第6話 ルイスと"先生"

 月日は流れて10年後。

 15歳になったルイスはたくましく成長し、運動以外はなんでもそつなくこなす少年になっていた。

(少し…私にはそっけないけど…)

 父親の代わりに厳しく接していたから仕方のない事かもしれないが、少々切ない。

 しかしウィリアム王と比べてとても立派になったと、心の中では称賛していた。

 そのルイスと、王族の住まうエリアの廊下ですれ違ったのでアメリアは声をかけた。

「どうかしたの?ルイス。顔色があまりよくないようだけど」

「いえ、母上。なんでもありません」

 廊下の角を曲がった先で見えた顔は少々不安そうな顔をしていたのに、自分に気が付いた途端、外向けの顔になってしまった。

 自分に対して素直さが消える部分は、ウィリアムに似てしまったらしい。

「少々急ぎますので、では」

「ええ。後で、お茶をしましょうね」

「はい」

 義務のように返事をしているが、それでも嬉しいと思う。

 もう少ししたら学園に行くのだ。その前の反抗期なぞ、可愛いものだ。

 …と、アメリアは、そう思っていた。

 母の姿が見えなくなると、ルイスはため息をつく。

「…ふぅ、いつもながら母上は鋭いな」

 元々は騎士団員の娘だったというから、当然なのかもしれない。

 しかし自分は父に似たようで、野生の勘のようなものはないし剣は習っているが、なかなか上達しない。

「…まぁ、いい。それより約束をしているから…行かねば」

 ルイスは部屋へ戻ると侍従の服に似たものに着替えて王宮の中を突き抜け、勝手知ったる離宮へと赴く。

 小さな庭園には”離れの君”の好きな花を父が植えたらしく、可愛らしい小さな白い花々を咲かせていた。

(この道を通るだけで、心が軽くなる。あの方のようだ…)

 離宮へ入ると、一直線に特定の部屋へ行く。ノックをするとか細い声が聞こえた。

「どうぞ」

(お加減が…よくならない…)

 父も心配しているそうだが、王宮にいる医者をつけていても体調の改善はみられない。

「失礼いたします。ルイスです」

「まぁ、王太子殿下。わざわざのお見舞い、ありがとうございます」

「いいえ。色々と教えていただいた先生ですから」

 ルイスはベッドの上で微笑む女性に、少々照れ笑いしながら告げる。

 彼女の名前は知らない。小さい頃からただ”先生”と呼ぶのみ。父に訊いたが教えてくれなかった上に、自分がここへ来るのを制限するようになってしまった。

 それだけ彼女は父にとって重要らしい。…それは、自分もだ。

「今日は何を教えましょうか?」

「いえ、良いのです。今日はお花をお持ちしただけですので」

 すずらんの花束を差し出す。好きな花の特徴を訊いて城下町で買ってきたのだ。

 今ではもう一緒に出かけられないが、幼い頃は平民や街について、ルイスはこの女性に教わった。

「ありがとう。とてもきれいね」

「……」

 優しく微笑みながら言う姿に、切なくなる。

 この離宮に閉じ込められた女性を、成長するにつれ「どうして?」と思うようになった。

 来訪は全く被らないが、父もこの離宮に頻繁に通っているようだ。

 おそらく、目的は同じだろう。

(いつもながら、心が暖かくなる…)

 この女性からは”愛情”がダイレクトに伝わってくる。

 母のように美女ではないが、優しいミルクティー色の髪に濃い緑の目。儚い笑顔がふわりとしていて、王宮には誰一人として纏っていない雰囲気が彼女の周囲には漂っていた。

 だからこそ、父と、自分は彼女を求めるのだ。

 離れるのが口惜しい。

「…明日から、学園へ参ります」

「まぁ、そうなのね。大きくなりましたね、殿下。王妃様の教育の賜物ですね」

(まただ)

 何かに付けて、彼女は王妃である母を褒める。

 公務をして、子育てをして、自分をここまで立派に育てて素晴らしい女性だと…憧れすら持っているようだ。

「厳しいだけですよ」

 少なくともルイスは母から愛情を貰ったことがないと思っている。

 小さい頃のことは記憶が薄れていて、あまりよく覚えていないのだ。

 愛情を貰ったのは、目の前の女性だけ。

 王族としての教育や責務から逃げたくなるたびに、励ましてくれていた。

 そう考えているルイスの身体の輪郭に微かに黒い靄が沸き立つが、微笑むリリィから薄く淡く伸びる白い光に触れて消えた。

「その厳しさも愛情ですよ」

 必ず返される言葉だ。

 いずれ分かるのだろうか。一生わかりそうもない、と思っている。

 父も母からいつも逃げているから、自分ではなく母の方に何か難があるのでは?とルイスは考えていたし、ダイアナもそう言っていた。

「さぁ、もう準備などあるでしょう?…ここに長くいてはなりません」

「ですが…」

「学園でのお話を、楽しみにしています」

 そう笑顔で言われてしまえば、頷くしかない。

 ルイスは渋々諦めて、彼女の体調も考えて早々に退室した。

 その大きくなった背中が扉の外に去ると、”離れの君”…リリィはベッドへと沈んだ。

 つぶった目の目尻から、するすると涙が流れ出す。

 どこからともなく白く発光する蝶がふわりとやってきて…蝶に全く気が付かない彼女の涙をそっと吸い取り消えた。

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