第6話 2−2 明暗
その日の放課後。一年生も上級生のフリーバッティングに加わっていました。ただしバッティングピッチャーと、球拾いとしてです。それでも本格的な練習に参加できたからか、皆楽しそうです。
一つ気になるとしたら左投げの投手、栗林君が投げると先輩たちはゴロばかりを打つことです。もちろんたまにはフライもライナー性の当たりもありますが、大体最初はゴロを打っています。
まあ、その球足も速いので取るのも大変なのですが。
「五代先生いますか?」
「あれ?市原君?」
一枚の紙を持って市原君がグラウンドに来ていました。左肩に肩掛けカバンを背負っているということは帰ろうとしていたのでしょうけど。
「ベンチにいますが、どうかしましたか?」
「いや、あの人さっき帰る直前に家への発注書渡してきたから確認しに来たんだけど……。ん?何であいつピッチャーやってんの?」
「どちらですか?」
「左投げの方」
栗林君の方でした。左投げの人は貴重なのでバッティングピッチャーをやらされているようでしたが、何か問題があるのでしょうか。
「まあ、いいや。邪魔しないようにベンチに行くよ」
「危ないので一応付いていきますね」
これは方便です。何で栗林君が投手をやっていたらいけないのか、気になってしまったから。言うならば好奇心です。球拾いが必要ならすぐに戻る予定です。
「五代先生。ちょっといいですか?」
「ん?市原?どうかしたか?」
「息子さんへの誕生日ケーキはいいんですが、息子さん何歳になるんでしたっけ?」
「五歳だな」
「家族構成は?」
「俺と妻と息子だけ」
「じゃあ八号なんて最大サイズ頼まないでくださいよ……。他に人を呼ぶ予定はあるんですか?」
「ないな」
後から聞いたのですが、ケーキの八号というのは十人くらいで食べる大きさらしいです。それを三人で食べるというのは確かにカロリーを心配してしまいます。
「大きいのを見積もっても五号で充分だと思いますよ。あとプレートの指定がなかったので書き直してください。何て書くのかも」
「そうか、悪いな。じゃあ明日の昼休みにでも詳しく教えてくれ」
「はい。……監督。あの左投げ、さっさとマウンドから降ろした方がいいですよ。まだ清水に投げさせた方がマシです」
「それはお前を踏んだ相手だからか?」
その言葉に私は目を丸くしてしまいます。栗林君が、市原君の肩を踏んだ相手だっただなんて。世間は狭いものです。
「そんな私情では言っていません。あいつのボールはノビがありません。回転が足りていないんです。そんなボール打ってたらちゃんとしたストレート打てなくなりますよ」
「あいつらがゴロを量産している理由はそれか。ま、もうすぐ大会なのにそれに慣れられても困るからな」
監督が立ち上がります。キャプテンが集合をかけようとしますが、それを手で抑えます。
というか市原君、あんな遠目からでも球質わかったんですね。すごい目です。元々投手だからでしょうか。
「栗林、代われ。清水ー。投げられるか?」
「はい!」
「ま、待ってください!清水は右投げですよ?左投げの俺が代わる理由は……」
「お前じゃ練習にならん。もっと身体を作って、投手ができるようになったら投げさせてやる」
「……そこのベンチにいる市原に言われたからですか?」
栗林君が市原君を睨んでいます。まあ、事実なので監督も市原君も言い返しません。市原君に至っては素知らぬ顔をしています。
「……じゃあこうするか。野球部でもない市原に打たれたらさすがに投手続けられないだろ?なんたって市原は
「それは……」
「市原。お前が勝ったら息子の誕生日ケーキそのままで注文してやるよ」
「……言質いただきましたよ。ユウ。バットとバッテ貸してくれ」
「あ、おう」
やれやれという感じで市原君はカバンをおいて、上着を脱ぎます。制服のままやるのでしょうか?ユウと呼ばれた清水君は自分のバットを取りに行きました。
「市原君、ジャージは?」
「今日体育なかっただろ?」
「そう言えばそうでしたね……」
私が毎日持ってきているので失念していました。帰宅部の市原君がジャージを毎日持ってきているはずがないのです。
「ほらよ。ヒロ、スパイクは?サイズいくつだったっけ?」
「二十七だな」
「同じか。じゃあスパイクも使ってくれ」
「悪いな」
靴も履き替えて、それから素振りをします。綺麗な、流れるようなフォームです。見た感じブランクを感じません。少年野球のコーチをやっているからでしょうか。
「ヒロ。肩の痛みは?」
「スイングする分には問題ないんだよな。投げると痛いだけで」
「投げられるようになったのか?」
「痛みがない距離はマウンドまでだよ。塁間は無理だ」
「それでも大進歩じゃん」
二人は笑い合っています。同じチームだったからでしょうね。それに少しでも投げられるようになったことが本当に嬉しそうです。
市原君はケージの中に入っていきます。
「勝負は三打席勝負でいいか?市原が一本でも打ったら勝ちな。守備連中、ポジションに一人になっておけよ。他の奴はラインから出ろ」
この勝負、どうなんでしょうか。市原君の成績を知っていると、ずいぶん市原君が有利な気がします。でも、ブランクがある市原君相手にするなら、全打席打ち取らないと示しはつかないとも思います。
全部の準備ができました。守備についている中にはレギュラーの先輩もいます。結構ちゃんとした勝負になりそうです。審判は監督がやるようですね。
「それじゃあ始めろ」
初球。高目に外れました。球速は大体120km/hぐらいでしょうか。新入部員としては速い方、ですね。高校野球では投手の平均速度は130km/hと言われています。もちろんそれに満たない選手もたくさんいます。
二球目。真ん中の甘いコースにストレート。それは完璧に捉えられて、レフトを守っていた先輩の頭を悠々と越えていきました。
「勝負あり。続けるか?」
「……続けます」
「そうか。市原、栗林の球質はわかった。お前の言った通りだったな。悪いがもう少し付き合ってくれ」
「別にいいですよ。零に怒られるだけなんで」
何で零君に怒られるんでしょうか。今日も少年野球の練習があるとか?
あと、市原君のボールについては言われた通りでした。横から見ると一目瞭然だったのですが、ストレートなのに落ちています。地区大会の弱いチームだったら同じようなピッチャーもいるかもしれませんが、五回戦まで進んだ先輩方からすると違和感しかないわけです。
まあ、二・三度打ったら修正できたみたいですが。さすが先輩たちです。
二打席目の初球。カーブでした。ただあまり曲がらなかったのか、タイミングがずらされたのか三塁線際にライナーが飛びましたがファール。初めて見る球なのに完璧に対応しています。
「あいつ、本当に鈍ってないな」
「清水君。市原君は初めて見るボールに毎回ああも対応していたんですか?」
「ああ。俺がこんなボールだったって言ったら大体打ってたよ。そういう意味じゃ本物の天才だったな。ヒロと涼介は」
二球目はチェンジアップのようでした。ただ腕の振りが違ったため変化球だというのは私でもわかりました。それを後ろへファウルチップ。タイミングはばっちりでした。
「……清水君は、市原君と同じ学校で嬉しいですか?」
「いや、全く?俺の目標はヒロとリョウのバッテリーに敵として勝つことだった。あいつらがいたおかげで全国なんて夢見られたんだ。今度は俺の力で、あいつらにどこまで迫れるか試したかった、んだけどな……。叶わなくなっちまった」
清水君はどうやら習志野学園に行くつもりがなかったようです。それほど憧れるバッテリーだったのでしょう。様々な高校の監督が夢を見て、かつてのチームメイトも目標にする二人組。憧れた人はもっといたのかもしれません。
三球目はストレートがアウトコースに大きく外れてボール。四球目もストレートでしたが、それを打ち返した結果、ピッチャーの前にあったネットに引っかかってしまいました。なければセンター前ヒットだったでしょう。
「ピッチャーライナーですね」
「それでいいのか?市原」
「もう勝負には勝ってますし。反応良いピッチャーなら弾いたりして内野ゴロですよ」
「そうか」
その結果に栗林君は歯を食いしばっていました。お情けでアウトをもらったんです。怒るのも当然かと。
「短気だなあ。あれでピッチャーとか、お腹痛いよ」
「清水君の理想のピッチャーはやっぱり市原君なんですか?」
「俺たちのチームは皆そう思ってたよ。最後の大会だってあいつと一緒なら全国制覇だってできたって疑ってなかったし」
信用されてこそのエースですからね。そこまで言わしめる市原君のピッチング、一度でいいから見てみたかったです。ウチの中学校たぶん第三中学校とも戦っているはずなんですけど、市原君には覚えがないんですよね。一年生の時に一回だけだったでしょうか。
第三打席の初球。インコースの顔に近い所へストレートが行きました。当たりはしませんでしたけど、危なかったです。
二球目、これもインコースの危ないボールでした。今度は市原君は避けようともせず、大根切りのような打ち方でレフトとセンターの間へ飛ばしました。
その打球はグングン伸びて行って……。サッカー部が練習しているフィールドまで飛ばしてしまいました。推定距離120m越えです。そこまで飛ばせる人、高校生でもなかなかいないんですが……。やっぱり市原君は天才みたいです。
「ホームランだな。そういうわけで栗林。お前じゃ練習にならないからバッピをやらなくていい。フリーの時は守備につけ」
「……わかりました」
「よし。んじゃあ休憩五分挟んで上級生対一年生のミニゲームやるぞ!三回までしかやらん。オーダーはそれぞれで考えろ。俺は一年生のチームに入る。速水、お前が上級生チームの監督やれ」
「私ですか⁉」
「よろしくな、はやみん」
「頼むぜ、はやみん」
「はやみん言うな!」
三年生でマネージャーの速水先輩が監督をやることになりました。もちろん女の先輩です。ルールなどは把握していますが、私のようにプレイヤーではなかった方です。どうなるのでしょう。
「市原、悪かったな。巻き込んで」
「それより約束ですからね。八号でケーキ作るんで。メッセージとかは明日聞きますから」
「おう、任せた」
バットなどを清水君に返して市原君は帰ってしまいます。
せめて塁間の送球ができれば野手として活躍できるのに、とあのバッティングを見せつけられて惜しくなってしまった私でした。
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