12-王子、襲来

 シルヴィが学校に通い始めて三日が経った。

 学校から帰ったシルヴィが、男爵家にてリヒトに相談事をしている。


「王都の外に出たい?」

「うん。あと二回学校に行ったら二日お休みなんでしょ? そのとき、また森に行きたいなーって」

「ダメです」

「なんで!? どうして!?」

「シルヴィ様はまだ敬語をマスターされていないからです」

「う、ぐぐ」


 シルヴィは敬語が苦手だ。

 貧民街での暮らしが長かった反動で、堅苦しい言葉に拒絶反応が起こるのだ。


 だいたい、貴族の悪口の言い方が気に食わない。

 言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに、わざわざ遠回りな言い回しをして、そのくせ皮肉だって気付けと言わんばかりの態度をとる。

 どうにもそういう喋り方が肌に合わない。

 言いたいことは言う。

 そういう性分なんだから仕方ないじゃないか、と泣き言も言いたくなる。


 けれど、そんなはっきり言っても「では、苦手意識がなくなるまで反復練習しましょう」と堂々巡りするのは明白だ。

 シルヴィは知識に乏しいが知恵が無いわけではない。

 同じミスを何度も繰り返しはしない。


「や、それはほら! わたしまだ聖力せいりょくの扱いがなってないから! 実戦経験を積んで聖女としてのステップアップを狙うっていうか? これも敬語と同じくらい重要な訓練っていうか?」

「おお! ついに聖女をお目指しになられたのですね!?」

「え、ええと……」


 シルヴィの目がぎょろりと泳いだ。

 なんだか嫌な予感がした。


 聖力せいりょくの扱いがなっていない自覚があるのは本当だ。

 ソフィアの助けが無くても自在に扱えるようになりたいと思っているのも本当だ。


 けれど、聖女になりたいのかというと話は別だ。

 シルヴィが求めるのはあくまで聖力せいりょくの恩恵。

 聖女という地位に未練も執着もないし、どちらかというと距離を置いておきたい。


 かと言って、だ。

 シルヴィがちらりとリヒトの目をのぞき込む。


(目指す気が無いって言ったら、敬語の練習をしましょうって言われるだろうしなぁ)


 嫌な予感は、ますます強く警鐘を鳴らしている。

 ここで答えを間違えると大変な目にあうぞ、とシルヴィに力強く訴えている。


「は、はい。ひとまず次のお休みは、聖女としての訓練を頑張ります」


 これでどうだ、とシルヴィは自分をほめたたえた。

 恒久的な約束ではなく、次の一回に限定する言い回し。


 嫌な予感の正体は、今回の宣誓を言質にとられることと見破ったり。

 シルヴィは勝利を確信してほくそ笑んだ。


 ほくそ笑んだ表情が、一気に凍り付いた。

 リヒトもまた、悪い笑顔を浮かべていたからだ。


「そうですか。それは大変喜ばしいことでございます。実はつい先ほど王家から使者が参りまして、第一王太子殿下がシルヴィお嬢様のお目にかかりたいとのことでした」

「え」

「シルヴィお嬢様を政略に巻き込むのはどうかと思い断ろうと思っておりましたが、いやはや、お嬢様自ら聖女を目指すとおっしゃってくださり、私、感無量でございます」

「ちょっと待って!?」


 シルヴィは憤慨した。


(せっかくのお休みにあのめんどくさそうな男と会わないといけないとか冗談だよねぇぇぇ!?)


 第一王太子殿下といえば、何かとシルヴィにつっかかってくる公爵家令嬢レイツェルの婚約者だ。

 こっちはこっちで『四十鬼夜行』で下して以来、

「やあシルヴィ嬢、いい天気だね。レイとは仲良くしてくれているかい?」

 だとか、

「レイから君のことは聞いているよ。レイがここまで他人に関心を持つなんて初めてのことだ」

 などと、定期的にお前の素行は常に監視しているぞと脅迫しにくるのだ。


 いい子にしているとご褒美にもらえるケーキが生きがいのシルヴィにとって、王太子はストレスのもとでしかなかった。


「あー、えーと、ほら、さっきのはうん。いやもしかしたら聖女を目指す、って聞こえるようには言っちゃったかもしれないけど」


 もしもこの状況からでも間に合う保険があると言われれば迷うことなく飛びつくくらい、シルヴィは全力で前言撤回したかった。

 だが、シルヴィが加入していたのは望んだプランではなかった。


『シルヴィ、言い訳がましいですよ』

(ぐ、ぐぐぐぬぬ!)

