第8話 蛙の子

 アメリアが公務の合間になんとか育て上げた王太子であるルイスが学園へ通い始め、ひとまず肩の荷が降りたと思っていた彼女の前に暗雲が立ち込めてきた。

(どういう事…?)

 目の前にいるのは、エリザ・エリオットだ。

 親友がこの世に残した、たった一人の娘。

 彼女と同じようにウェーブのある金髪に少しつり上がった大きな緑色の目だ。

 その目が今、憂いをたたえている。

「殿下は…平民の少女に恋をして…います」

「本当に?」

「はい。最近は、毎日共に過ごしているようです」

(なんてこと…こんなに可愛い婚約者がいるというのに…)

 王太子の婚約者に決まったエリザを幼少期から王宮に通わせ、アメリアが王妃教育を行ってきた。

 邪魔なメイド、ダイアナは教育の間は姿を消していたので、完璧に教えられたと思うのだが。

「申し訳ありません、王妃様…」

「二人きりの時は、アメリアで良いのよ」

「はい…」

 すっかり意気消沈して、母の形見であるペンダントをいじっていた。不安になっている時の彼女の癖だ。

 エリザは祖父母たちからアメリアは母親の親友だったと聞かされていたのか、とても良く懐いてくれたし、教えることもルイス以上に飲み込みが早かった。

 流石はイザベルの娘、と思ったものだ。

 お詫びのように王家と公爵家の間で交わされた婚約だが、この仕上がりならご破算になることはないだろう、とすっかり油断していた。

 まさかまた、”王子が”浮気をするとは思わなかった。しかも自分が育てたルイスが。

(あの子、いつも澄ました顔してるくせに…蛙の子は蛙ってことなのね…)

 はぁ、とため息を付く。

「その少女は光魔法が強く…聖女候補とも言われています」

「!…それは、聞いたことがあるわ」

 今、ルイスやエリザたちの学年は三年制のうち三年に上ったばかりだが、一年前の入学時に、平民から聖女候補が出現したと周囲から聞いていた。

 その出現が意味するのは、”王国に危機が迫っている”こと。

 だから王妃たる自分も情報を掴む事が出来た。

(その聖女候補を、学園へ入れたのね)

 王族ならば気にならない相手ではないだろう。

 おそらく情報収集のために近寄り…平民特有の気安い気質に惹かれてしまったのだ。

(近寄るなと警告しても、あの子は聞かなかっただろうし)

 幼い頃からもちろん引き合わせている婚約者がいるというのに、ルイスらしくない。

 表面はうまく育ったように見えて、内面はウィリアムそっくりなのだろうか。

(いえ、今はエリザのことよ。イザベルのように…)

 今のうちに婚約を解消してしまえば、学園での目撃情報がありルイスに否がある状態ならエリザの経歴には傷がつかない。それに相手が聖女だというのなら”仕方ない”で済ませられる。

 しかし本人の心は傷ついてしまう。故にアメリアは問うてみた。

「貴女は…どうしたいの」

 少女はギュッと膝の上の手を握り締めると、真っ直ぐにアメリアを見た。

「…私は、諦められません。まだ、間に合うかもしれない。あと一年あります」

「そう」

(思った通りの回答だわ)

 イザベルならあと一年かけて相手をやりこめて婚約を破棄しただろうが、エリザは取り返しに掛かるという。

 しかし。

「…茨の道よ。藪から何が出てくるかも分からない。食い殺されるかも知れないわよ」

 しかも、自分のように武器も剥ぎ取られた状態で、だ。

「……」

「貴女には…そうならないでほしいの」

 暗に、彼女の母親であるイザベルの事を伝えてみた。

 彼女は出産時に亡くなったとされているが、騎士団長のマーカスからは「産んだ当日は生きていた。死因がはっきりしない」と密かに聞かされた。

 遺体をよく調べる前に、未知の病かも知れないと一部の医者が騒ぎ体を焼かれてしまったという。

 この国は土葬が通常なので、彼女の両親は激怒したことだろう。

「王族の意志に背くという事は、そういう事。私が生きているのは、奇跡だもの」

 そう、王弟のアルフレッドには言われた。

 彼の側近も、良識ある貴族も、少しずつ姿を消しているという。

 王妃である自分は王であるウィリアムと、王太子のルイスとまだ関わり合いがあるために生かされているのかも知れない、と考えている。

「それでも、構いません」

 強さを宿した瞳に、つい眉が八の字になる。

「…今なら引き返せるのよ?…私のように、飾りにすらならない置物には、ならないほうがいい」

 正式に聖女と認められたならば、もしかしたら平民出身でもルイスはその娘と結婚できるかもしれないが、王妃はエリザだ。

 それは今の自分たちの状況となんら変わりがない。

 自分のような人生を歩ませたくない。

「貴女のお母様も、生きていたらそう言うはずよ」

「でもっ…悔しいのです。陛下も殿下も、何も分かってない…」

 エリザは続ける。

「母は王の過ちを目前に突きつけ、婚約を破棄しました。逢瀬の証拠を掴んでいたので…母からの破棄に出来ましたが、陛下は何も…後悔も改心もしていない。その後、アメリア様を今まで苦しめ…実子ではないルイス様を立派に育てたというのにルイス様はアメリア様のことを誤解していて…。なぜ気が付かないのか、二人は分かってくれないのか…私は、悔しいのです」

 きっちりと自分の意見を言うところは、イザベルにそっくりだ。

 この空間で自分を唯一認めてくれる存在に、嬉しくなり目頭が熱くなる。

「…ありがとう。でも、無理はしないのよ?無理なようなら、すぐに引き返しなさい」

「はい。ご忠告ありがとうございます。頑張ってみます」

 そうしてエリザは王宮を去り…その後はアメリアが要求をしても二度と王宮へと登城しなかった。

(嫌な予感がする)

 ダイアナに聞いたところで「いらしていません」くらいしか言わないだろう。

 王族の不況を買ってしまい、来たのに門前払いにしているのか、単にアメリアの要求が通っていないのか、どちらかによって状況が変わってくる。

 アメリアの心配は的中し、その日もエリザの要望は通らず王宮の門は開けられなかった。

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