10-『四十鬼夜行』

 騎士爵令息である赤髪のウォリアーは、シルヴィに敗北してからけろっと態度をひっくり返していた。


「お前戦士の才能あるって! 今度から戦闘訓練でペア組む時は俺と組もうぜ? 俺、親父が騎士だから他のやつらより剣に詳しいぜ!」


 戦闘訓練が終わるころにはすっかりトゲの抜けたウォリアーが、シルヴィに語り掛ける。

 シルヴィもまた、運動でストレスを発散し終えた後で機嫌がよくなっていた。


 ウォリアーは悪童であるが外道ではない。

 彼の真っ直ぐな性根はシルヴィにとって嫌いなものではなかった。

 どちらかと言えば、都合がいいとすら考えた。


 執事のリヒトから暴力沙汰を起こしてはいけませんと言われていた。

 だが、どうやらこの少年の気質は血気盛んらしい。

 不意打ちじみた攻撃をしてもそれを非難するどころか称賛する始末。


「ん、それはちょっと魅力的かも」

「だろ! よっしゃ決まりな!」


 このストレスだらけの学校で、ストレスを発散する運動相手としては申し分ない。

 そういうこともあり、シルヴィはウォリアーの提案を受け入れた。


 だが、それに待ったをかける人物が存在する。

 公爵令嬢のレイツェルだ。


「ま、待ちなさい! 淑女がたしなみ以上に剣を学ぶなんてみっともない! それに、才能で言うならシルヴィは聖力せいりょくがあるんだから聖女になるべきじゃなくって!?」

「はあ!? そんなのシルヴィの勝手だろ!」

「いいえ! 貴族には国益を優先する義務があるんです!」

「あー出たよ! 貴族がご都合主義で使うワードランキング二百年連続一位のノブレス・オブリージュ! 耳にタコができるくらい聞き飽きたっつうの! 行こうぜシルヴィ」

「あ、ちょっと、待ちなさい!」


  ◇  ◇  ◇


「ふぅ、さすがに巻いただろ。お前も災難だな、公爵令嬢に目を付けられて」

「本当に」

「ははっ、公爵家の悪口をためらいなしかよ! 肝が据わってんな」


 二人が逃げ出した先はロビン学園の談話室だった。

 そこにいた先客を見てウォリアーがゲッと声を出す。


「第一王太子、なぜここに!」


 山吹色の髪をM字バングにした、大空のような澄んだ青の瞳をした男が椅子に腰を掛けていた。

 ウォリアーが第一王太子と驚きの声を発すると、男はゆったりとした動作で立ち上がった。

 それからウォリアー、シルヴィへと視線を移す。


「なぜって、ここは談話室だよ? 僕が使っても、何も問題ない。そうだろう?」

「それは、そうっすけど……」

「ああ、それとも、レイの悪口を聞かれたことを気にしているのかな」

「せ、性格悪いっすよ!」


 ウォリアーが汗を垂らしているのを見てシルヴィは、まあ運動した後だし汗もかくか、と思った。

 違う、そうじゃない。


『シルヴィ、多分ですけど、この方公爵令嬢さんの婚約者ですよ』

(へー)


 男、第一王太子がレイと呼んだのは公爵令嬢であるレイツェル・ディーネ・モノグラムの愛称だ。


『反応が、薄い……! いいですかシルヴィ、いまの発言を聞かれたのは、すごくよろしくないのです!』

(なんで?)

『公爵家と王家、二大権力者にケンカを売ったからです。するとどうなると思います?』

(どうなるの?)

『ケーキが没収されます』

(んな……っ!?)


 ここに来てシルヴィはことの重大さを理解した。

 いや、正確には理解していないが、現状が非常によろしくないのは理解した。


「ふふ、まあ、落ち着きなよ。レイがプレゼンツ嬢にした仕打ちは僕の耳にも届いている」

「多分足りてないっすけど」

「ん?」

「なんでもないっす」


 王太子が言ったのは、今朝の、登校時にシルヴィのあいさつにあいさつを返さなかった件であり、ウォリアーが指摘しかけたのは戦闘訓練後のおせっかいについてである。

 ついさっきの出来事で、最短距離で談話室まで来た当事者たちより早く情報を仕入れるのは不可能だろうという読みからの発言だったが、この場で言うと言い訳がましくなると判断したウォリアーは沈黙を選んだ。


「レイに非礼があったのは僕から詫びるよ、すまなかった。……けれど、婚約者として、無条件でレイの悪口を見逃すわけにもいかないんだ」

「ぐっ、要求は何っすか」

「なに、簡単なことだよ」


 王太子は、テーブルに手を乗せて、人差し指でとんとんと天板をたたいた。


「ボードゲームの遊び相手になってくれよ。勝っても負けても、それで無かったことにするからさ」


 テーブルには九×九マスの盤と、計四十枚のコマがあった。


「げっ、『四十鬼夜行』かよ。俺頭使うの苦手なんだよ……シルヴィ、お前は?」


 とりあえず、両サイドに九枚ずつ配置されているスライムは最弱なんだろうな、と思った。

 あれは魔物と言われているが、実際は魔力を取り込んだただの粘液だ。

 シルヴィが素手でも倒せる。


 とはいえ、わかるのはそこが限界だ。

 どのコマがどこに動けるのかもわからない。


 お手上げ、と答えようとしたが、待ったをかける手が伸びた。

 シルヴィだけが見える白髪の幽霊――ソフィアだ。


『シルヴィ、ここは私にお任せください』

(お、ボードゲームにも堪能なの!?)

