第42話 怒らないでやってくれ
「おはよう。えっと、シャル・ボヌーくん」
イリスは食堂にいた。今日も、食堂で人間の食べ物を堪能していた。
「ご飯はもう食べた? まだだったら、僕と一緒に食べる?」
「安心なさって下さい。このお料理は人用の物。イリス様は人用のお食事を好まれるのです」
同じく食卓についていたシーモスが、微笑みを浮かべて席をすすめる。
「飯はいい。『慈愛公』、アンタと話したくて……ここに来たんだ」
シャルの声が強ばっている。彼の後には
「うん。なあに? あのね、僕のことはイリスで良いよ。『慈愛公』って呼ばれるの、あんまり好きじゃ無いから」
イリスは、いつもと同じ。春の木漏れ日のような優しい笑みを浮かべて、シャルを見つめる。
「……イリス。アンタが人の肉を食わないってのは本当か?」
「うん。僕は、人のお肉は食べられない。だから、奴隷のコたちに血を分けてもらって生きてるよ」
「アンタには、自分の魔人がいないって本当か?」
「うん。僕は魔人を作ったことが無い。シーモスとアルダーくんは魔人で、僕の友達だけど……僕の『魔人』じゃない」
シャルの質問に、イリスは丁寧にはっきりと答える。その表情は真っ直ぐで、シャルを
「……アンタがオレも母さんのことも知らないってのは……本当、か?」
「うん……ごめんね。それも、本当。僕は君に会うの、初めてだよ」
申し訳なさそうに眉を寄せるイリスに、シャルは泣き出しそうな顔をして唇を噛んだ。
「……」
「……ねえ、泣かないで? 君は、僕のことをお母さんを食べた人だと思っていたんでしょう? 僕が嫌いだから、だからタイキにひどいこと、したの?」
「……っ」
イリスの一言に、シャルは泰樹を振り返り顔色を青くした。シャルが信じていた事実が嘘であるなら、彼が泰樹にした仕打ちは何だったのか。
いまさら、罪悪感が湧いてきたのか。シャルは泰樹を見つめて眉を寄せた。
「……コイツは、俺のこと
「……うん。わかった。痛かったのはタイキだから、タイキが良いって言うなら、僕が怒るのは違うと思う。……ねえ、シャル・ボヌーくん。もうタイキにひどいことしないって、約束してくれる?」
泰樹を案じるように、イリスは胸に手を当てて表情を固くする。
「……自分のことより、ソイツのこと、約束させるのかよ」
それが
「うん。タイキは僕の友達だから。僕は、自分が痛くて苦しいより、友達が痛くて苦しい方がつらいんだ」
「……わかった。ソイツには、もう、手を出さねえ」
つぶやくように、シャルは口に出して承知した。
「それに、僕はね、とても強いから。母様が言ってた。強いコは弱いコには、優しくしなきゃいけないんだよ?」
「なんだか、アンタ、ガキみてーだな」
シャルは天をあおいだ。それから、そっと苦笑を頬に浮かべる。
「そうだね。僕は、13歳の時に幻魔になったから。その時から、そんなに変わっていないのかも知れない」
ああ、どうりで。幻魔になるとソイツの時間は止まってしまうのだろうか。
イリスの言動が幼さを感じさせるのは、そう言うわけだったのか?
「……シャル・ボヌー様。貴方にイリス様がお母様の
じっと黙って成り行きを見守っていたシーモスが、微笑みを絶やさずに問いただす。
シャルは姿勢を正して、シーモスに向き直った。
「それは、浴場の支配人だ。支配人は、ひいきにしてくれてる魔人から聞いたって」
「有り難うございます。それでは浴場の支配人をここにお招きいたしましょう。
シーモスの顔は笑って見えるのに、目は完全に笑っていない。……ちょっと怖い。
「……シーモス、ちょっと怖え」
おびえた泰樹が思わずつぶやくと、シーモスは「当然でございましょう?」と笑みを深めた。
「『慈愛公』様の魔人を語っておいて、ただで済むと思っていただいては困ります。『偽物』にはそれ相応の報いを受けていただきましょう」
「うわあ……」
なんかコイツ、敵に回したくないなあ。ドン引きする泰樹の横で、シャルが顔色を青くする。
「……シャル・ボヌー様、貴方も簡単には許されるとお思いにならないことです。イリス様は『慈愛公』と称されるほど寛大なお方でございますが、全く腹を立ててらっしゃらないと思ったら大間違いです」
念を押すように、シーモスはシャルを見つめて言い渡した。
「……うん。君がタイキを誘拐したってことは、僕だって怒ってるからね?」
「俺も完全には割り切れてはいない……が。お前の境遇は同情する」
イリスはむーっと頬を怒らせ、アルダーは静かに言い添えた。
「……それについては、悪かった、よ」
三人の魔の者に気圧されたのか、シャルは泰樹に向かってぽそりと小さくつぶやいた。
「うんうん。ちゃんと謝れてエラいね、シャル・ボヌーくん」
うなずいて微笑むイリスに、シャルはバツが悪そうに服の
「いちいちフルネームで、呼ぶなよ……シャルで良い……」
そう口に出したシャルの顔は、気恥ずかしげに染まっていた。
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