第27話 魔法使いは勇者じゃない。
共和国歴1640年。第七魔王歴にして25年。
人族の辺境の地、イショサ村に男児の鳴く声が響いていた。
「ユウは本当に泣き虫。男のくせに恥ずかしくないの?」
「やめてよ、マホちゃん、やめて!」
ユウと呼ばれた泣き叫ぶ男の子を、マホと呼ばれた少女が手に持った無駄に足が多い虫を顔に押し付けようとしながら追いかけまわしていた。
村では唯一マホと同い年の子供ユウ。マホにとって、ユウをいじめるのは楽しかった。他の自分勝手な大人たちなど放っておいて、いつまでもユウと、いや、ユウで遊んで居たかった。
ついにはユウが転んでしまったため、服の背中に持っていた虫を入れてまたマホは笑う。ひとしきりユウの泣き顔を堪能し終えたら、その虫を取ってやる。
「まったく、あんたはあたしが居ないと本当にどん臭いんだから」
無駄にユウを脱がして服を取り上げたりもした。ユウが自分を追いかけてくるのが楽しかった。一緒に遊べて楽しかった、と……そう思っていた。
マホが家に帰ると、父親も母親もマホのことを気にも留めない。二人は妹を可愛がり、マホのことを居ない者として扱っていた。
なぜなら、彼女には魔法の才能があったからだ。しかもずば抜けて強力な才能であった。
赤子の頃、彼女が夜泣きするごとに家は軋み、暖炉から
マホが8歳になった頃、彼女がユウをいじめていたことが両親に発覚。両親はますますマホを腫物のように扱うようになった。マホには家に居場所が無かった。
そんなころから、ユウは養父より剣の稽古を受けさせられていた。その稽古をずっと、物陰から眺めて居た。
もしかしたら、ユウが自分を助けてくれるかもしれない。そんな希望を込めて。
ある時、マホは両親から長らくぶりの説教を受けた。理由は妹に手を挙げたからだ。両親はなんとかマホに普通に接しようとしたが、その気持ちはマホには伝わらなかった。マホはユウに助けを求めたかった、しかしそのようなことなど口に出来ず、偶然を装ってユウを訪ねた。
「(そうだ、キイチゴをプレゼントしにきたってことにしよう)」
だが、そこには期待した王子様は存在せず、剣の稽古が上手くいかずに不貞腐れ、小川で釣りを楽しむ少年が居ただけだった。
それでもと、マホはユウの隣に腰を下ろした。ユウが二度見して少し引いたのは言うまでもないのだが。
「ねえ、ユウ。あんた剣の稽古上手く行ってないの?」
「え、うん……」
「あんた鈍いし馬鹿だもんね……剣の稽古、実は嫌でしょ?」
「え?」
ユウが久しぶりにマホの顔を見る。マホは、ユウが嫌な気持ちになっている時の顔をよく知っている。
「はい、あげる。どうせ、お腹すいてて魚釣ろうとしてるんでしょ?」
マホは用意していたキイチゴをユウに渡した。
ユウはそれを、はにかんだ笑顔で受け取る。マホの中で、何かが揺れ動いた気がした。
そうだ、ユウのことは自分が良く知っているんだ。
マホがそう自惚れているところに、ユウの養父が声をかける。
「ユウ、そろそろ日が沈む。寒くなる前に帰ろう」
現れた養父は、長く豊かな白い髭に優し気な目をしている老人で、しかし老いをまるで感じさせない伸びた背筋をしていた。イショサ村では偏屈爺として知られていたが、この養父の存在を見たマホは絶句した。それは彼女に類まれなる魔術の才があったが故だ。
「(化け物だ。人の姿をした、化け物だ。魔族なんかよりもっと怖い、化け物)」
その養父が、人も魔も超越した何かだと勘づき、マホは心底恐怖した。
実際にこの養父は世界の運行を司る
そして同時に理解した。
その日の晩、マホはユウの家を訪れ、養父に願い出た。
「あたしを、勇者にしてほしい。ユウを勇者にしないで。あいつ、弱虫でどん臭いし、あたしより弱いんだから……あたしが守るから」
