第12話 4−3−1 名門校のグラウンドで

 宮野さんが三振に倒れて、また俺が打席に向かう。


 何故か急に始まった対決に首を傾げながらも、「約束」を取り出されたら逆らうわけにはいかない。


 というかこれ、本当に俺が勝つメリットないんだよな。負けたら野球部に入らなくちゃいけないらしいけど、野球をやること自体は嫌いじゃないし親を説得しなくちゃいけないことと、最初のうちは野球部に迷惑をかけることになるなって程度だ。


 勝ったら今まで通りの生活を送れるってだけ。


 正直、こんな肩になった時点でどっちでもいい。


 俺が今まで持ってた夢なんて、跡形もなく木っ端微塵に弾け飛んだ後なんだから。


「投手と打者が逆だけど、初めて会った時みたいだな」


「あ~。あの時はビビったよ。俺と同い年で由紀姉と変わらないボール投げるんだから」


「お前が同じ学校って知って、あの後俺がどんだけ安堵したと思ってる……」


 そう言いながら俺は初めてこの姉弟に会った時のことを思い出していた。



 遡ること三年前。俺が中学一年生に、零が小学一年生になる前の春休みだった。


 河川敷でキャッチボールをしようと零の方から言ってきて、ならと連れ出したのがきっかけ。


 そのまま河川敷に行くと、一組のバッテリーがピッチング練習をしていた。


 投手は女の人。というか、少年野球の時に見たことのある人だった。


「羽村さん?こんなところで練習してるんですか?」


「あれ?わたしのこと知ってるってことは少年野球の頃に会ったことあるかな?でもごめんね。お姉さんは君のこと知らないんだ」


「今度第三中学に進学します、千葉ボーイズで投手やっていた市原です。こっちは弟の零。次小学校に上がります」


「千葉ボーイズ?もしかしてマクドナ○ド杯で準優勝したピッチャー?」


「はい、一応」


 ここら辺のチームで実質全国大会準優勝を果たしたのは俺たちの千葉ボーイズくらいだった。だからか、中学に上がった由紀さんでも知っていたわけだ。


 由紀さんは笑いながら、キャッチャーをやっていた涼介を叩き始めた。


「やったじゃん、涼介!あんたと同い年でこんないい投手がいるなんて反則級の奇跡よ!」


「何で姉貴の中では俺が野球部に入ること前提なんだよ……。野球自体はやったことないんだって」


 その言葉に俺は驚いた。野球をやったことない人間が、由紀さんのボールを容易く捕っていたからだ。


 当時の由紀さんは中学三年生になる直前。それで男子顔負けの投球をしていたのに、それを捕っているのが初心者と聞けば誰だって驚く。


「大丈夫大丈夫。ルールとかはこれから市原君が教えてくれるから」


 この頃から任せっきりだったとは思う。零にも少しは教えようと思っていたので二度手間にはならなかったが。


「えっと、弟さんも俺と同い年なんですか?」


「そうだよ。たまにバッティングセンターにも連れていってるけど、筋は良い。見ての通りキャッチャーもできるから優秀だと思うよ?千葉市の公立中学校は数が多すぎて部活動は基本人手不足だからね」


「聞いてはいましたけど、そんなにひどいんですね」


 街ごとに学区が決まっているのだが、その学区の範囲内が凄く狭い。俺のいた千葉ボーイズでも学校が同じ同級生は一人いるだけ。少年野球のクラブはそこまで多くないためにそれこそ市外からも参加するため中学校が同じということは稀だ。


