第7話 3−1 少年野球

 土曜日。河川敷にある球場で千葉ボーイズは試合に向けて身体を動かしていた。俺は今零のボールを受けている。


 いつ見ても綺麗な回転だよな。小学四年生の球じゃないというか。俺が小学生の時はこんな球投げられなかったのに。


「兄ちゃん、どうどう?」


「充分だろ。いつ投げるかわかんないんだから心の準備だけはしておけよ」


「もちろん!」


 零はピッチャーもできる。というよりこっちが本職だ。四年生以下の試合だったら背番号一を付けている。去年は三年生だったのに、これが才能ってやつか。俺もエースをやらせてもらえていたけど、さすがに四年生で上の試合には出なかったな。


「まずはライトだからな。エラーするなよ?」


「わかってるよ。あと三球投げて良い?」


「試合前はそれで終わりだからな」


 振りかぶって投げられる球は構えたところにしっかり届く。他のチームだったら四年生ながらエースになっていてもおかしくはない球速とコントロールだ。


 弟に嫉妬とか情けない。涼介が言うには俺のフォームと零のフォームはそっくりらしい。自分ではフォームなんてシャドウピッチングぐらいでしか見たことないからわからないな。


「うーん、良い感じ」


「試合前にばてるなよー」


「平気平気。次スローボールね」


 遅い球、とは言うが零が投げるのはチェンジアップだ。全く同じフォームで本当に遅い球が来るんだから恐ろしい。


 ポスッとミットが音を立てる。こんな遅い球でも音が鳴るなんて本当にいいミットだな。今までこれに投げ込んでたのか。


 今さらながらいいミットだ。譲ってくれた涼介には感謝だな。


「ナイスボール」


「へっへっへ。絶好調だぜ」


「あれ?ヒロ君ボール投げられるようになったの?」


 父兄のお母さん方に驚かれる。そうか。練習は見に来ないから知らなかったのか。


「ご心配おかけしました。でもまだこの距離しか投げられないんですよ」


「そっか。もう一回くらいヒロ君がマウンドに立ってる姿見たいけどねえ」


「そんなに彼凄かったんですか?」


 俺がここのチームにいた頃を知らない人もいるもんな。知ってる人は俺たちみたいに兄弟でこのチームに参加している子の親くらいだ。


「ヒロ君がエースの頃は黄金期って言われててねえ。マクドナ○ド杯だっけ?全国準優勝したの」


「合ってますよ。それ以外は関東出場しても二回戦くらいで負けちゃいましたねえ」


「うちが行った一番上はその全国準優勝だからねえ。その後もそれなりに関東とかには出場してるけど」


「今のこいつらの方が俺たちより強いですよ。全国大会バンバン出ると思いますよ?」


「あらあら、口が上手ねえ」


 たぶん事実だ。あの頃はこんなに人数いるクラブではなかったし、それだけ実力が上がってきたのに四年生でレギュラーになる零のような天才もいる。今年辺りは本当に強い気がする。


「兄ちゃん、もういい?投げるよ?」


「おう。来い」


 セットアップから投げられるボール。左足が大きく上がるのにバランスが崩れないのは俺のリハビリに付き合って一緒に走っているから。去年のマラソン大会優勝しやがったし、末恐ろしい。


