9-騎士爵令息

 金髪の公爵令嬢ことレイツェルは感動していた。

 ワームウッドの嫌がらせに毅然とした態度で返すシルヴィは、同性である彼女さえ見とれてしまった。

 彼女の中で評価は爆上がりしており、手放しで称賛したくて仕方がなかった。


「待ちなさい、シルヴィ・プレゼンツ」


 薬学の授業が終わると、レイツェルはすぐさまシルヴィに声を掛けた。

 自然な動作でシルヴィが振り返る。

 ふわりと、漆色のショートボブが舞い、透き通るような黒目がレイツェルをのぞき込む。


 目と目が合った瞬間、レイツェルは頭の中が真っ白になった。


「さ、さきほどの、ワームウッド先生の質問に答えられたのは大変すばらしいですわ。きっと、たゆまぬ努力の末に手にした薬学知識なのでしょう」

「や、違うけど」

「ご謙遜を。実のところ、私はあなたのことを一目置いているのでしてよ!」


 シルヴィが表情を殺した。

 シルヴィにしてみれば、さきのやり取りは教師と聖女の霊にはめられた苦い思い出だ。

 それを称賛されるのはあまりいい気がしない。

 かと言って、不満をあらわにしてしまえばケーキがもらえなくなる可能性がある。

 だから感情を殺すことを選んだ。


 だが、レイツェルはシルヴィのそんな事情を知らない。


(あ、あら? どうして不機嫌になってますの!?)


 仲直りしたいと思って声を掛けたのに、現状その未来は一向に見えてこない。

 話の展開を間違えたかとも思ったが、見えている情報を頭で考えている限り何が不満なのかわからない。

 それで、いろいろとテンパって、


「私の派閥に属する気はないかしら!?」


 身内に引き込みたいという思いだけがから回った。


「やだ」

「んなぁっ!?」


 シルヴィから見て、レイツェルはどちらかと言えば敵寄りの人種だ。

 仲良くなるのはもちろん、相手の下につくなど考えられなかった。


「話はそれだけ? じゃあ、わたしは行くね」

「ま、待って! 私も一緒に行くわ!」


 二人は薬学の教科書を教室に置くと、更衣室へ向かった。

 この後の授業が、戦闘訓練という体を動かす授業だったからだ。


「……」

「なに」

「い、いえ、何も」


 レイツェルは着替えるシルヴィの肌を見て、声を失った。

 ドレスに身を包んでいるときは分からなかったが、彼女の体は細いというより、やつれているに近かい。

 それに、体中のいたるところに小さな裂傷痕がある。

 貧民街の過酷さが見受けられ、鳥肌が立つのを抑えられなかった。


「その目、イライラするからやめて」


 吐き捨てるように、シルヴィが言う。


「わたしは自分を負け犬だと思ってない。あわれまれるほど落ちぶれてもいない」


 シルヴィの黒い瞳が、レイツェルを見つめている。


「あんたの価値観で勝手に悲運を押し付けないで」


 先に着替えを終えて校庭へ向かうシルヴィを、レイツェルは見送るしかできなかった。


 シルヴィはそろそろ我慢が利かなくなってきていた。

 朝から変な人に絡まれっぱなしだ。

 普段ならもう右手が真っ赤に染まるほど拳を繰り出しているのを、ケーキを思う一心で押さえつけている。

 だが、そろそろ限界だった。


 シルヴィはもともと気が長い方ではない。

 彼女自身、そろそろストレスが拳に乗って繰り出されるだろうと予感していた。


 そんな折だった。


「おお、木剣。すごい、真っ直ぐだ」


 戦闘訓練の授業では、生徒一人一人に訓練用の木剣が配られた。

 握ってみてシルヴィは驚いた。

 驚くほど持ちやすいのだ。


 木材を獲物にしたことが無いわけではない。

 だが、それは自然に折れた枝を使ったものだったり、あるいは燃料用に乾燥させている薪だったりで、武器のための木材を握ったのは初めてだ。

 少し感動を覚えながら、片手で適当に振り回す。


「あはは! なんだその形無しの素振り、剣術習ったことねえのかよ!」


 背後から声がして、シルヴィは木剣を振るのをやめた。

 声がした方を見れば、赤いショートヘアの、生意気なツリ目の少年が腹を抱えてシルヴィを笑っている。


「無い」

「ぶははっ、マジかよ! 道理で構えもなってないへんてこな剣なわけだ! そんなんじゃ魔物に殺されちまうぜ?」


 第一印象でシルヴィはこの男が嫌いになった。

 そして、今朝から続いていたストレスへの我慢も臨界点を迎えようとしている。

 下手に食い下がるのは災いのもとですとリヒトから受けた忠告が脳裏をよぎったが、それでも言われっぱなしを我慢するのは限界だった。


「魔物なら倒したことがある」

「へえ? スライムか? それともゴブリンか?」


 少年があざけりを見せる。


「ケルベロス」

「は?」

「わたしはケルベロスを狩ったことがある。あんたは? どんな魔物と戦ったことがある?」


 あまりに淡々とシルヴィが受け応えるものだから、赤髪の少年は少々たじろいだ。


「う、うそつけ、ケルベロスは森にでも行かないと出ない凶暴な魔物だぞ。どうやってお前が勝つんだよ」

「戦ったことが無いの? 戦ったことが無いのに、魔物に殺されるかどうかわかるの?」

「る、るせえ! 俺より弱い奴が魔物と戦って平気なわけないだろ!」


 そんなやり取りをする二人を、教師が指摘する。


「そこ! 無駄口をたたか――」

「サー、イエッサー」

「――ああ、わかればよろしい」


 説教を受ける前にシルヴィが従順な姿勢を示す。


(あ、危ない。いまのはセーフだよね? 怒られる前だったよね? ケーキ没収されないよね?)