 それに私立中学もある。千葉市は附属の学校も多いのと、なんだかんだお金待ちもいっぱいいたので私立も進学先として普通に候補として挙がっていた。


「……姉貴に目つけられるとか、ドンマイ」


「おい、涼介。それどういう意味?」


「そういう意味」


 姉弟喧嘩が始まってしまう。俺と零なんて置いてきぼりで、ポカンとしていただろう。


「にいちゃん、キャッチボールは?」


「ここじゃないところでやろっか。お姉ちゃんたちの邪魔になるし」


「え?ここでやっていいよ?っていうか弟君?カワイイね~。ほら、お姉さんがギュってしてあげるから」


 言い終わる前に行動に移していた由紀さん。零も抵抗せずに受け入れていた。戸惑っていたが。


「あー、涼介にもこんな頃があったんだねえ。男の子も小さい頃は可愛いのに、大きくなったら生意気で嫌だねえ。お兄ちゃんみたいになったらダメだよ?」


「あの、ほぼ俺たち初対面ですよね……?」


「まあまあ。零ちゃん、お姉ちゃんがキャッチボール教えてあげよう。だからお兄ちゃんちょぉっと貸してほしいんだ」


 ニヒっと笑う由紀さんに、よくわからないまま頷く零。本人ではなく弟に確認を取る辺りが今では由紀さんらしいと思う。


「じゃあ市原君、ちょっと肩作ってくれない?で、わたしと一打席勝負しよう」


「はい?」


「勝ったら野球小町のサインあげるよ」


「……別に要らないですかね。それと野球小町って?」


「わーたーしーのことだよっ!あとは舞姫とかって呼ばれてるけど、本当にサイン要らないの?レアだよ、レア」


「すいません、高校野球と自分がやってる野球にしか興味なくて……。じゃあ、勝ったらウチのお店に飾らせてもらいますね」


「ウチのお店?」


「うん。ウチ、ケーキ屋なんだ!」


 もう心を許している零。なんというチョロさ。それと、ケーキ屋じゃなくて洋菓子店なのだが、そこの差は零にはわからないだろうと思って指摘しなかった。


「なら私が勝ったらお店のケーキ弟と二人分おごって!」


「そんな勝手な……」


「ちなみにピッチャーはそっちね。わたしが打ったら勝ち。凡退したらそっちの勝ち」


「これ、断れない感じですよね……」


 諦めろ、というように涼介がキャッチャーミットで肩を叩いてきた。由紀さんの弟を産まれた頃からやってきたのだから、慣れてしまったのだろう。


 仕方なく、涼介とキャッチボールを始める。軽く投げているだけなのに、涼介のキャッチャーミットはパシンと乾いた良い音を鳴らしていた。


 十球ぐらい投げてから、涼介を座らせる。それから五球ほど投げて手招きで涼介を呼んだ。


「……本当に初心者?」


「おう。姉貴のキャッチボールには付き合ってきたからキャッチボール歴は四年だ。あと、バッティングセンター通いは二年くらいしてる」


「どこのクラブにも所属してなかったなんて……。まあ、いいや。相手は中学生だし変化球投げて良いだろ。サインどうする?」


「サイン?色紙にでも書くのか?」


「えー?そこからか……」


 簡潔に涼介へとサインのことを説明する。本来ならコースのことや複数組み合わせてサインとするが、そこまで説明せずにお互いがわかるけど打者にはわからないようにするハンドサインとだけ。


「へー。そういうもんなんだ」


「羽村さんとピッチングしてる時に交換したりしてないの?それとも羽村さんが投げる前に球種言ってくれるとか?」


「いんや?勝手に投げてくるぞ。さすがに新変化球試す時は言ってくれるけど」


「癖とかで見抜いてるのか……?」


 この時はそう思っていたが、中学に上がってからリリースや腕の振り、足の上げ方など観察したが由紀さんはフォームを変えることなくストレートと変化球を投げ分けていた。それを感覚でどうにかしていた涼介には分かった後に脱帽したのだが。


「じゃあストレートの時はグーで。で、フォークの時はパーを出してくれ。俺が嫌だったら首横に振るから」


「はいよ。でもセオリーなら追い込むまでストレート投げて、最後に変化球なんだろ?」


「そうだけど……。それも羽村さんが?」


「ご飯の時とかに散々話すから覚えただけだよ。もちろん、完璧なセオリーなんてないんだけど」


「それがわかってるなら上等。でも今回はセオリー通りでいこう」


「おう」


 二人はグラブを合わせる。涼介が戻っていくと、すでに由紀さんはバットを準備して素振りをしていた。


「零ちゃん、この勝負終わったらキャッチボールしてあげるから。あと、その帽子にサイン書いたげる」


「おー!姉ちゃん芸能人だったんだ!」


「地方アイドル、しかも野球限定のね!」


 アハハハハと笑っている中学生の少女と小学校に上がる前の少年。仲が良さそうな様子を見ると今日初めて会った様子には見受けられない。


 由紀さんは俺と涼介の様子を見て、今度はムフフーと笑い始めた。


「仲が良くなったみたいでなにより。それじゃあわたしを倒してみせなさい!」


「あー、はい」


 最初は乗り気じゃなかったが、勝負となれば話は別だ。試合の時のように集中していたと思う。


 初球は様子見も兼ねてアウトコースに外した。これを余裕をもって見逃された。本職は投手のはずなのに、バッティングも優秀だった。


 二球目はインコース。これを真後ろにチップされた。わりかし自信のあるボールだったのだが、中学最上級生には中学に入るひよっこのボールなんて当てるのは造作もないらしかった。


「ヒィ~。これで入学前?末恐ろしいわね」


「姉貴当ててるじゃん」


「三年生としての意地よ。成長期前のボールがこれか……。涼介、アンタ本当に運が良いよ」


「何がさ?」


「この子、本当に中学の全国でも通用するピッチャーになるよ。そんなピッチャーのボールを受けられるアンタは幸せ者だ」


「あー……。全国行けるならたしかに幸せ?かも?」


 この時の涼介は全国について特に思い入れが無いようだった。甲子園の存在は知っていたが、中学は関係ないと割り切っていたらしい。


 三球目。アウトロー一杯に全力のストレートを放った。いい感じに指に引っかかり、それまで投げてきた中で最高のボールだったかもしれない。


 それを由紀さんは見逃し。手が出なかったという表情で、深く息を吐いた後にタハハと笑っていた。


「あそこに投げられたらどうにもできないね……。わたしの最後の一年、練習試合でも出番ないかも」


「姉貴が弱気になるなんて珍しい」


「そりゃ自信なくすわよ。……鍛えがいはあるかもだけど」


 不敵に笑う姉を見て、涼介はサインを出す。予定通りサインはパーだった。


 俺はうなずいてボールを人差し指と中指で挟む。俺が当時自信をもって投げられた唯一の変化球。


 それをインコースへと放る。ブンという音と、少し遅れてスパンというミットの音が聞こえた。空振り三振だ。


「俺の勝ち、ですね」


「そうね。わたしの負け。……ニ十センチくらい落ちた?」


「そんくらい落ちてんじゃね?たぶん」


「初見で捕るアンタも大概だけど、中学入る前に軟式出身の子が普通変化球覚える?しかもこんな完璧なもの」


 俺もてっきり涼介は後ろに逸らすかと思っていたが、そんなこともなく完璧に捕球されてちょっと自信をなくしていた。勝負には勝ったかもしれないが、涼介の才能には負けた気にしかならなかった。


 それでも、そんなことを御くびも出さずに由紀さんの質問に答える。


「ストレート以外にも武器は持っておきたいですから。ストレートだけで抑えられるものでもないでしょう?中学野球は」


「そうね。あーあ、負けちゃった!それじゃあ零ちゃんにキャッチボール教えないと。ついでにお兄ちゃんの方、名前聞いてなかったね」


「ああ、そういえば」


 苗字しか言ってなかったと思い出し、名前を告げた。すると由紀さんは笑ってこれからずっと呼ばれる渾名を決めてくれた。


「じゃあヒロ君だね。ヒロ君、武器はいっぱいあった方が良いよね?わたしのスライダー覚えてみない?」


 この日からこの姉弟との交流が増えていく。そして約束のサインも未だに、ウチに飾ってあったりする。

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