15-ホントだもん!ウソじゃないもん!
「難しいこと考えるのやーめた」
翌々日、学校に通う頃にはシルヴィの悩みは解決していた。
「いままでがわたしらしくなかったんだよ。考えるタイプじゃないのに、あれこれ考えすぎちゃってて」
シルヴィの元気が無いとみるや否や、リヒトが一晩で紙芝居を作り、シルヴィに読み聞かせしたのだ。
貧民街で育ち、その手の娯楽を知らずに生きてきたシルヴィにとって紙芝居は初体験。
つまり、
(昨日の紙芝居面白かったなー。五日間頑張ったら新しいの作ってくれるって言ってたし、頑張るぞー)
シルヴィは、悩み事より面白いことに夢中になっていた。
◇ ◇ ◇
それはそれとして、シルヴィが意気込めば、全部が全部うまくいくわけではない。
「本日は聖女の歴史について勉強いたします。歴代聖女の名前を、皆さんはどれだけ知っていますか?」
休み明けの、その日最後の授業のことだった。
学術機関ロビン学園の一階、一年生教室では歴史の授業が行われている。
教師の名前はモダレーテ・リ・リバイ。
当代聖女の座を争ったこともある、王都で二番目に強い
いまはシルヴィが頭角を現したため三番目か。
とにかく、王都でも有数の
そのモダレーテ女史からの質問を受けて、勢いよく手を挙げたのはモノグラム公爵家令嬢、明るい金髪が特徴的なレイツェルだ。
「ではミスモノグラム」
指名されたレイツェルが勢いよく起立する。
「はい! アリシア、アイーシャ、テレーゼ……」
淀みなく列挙していくレイツェルを尻目に、シルヴィが、よくそんなにたくさんの名前を憶えていられるな、なんて思いながら緩く聞いている。
正直、いまから反唱してくださいと言われても最初の二人目すら怪しい。
それでも完全に聞き流さなかったのは、ソフィアの名前がどのあたりで出てくるかを確認しようと思ったからだ。
だから、気付いた。
「以上、歴代聖女全員の名前ですわ」
「素晴らしいですミスモノグラム」
言い終えたレイツェルが席に着き、教師のモダレーテが拍手を送る。
「あれ? ソフィアは?」
アリシアだのアリスだの、似たような名前が何度も出てきたのに、ソフィアの名前は一度も呼ばれていない。
それはおかしなことだ。
シルヴィがちらと虚空を見る。
そこに、白髪の幽霊が浮かんでいる。
その霊魂は
(なんでどっちも指摘しないの?)
意味がわからなかった。
どちらか一人なら偶然飛ばして覚えちゃったんだね、で済ませられる話だが、二人ともとなればおかしな話だ。
「誰よその女。わたしは三歳のころから英才教育を施されて、歴代聖女の名前も完璧に記憶しているの。ソフィアなんて名前、どんな書物にも載っていなかったわ」
少し考えて、シルヴィはハッと気付いた。
つい先日、男爵家で行われている座学で習ったばかりだ。
「ソフィアという文字に限定した、難読症――!」
「違うわよ! 疑うなら教科書を開いて確認すればいいじゃない! ソフィアなんて名前どこにも無いわ!」
まあ、違うだろうなってのはわかっていた。
習いたての単語を使いたいお年頃なのだ。
レイツェルに怒鳴られながら、シルヴィは歴代聖女の名鑑を目で追いかける。
(むむ)
字は覚えたが、いくつか思い出すのに時間が掛かる文字がある。
だから名鑑を開いても、全員確認するのに時間が掛かる。
『確かに、私の名前が載っていませんね』
(えー!? なんで!?)
『なんでって、それは……』
ソフィアが言葉をにごす。
(シルヴィに真実を知られるわけにはいけない。これ以上聖女への印象が悪くなれば、この子は絶対、聖女になる未来を拒絶してしまう)
聖女の血が薄らいで、この都が危機に陥っているのは、人からの話で理解している。
そして、その危機を招いたのはほかならぬソフィアだ。
自分の不始末を解決してもらうためにも、次の世代の子どもたちのためにも、ソフィアはシルヴィが聖女になることを望んでいる。
『それは、何か不都合なことがあって、歴史から抹消しないといけなかったのではないでしょうか?』
(何さ! 不都合なことって! そんなのわかんないよ!)
