11-煮汁にオリーブオイル

「やべ、おいシルヴィ! そろそろ休み時間が終わる!」

「わかった! すぐ行く! うーん、思ったより時間が掛かるんだね、ゲームって」


 ウォリアーとシルヴィが雑談を交わして談話室を後にしようとする。

 歓談は談話室の本来の用途だ。

 だが、二人の会話に、驚愕の表情を浮かべるものがいた。


 王太子だ。


「思ったより、時間が掛かる……?」


 この対局、シルヴィはノータイムで打ち終えた。

 王太子もまた、長考を可能な限りしなかった。

 休み時間中の出来事であり、長引かせられないと考えてだ。


 つまり、この対局は、とてつもなく早く終わった方なのである。


 それを知らないのは、

 持ち時間制の対局を知らないのは――


「コイツまるっきり初めてだったらしいんすよ。わかるっす、俺にはわかるっすよ殿下。編入生のこいつに花を持たせてやったんすよね!」

「ウォリアーは全力で戦ってわたしに負けた」

「んだと! ぶっ潰すぞ!」


 ――対局をしたことが、無かったからだ。


(バカな、あの緻密で、ミスの無い、老練な一局を、一度も対局をしたことが無い人間が行ったというのか!?)


 シルヴィがノータイムで完勝した事実に衝撃を受けた王太子は、ここで改めて壁にぶちあたる。


「あ、殿下。公爵令嬢に告げ口しないでくださいっすよ? 約束っすからね! んじゃ、俺らはこれで!」

「またねー」


 廊下を駆ける二人の少年少女を、王太子は注意することもできずに立ち尽くしていた。


「シルヴィ・プレゼンツ……君はいったい、何者なんだ」


 答えるものは、誰もいない。


  ◇  ◇  ◇


 ロビン学園の廊下を、シルヴィとウォリアーが必死に駆けている。

 ウォリアーは懐中時計を取り出し時間を確認すると舌打ちをした。


「チッ、シルヴィ、こっちだ」

「え? ウォリアー?」

「近道する!」


 シルヴィに拒否権は無い。

 まだ学園の教室配置を覚えていないからだ。

 一緒にいるのがウォリアー以外いない以上、彼について行くしかない。


 階段横の突き当り。

 レンガ造りの行き止まりが二人の着いた場所だった。


「あれ? 何も無いよ」

「まあ見てろって。この前偶然見つけたんだ。これ、俺とお前の秘密だからな!」


 ウォリアーがへへへと鼻の下を指でこすり、他よりわずかに出っ張ったレンガを押し込む。

 すると壁の一部が奥へとへこみ、光の無い通路が現れる。


「おおお!? 隠し通路だ!」

「急ぐぞ! ここを突っ切れば目的の教室はすぐそこだ」

「ラジャー!」


 秘密の抜け穴の価値は、貧民街出身のシルヴィにはよくわかった。

 逃げるにも攻めるにも、それを知っているか知らないかが生死を分けることがある。

 それを共有するのはよほど気を許した相手だけだ。

 彼女の中で、ウォリアーの分類が同類から身内寄りへと格上げされる。


 暗闇の中、シルヴィはウォリアーのあとを追う。

 閉所空間に二人の足音が反響する中、彼女がそれに気づいたのは偶然だった。


「ん?」

「シルヴィ? 遅れるぞ?」

「あ、うん! すぐ行く!」


 こんこん、と、シルヴィが壁をノックする。

 反対側にも同じく。


「んん?」


 右の壁と左の壁で、音の響きが微妙に違う。

 それはまるで、隠し部屋が存在しているようで、

「シルヴィ!」

「わ、わかってるって!」

 シルヴィはそれ以上の捜索を切り上げて、ウォリアーの背中を追いかけた。




 シルヴィたちが去った暗闇の向こうでは、不定形な影がうごめいていた。


  ◇  ◇  ◇


 シルヴィとウォリアーは滑り込みで教室に到着し、体操着のまま授業を受けた。

 ウォリアーもシルヴィも堅苦しい服装より動きやすい服の方が良かったし、人の目を気にする性格でもない。


