第10話 4−1 名門校のグラウンドで
ここは習志野学園のAグラウンド。Bグラウンドも存在するが、そちらは今日は使われていない。野球グラウンドが二つもある高校なんて強豪校の私立ならではだ。日曜日の午前中というのに、数多くのギャラリーで埋まっている。
OBや後援会、地元住民に野球ファン、果ては記者やスカウトまで。これだけの人数が集まる理由は練習試合をするから、ではない。
レギュラー陣を除いた、紅白戦が行われるからだ。
しかも、一軍のベンチメンバーの残り枠を賭けた、かなり重要度の高い試合。それに控え選手もかなりの実力者が集まっている習志野学園では、相当レベルの高い試合が行われる。
特に下級生が活躍して、そのまま公式戦で活躍するということもある。今回で言えば関東大会だ。それに向けた選別を行っている。
この試合で一年生が活躍して、次世代の主力になることもしばしば。ルーキーを見に来る観客も多い。
俺たちもそんな客の一部なのだが。
「うへー。習志野学園ってすげーんだな!こんなに部員いるんだ!」
「零、はしゃがないの。それで涼介さんは……」
「あそこで素振りしてるよ。試合に出るんだろ」
今日は兄弟三人で来ていた。零は強豪校の試合が見たいのと、進学先を習志野学園としているから。妹の美優が来たのは……まあ、涼介のため。というか涼介のカッコいいところを見たいがため。
この前公式戦初打席初ホームランを打った時は何でその場にいなかったのかと悔しがっていた。そして最近出た野球雑誌に涼介の記事が出ていたので、切り取っていたほどだ。俺の許可もなく。俺のお金だったのに……。
その時の人、涼介はチームメイトと談笑しながら素振りをしていた。打って守れるキャッチャーで一年生なら即戦力だろうに。どこのチームも喉から手が出るほど欲しがる逸材だ。
「あ、三人ともー。こっちこっち」
「ユキちゃんだ!塾サボった?」
「アハハハ。塾は夜からだよ、零ちゃん」
声をかけてきたのは涼介のお姉さん、由紀さんだ。俺は中学に入る前からの付き合いだし、今でもお店に来てケーキを買っていくこともあれば涼介を通して注文してくる、中学校での先輩。
今でも交流があるのは当然として、とある約束をして破ってしまった女の子。
高校三年生で習志野学園の吹奏楽部に所属。黒い艶のある髪を伸ばしていて、可愛いというよりも綺麗という表現が似合う女の子で、でも話してみたら破天荒だったり活発的だったりと見た目とのギャップが大きい人だ。
黙っていればお嬢様でも通ると思うんだけど。
「今日はロッテと西武のスカウトさん来てるんだって。調整してるレギュラー陣と話しながら今日の試合見るって話してたよ」
「それ、どこで知ったんですか。由紀さん……」
「私が羽村由紀だってわかった記者さんを通じて」
「さすが元野球小町……」
当時から珍しかった女子野球選手ということで、由紀さんは顔が広い。涼介が由紀さんの弟と知って驚く記者さんもいたほどだ。
「ユキお姉ちゃん。今日の格好どうかな……?」
「うん、カワイイ!帽子もかぶって日焼け対策もしてるし、上出来!これなら涼介もイチコロよ!」
つまるところ、お年頃なのである。親友のことが好きな妹を応援してやりたい気持ちはあるが、年齢差から犯罪になりかねない。
だから俺は後押ししづらいのだが、由紀さんは応援している。涼介の気持ちは聞いたことない。俺の妹としてしか美優のこと思ってないだろうし。
「今日って三軍の選手も出るんですか?」
「十人はいるはずだよ。前のベンチメンバーが十人、二軍が二十人。今回の紅白戦は双方ベンチメンバー二十人だから、十人だね。もうすぐオーダーが張り出されるんじゃないかな。コーチが指揮するAチームと、部員の作戦立案班が指揮するBチーム。……強豪だから仕方がないとは思うけどさ、最後には自分の練習ができなくて、チームが勝つために裏方に回るしかない人も大勢いるってなると複雑だよね」
「それでも、習志野学園を選んだのは彼らですよ。たとえベンチの枠を一年生に取られるとしても、それを承知でこの夢への懸け橋に乗り込んできたんですから」
自分の弟が一年生ながらベンチメンバーに入っているからこそなのだろう。ベンチに入れない三年生、裏方に回されてしまう人間の気持ちを思ってしまうからこそ、感じ入る。
由紀さんは実力がありながら女の子だからという理由で一切公式戦に出られなかった人間だ。試合に出られない寂しさはわかるだろう。
でも、彼らの心意気も思いやってほしかった。三年間部活を続けているということはそういうことなのだから。そんなもの、答えは少ない。
