第13話 4−3−2 名門校のグラウンドで

 懐かしい、とさえ思ってしまった。そんなに前のことでもないはずなのに、あの時は全力で野球ができていたなと。今は全力ではできないなと。


「なあ、涼介。この勝負何のためにやってるんだろうな?」


「由紀姉のストレス発散に一票。お前に本気で野球部に入ってほしいに一票。ただお前と勝負したかったに一票」


「最初のが一番有り得そう。最後はないだろ。戦うって言っても本職じゃないし」


「野球部に戻れるかどうかの試験とかって線もありそうだ」


「それもなさそうだ」


 苦笑する。結局二人ともわからなかった。ただ目の前のマウンドにいる女性はこの勝負を楽しんでいることだけは確かだ。


 一球目。いきなりスライダーから入ってきた。フロントドア、インコースのボールからストライクに入ってくるスライダーを引っぱったが、サード方面に転がった。ファールラインに切れたため、アウトにならなかったが。


 二球目もすぐに投げられる。今度はカーブだった。これはアウトコースに決まるボールだったが当ててもファールかアウトにしかならないと思い見逃した。


 簡単に追い込まれたことで少し焦ったが、何で焦っているのかわからなかった。


 これは正直余興だ。勝ち負けなんて当人同士でただどうだったかと思う程度で、あとはギャラリーが喜ぶだけだ。


 正直、打者として由紀さんに負けても何とも思わない。ブランクだ何だと言われても本職じゃないから、プライドが傷付くとかもない。


 これが投手としての勝負だったら、今よりも集中して本気でやっていただろう。


 けど、これが余興なのだと思ってしまい、どこか力が入らない。昔の試合の頃のように、チームのためとか勝ちたいとか意欲がわかないからなのかもしれない。


 だからか、この三球目を油断したのかもしれない。


 変化球を立て続けに投げられたからか、次はストレートだと高をくくっていた。


 俺は涼介と違って、セオリーを考えて打つタイプだ。勘で打つわけじゃない。だから、予想外のボールには弱い。それが俺と、涼介との決定的な打者としての差。


 ストレートだと予想を立てて振りにいったのだが、ボールが来ない。全く同じフォーム、腕の振りでチェンジアップが投げられるのか。


 というより、チェンジアップが投げられるなんて知らなかった。タイミングが全く合わず、空振り三振だった。


「わたしだって成長してるのよ。油断してたでしょ?ヒロ君」


「……まさかこのためだけにチェンジアップを?全く性格の悪い」


 舌を出される。悪戯が成功したように、イイ笑顔をされてしまった。打者の俺を倒すためにこれを覚えたのなら、使うかどうかもわからない牙を磨いていたことになる。


「……日の目を見て良かったですね」


「そーね。良い教訓になったでしょ?」


「どういう意味の教訓なんだか」


「あ、後輩ちゃん?あなたにはチェンジアップ投げないから。さっき言ったボールしか投げないよ~」


 この勝負、わからなくなってきた。ハンデなのかもしれないが、この守備陣相手にスローカーブ以外の緩急もあるなんて、当てるのが精一杯かもしれない。


 それで粘って四球で勝つというのも情けない。


(……ん?情けない?……あーあ、上手く由紀さんに乗せられた)


「ちくしょう」


「どうかした?にーちゃん、いつになく真剣だけど」


 ベンチの辺りまで戻ると零が聞いてきた。さっきまでは真剣じゃなかった。これはこれで由紀さんに失礼だった。


 向こうは本気だった。真剣勝負をしてきていた。けどこの勝負、俺には何にも損得がない。だからどっちでもいいと投げやりだったのだろう。


「女の人に真摯に向き合わないのは最低なことしたなって」


「それはお兄ちゃんが悪い。ユキお姉ちゃんに謝んないとだね。あの人にはいいだろうけど」


「だなぁ」


 マウンドを見てみると、ヘヘンと聞こえてきそうな目線を向けてきた。ここからは本気だ。打者が本職じゃないからとか、そういうダサイ言い訳も終わり。


 これは今後を決める、人生の分岐路。人に決めてもらうのではなく、自分で切り開かないといけない。


 打席に入った宮野さんは初球のスライダーを引っかけて、セカンドゴロ。一球で終わっていた。


「アレがユキちゃんと同じ野球小町かぁ~。ユキちゃんの方が断然上手いよね?」


「なんだ、宮野さんも野球小町って呼ばれてたのか」


「らしいよ?でもにーちゃんと同い年ってことはそこまで目立ってなかっただろうし、にーちゃんも覚えてないでしょ?」


「ああ。同地区じゃあまり練習試合もやらなかったからって、すごい上手いなら地区代表に選ばれてるはずだからな。由紀さんは選ばれてたし、三年間会わなかったんだからそんな上手くなかったんだろ」


