第8話 3−2 春の大会
さて、今日は日曜日です。昨日の試合は菊川が勝ち、本命の習志野学園との試合です。向こうはこれが初戦。こっちは勝ち上がっていますので、オセオセムードです。特に先輩たちはこれに勝てば夏の大会の糧になると信じて燃え上がっています。
私はベンチ上の観客席から試合を見ます。応援団の皆さんと一緒です。と言ってもベンチに入れなかった部員の人しかいませんけど。
一年生は誰もベンチに入ることはできませんでした。まあ、仕方がないと思います。仮入部は終わったとはいえ、まだ入ったばかり。硬球にも慣れなくてはいけません。
今は習志野学園のシートノックが行われています。
……正直、レベルが高すぎます。内野手の皆さんは捕ってからが早い。それにどなたも強肩で、内野安打は狙えないほど。
外野手も皆さん足が速く、守備範囲がかなり広いです。さすがは全国出場常連校。全国レベルというのを見せつけられている気がします。
それでもウチの先輩方が負けているとは思えません。ウチの先輩方も強いんです。
捕手は一人だったので確認してみると、背番号十八の人がフル装備でピッチングを受けていました。涼介君です。
試合前ですし、ブルペンキャッチャーは当然ですね。背番号1をつけた相手投手はドラフト候補の名塚紅葉さん。150km/hに迫る直球と細かく速く曲がる変化球から凡打を量産する投手です。そこにパームも加わって、緩急つけて打ち取ってくる凄い投手。
それを平然と受け取る一年生捕手。隙が無いです。
「宮野さん。それスピードガン?自前?」
「うん。ちょっと調べたくて」
流してるだけでしょうが、一応測っておきます。初速と終速に差がほとんどありません。キレのいいストレートってことですね。
隣で質問してきた同じ一年生マネージャーの小久保理恵ちゃんはその速度を見て驚いていました。
「143km/hって……。プロレベルじゃないの?」
「全国だったら150km/h超える人もいますよ。そんな全国で戦ってきてる人だからおかしくはないと思う」
「そんな人たちが今日の相手なんだね……」
名塚さんはこの前までの春の選抜甲子園で準決勝まで勝ち上がった投手です。最後は打たれてしまいましたが、それでも全国ベスト四は脅威。
本当に強すぎますよ、習志野学園。
そうこうしている間に試合が始まります。ウチが後攻、習志野学園が先攻です。いきなり崩れてしまわなければいいんですが。
その悪い予感は当たってしまったというか、簡単に一点取られてしまいました。いや、一点に抑えられたというべきかもしれません。何と言っても相手は全国常連校。初回に大量失点してしまう可能性は高かったんです。
そして名塚さんは絶好調というか、さっさとウチの打線を抑えてしまいました。鋭く速く曲がるスライダーに、力のあるストレート。打てたとしても力なく転がっていました。もしかしたらとても重いストレートなのかもしれません。
向こうのベンチの奥にあるブルペンには背番号十をつけた右投げの投手がいました。三年生の高橋投手です。この二枚看板で勝ち抜いてきている、厚い投手陣の証左です。
それにしても初回から用意なんて珍しいです。まだキャッチボールしかしていませんが。
「宮野さん。あっちが気になるの?」
「うん。二人とも先発投手だからどっちかが投げる日って基本投げないんです。中継ぎとして出てくるのは十一番の茂木さん。選抜が終わってから考えが変わったんでしょうか?」
答えは出てきません。それでもネット裏にいるスカウトか新聞会社の方たちは色々な選手を写真に収めていきます。
春の大会の、しかも二回戦だというのに熱心です。ウチもそれなりの強豪校ではあっても、スカウトが来るほどではありません。
それとも習志野学園が全力を出す相手だから見に来たとかでしょうか。
二回の習志野学園の攻撃。この回も犠牲フライだけでなんとか一点に抑えていました。下位打線でも点が取れる、怖い打線です。
そしてウチが攻撃する際、高橋さんの球を受ける涼介君が座っていました。本格的にブルペンを使っているのです。
まだ二回なのに?このペースなら五回くらいから登板できそうです。
そして相変わらずウチは凡退。名塚さんも飛ばしているのか、かなり球が走っています。さっき149km/hを記録して会場を沸かせていました。
「あの名塚さん、たぶん四回くらいしか投げないんだろうな」
「清水君」
「じゃないと高橋さんが準備する理由がない。春大としては初めての試合だから調整試合とでも思ってるのさ。正直、実力試すならウチはちょうどいい戦力だ」
近くで応援していた清水君が答えてくれます。ちょうどいいというのはこの大会を勝ち進むには試して価値のあるチームということでしょうか。
評価されているということは嬉しいですが、そういうのは練習試合とかでやってほしいです……。