 で、投げ込まれたボールは振りかぶって投げられたボールと遜色ない。いいボールだ。父兄の方もおおという呟きを発している。


「ナイスボール。試合前は終わりだ」


「わかったー」


「ヒロ君。弟君四年生になったばかりだっけ?」


「そうですよ。そんでこれだけ投げられるんだから困った奴ですよ」


「嬉しい悲鳴?」


「ですね」


 クールダウンがてら軽くキャッチボールをしつつ父兄の方と話す。いや、俺もコーチやってなかったら父兄の一部なんだけど。


 クールダウンも終わらせて、ベンチへ戻る。試合が始まるまであと三十分。これからお互いのチームが七分ずつシートノックをやって、そのあとグラウンド整備をしたら試合だ。


 監督が内野ノックをしている間、俺が外野ノックを担当する。時間短いし仕方ない。どこのチームもやっていることだ。


 先にうちのチームがノックを行う。バットとボール用意しないと。


 ノック自体はすぐ終わる。エラーもノック中三つしかなかった。今年のチームもしっかり仕上がっているらしい。


「零.お客さんたち探してくるからちゃんと監督の話聞いとけよ」


「わかってるよ。兄ちゃんこそ試合に遅れんなよ?」


「努力する」


 監督に断りを入れて少し球場から離れる。河川敷の上の方へ行ってみると、先日零と約束をしていたウチの常連である女子高生たちがいた。


 さすがに制服ではなく私服。今どきの女子、という感じだ。


「あ、ヒロ君ヤッホー」


「おはようございます。もうすぐ試合始まりますよ」


「結構ギリギリだった?ゴメンゴメン。んじゃ零ちゃんの勇姿を収めに行きますか」


 なんと、律儀にカメラまで持ってきていた。写真を撮るつもりだろうか。


 歩いていくと、グラウンド整備も大体終わっていた。もうすぐ試合が始まる。


「じゃあ二人とも。一応その辺りが観戦スペースなので、そこで見ていてください」


「はいよー。零ちゃんは何番目に打つんだい?」


「九番なので、ウチのチームだったら最後ですよ」


 頭を下げてからグラウンドに戻る。ベンチに戻ると零が親指を立てていた。今から試合なんだからもう少し緊張感を持っていてくれ。


「そろそろ整列しろよ」


「ヒロ兄ぃ、今日俺たち勝ったらお店のケーキ食わせろよ」


「あー?そんなの優勝したらだろ。ウチのケーキはそんな安くないんだよ」


「ケチー」


 そんなことをチームの子どもたちと話す。まあ、一番の敵は千葉サンシャインズだし、向こうは別ブロックだから戦うとしたら明日の決勝戦だから、油断しなければ負けるとは思わないけど。


「ヒロさん、私クレープが良いです……」


「わかった。でも優勝したらだからな?レナ」


 このチーム唯一の女子選手であり、ショートを守るレナにそう言われた。そこはどうでもいいんだが、物で釣るのがいつまで通用するのか。


 口約束も済ませて、今度こそ整列させる。負けないとは思う。それだけの実力がこの子たちにはあるのだから。


 相手チームとの挨拶も済ませて、ウチが後攻なので守備につく。零の様子も問題ない。先発投手の村松君も調子が良さそうだ。


「いやあ、零ちゃんだけ身体ちっさいね」


「それはまあ、小四ですから。相手チームにもいますけど、あんな小さい身体でレギュラー取ってる零がおかしいんですよ」


「弟自慢かい?」


「それも少なからずあります」


 今日最初の相手は若葉ブラックエンジェルズ。正直な話、そんなに強いチームではない。あんまり人数が集まっていないのと、純粋にウチと千葉サンシャインズがこの地区では強すぎるのだ。


 先発の村松君はあっさりと三人で仕留めた。いい投手だよなあ。六年生にしたらがっしりとした身体つきで、下半身もしっかりしてる。ストレートも100km/h出てるんだから、成長期前でこれはもう怪物君だ。


 ちゃっちゃと攻守交代をして我が千葉ボーイズの攻撃。二番の子が四球で出塁して三番のレナがヒットで出塁、三塁一塁で四番の村松君がレフトへの犠牲フライで一点、五番の子が右中間を抜ける二塁打を打って二点目。相変わらずスムーズに点取るな。


「ほ、本当に零ちゃんのチーム強いんだねえ……」


「でしょう?なんたって地区一・二を争うチームですから」


 父兄の皆さんも大喜びだ。俺はコーチという身分でグラウンドに入ってはいるが、お客さん達に説明をしながら子どもたちにも指示を出していた。二人とも野球は初心者だったらしい。


 二回の表も難なく終了。裏の攻撃で七番の子が出塁して八番の子が送りバント。九番の零には特にサインが出ていない。


「打たせてもらえるの?零ちゃん」


「みたいですね。最悪進塁打でも打てればいいんですが……」


 進塁打について説明しながら見ていると、初球から振っていった。それは三塁線ギリギリを抜けていき、余裕の二塁打。自分の弟の才能が恐ろしい。


「キャー!零ちゃん打った打った!」


「あの打球すっごく速くなかった⁉零ちゃんすごーい!」


 リハビリがてら俺の練習に付き合った零の下半身は小学生にしたら完成されすぎている。その上で毎日素振りもしてピッチングもしているんだから上半身にも筋力がついてる。まだ身体は小さいが、そこら辺の小学生よりしっかりとした身体をしているのは間違いない。


