。胸を張っていいんですよ』


 意識から追い出していた声が耳に響いて、苛立たし気に毒を吐いた。


「うるさい、話しかけてくるな。ソフィアなんて嫌いだ」


 そもそもの話、だいたいこいつが元凶じゃん、とシルヴィは気付いた。


 ソフィアなんて、いなかったら――


 王太子がシルヴィの地頭がいいと思い込んだのもソフィアのせいだし、ソフィアがシルヴィに変な言葉を吹き込まなければ王太子とデートすることもなかったし、

 ――聖女の力も、伝授されなかった。


「……」


 そのとき自分はどうなっていただろうか。

 答えは考えるまでもなくわかっている。


 死んでいた。


 あの日、ソフィアと出会ったあの森で、ケルベロスに全身を食らいつくされていた。


 もし仮に、森から逃げ出せたとしても、いまのような暮らしは不可能だった。

 前と同じように貧民街で、今度は人生逆転の可能性すら信じられず、死んだように生きていたか、くたばっていたかのどちらかだろう。


 ソフィアのおかげで、いまの自分がある。


(だからって、わたしは、ソフィアの操り人形なんかじゃないッ!!)

『シルヴィ……』

「ほっといてよ!」


 ソフィアを視界からはじき出すように、シルヴィは布団に潜り込んだ。

 柔からな月明かりが、シルヴィの眠るベッドに降り注ぐばかりだ。


(シルヴィ……)


 ソフィアは、シルヴィのそばに腰かけた。


(自分だけが大事だったあなたが、まわりの人のことも考え始めた。そのことでいまは、いっぱいいっぱいなんですよね)


 シルヴィの頭があるであろう位置にあたりを付けて、細長い指の手のひらで優しくなでる。

 実体を持たないソフィアの手は布団をすり抜けるだけで、その人肌がシルヴィに届くことはない。


(あなたが悩んでいるのは、あなたが優しいからなんです。だから、思いつめなくていいんですよ?)


 ソフィアの白い髪を、月明かりが照らしている。

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