『一度口にしたのです。きちんと責任をもって成し遂げましょう』

「ぐぬぬぬぬ!」


 最終的には歯ぎしりを思い切り響かせて、リヒトに指摘された。

 シルヴィはしょんぼりした。


「はい……」


  ◇  ◇  ◇


 そして休校日がやってきて、男爵家の前にはひときわ立派な車が到着していた。

 やけに全長の長い黒塗りの高級車の扉が開き、紺色のスーツ姿の青年が現れる。

 青年は若々しさをオーラとしてまといながら、しかし服に着られるような青臭さはしなかった。

 貴族として、幼いころから身に着けてきて、馴染みのある衣装だ。

 たたずまいも様になっていて、十人の令嬢がいれば九人がうっとりとため息をもらすだろう。


 だが残念ながら、シルヴィは残りの一割だった。

 せっかく普段着で過ごせると思っていたのにゴテゴテしたドレスを着せられて、そのうえヒールをはいて玄関で立たされ続けたのだ。

 不機嫌メーターはとっくに振り切れている。


「ヘラクレイトス・レオ・ペンデュラム、ただいま到着いたしました。本日はこのような場を設けていただき、心より感謝いたします」


 ヘラクレイトス――第一王太子はそんなシルヴィの顔色を読み取って瞬時に深々と頭を下げた。

 男爵家の人間がぎょっと目を丸くする。


「で、殿下! 顔をお上げください! 王族の、それも王位継承権一位のあなたが男爵家に軽々しく頭を下げるなどあってはございませぬ!」

「心得ている。だから、学園ではなく、こうして直接赴いたのだ。この場には私と男爵家にまつわるものしかいない。人に言いふらされる話でもないだろう」

「それは、そうでございますが……」


 男爵家ゆかりの人間はしげしげと、黒髪黒目の、桔梗の花飾りを身に着けた少女を見た。

 いったい学園で何をしでかせば第一王太子殿下が頭を下げるために男爵家を訪問するなんて事態に陥るんだと頭を唸らせた。


 当の本人に自覚は無いが、ここしばらく、シルヴィは暴れていた。


 学業分野ではソフィアの知識をひけらかし、運動分野では貧民街で培った意外性と機敏さで抜群の成績を取り続けてきた。


 つまるところ、王家に関わらず、方々でシルヴィを自分の派閥に取り組もうとする運動が、水面下で活性化していた。

 王家としても、次代を担ってもらう予定の聖女が、妙な派閥に取り込まれるのは阻止したい。


 第一王太子が早期からシルヴィに声をかけていたのには、そういった背景も存在した。


「うん。じゃあ、これで……」


 要件は済んだなと思ったシルヴィが別れのあいさつをしようとして、凍り付いた。

 彼女の真後ろで、黒タキシードのリヒトが威圧感を放っている。


(えええ!? なに!? わたし何かやらかした!? 何も間違ってないよね!?)

『シルヴィ、シルヴィ。相手は王族です』

(だからなに!?)

『丁重におもてなしする意志だけでも示しませんと、男爵家の名に傷がつくのではないですか?』

(うーん? それってわたしに何か困ることある?)

『経済制裁が行われると、ケーキの材料を買う余裕もなくなるかもしれませんね』

(それは困るッ!?)


 現状、シルヴィが貴族のしきたりを堅苦しいなと思いながらも男爵家に籍を置いている理由は二つある。

 一つは、貧民街時代の憧れだったこと。

 柔らかい布団や温かい湯舟を知ってしまったいま、かつてのような生活をしろと言われても無理だろうというのが自己分析だった。

 そして二つ目の理由が、そう、ケーキだ。


(えーと、えーと、こういう時なんて言うんだったっけ!?)


 テンパるシルヴィに、ソフィアが耳打ちする。


『ヘラクレイトス第一王太子殿下、本日はお日柄も大変よろしゅうございますね。もしよければ、ご一緒に王都巡りをいたしませんか?』

「ヘラクレイトス第一王太子殿下、本日はお日柄も大変よろしゅうございますね。もしよければ、ご一緒に王都巡りをいたしませんか? ――ん?」


 ソフィアの耳打ちをシルヴィが繰り返す。

 繰り返し終えた後、自分の発言を顧みて、考え込む。


(あれ、こんな言い回しだったっけ?)


 事前にリヒトから教えられていた言葉と違うような、と気付いたときには手遅れだった。


「そうだね。僕でよければ王都を案内するよ」


 シルヴィは大きく息を吸った。

 悟った、すべて、なにもかも。


(ソフィアァァァァァ! わたしをだましたなぁぁぁ!?)

『いえいえ。わたしはただ、シルヴィがケーキを取り上げられる未来を回避したい一心で……!』

(よくもそんな心にもない嘘をいけしゃあしゃあと!)

『本心ですよ! 二割くらいは』

(八割どこ行った!? ああ!? 言ってみろ!)


 突然頭をかきむしるシルヴィに、男爵家ゆかりの者たちがギョッとする。


『あ、シルヴィ。みんなが怪しがってますよ』

(主に、あんたのせいだからなぁぁぁぁ!)


 だんだんだんと地団太を踏んで、シルヴィは深いため息をついた。


「はい……よろしくお願いいたします」


 波乱な一日になりそうだな。

 なんとなくシルヴィは、そう思った。

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