 その後零も本塁に帰還してこれで四点目。機能した打線は恐ろしい。


 そんな彼らが目指すチームの理想像は去年の第三中学校だとか。繋いで守る野球とは言うが、人数不足で少ない失点で勝てるチーム作りをしていただけなのだ。


 そこからも試合は千葉ボーイズ優勢で進む。五回裏が終わった時点で零対六。あと一点でコールドだ。


「監督、どうします?」


「零の準備は?」


「前の回から始めているんで大丈夫ですよ」


「じゃな。なら代えるか」


 監督である八雲さんは主審に選手交代を告げる。ライトの零が投手、ライトにはベンチスタートだった子が入り、村松君は下がった。


「ナイスピッチング。ダウンして、あとはベンチで休んでおけよ」


「完封できたのに……」


「この後も試合はあるんだし、次零が崩れたらお前が投げないといけないんだぞ?それに明日だってある。明日もいいピッチングしてたら完投させてくれるだろ」


「俺はヒロさんみたいに記録が欲しいんだよ」


「俺の時はただ単に人数不足だっただけだぞ……」


 愚痴を聞きながらもダウンのキャッチボールに付き合う。投手をできるような選手がいなかっただけだ。当時六年生四人しかいなかったし。後輩の子が頑張ってくれたけど。


「次の試合は睦月先発で抑えはまた零なんだろ?」


「五年生と四年生で一試合作れたら上の大会に行った時に楽になれるからな。試合経験も大事だし」


「それはそうだけどさー。決勝の相手がサンシャインズだったら完投させてくれっかな?」


「監督次第だな。あとは試合状況」


「ぜってー一点もやらん!」


 こういう勝気なタイプは本当に投手に向いてる。マウンドを譲りたくない精神も持っている。村松君も将来が楽しみな投手だ。


「で、次の試合は俺どこ?」


「ベンチウォーマー」


「控え⁉マジで⁉」


「マジマジ。もしやばくなったら代打で投入」


 あまり守備をずらしたくはないからだ。やったことないポジションに送るのは愚策だし、村松君は確かに四番打者だがいなくても繋がっちゃう打線なのである。


 それに守備練習も基本的に投手ばっかりやらせていて、あとは外野をたまにやる程度なので休ませる時は休ませるのが良いという判断だ。


 村松君がベンチに戻ると、零が二アウト取っていた。ダウンに気を取られていて見ていなかった。


「零どうです?」


「すごいね、投手もできるんだ。えっと三振と内野ゴロかな」


「上の世代にも通用するということが分かればあいつも自信持つと思うんですけど」


 もう一人のお客さんはカメラで零のことをかなり撮っていた。あの写真を見たら零は喜ぶだろうか。


 その裏の回、一点を取って試合はコールド勝ち。圧倒的だなあ、ウチのチームは。


 次の試合は昼食を食べてから行われ、8-2で勝った。五回まで五年生の睦月君が投げて二失点。六・七回は零が投げて零封。下級生が投げてこれなら満足のいく結果だろう。


 実際ハチ爺こと八雲監督は白い顎鬚を撫でながらフェッフェッフェと上機嫌で笑っていた。


 その後明日の話をして集合時間などを八雲監督が告げた。二連勝で子どもたちの機嫌も良い。


「ヒロ君や。他に話すことがあるかい?」


「あ、一つだけ。明日俺と零は大会が終わった後市営の球場に行って高校野球見に行くけど付いてくる人いるか?ちなみに試合はあの天下の習志野学園」


「行く行く!」


「習志野学園試合すんのかよ!」


「この時期ってことは春の大会?」


「公式戦じゃん!」


「ばーか、市営球場なんだから公式戦に決まってんだろ」


 などなどと騒がしくなる子どもたち。千葉県民にとって習志野学園は憧れの学校なのだ。


「じゃあついてくる人は明日自転車で来ること。車では行けないからな。それだけ」


「「「はい!」」」


 良い返事。八雲監督に頭を下げて、明日の試合見学について父兄に説明していく。ここの父兄さんたちは理解があって助かる。


 色々終わった後俺は零とお客さんたちと一緒に帰っていた。駅までのお見送りだ。


「いや~。零ちゃん凄いね。七打数四安打?」


「もうちょっと打ちたかったんだけどなー。やっぱり上のピッチャーは球が速いよ」


「いや、お前が投げる球と変わんないからな?」


「でも投げるのと打つのじゃ違うじゃん」


「それもそうか」


 などなど。打撃結果もそうだが、驚くべきは投手結果。上級生相手に三回投げて無失点は凄すぎる。ヒットは打たれていたが。


「二人は明日も来られるの?」


「ごめんな、零ちゃん。明日は親と出かけんだわ」


「私は塾あんだ。ごめんね」


「そっか~。じゃあしゃーない」


 零は不服そうだが、きっぱりと諦める。こういう部分が潔い。


「よ~し。今日活躍したご褒美としてほっぺぐにぐにの刑に処してやる~」


「あれ⁉それ罰ひゃにゃひゃっかっけ⁉」


 早速刑に処される哀れな弟。可愛がられている内が華だぞ、とは思っても言わない。

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