13-鬼謀
王都の中心地に近い街路の商業区は、宝石店や、高級ブランド店などが立ち並んでいる。
ヘラクレイトス第一王太子と男爵家令嬢シルヴィはその通りを並んで歩いていたが、シルヴィは終始顔をしかめたままだ。
「どうしたんだい? そんなに難しい顔をして」
不満があるなら受け止めよう。
そんな思いから第一王太子が声を掛ける。
だが、返ってきたのは、不満というより、どちらかと言えば不安に近いものだった。
「値札が、無い」
もちろん、それがご自由にお取りくださいを意味しているわけでないことはシルヴィにもわかる。
「ああ、それはね? 理由が二つあるんだ。一つは、値札が見えると、どれだけ整った衣装でも見栄えが悪くなるから。もう一つは、価値を知ってから値段を知ってほしいからだよ」
シルヴィが目を閉じて口を尖らせる。
言っていることはわからないこともない。
ただ、消費者として、値段がわからないものを買おうという心理がわからない。
貧民街で染みついた金銭感覚が抜けきらないシルヴィにとって、生涯賃金を超えかねないだろうブランド物が並ぶ店舗は吐き気を催すに十分な場所だった。
「わたしが来るべき場所じゃないってことなのかなぁ」
ほとんど独り言だった。
だが、耳ざとい王太子は聞き逃さなかった。
「そんなことないよ」
ヘラクレイトス第一王太子がシルヴィの手を取る。
「僕が一緒にいるから、まずは入店してみようよ」
「え……いや、わたしお金無いし」
シルヴィの持ち金と言えば、ケルベロスを男爵家に買い取ってもらった十万ギルが全財産だ。
貧民街では大金だが、こういう場所では雀の涙にしかならないことを、シルヴィも最近学んだ。
遠慮を通り越して拒絶の意志を示すシルヴィに、王太子がからからと笑った。
生まれたときから貴族の令嬢からは見られない反応だった。
庶民感覚、というのだろうか。
「大丈夫。急な申し出を受け入れてくれたお礼だ。金銭の問題は僕が受け持つから、プレゼンツ嬢は気にしないでいい」
王太子はシルヴィの、貴族社会に染まっていない、純真な心根をとても好ましく思った。
婚約者におねだりされたときよりも、目の前で顔を引きつらせている少女を甘やかしてあげたくなる。
「じゃあ、僕が商品を見たいから、プレゼンツ嬢も一緒に品選びをしてくれないかな?」
入店すら乗り気じゃないシルヴィに、王太子はアプローチの仕方を変えた。
それが、シルヴィの中のハードルを引き下げた。
「それくらいだったら、いい、かな?」
困ったように笑うシルヴィの手を取り、王太子は笑顔で行きつけのブランド店へと足を運んだ。
店内の空気を浴びて、シルヴィは脱力して吐息をこぼした。
金の匂いは外より強くなったが、店員はシルヴィが思っているよりずいぶんと暖かく迎えてくれた。
貧民街にいたころは、客扱いされずに追い出されることも珍しくなかった。
そしてそのことは、無自覚に忌避するほどシルヴィの心に傷を負わせていた。
そのトラウマが再現されなかったことに、安どの息をこぼしたのだ。
「僕は店員と少し話してくるから、プレゼンツ嬢は商品を見て回っていてくれるかい?」
「ええ……?」
「大丈夫。触らなければ傷をつける心配は無いよ」
「善処はする」
店員と店の奥へ向かう王太子の背中を見送るシルヴィは難しい顔をしていた。
なんだか急におなかが痛くなってきた気がする。
早く用事終わらないかな、なんて思いながら、待ってるだけでは退屈だったので商品を見て回る。
シルヴィには商品の優劣がわからなかった。
だが、王都の中間層や貧民街に並ぶような装飾品とは一線を画すものであることは、一目でわかる。
何が違うのかはわからないが、ここに並んでいる商品を見ていると心がわくわくするのだ。
その中でも、一つ。
とりわけ心を奪われる髪留めがあった。
薄く平たい
髪留めの一端には、縁取りに使っているレトロゴールドと同じ材質の、取り外しできるチャームがついている。
「黒翡翠とパープルスピネルのバレッタか。うん、プレゼンツ嬢にきっと似合うと思うよ」
ハッと背後を振り返れば、すぐ真後ろでヘラクレイトス第一王太子が立っていた。
反射的に殴りかかろうとして、ここが気を抜けば殺される貧民街とは違うことを思い出し、握った拳をもう一方の手で押さえた。
「くっ、こんなあっさり背後を取られるなんて、不覚……っ!」
「君はいったいなにと戦っているんだ……?」
わからないよシルヴィにも。
「用事はもう済んだんだ?」
「うん。これを一つ、梱包をお願いします」
王太子は明るい声で店員に声を掛けた。
いそいそと店員がやってきて、商品をカウンターへ移し、何やら箱を詰め替えたり、包装紙を切り出したりといろいろしている。
シルヴィはこいつマジか、と王太子の背後からあきれた視線を向けていた。
値段も聞かずに即決で購入しやがった、と思っていた。
これが金持ちの買い物か。
と、内心で戦々恐々としながらも、とりあえず店の外に早く出たいから黙っておいた。
だから、疑問を口にするのは退店後だ。
「それ、レイツェルさんに似合いますかね?」
即決で購入した王太子の品に文句をつけるのもどうかと思ったが、聞くくらいならいいか、と思った。
公爵家令嬢のレイツェル・ディーネ・モノグラムは明るい金色の髪が特徴的だ。
黒翡翠の暗さは不純物のように馴染まないんじゃないか、とシルヴィは思った。
ちょうど、白い衣装に染みがつくようなイメージだ。
もしこれで似合うと言われたら、彼とは絶望的に美的センスの反りが合わないだろうな、と思った。
もっともその場合、欠落しているのはシルヴィ自身で、長く高級品で目を肥やしてきた王太子の判断が正しいんだろうけど、という注釈を付け加えた。
だが、王太子の口が紡いだのは、どうだろうねと茶をにごす回答でも、シルヴィの美的センスを否定する答えでもなかった。
「何を言っているんだ? これは君への贈り物だよ?」
「は?」
たっぷり三秒、シルヴィは思考を停止させた。
「何言ってんだこいつ」
「あはは、ずいぶんはっきりした物言いだね」
「……何をおっしゃっているのですか?」
疑問符に、「あれ? これって正しい敬語だっけ?」という不安のニュアンスをにじませてシルヴィが問う。
王太子は、言葉遣いが丁寧になっても中身の変わらない言葉に噴き出して、上機嫌に答えた。
「言った通りの意味。これは、普段レイが君に迷惑をかけているお詫びだ」
シルヴィの頭の中で疑問符が増殖する。
迷惑かけている比率で言えばお前も同じくらいだが? と、胸の内では思っている。
「あはは、これじゃ足りないかな?」
「や、べつにそういうわけじゃなくって」
「だったら、こんなのはどうだろう?」
「っ!?」
シルヴィは声を失った。
不意に、王太子がシルヴィを抱き寄せたからだ。
突然の出来事に、頭が真っ白になる。
街路の雑踏が遠くなり、ホワイトノイズが聴覚を支配して、
「レイを王太子の婚約者の座から失脚させる。だから、その後釜に君が座らないか?」
耳元でささやかれた王太子の声が、やけに頭に残った。
「……何言ってんだこいつ」
シルヴィは改めて悪態をついた。
王太子は上機嫌で笑顔を見せている。
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