マホの真剣な眼差しを見て多くを理解し、しかし養父は優しく微笑んだ。
「残念じゃが、君は勇者に必要な物が欠けておる。それ故に勇者には成れん。じゃが……君には君にできることがある」
そういって、ユウの養父は小さなペンダントをマホに手渡す。
「もしも、ユウの危機に君でもどうしようもないことが起きたなら、このペンダントを砕くと良い。事態が変わるやもしれん、魔法の品じゃ」
マホはそれを受け取った。
自分に勇者の資質が無いとはどういうことなのか。ユウにはあるのか? 嫉妬と羨望と悔しさが入り乱れながらも、マホは言い返せなかった。
次の日には、ユウの養父は旅に出て帰らず、ますますマホはユウの近くに入り浸るようになった。次第に、自身がユウを守るのだ、という感覚が平和な日常で麻痺したある日のこと。
共和国歴1647年。第七魔王歴にして33年。その冬の日。イショサ村を襲った
マホの家族は全員殺され、マホは天涯孤独となったが、涙など出なかった。そんなことよりも、実際に伝説の剣、聖剣を引き抜き勇者になったユウに憤った。
心配よりも、その後を思うと居た堪れなくなって、しかし口から出たのは罵倒だった。
「なんであんたが、勇者になってんのよ……勇者ならもっとまともに皆を助けてみなさいよ!」
鼓舞などしたことも無かった。
ふと、4年前にユウの養父へ「自分がユウを守るのだ」と宣言したことを思い出した。自分が……守り導くのだ。やらねばならない。
マホはユウの旅路に同行を申し出る。村を追い出されたユウに行き場はなく、その旅はマホにとってとても楽しいものだった。
ユウが自分のために甲斐甲斐しく世話をしてくれる。星空の下で二人きり、幸せな日々だった。
神官が味方に加わるまでは。
聖女と名高き神官は、決して聖女ではなかった。むしろ淫魔の類であり、勇者を篭絡しようとしていた。いや、あるいはマホ自身も篭絡の対象だったのだろう。
神官はある時、二人きりの時にマホへ微笑みかけた。
「ねえ、あなた、勇者様を泣かすの、好きでしょう?」
足先から自分が泡立つような、総毛立つような感覚が頭頂部まで走り抜けた。
「だって、あなた気付いてる? 勇者様を殴る時のあなた、とても楽しそう」
そんなことはない、と言いたかったが……言葉が出なかった。
しかしこの頃から、失敗したユウを、勇者として情けない幼馴染を折檻することに罪悪感が抜け落ち始めていた。何か、自分の中の悪魔を認めてしまった気がした。
次第に、勇者一行は各地で様々な功績をあげていき、勇者その者が周囲に求められるようになってくると、幼馴染の魔法使いというのは勇者にとって、そもそも好感度が低いこともあり、次第に疎遠になりつつあった。
マホはそのことが気に食わなかった。どこかで勇者の浮ついた噂があるたびに「本当のユウを知っているのはあたしだ」と心の中でつぶやき続けた。
勇者が誰かに笑顔を向ける度に、マホの中の何かが悲鳴をあげ続けた。
そして、その日は訪れる。
ある、嵐の日。魔法使いは勇者が密かに
勇者が別件で廃墟に行けないタイミングを狙って、ホワイトグリフォンの幼体を殺した。人を恐れずに鳴きながら目を細めてすり寄るその怪物に、魔法使いは心底嫉妬した、いや、今まで溜まった嫉妬があふれ出した。
勇者が村娘に腕を組まれて頬を赤らめたこと、町娘が勇者に好意を伝えた時に勇者が締まりのない顔を浮かべたこと、神官がパーティ入りすると決まった直後はすごく喜んでいたこと、どれほど苦労して勇者の旅路を手伝おうとも……
気が付けば、周囲には羽毛が舞い、血だまりの中にホワイトグリフォンの死体が転がっていた。その様に少し冷静さが戻りかける。