「呼ばれてたのは同じ女の子だからとかじゃないかな?珍しいだろうし」


 美優の言葉に納得する。野球小町と舞姫の名付け親はどこかの記者らしいので、おそらく由紀さんにあやかって宮野さんも野球小町と呼んだだけだろう。


 舞うように相手打者を翻弄する規定外お姫様。だから舞姫。一方宮野さんは投手じゃないのはわかる。同族の匂いがしないからだ。


「零、お前ってスローボールとストレート、どうやって見極めてる?」


「ユキちゃんのチェンジアップ対策のつもり?俺見極めてなんてないよ?ただ勘で振り抜いてるだけ」


「……やっぱお前、俺より才能あるよ。涼介と同じこと言ってる」


「俺は少年野球だからさ。あてになんないよ?」


「それでもだよ」


 宮野さんが凡退したために、今度は俺が打席に向かう。ここからは本気の本気だ。


 勝った負けたで決まる人生というより、ただこの勝負に勝ちたい。相手が本気でこんな俺を抑えに来てるんだから、それに真剣に向き合いたい。


 ただ、それだけだった。


「お、何か変わった?」


「ああ」


「そっか」


 そうやって涼介は笑うだけ。目の前の人は、ようやく俺が本気になったのが嬉しかったのか、もう笑みも浮かべずにこちらを睨んでくる。


 綺麗なフォームだ、と思う。


 投げられた瞬間じゃ、どの球種なのかわからない。


 もし。


 もし、由紀さんが男性で、高校でも野球をやっていたら。


 どれほど有名な選手になっていたか。どれほど、俺たちに夢を見させてくれたのか。どれほど、憧れて追いかけていただろうか。


 でも、目の前にいる人は結局由紀さんで。


 あの時泣かせてしまった、女の子だから。


 フルスイングの後、カキーンという綺麗な金属音が鳴り響く。


「ウソだろ、お前」


「何がさ?」


「……泣きながらあんな打球を打つことがだよ」


 涼介に言われて咄嗟に涙を拭く。恥ずかしい。というより、由紀さんに見られたくない。


 それから打球を確認したら、観客席が騒いでいるだけでどこに飛んだのかわからなかった。


「あれ?俺どこに打った?もしかしてファール?」


「なわけあるか。……ホームランだよ。レフトに」


「あ?」


 打った手ごたえはあったが、ホームランなんて。硬式で打ったのはいつぞやの誰かのビンボールだけだった。あの時も苛立って打っただけで、感触なんて覚えていない。


 だが、周りの反応的にホームランを打ったのは間違いないらしい。


「……ヒロ君にシュートって見せたことないよね?何で打てたの?」


「あ、シュートだったんですか?無我夢中で打ったので球種までわかりませんでした」


「タハハ……。この弟たちはまったく」


 実戦形式なのに走らないというのもどこかおかしいが、ホームランでただ一周するわけにもいかずにベンチに戻った。


 零と美優は微妙な表情をしていた。俺が由紀さんからホームランを打ったのを、喜んでいいのかわからないのだろう。


「にいちゃんやっぱすげえな。でも、勝ってよかったの?」


「お前は嬉しくないのか?これでコーチ続けられるんだぞ?」


「それは嬉しいけど。……にいちゃんがユキちゃんの機嫌とってよ?」


「そうそう。お兄ちゃん、今度ユキちゃんの買い物か何か付き合ってあげてね」


「あ~。善処、します」


 ただでさえ涼介が載っていた野球雑誌を買って金欠なのに、これ以上散財するのは勘弁願いたい。だが、どうにもできそうにないので諦めた。


 宮野さんが打席に向かう。二球ほど粘ったが、結局はストレートによる空振り三振。地力が二人の間で違いすぎた。


 宮野さんの実力は知らないが、由紀さんは公式戦に出て通用するレベル。しかも地区代表に選ばれるほどだ。そんな実力者に、ちょっとした経験者程度で勝てるはずがない。


 しかも今回の由紀さんは本気だった。本気で勝ちに来ていた。しかもたった六打席なら最初からフルスロットルで投げられる。


 組んでいるのが涼介だからこそ、自分の好き勝手に投げられたというのも大きいだろう。サインの不一致なんて起こりえず、的確に自分の本気をさらけ出す。


 これは観客や記者の人たちにとっても貴重な体験だっただろう。なんせ、これ以上本気の羽村由紀の姿は見られない。さっきの姿が、正真正銘本気の由紀さんのピッチングだったんだから。