『当然です。これでも聖女を襲名する前は遊戯女王の名を欲しいままにしていたのです』

(なにそれカッコいい!!)


 ボードゲームと、王太子と、それからウォリアーを見てからシルヴィが耳打ちする。


「たぶん大丈夫」

「は? たぶんってどういうことだよ」

「だって遊んだこと無いもん」

「は? おいちょっと待て!」


 ウォリアーの制止も聞かず、シルヴィが王太子の対面に座る。

 王子が珍しいものを見たとでも言いたげにほほ笑む。


「二人掛かりで来なくていいのかい?」

「冗談」


 シルヴィは王太子の含みのある笑顔に、挑発的な笑顔で返した。


「右腕一本で十分よ」

「くっはは! そうか!」


 王太子は、彼にしては珍しいほど盛大に笑った。

 不正防止のため利き手のみ使用するのが本来のルールである。

 シルヴィの挑発は挑発にもなっていない。


「レディファーストだ。先手は譲るよ。どこからでもかかっておいで?」


 面白い勝負が出来そうだ。

 そんな予感を、胸の内で膨らませる。


『ドラゴンA8』


 ソフィアが丁寧に、動かすコマと動かす先を指さしてシルヴィに指示を出す。


「は?」


 王太子は素っとん興の声を出した。


 『四十鬼夜行』は、八種のコマを互いに動かして、最終的に相手のキングを取った方が勝利のゲームだ。

 四十とは言っているがこれは互いのコマの総計。

 盤面開始時のコマは互いに二十枚ずつ。

 そのうち、初手で動かせる駒は十七枚。

 そして、シルヴィが指したのは、最弱の一手。


(なんだ、これは。無意味な一手どころか、マイナスの一手じゃないか)


 譲った先手番の有利を、それ以上の有利を付けて返却された。

 言葉にするならそんな所だ。


(勝てないとみて、露骨な接待でもするつもりか?)


 王太子は盤から視線をはなし、シルヴィを見る。

 そこには絶対の勝利への自身が満ちあふれており、負けるつもりはさらさらないように見える。


(まあいい。答えはこの戦いが教えてくれる)


 王太子はスライムC4と、古くから愛用されている一手を指した。


  ◇  ◇  ◇


 ――なぜだ。

 王太子は、混乱していた。

 ――なぜ僕が押されている?


 シルヴィの初手先手番譲りから始まった対局は、すでに佳境を迎えていた。

 彼女が序盤の数手を遊んでいる間に形勢は王太子よしで進行し、そのうえ王太子は甘い手を一切打たず、全力で対局に挑んでいた。


 だが、盤面は、気付けば、シルヴィ有利になっていた。


「くっ」


 シルヴィがB4にスライムを打ち込む。

 ここで凡手を王太子が繰り出せば、スライムA2にキングで取るしか手がなくなり、フェニックスC4で打つ手がなくなる。


 ここで王太子は先んじて、持ちゴマからC8にドラゴンを打ち込んだ。

 シルヴィが放置すればG8のオーガを取って逆転する。

 また、先の手順でシルヴィが攻めようにもC4にドラゴンが効いていた。


 王太子の一手は攻守を両立した素晴らしい一手だった。

 盤面においての最適解と言っても過言ではない。


 だが、予想だにしない一手が王太子を襲う。


 オーガF8。


(しまった――! このオーガは、取れない!)


 F9には王太子のフェニックスがいる。

 だがこのコマは、戦線に参加すると同時に、王太子のキングの急所をにらむ守りのコマとしても機能していた。


 オーガを取れば守りが薄くなり、しかし取らなければオーガにフェニックスが討ち取られる。


 王太子はG6にスライムを攻め込ませて、戦線の強化を図った。

 フェニックスを打つためにオーガが攻めてくるなら、戦線を離れた隙にキングスライムを作り出せる。


 首の皮一枚で命をつないでいる。


 リザードマンH5。


 シルヴィが指したこの一手が正確だった。

 勝負を焦らない、巧妙な一手。


「……っ!」


 このリザードマンはスライムで取るしかないが、本来であればこのH5に、王太子はハーピィを打ち込みたかった。

 だがスライムでリザードマンを取ってしまえば、ハーピィの打ち込みは不可能になる。


 その後もシルヴィは間違えない。

 王太子の守りを限定させ、彼のドラゴンの通り道を塞ぎ、攻めに使ったコマで相手の攻め筋を断ち切る。


「ま、け、ました」


 王太子は敗北を認め、シルヴィが長考を一度もしなかった事実に恐怖した。

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