が、直後に泣き叫ぶユウの声に、マホは冷静さを失った。頭の中で、悪魔が暴れ回った。
ソ ナイ
—— ウダ。勇者が、ユウが、あたし じゃ、 のが、悪
ノ イん
だ。私は……
ユウは激昂し、今まで見たことも無い、マホの知らない勇者が、明確に殺意をぶつけてくる。
殺されると思った。そして、それほどまでに怒らせてしまった。当然だ。やり過ぎたのだ。
魔法使いは、ゼセン村宿屋の自室にこもった。勇者によって潰された喉は痛かったが、これは自分への罰のような気がして、治すに治せなかった。
宿のベッドの上であおむけに倒れ、天井をただ何も考えずに眺めて居た。
「あら、魔法使いさんはお一人? 私、外で人を待たせてますので、すぐに出ますから安心してくださいな」
そこへ勇者一行の神官が現れる。
何をしに来た。という元気もない。
神官は魔法使いの状態を一瞬で察知し、魔法使いの喉をさっさと治してしまう。
「珍しくナーバスかしら? 柄にもないわね」
そう揶揄った神官は、いつもどおり魔法使いが何か言ってくるだろうと思ったが魔法使いは沈黙を保ったまま静かに涙した。
その様に神官は驚き、珍しく魔法使いに寄り添い涙を拭ってやる。
そんなことがあったせいか、魔法使いは神官に、一番自分が成りたくないと思っていたタイプの女性に自分の失態を暴露した。
「あなた、思ったより馬鹿でしたのね」
神官は魔法使いにそう告げた。
いつもなら、魔法使いは神官に反論するのだが……。
「ええ、そうね。あたし、馬鹿やっちゃった」
「あら、驚くほどナーバス」
神官は咳ばらいをし、魔法使いに言う。
「いいですこと? 自由に生きるためには、自分が本当は何を望んでいるのかを知らなければならないわ」
「あたしの望み? それは……」
「私が思うに、魔法使いさんは勇者様を好きではないと思うのよ」
「……え?」
魔法使いの中にある、小さな、ユウへ焦がれる心が恋でないなら、何を恋と呼ぶのか。あるいは、性に奔放な者からすると恋というのは解らない物なのだろうか?
その心の声を察してか、神官はにやりと笑った。
「あら、私でも恋とか愛とかと、それ以外の違いは判るわ。あなたより場数は多いですし」
それは……そうだ。
魔法使いはベッドから体を起こして神官を見る。神官はしたり顔で、魔法使いの心根を暴いていく。
「あなた、単純に『勇者を支える幼馴染の自分』が好きなだけだったんじゃないかしら?」
勇者を支える幼馴染の自分……?
「でも勇者様、次第に頼もしく殿方として成長され、あなたのマネジメントも必要としなくなってきた。あなた単純に『子離れ』が出来てなかっただけなのよ」
「そんなことは……そんなこと」
「だってあなたの話、ずっと『勇者が依存してくれない』って愚痴ばかりよ」
「……そんなに?」
「……今日はずいぶんと反論なさらないのね。これは重症だわ」
神官は魔法使いがまったく噛みついてこないことに、事態がどれだけこじれているかを察した。
そして「これは持論だけど」と話し始める。
「神官というのはね、如何にすれば幸せになれるかをずっと祈り考える職業なの。だから私はすぐにわかったわ。私の幸福は『みんなに求めてもらってちやほやされたい』ということだと」
「それで“アレ”は、神官としてどうなの」
「あら、私も大神官の娘である前にただの娘よ。一人からの愛より万人に私愛されたいの」
その結果が性に奔放な聖女であると。
聖女は高らかに歌うように言う。
「幸福を求める権利は誰にでもあるわ。けれど目指す幸福と自分が本当に望んでいる幸福がずれていては幸せになりにくいのよ。だから、あなたはもっと自分と話し合う時間が必要ってことじゃないかしら?」
自分と話し合う時間……本当に自分が望んでいたことってなんだろうか?