「ってことでヒロ君の勝ち。ヒロ君の野球部入りは諦めてね?」


「……はい」


「で、柏木。本当にグラウンド整備任せていいの?」


「いいよ。いい経験させてもらった」


 グラウンドにいた全員が撤収してきて、トンボに持ち替えて整備を始めた。俺も使ったんだから整備を手伝おうとしたが、柏木さんに止められてしまった。


「市原君、いいよ。君は部外者だし」


「いや、でも……」


「本当にいいんだ。それに三年前から気になっていた君のことも知ることができた。中学校とかの成績は知ってたんだけどね。……肩の怪我は、ここにいる上級生皆が惜しんだよ」


「それは期待が重いです」


 何で三年も前から俺のことを知っているのか。それは単純で、ここにいる人たちのほとんどが三年前の地区選抜に選ばれている人たちばかりなのだ。


 由紀さんと同じ地区の人もいれば、違う地区の人もいる。それでも、たくさんの人が俺と涼介を知っていたのは戦った際に由紀さんが「自分より凄いバッテリーがいる」と吹聴したせいだ。


 困ったことに次の年から地区代表に俺たちが選ばれてしまったので、吹聴でもなくなってしまったけど。


「……あの、二代目野球小町ちゃんが君を思うのもわかる。君は高校野球の打者としても即戦力だ。俺たちから見ても間違いない。菊原も強くなったけど、君が入ればまた強くなるだろ。俺たちと争えるぐらいに」


「冗談でしょう?菊原はたしかに打撃のチームとして強くなってます。けど、投手陣がどうしても足りない。あなたたちを抑えられる絶対的エースがいないんですよ」


「それも鍛え方次第だとは思うんだが。あれだけの打線だ。毎日とはいかなくても、週に何回か実戦形式で練習すれば経験も積んで良くなるとは思うぞ?」


「それは彼女に言ってください。俺は部外者なので」


「ハハハ。敵に塩を送る真似はしないさ。……と言っても、こんな練習方法なら強豪はどこでもやってる。第三中もやってただろ?」


 人数が少ないからこそ、たくさんの練習を中学校の頃からやってきた。まさか小学校のクラブより人数が少ないとは思ってもみなかったのだ。


 だから部員がそれぞれ良いと思う練習を探し、やってみる。そういう実験的なことはずっとやってきていた。


「最近菊原も色々試しているみたいですよ?清水から聞きますので」


「清水君もウチに来てくれればなあ」


「涼介と戦いたいらしいので。……あ、関東大会出場おめでとうございます」


「ありがとう。応援に来てくれるのかい?」


「今年は千葉が会場ですからね。妹が涼介の活躍見たいそうなので。ということで土日に試合やるように勝ち上がってください」


「任せろ。涼介はこのままいけば六番ライトだ。初戦は都合よく土曜日だし」


 打順まで決まっているとは。今日ホームランも打ったとはいえ、一年で強豪のレギュラーになる涼介には脱帽するしかない。


「それは妹が喜びます。キャッチャーだと守備の時に顔が見えないと不服でしたので」


「でも俺たちの代が卒業すればキャッチャーだぞ?あいつはやっぱりキャッチャーとしてチームを引っ張ってもらいたい」


「……もうあいつを主軸というか、二年後のキャプテンに見据えているんですか?」


「キャプテンはわからないけど、あいつは秋から主軸だよ。守備の要、打線の主砲。俺たちもうかうかしていられない」


「頑張ってください。試合楽しみにしてます」


 結局グラウンド整備は手伝えなかった。


 今日はこのまま帰ることになり、涼介と由紀さんとも一緒に帰ることになった。


 ただ何故か、由紀さんにたかられてウチのケーキを三つほど奢ることに。……何故?

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