 少々奇異な目で見られながらも三限目の授業は終わり、昼食の時間がやってきた。


「ごっはん、ごっはん」


 男爵家に引き取られ、最初こそ時間通りにご飯が出てくるのは奇妙な感覚だった。

 だが今となってはシルヴィの生きる楽しみである。


「ま、待ちなさい!」


 上機嫌のシルヴィに声を掛ける令嬢がいる。

 金髪の公爵家令嬢、レイツェルである。


 シルヴィはまたぁ? と、げんなりした。


「シルヴィ・プレゼンツ。男爵家の料理人の腕がいかほどかは知りませんが、公爵家の食事に同伴してもよろしくってよ!」


 ロビン学園の生徒の多くは食堂で食事を済ませる。

 公爵家や王族も通う学園であり、食堂に勤める料理人の腕も王都内でトップクラスであり、あえて自前の料理人を使う理由が薄いからだ。

 しかし、実際問題、公爵家や王族の令嬢令息は専属の料理人を敷地内に招き、専用のメニューを提供させるのが普通だ。


 その、王都でも超一流の料理人が作ったランチに、レイツェルはシルヴィを招待した。


「じゃあ、そういうことで」

「え!?」


 バイバイと手を振ってシルヴィが離れる。


「ま、待ちなさい! 同伴しても、よろしくってよ!」

「うん。しなくてもいいんでしょ?」

「え!? いや、え? そうじゃなくって」

「リヒトがご飯作ってくれるって言ってたから、じゃね」

「え、え、え? そのお方は執事ではございませんの? こ、公爵家は料理のプロが」

「フッ、リヒトの腕はプロ以上、ってリヒトが言っていた」

「そんなはずありませんわ!? 執事業をしながら、料理に一生を注いだ職人を上回るなんて……! ああ、お待ちなさいシルヴィ・プレゼンツ!」


 シルヴィはるんるん気分で、リヒトが待つホールへ向かった。

 外来の料理人が使える厨房からすぐ近くにある、レイツェルなどが普段使いしている方の食堂だ。


「なるほど。つまり、モノグラム公爵令嬢様は私の料理の腕を不審に思っており、その実力のほどを確かめたいと」

「ええ。お金なら望む額を払うわ」

「それはそれは」


 黒タキシードのリヒトが、目を細めた。


(さすがですシルヴィお嬢様。入学初日からご学友が出来たのですね。では、私も全身全霊でおもてなしいたしましょう)


 この執事、シルヴィに関連することになるとシルヴィの評価が高い方へ物事を判断する傾向がある。


「こちら、ミネストローネにございます」


 ミネストローネはとある地方の郷土料理だ。

 決まったレシピは無く、家庭によってさまざまだ。

 炒めた野菜のうま味をどれだけ引き出せるかが、ミネストローネの質を決める。


「んー、リヒト! 今日もグー!」

「ありがたきお言葉」


 シルヴィが上機嫌の笑顔を見せて、リヒトが顔をほころばせる。


 一方で、緊張した面持ちで口に運んだレイツェルの表情は凍り付いていた。


「なんてこと……この豆のうま味はいったい」


 公爵家に生まれ、レイツェルはずっと質の高い食事を取ってきた。

 だがその中でも、リヒトが作ったミネストローネは最高レベルと言っても過言ではない。

 いや、むしろ過去最高と言って差し支えない。


「豆を炊くときに、煮汁にローリエ、タイム、塩、オリーブオイルを入れて灰汁を解消してあります」

「な、そんな調理方法が……っ」


 レイツェルは教養として料理のうんちくは学んでいる方だが、そんな調理のコツは聞いたことが無かった。


「み、認めるわ。あなたの料理の腕は、本物よ!」

「公爵家ご令嬢からそのようなお言葉がいただけて光栄でございます」


 リヒトはレイツェルの言葉をさも当然だと受け止めた。

 レイツェルはなんだか負けた気分になった。


 何の勝負をしていたのかは、当人たちもわかっていない。

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