『え、えーと』
真実を明け透けにすることはできない。
だからといって、本当のことを嘘で塗りつぶすのもまた、ソフィアの宗旨に反する。
不正をただすために、不正で報復してはいけない。
彼女を慕う者たちにそう教えたのは、ほかならぬ彼女なのだから。
「いるもん! ソフィアいるもん! すごい聖女だったんだもん!!」
ソフィアが煮え切らない答えしか返さないものだから、とうとうシルヴィがしびれを切らした。
レイツェルからすれば、シルヴィから向けられた初めての激怒の感情だ。
緊張で体が強張って、頭の中が白く染まっていく。
「わからない子ね! ソフィアなんて聖女は存在しない!」
「いる!」
「いない!」
「いるんだもん!」
「いないって言っているでしょ!!」
シルヴィはこれまで、ケーキのために、いろんな言いたいことを自制してきた。
今日だって、紙芝居のために頑張るつもりだった。
だが、正面切って、自分を助けてくれた恩人を否定されて、冷静でいられるほど、シルヴィは大人びていなかった。
「レイツェルのバカっ! もう知らない!」
「あ、シ、シルヴィ!」
シルヴィは椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がると、目に涙をためて教室を飛び出した。
レイツェルは、予想だにしてなかった。
あのしたたかな黒髪の少女が、涙を浮かべる想像が、彼女には出来ていなかった。
シルヴィに知識不足を指摘されて予想外。
感情的に噛みつかれてしまって予想外。
見ることは無いと思っていた涙でまた予想外。
レイツェルの頭は、ショート寸前だ。
考えがまとまらない。
まして、何かしらアクションを取ろうと思えばなおさらだ。
金縛りにあったかのように、その場で凍り付く。
「せ、先生がシルヴィさんを探してきます! 皆さんは先生が戻るまで自習していてください!」
その言葉にハッとして、レイツェルは自分がいま、何をすべきかわかった。
奥歯を噛みしめ、こぶしを握り、離席する。
そして教室を後にしようとして、ごつごつした手に腕をつかまれた。
赤い髪の、将来有望な顔立ちの少年。
騎士爵令息のウォリアーだった。
「おい! どこ行くつもりだよ」
「ウォリアーさん。放してください」
「ダメだ。先生の話聞いてなかったのか。俺たちは、教室で自習だ」
「シルヴィにあんな顔をさせたのは私です。私が謝りませんと!」
「理屈はわかる。でもいまは、先生の指示に従え。シルヴィが帰ってきてから謝ったほうがいい。いまあいつに会ったって、怒りを強めるだけだぜ」
「それは……っ、それでも!」
ウォリアーは難しい顔をしてから、レイツェルを放した。
「俺は止めたからな」
「ウォリアーさん、ありがとうございます!」
「ケッ、勝手にしろ」
レイツェルは戸を開くと、廊下へ飛び出した。
どっちへ行ったんだろう、と考えて、やめた。
考えている時間すら惜しい。
とにかくいまは、早くシルヴィを見つける。
レイツェルの頭にあったのは、それだけだ。
◇ ◇ ◇
ロビン学園の、どこかもわからない階段を、シルヴィがとぼとぼと登っている。
(ねえ、ソフィア。ソフィアは、聖女だったんだよね?)
『はい』
(だったら、どうして名前が無いの?)
シルヴィが下唇を強く噛んでいる。
ソフィアは沈黙を貫いたままだ。
(はは、言えないんだ。わたしに、隠し事してるんだ。へえ、わたしは、結構信じてたんだけどな、ソフィアのこと)
初めて出会った日、ソフィアは見ず知らずの少年を助けるために自らの力をシルヴィに託した。
とんだお人好しだ。
それでも、自分よりずっとずっとまともな人間だと思っていた。
仲間だった少年二人に身代わりにされて、裏切られた直後でありながら、もう一度、人を信じてみようと思えるくらい劇的な出会いだった。
人を信じようとして、でも信じてもらえなくて、そのたび、もう人を信じるのをやめようとして、でも結局、また誰かを信じようとしていて、
(わたしも、学ばないね)
と、心の内で愚痴って、
『シルヴィ! 危ない!』
少女の体は、宙を舞っていた。
「ぇ」
目の前に天井が広がる。
背中側から重力に引っ張られる。
突き飛ばされた。
そう理解するのに、時間はかからなかった。
(まずっ、頭は守らないと――)
目もくらむ衝撃が脳を揺らし、シルヴィの意識は、暗闇の中へと転がり落ちていった。
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