「というわけで、私もあなたも勇者様には振られてしまったわけだし、しっかりとあなたを求めてくれる人を探すのが良いんじゃないかしら? ……良い
「お古は嫌よ」
「あら、物は大事にしなさい、自己満足ドS女」
「このビッチ聖女」
二人はしばしにらみ合い、神官が噴き出してにらみ合いは終わる。
そのタイミングで、部屋の戸がノックされ、扉の向こうから戦士の声がする。
『すまないが、
神官はベッドから立ち上がる。
「珍しく、柄にもない説教などしてしまったわ。私戦場で失敗しないかしら」
魔法使いは神官の背に、ぽつりと、精いっぱいの言葉を絞り出す。
「あ、ありがと」
神官は振り返り、魔法使いに驚愕の表情を見せる。
「やめて下さる!? 本当に悪い事が起きそう!!」
「良いから早く行きなさいよ。あんたごと燃やすわよ!!」
神官と魔法使いは互いに歯をむき出しにしてにらみ合い、いつもの関係に戻った。
魔法使いは、ホワイトグリフォンの一件があった以上、勇者は戦線に立てないのではないかと思った。
だが、涙の跡を頬に付けてこそいたものの、勇者はどこか落ち着いた様子で戦線に現れ、難なく事をこなした。
途中、むしろ魔法使いを庇いながら魔法使いより先に魔法を放つ勇者を見て、魔法使いの中で神官の言葉がこだました。
パーティでの連携にも何の支障もきたさず、まるで何事も無かったかのようにリビングアーマーを退ける。
しかし、戦いが終わると勇者は魔法使いに何も言わずに去っていく。溝は確実にできていた。ただ……勇者が魔法使いが思うより、マホが見ているよりユウが大人なだけだった。
数日後、リビングアーマーとの度重なる戦いにようやく勝利した日のこと。
ゼセン村中央にある大聖堂の屋根が爆ぜるのを魔法使いは見た。大聖堂の頂上で、勇者が何者かと闘っているのが見えたのだ。空気が振動し、爆音と共に強烈な光が大聖堂の頂上から放射線状に放たれ続ける。この異常事態に勇者一行は大聖堂を登ろうしたが、謎の壁が行く手を阻んだ。
魔法使いは知る限りの魔法でその壁をこじ開けようとした。しかし傷一つ付かなかった。知る由も無いことだが、天使が本気で邪魔されないように作った壁である以上、壊すことはほぼ不可能な壁である。
「なんで、この先でユウが闘ってるのに!」
魔力を使い果たし、肩で息をする魔法使いに戦士は告げる。
「残念だが、我々の技量は勇者殿には及ばない。我々三人ではこの壁は破れないし、もしも参戦したところで邪魔になるだけだろう」
「あんた、何言ってんの!?」
魔法使いは戦士の胸ぐらを掴むが、戦士は微動だにしない。
「気づいていないのか。勇者殿は、我々三人という足手まといを守りながら常に戦っておられた。前衛に出るオレすらも常に魔法で支援されていたのだ。後衛のお前たちを庇い、足りぬ部分を全て一人でこなしておられた。それが解らなかったのか?」
「そんなことぐらい……」
解っている。
解った上で、どうにかしたいのだから。
それは、好きだからとか依存させたいからとか、そういうのじゃなくて……
ふとしたタイミングで、魔法使いのポケットから、鼈甲で出来た涙型のペンダントが落ちる。
魔法使いは、いつかどこかで手に入れたそのペンダントを拾い上げ、願うように握りしめると、ペンダントはさらさらと崩れて消えた。
その後、戦闘音が止んで少しすると、燃えるような赤い髪に、小さな角と獣のような耳をした少年らしい者が、大聖堂の上から降りてきた。見知らぬその者が、心なしか自分を鋭く睨んでいった行ったように思えた。
直後、勇者がその者を追いかけて現れる。
「あれ? みんなも来てたの? ああ、もう大丈夫だよ。何もかも」
そういって勇者は、魔法使いの気も知らずにはにかんだ笑顔を見せた。
そういえば、ユウの笑顔を見るのは、何時ぶりだったか……その言葉の通り、きっと、何かが終わりを迎えたのだとマホは思った。
マホは堰を切ったように涙があふれた。
「ごめんね。ごめんね、ユウ。ごめんなさい」
「え、ええ!? ま、マホちゃん? ごめん、僕何か……」
「違うの、良かったって、良かったなって……ごめんなさい」
マホが泣き止むまで、ユウは傍に居たが、溜まりに溜まった感情の波が終わるまで、少し時間がかかった。
その間に魔王は逃げたが、それはまた別の話。
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