『どうでしょう』

(くう、こいつがつっかかってくるから!)


 シルヴィが赤髪の少年をにらみつけ、少年もまたシルヴィをにらみ返した。

 無駄口をたたけないんだったら、視線でバトればいいじゃない。


 これでこの二人、案外似た者同士かもしれない。

 はたで見ていたソフィアはなんとなくそう思った。


「今日の授業は実戦形式で行う。ウォリアー、来い」

「はい!」


 教師に呼ばれて、一人の生徒が前へ出る。

 赤髪の少年だった。


「実戦形式の訓練には、相手を転ばせれば勝ちの『転倒戦』、どちらかが負けを認めるまで続く『徹底戦』などがあるが、今日行うのは最もメジャーな『一撃戦』だ。ウォリアー、説明してみろ」

「はい! 『一撃戦』は先に一撃入れた方が勝利の訓練です!」

「その通りだ。まず先生がウォリアーと行うから、そのあとは二人一組でペアを組み――」

「先生、それなんですけど、一ついいでしょうか」

「なんだウォリアー」


 赤髪の少年――ウォリアーはシルヴィに視線を送るとあごで合図した。


「最初の手本、あいつとやらせてください」

「だ、ダメに決まっているだろう! プレゼンツ嬢は今日が初の戦闘訓練だし、剣を習ったこともないんだろ!?」

「だから、格の違いを教えてやるんです。騎士爵の力、見せてやる」


 ウォリアーの瞳は炎が宿ったようにメラメラ燃えていた。

 教師はウォリアーの説得は後回しにした。


「ミスプレゼンツ! ウォリアーはこう言っているが受けずともよい! 初日は剣のイロハを――」

「やります」


 教師が言い終わる前にシルヴィは答えた。


「ちょうどむしゃくしゃしてたんだ。手合わせ願うよ、騎士爵生まれのウォリアーくん?」

「ハッ、上等だ市民上がりが。実力差を思い知らせてやる」


  ◇  ◇  ◇


 白線で形作られた長方形のフィールドで、シルヴィは二度三度と木剣を振った。


(うーん、やっぱちょっと重いな)


 それはそうだ。

 彼女が持っている木刀の刃渡りはおよそ一メートル。

 片手で振り回すには少し重い。

 柄だって、両手で持つ長さだ。


「いつでもいいぜ、先手は譲ってやる」

「ああ、そう」


 シルヴィはそういうと、いわゆる腰だめで剣を構えた。

 誰に習ったわけではないが、貧民街での経験からくる構えだった。


(こいつ、剣術かじったこと無いんじゃねえのか?)


 シルヴィの構えを見て、ウォリアーは緩んでいた意識を少し引き締めた。

 ずぶの素人ではない。

 多少は心得がある。

 その程度に認識を改めた。


 悪い判断ではない。

 油断をしていた最初こそ褒められることではなかったものの、相手の構えを見て、分析し、反省できるのはいい点だった。


 だが、彼の意識の切り替えは、

 結果として凶と出た。


「ハァ!」

「何ィッ!?」


 シルヴィは木剣の柄を握ってなどいなかった。

 彼女がつかんでいたのはちょうど中心部分。

 それを、槍投げの要領で、思い切りぶん投げる。


(木剣を投擲だと!? んな、でたらめなっ!?)


 ウォリアーは訓練で使う木剣の刃渡りを正確に把握していた。

 腰だめに構えて刀身を隠したところで、間合いは見切っていた。

 シルヴィが後の先を狙っていると見て、フェイントをかけて勝負を仕掛けるつもりだった。


 だが、実際の初撃は、シルヴィから始まった。


(避けらんねえッ!)


 回避が間に合わないと判断してからの行動は迅速だった。

 構えていた木剣を横に振り、飛来する、シルヴィが投擲した木剣をたたき落す。


 たたき落して、木剣を振り終えたすぐ目の前に、シルヴィが迫っていた。

 武器を投げ、無手となった徒手空拳が、意識外からの攻撃に対処を迫られていたウォリアーの顔面へ向かって真っ直ぐ襲い掛かる。


「ウォラァァァア!」

「ぶべらっ!?」


 シルヴィの拳が、ウォリアーの顔面を捉えた。


「そ、そこまで! 勝者、シルヴィ・プレゼンツ!」

「ふふん」


 シルヴィは、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

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