記憶堂 空からの贈り物
御剣ひかる
大空を翔るような人生を
俺は両親を知らずに育ってきた。両親は俺が二歳になる前ぐらいで事故死したらしい。その事故の車に俺も乗っていたけれど奇跡的に一人だけ助かったんだ、と。
けれど俺はそれを幸運だなんて思ったことはない。
むしろ一緒に死んでいた方がよかったんじゃないか?
別に毎日が死ぬほど苦しいとかそんなんじゃないけど、施設は窮屈な居心地だし、将来のことを考えるとなんか憂鬱になる。親なしっていろんなところで差別とか偏見とかの目で見られるっていうし。現に通ってる中学校でも、なんかよそよそしくされたり、馬鹿にしたような感じな態度とられたりとかもある。
高校は公立に行かなきゃなんだけど、この近くの高校にはちょっと学力が届かなさそう。じゃあランクさげるかってなると、片道一時間以上かかってしまう。
どうせ高校に行ったってなにも変わらないしと思うと働きに出るのもいいかなぁ。
なんて考えながら、帰り道を歩いてた。
……あれ? こんなところに店なんてあったっけ?
学校から施設まで徒歩で十五分ほどだけど、その真ん中あたりの住宅の一角に、古ぼけた本屋らしい建物が見えた。
屋根にかけられた小さい看板に「記憶堂」って書いてある。これが本屋の名前か。
ここって、空き地だったような……?
それとも、いつもあんまり周りを見ないで歩いてるから知らない間にできたのかな。でも新しくできたわりには建物が古い。
気になって、俺はふらっと本屋に入ってった。
店の中は薄暗い感じ。小さな店だけど本棚はたくさんあって、こんなの、地震来たら一発で崩れちゃうな。
建物が古いから古本屋かと思ってた。面白そうな本が安く売ってたらって期待してたけど、ぐるっと近くの棚を見ても知らない作家の知らない小説らしいのが並んでるだけだ。
ちょっと期待外れ。出ようかなって思ったら、入り口の近くの棚に気になる本を見つけた。
「大空に翔る人生を 吉田要 由紀子」
吉田
顔とかは思い出せないけど、書類とかで名前は何度か見て覚えてる。
深い青色の表紙の本を、手に取った。
ちょっと古い感じの質感だ。
ぱらっとめくってみる。
今日、男の子を出産した。
名前はもう要さんと話し合って決めてあった。
飛翔するの翔で、かける、って。
心臓が口から出るような驚きって、こういうのをいうんだ。
俺はページを凝視したまま、バクバクいう心臓の音を耳の中で聞いていた。
翔って俺の名前だ。
まさか、もしかして、これって……。
ページをめくる。
翔が「なん語」を話した。かわいい。
翔が笑った。天使の笑顔。
翔が寝返りした。
運動神経よさそうな勢いのある寝返りだ。
翔が初めて果汁ジュースを飲んだ。
すごく美味しかったのか、もっともっとって言っているみたいにあーあー言いながらこっちに手を伸ばしてくる。
ぱらぱら、ぱらぱらとページをめくるごとに、俺のことを書かれた両親の日記なんだと理解する。
……じゃあ、最後は?
事故は突然だったから、そこまでは日記には書けないだろう。事故に遭う直前にどんなことを書いてたんだろう。
見たい気もするし、見たくない気もする。
数秒迷って、最後のページを開いた。
車が崖を滑っていくのが妙にゆっくりに感じた。
おれは翔を抱いて目をつぶっている由紀子に覆いかぶさりながら、ああ、ここで死ぬんだなと思った。
けれど翔は無事でいてほしい。俺はいいから、翔と由紀子は。
すごい衝撃がした。要さんが抱きしめてくれてるけれど、わたしはもう助からないんじゃないかな。
でも翔は無事でいてほしい。生きて、大空に翔る人生を、わたし達の分まで生きてほしい。
生きていてよかったって、大人になって笑って言ってほしい。
翔の成長が見られないのはすごく悲しいけど、わたし達は十分幸せな人生だった。だから翔も――
そこで、文章は終わってる。
なんで、なんで、事故の瞬間まで日記が書けるんだ。
「ここは記憶堂。様々な人の記憶と想いを扱っている本屋です」
後ろから声がかかった。
優しそうな笑顔を浮かべたおじいさんだった。店の人か。
「作者様がぜひとも伝えたいことがある時に、その相手の前に現れる本屋なのです」
笑顔のまま、おじいさんが俺の目を覗いてきた。
「作者様が、あなたにその書を読んでほしいのですよ。何を伝えたいのかは、あなたが考えることですが」
後から考えたら絶対に嘘だろって思うようなことだけど、どうしてか、すんなりと、おじいさんの言うことが本当だと思った。
両親が俺に言いたいこと。
考えるまでもない。
しっかり生きて、ってこと。幸せだと思える人生を歩んで、ってこと。
「これ、買います」
「はい、ありがとうございます」
おじいさんはしわをさらに深くして笑った。
途端に目の前が白くなった。
いろんな映像が浮かんでは消える。
俺の成長の記録だ。
多分、本に書いてあることだろう。
両親はいつも笑顔だ。俺が病気やケガをした時はすごい心配してる。
愛されてたんだな。
愛されてるんだな、この記憶を俺に見せたいくらいに。
鼻の奥がつんと熱くなる。
前に泣いたのっていつだっけ?
そんなことを思いながら、両親の思い出を見て俺は泣いていた。
ふと気が付いたら、俺は空き地にぽつんと立っていた。
本屋は、ない。
買ったはずの両親の本もない。
けれど思い出そうとすると二人の笑顔がきちんと浮かんでくる。
記憶に記されたんだ、って思った。
……そういえば、買うって言ったけれどお金払ってないな。
まさか「おまえの余命だ」なんてそんなオチはないだろうな。
考えて、まさかなって笑った。
今までより、ちょっとだけがんばってみよう。
そんなふうに思いながら、暗くなってきた道を帰った。
(了)
記憶堂 空からの贈り物 御剣ひかる @miturugihikaru
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