第5話 2−1 明暗
次の日のお昼休み。私は体育準備室を訪れていました。お弁当持参です。
「五代監督いらっしゃいますか?」
「宮野か?いるぞー」
五代監督はご自身の机でお弁当を広げていました。アポなしでしたが、大丈夫みたいです。
「昨日ミルフィーユに行ったんだって?市原に怒られたぞ」
「すみません……。あの、市原君は野球部に入るつもりはあるのでしょうか?」
「……うん。ないと思うぞ」
五代監督の箸の動きが止まります。あれだけ親しくして、それでも野球部に入らないということはそういうことなのでしょう。予想はしていましたが。
「あいつには直接聞けないから俺の所に来たな?」
「はい……。悲劇のエース。昨日初めて雑誌を見て知りました。私高校野球にしか興味がなかったので」
「どうせどこの雑誌でも新聞でもあいつのその後は書かれてなかっただろ?親御さんが全部拒否して、推薦を出そうとしていた高校の監督や、俺のような目をかけていた監督だけに親御さんから説明された。高校野球はできませんってな」
成績だけを見れば、それこそ将来有望でした。投げるのも打つのもできて、それこそ涼介君と一緒に習志野学園から推薦を受けられるくらいには。だというのに、高校野球ができないと知らされた監督たちや、家族、本人はどう思ったことでしょう。
私は女だからという理由で高校野球はできません。いえ、正確には甲子園のグラウンドに選手として立てないだけです。女子野球という手段だってありました。でも、私は自分で野球部のマネージャーをすることを決めたのです。
けれど、市原君は違います。たった一度の怪我。しかも自分のせいではなく他人のせいで負った怪我。それが原因で選手を諦めなければいけないというのは、どれだけやりきれないことでしょうか。
「簡単に言うと、神経を痛めて一か月手術の関係で入院。それからリハビリもやったが、中学卒業直前まで右肩が上がらなかったらしい。日常生活にも影響が出ていたそうだ」
「右肩が、上がらない……」
「そんな状況じゃ野球部に入っても邪魔になるだけだって、今はリハビリをしつつ弟の練習に付き合ってあげたいって言われてな。マネージャーでもいいから入ってくれないかって頼んだんだが、断られた」
自分ができていたはずの野球を、近くで見るのが怖かったのでしょうか。たしかに投げられないのは大きな痛手です。それでも、野球を続ける手段はあるのに。
「代打とか、代走だって野球をできますよね?」
「……あいつは本質が投手だからな。投げるために野球をやってきたって言っても過言じゃない。……それこそあいつは、プロを目指せる投手だった。俺以外の監督たちもぜひ欲しい、あいつがいれば甲子園も夢物語じゃない。そこまで全てを捧げられるような投手だったんだ。心酔したんだよ。それほどあいつには才能があった」
「……」
「あいつだってプロや甲子園には興味を持ってたよ。だが、それ以上に羽村涼介とバッテリーを組んでいるのが楽しそうだった。同じ高校に行くって断言していたほどだからな。その夢が壊されたんだ。あいつが高校野球をやらないのもわかるよ」
たしかに昨日の市原君と涼介君はとても仲が良さそうに見えました。習志野学園で背番号をもらっていたことを心の底から嬉しがっていたように思います。
「羽村も一緒なら、それこそ全国制覇だって夢じゃなかっただろうさ。習志野学園の清田監督も実際そう言ってるしな。……羽村はよほどのことがなければ高校を出てすぐプロになる。高校っていう舞台はあいつらが一緒のチームで長く野球をやれる最後の機会だったんだよ。市原の夢、知ってるか?」
「いえ……」
「羽村とバッテリーを組んで真紅の大優勝旗を千葉に持って帰ること。それが中学校の頃から言い続けていた夢だったらしい。もう、一生叶わないけどな」
それは笑い話ではなかったのでしょう。それだけの実力が二人にはあったんだと思います。そんな信用できる人だからこそ、バッテリーをお互いに組みたかったのでしょうし。
「市原がウチに進学したのは実家から近いのと、偏差値がそこまで高くなかったからだ。野球の強さじゃ一切選んでないんだよ」
「お店のお手伝いをしやすいですからね……」
「あいつの進学先も洋菓子系の専門学校だ。偏差値もあまり必要なかったらしい。そういう意味じゃウチはベストだよ。公立だから学費もそんなにかからないし」
「涼介君がウチに来て、リハビリを待つという手はなかったんですか……?」
「それは絶対にない」
断言されてしまいました。一緒に野球をやりたいのなら、それも一つの選択肢だったと思うのですが。
「羽村は絶対に習志野学園に行っていたよ。いや、市原もそのつもりだったんだ。六月の段階でスポーツ推薦ももらっていたらしい。全国大会での結果からだな。あの二人は習志野学園が一番夢を叶えられる場所だと知っていた。一番悔しがっていたのも清田監督さ。中学校の芦屋さんも嘆いていたけど」
「たしかに今は習志野学園一強時代ですけど……」
「羽村が推薦を蹴ってウチに来る話もたしかにあったそうだ。でも、市原自身が説得して結局推薦で行くことにしたらしい。プロになるなら習志野学園が一番だから、お前は良い環境に行けって。甲子園は多く経験しろって」
市原君は自分の夢より、親友の活躍を優先していました。いえ、きっと自分の夢が叶えられそうにないから諦めたのかもしれません。
たとえ本人が頑張っても、またマウンドに立てるかわからなかったから。肩を上げるだけで結局半年以上かかったのです。野球ができるかどうかすら不透明だったなら、妥当な、判断かもしれません。
「だからかな。あいつには経過は聞いてみるが、部活に入ることは強制しないよ。本人的には野球は支える方じゃなくてやる方らしい。で、それでも支えるとしたらマネージャーじゃなく、弟のコーチをしてあげたいってよ。あとは高校生活ではできるだけ習志野学園の応援に行きたいらしい」
「ウチの応援じゃなくて、習志野学園なんですね……」
「ぶっちゃけあいつはウチに興味を一切持ってないからな。同じ中学の清水頑張れって思ってる程度だし。ウチが強いって最近知ったって言われちまったよ」
そう言いながら五代監督はお弁当を食べ終わったのか、包みに仕舞ってしまいました。私、ここでご飯を食べていいか聞くのを忘れて結局開けてすらいません。
「あいつにあまりこの話をするなよ。本人が一番苦しんでいるんだ。……誰かが、説得できればいいんだけどな。あいつが投手以外で、羽村と戦うのを許容できるようにするとかさ」
「戦うって……」
「別に競うでもいいんだけどな。あいつのバッティングなら羽村と良い勝負だ。ただ本人にやる気がない。清水辺りけしかけてみるか……?」
「監督。先ほどの発言と矛盾していますよ?」
聞きたいことは聞けました。それに藪蛇になりそうなのでこれ以上のことも市原君に聞くつもりはありません。監督にお礼を言って私は食堂に行って、そこでご飯を食べました。
「家族とかが言ったら、市原君は野球部に入ってくれるのでしょうか……?」
その呟きに、誰も答えてはくれません。
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