「あーあ、リョウのやつ、楽しそうに球受けやがって。早くグラウンドに立ちたいな」
愚痴っています。実力的には申し分ない気がしますが、今月いっぱいは仮入部なので仕方がないでしょう。
そのまま試合は進んでいって、四回のウチの攻撃になると茂木さんもブルペンに向かっていました。本当に投手全員使うつもりなのでしょうか。
高橋さんはベンチに戻って、涼介君は茂木さんの球を受け始めました。試合は2-0のまま。全然試合が動きません。でもこれだけ習志野学園打線を抑えているというのは誇って良いことだと思います。
「やべ、遅れたか?」
「まだ五回みたいだし平気じゃない?」
子どもたちの声が聞こえてきました。その方向を見てみると、ユニフォームを着た子どもたちと市原君がいました。
そして子供たちが「あーっ!」と声を上げてこっちに近付いてきました。
「清水さんだ!え、清水さん菊原行ったの?もったいねー。習志野学園行っても通用しただろうにー」
「ヒロ、ちゃんと手綱握ってろよ。あと、習志野学園の応援席はあっち」
「みたいだな。邪魔したよ。皆あっち行くぞー」
「あ、涼介兄ブルペンにいるじゃん」
市原君が子どもたちを連れて向こう側に行きます。本当にコーチをやっているんですね。ユニフォーム姿が様になっています。
ウチの生徒なのに、習志野学園を応援するんですね。五代監督が言っていた通りでした。市原君はある女性の隣に陣取りました。市原君と零ちゃんはその女性と仲良さそうに話しています。
「あの、清水君?市原君は習志野学園の方々と仲が良いのですか?」
「ん?……ああ、あれリョウの姉ちゃん。ウチの先輩だったし、今は習志野学園の吹奏楽部だよ。リョウをキャッチャーに仕込んだ人だし、ヒロと引き合わせた人物でもある」
なんというか、彼女がいなければ二人というバッテリーは産まれなかったのだと考えるととんでもない気がします。涼介君の実力はわかっていますが、それを仕込んだ人となると彼女もよっぽど野球が上手かったのでしょうか。
「羽村由紀って聞いたことないか。野球女子として野球雑誌で取り上げられたこともあるんだけど……」
「私高校野球にしか興味なくて……。由紀さんは中学校で有名だったんですよね?」
「まーね。大会規定で公式戦には出てないけど、投手としてはかなりの完成度だったさ。勝手知らないリョウに無理矢理キャッチャーやらせて、ルールとかはヒロに全部ぶん投げたっていう破天荒な人。で、野球は中学校までで高校になったら吹奏楽で弟に甲子園連れていってもらおうとしてる人」
「それはたしかに破天荒です……」
そして、私に似ています。高校では野球を諦めるところとか、他の人に甲子園に連れて行ってもらおうとすることとか。
「ま、本当はちょっと違うけど。あとは怒らせない方が良い人だ。怒らせたら怖いぞー」
「まあ、接点がないと思うので」
「ミルフィーユの常連だから、ヒロに会いに行こうとしたらバッタリ、なんてこともあるかもなー」
「市原君のケーキ美味しいですからねえ」
甘すぎず、濃厚過ぎず、でもちゃんと味の主張はしている食べやすい物でした。あれが百円なら常連にもなります。それに市原君のお父さんはきっともっと腕がいいはず。そうなるとちゃんとした商品も食べてみたくなりました。
はっ!これが商売というものですね……。
「パティシエになるならなるで応援するんだけどさ。……あいつがリョウを応援するなら、リョウを倒すって目標ができちゃったんだから困ったもんだ。あいつは本当に、俺らに壁を残していくんだから」
その壁に辿り着こうと、乗り越えようとしている皆さん。私もあの打撃を見てもったいないと思いました。投手が本業なんですから、そのピッチングを見ていたら私はどう思っていたでしょうか。
試合に目を戻してみると、五回が終わりそうでした。点差に変わりはなし。どうにかウチが一点取れれば流れは変わるんでしょうが、こうも投手が代わっては難しいかもしれません。
高橋さんの背番号からしてエースではない、控え投手と思うかもしれませんが、習志野学園はトーナメントを勝ち残るためにエース級の投手を必ず二人育てるのが恒例です。
二枚看板システム。これが画期的で、トーナメントでも崩れることなく勝ち進めるのです。人材がいて、育てられる強豪だからこそのシステムでもあります。
そんな高橋さんも他校であれば確実にエースになれる投手。打ち崩すのは困難です。二人とも全国区の投手ですから。
右のスリークォーター気味の投球から来る遅い球の数々。そしてコーナーをキチンとつけるコントロール。これでストレートも140km/h超えなんですから恐ろしいです。
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