レギュラーはおろか、ベンチに入れない可能性なんて容易に考えられたはずだ。千葉が誇る甲子園常連校で、もちろん才能がある下級生がレギュラーやベンチに入ることもある。この構図は、仕方がないものだ。
「兄ちゃん、三軍って何?」
「習志野学園で言うところの、一番実力がない選手たちのことだ。入ってすぐは皆ここに入れられるんだが、実力が上がれば練習試合もできる二軍に上がって、そこで認められれば公式戦に出られる一軍になれる。今日はその、一軍に上がれる選手を調べるための試合なんだよ」
「何で兄ちゃんはそんなこと聞いたのさ?」
「中学の頃戦った奴もいるんじゃないかと思ってさ」
中学校で有名だった奴も何人かは習志野学園に進学している。見知った顔も多いのだ。一年生は涼介の話だとほとんど三軍で二軍に二人、一軍に涼介一人らしいので、出る可能性はあった。
バックネット裏側が騒がれ始める。どうやらオーダーが張り出されたらしい。
「お、一年生が四人か。例年より多いな」
「ウチの子出るみたい!」
「調子上げてる宍戸には一軍に上がってもらいたいぞ」
「羽村、五番ライトだってよ」
「マジ⁉」
聞こえてくる声に耳を傾けていると、おかしな声を聴いた。なんと、涼介が外野手とか。
「え?キャッチャーじゃないのか?」
「最近外野の練習もしてるんだって。キャッチャーの大石君は強肩好打でプロにも注目されてるから。涼介の打力を眠らせておくのはもったいないってことで外野らしいよ?」
「私的にはお顔が良く見えるから良いけど……」
「ならレギュラーになるのか?いやまあ、あの一発見たら納得だけど」
涼介だって足は遅くないし、強肩だ。問題は外野の守備なんてやったことがないくらいだろうが。
そしてベンチメンバーと二軍含めての試合で、それでも五番を任せてもらえるとか。どれだけ信頼されてるんだか。
これからシートノックが始まるらしい。さすがに両チーム一緒のようだ。
……レベル高いよなあ。これで控え選手とか。捕ってから早いし、送球も的確だ。声もめっちゃ出てる。ウチの学校よりも強そう。千葉県の強豪校と試合しても負けなさそうだ。他県の強豪校ともたくさん練習試合してるんだろうな。
涼介の守備も問題なかった。というより、標準以上だ。お前本当に本職キャッチャーかよって疑いたくなるレベルで。
「これ、甲子園では外野ですかね?」
「だねえ。ヒロ君がいたらバッテリー組んでたかもだけど」
「……投手で、一年生から背番号貰えるとは思っていませんよ」
「それは二年生投手の現状を知らないからだね。茂木君は調子を上げてるけど、もう一人の二枚看板が出来上がっていないんだよ。だから今日一年生の柳田君が投げるんだし」
そういった事情は知らなかった。春の大会でベンチ入りしている投手は全員で四人。三年生が三人に、二年生が一人だ。三年生で抑えを任されている本田さんは春の甲子園からベンチ入りした人。投手として諦めずベンチの背番号を勝ち取った人なのだ。
由紀さんが言うには、もう来シーズンのことを考えて今日の紅白戦を組んでいるということだ。地区予選すら始まっていないのにもう秋の新チームのことを考えているだなんて時期尚早な気もするが、新チームのことは基本的に二軍を任されているコーチが考えるらしい。
監督は一軍のことに専念し、コーチは二軍を、三年生の選手降格組が三軍を見るというシステム。これには賛否両論があるだろう。だが、それで甲子園行きを決めているのだから実績のあるやり方だ。
シートノックが終わり、選手たちがそれぞれのベンチに戻る。 何人かの選手はグラウンドの外に出て、誰かと話したりしている。涼介は、出てこなかった。
「あ、市原……」
「ん?ああ、柳田」
ベンチから出てきた選手の一人、県大会で投げ合ったことのある柳田。涼介世代のエースと称されている、凄腕サウスポーだ。
「……肩、どうなんだ?」
「近い距離のキャッチボールならできるようになったよ。……心配かけたか?」
「当たり前だろ!あの事故がなければ、春のリベンジができたのに……!お前たちが決勝に出てこないなんて信じられなかった。勝ち逃げされたんだぞ⁉」
「勝ち逃げって……。最後関東も勝ち上がって全国に出たのは柳田だろうが?春に涼介が打って勝っただけだろ」
「お前だけがウチの中学を完封したんだぞ⁉完全にオレは投げ負けたんだ!……実力で負けたならオレだって納得したよ。でもあれは完全に事故だ。しかもお前を狙った意図的な悪意のある投手潰しだ!あんなの、お前らと戦いたかった奴らが許せるわけないだろ!」
柳田の叫びで周囲がざわめき始める。柳田の発言と、俺の顔を見たことでざわめきが起こる。ここにいるのは熱心な野球ファンばかりだ。俺のことを知っている人も多いだろう。
隣にいる由紀さんや美優と零も顔を歪める。あの事件は正直、ここにいる三人にかなり心配をかけてしまった。一時期とはいえ学校生活にも支障が出たほどだ。零なんて野球をやめるなんて言ってる時期もあった。
由紀さんなんて、この習志野学園で涼介と俺がバッテリーを組むのを一番楽しみにしていた人だ。俺が投げられないって知った時は泣き崩れてくれたほどだ。
「……俺だって残念だよ。涼介とバッテリー組みたかったし、お前とエース争いもしたかった。それこそ甲子園に行きたかったし、ある人を甲子園に連れていきたかったよ。真紅の大優勝旗を千葉に持って帰って、プロになれるならなりたかった。……こんなこと言ったってその夢は叶わないんだ。なら涼介のファンとして応援に来て、未来の習志野学園のエースを育てる方が有意義さ」
「……高校野球はやらないのか?」
「投げられないピッチャーがやれるわけないだろ?いつかは肩を治して、草野球でもやるさ。涼介とたまにキャッチボールができれば、それだけで満足だ」
「……真紅の大優勝旗は絶対に持って帰ってくる。春の甲子園もな。涼介と一緒に」
「おう。期待してる」
この言葉に嘘はない。プレイヤーとしては本気で諦めている。俺は涼介と一緒にやれない高校野球に執着はない。というか、裏切ってしまって今さらできるはずがない。
あの涙を見てしまって、投げられなくなって他の高校に進学して、それで野球を続けるなんて裏切り、彼女に誓ってできはしない。
「……もったいないよ。お前なら打者としても超が付く一流なのに」
「買いかぶりすぎ。そういうのは涼介みたいな奴のこと言うんだよ」
「あれはその上を行くバケモノって言うんだよ。お前も清水も、ウチに来ればよかったのに」
「清水はともかく、俺は無理だよ。ピッチャー以外やったことのない、投げられない奴なんて三軍にもいられない」
「……本当にお前とは、グラウンドで勝負をつけたかった。県大会の決勝だってあんな雑魚どもとじゃなく、お前たちと真剣勝負をやりたかったよ。そろそろ戻る。この試合で、俺は一軍に上がってやる」
「頑張れ。期待してる」
柳田は戻っていく。それと入れ替わるように週刊誌などの記者さんが俺を囲っていた。
「もしかして第三中学校だった市原君かい?ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「ダメです。ヒロ君のお母様から取材は禁止だって言われていませんか?」
俺が答える前に由紀さんが俺の腕を絡め取って引き寄せてくれた。美優と零も俺の前に立って記者から俺を守ってくれていた。
この人たちには敵わないな……。
「野球ができない奴よりも、今後習志野学園の主力になり得る選手たちを見た方が良いんじゃないですか?今の俺はただの高校生ですし」
「でもだね……」
「俺は今日、試合を見に来たんです。観戦の邪魔はしないでいただけますか?」
強気で接する。こうも強くいられるのは由紀さんと妹弟のおかげだと思う。それに周りの観客たちの視線が鋭いのも、一つの理由だ。何となく察してくれている人たちが、記者たちを無言の圧力で抑えてくれているのだ。
しかも、俺はここでは完全に部外者。習志野学園に関わらないことなのだから、取材などもってのほかだろう。
記者たちは帰っていく。もう終わった選手よりも未来がある選手を見た方が良いだろう。
「本当に記者ってウザイなー。兄ちゃんが怪我した時もしつこくってさ」
「スキャンダルが好きなんだよ。怪我して退場とか、そういうのは話題性があるから」
「そんなもんかねー。……ユキちゃんはいつまで兄ちゃんの腕掴んでるの?」
「「あっ」」
由紀さんが咄嗟に腕を離す。まさかこうも由紀さんに助けられるとは。自分が不甲斐ない。
「……試合そろそろ始まりそうだし、戻ろうか」
そうして見学しやすい場所に戻る。紅白戦が始まるが、正直言って、これが一つの高校で構成された試合なのかと唸るほどだった。
試合だけ見るなら、本当に予選の準々決勝くらいと言われても不思議ではない。
「スゲー。これでレギュラーじゃないなんて。ピッチャー球はえーな」
「他のチームだったらっていう話をし始めたらあれだけど、習志野学園じゃなかったら皆レギュラーだよ。そんなチームでも──」
カキーン!
「悠々とヒットを打つ涼介は規格外だけど」
この日、涼介はタッチアップで三塁ランナーを一人刺し、守備でミスをすることもなく、四打数三安打一本塁打四打点という頭のおかしい結果を残した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます