二番目の日

第6話 魔王様、悪化する。


 当人たちすら知らない魔王と勇者の邂逅から早数日。

 魔王は変化の魔術を応用し、自身の姿を偽って神殿を訪れていた。とはいえ、勇者が勧めたように人族の神殿に行くのではなく、行ったのは魔族の神殿だ。

 魔王は自身の姿を緑小鬼ゴブリンよりは大きく、オーガよりは小さく、吸血鬼ヴァンパイアほどの魔力は持たないが、泥巨人トロールほど愚鈍には見えないように偽った。これがどういう種族なのかと聞かれると返答に困るが、魔族は多種多様だ。よく解らない種族、というのが一番紛れ込むには便利だろうと、魔王は思った。


「それで、一体何の用かしら?」


 魔族の神官長である上位蛇女ハイゴーゴンは、神殿を訪れた見慣れぬ魔族にぶっきらぼうに言った。

 魔王は、弱すぎず強すぎずの存在を努めて演じる。


「ああ、最近体調が不調なのだ。それで、良き相談相手を探していたら、神殿に相談してはどうか、と言われたのだ」


 自分で口にしておいてなんだが、一体どういうことなのか、魔王は解らなかった。

 解りやすく言うと、役所に「風邪なんですが診てもらえますか」と行くようなものである。「いいから医者に行け」と言われるところなのだが。


「不調、それで、我が神の叡智を受けに来た、と」


 ハイゴーゴンは、魔族の神の一柱に仕える女性ばかりの種族である。髪の毛の代わりに自由に動く蛇が生え、下半身は蛇、上半身は人族の女性の物をしている。その視線に石化の力どころか各種呪いの視線を持ち合わせている、人族の多くが裸足で逃げ出す強い魔族だ。

 ハイゴーゴンに限った話ではないが、魔族の多くは自分たちの種族の教義に自信を持っている。ハイゴーゴンは蛇の魔族たちから信仰される、沃土の神ディフメフテルこそが至上であるとしており、ディフメフテルの教えを広めるためならば魔族の儀式のために神殿を貸し、時に人族すら神の名のもとに助けようとする。そういう種族である。だからこそ、相談を持ち掛けても大事には至らない、はずだ。

 いつもなら魔王は、ディフメフテルに人族の生贄などを持って行くところだが、今日は違う。

 ハイゴーゴンの神官長は魔王を、魔王とは知らずに、顔を掴み頬を荒々しく揉み首を捻るかのような勢いでその両耳を見る。

 魔王はその手を振り払い、怪訝そうな表情を向けて訴える。


「不調を診てくれるのか、診れくれないのか、どっちだ」


 ハイゴーゴンの神官は、まるで嫌いな上司に怪我の相談をされた時のように、嫌々ながら、というのを隠さずに告げる。


「見たところ、何処が不調なのかは解らないわ」


 魔王は本来の姿を現した方が早いのではないかと思い始めたが、ぐっとこらえて答える。


「メンタル的なもの、精神的な不調なのだ。不眠や、知性の低下が気になる」

「あなた眠らない種族なのではなくて?」

「おい、馬鹿にするな」

「あら、ごめんなさいね」


 まるで悪びれもせずにそうハイゴーゴンの神官はぼやいた。

 魔王はそれでも引き下がらない。


「だから、なんとか頑張りたいと思って、それで助力を頼みたいと……」

「それで? どうしろと? ああ、眠りたいなら睡眠の魔眼でも使いましょうか? 知性の低下は……ディフメフテル神の古文書でも読めば叡智の一端は授かるかと」

「そうではない!」

「精神的に弱っているなど、魔族を止めて人族にでもなればよいのでは?」

「な、何て言い草だ!! 私は自力でなんとか頑張りたいと……」


 魔王にもイライラが表面に顕著に表れ始めた時、ハイゴーゴンの神官は魔王の顔を睨むように覗き込む。


「『頑張りたい』のでしょう? なら、ご自分で頑張れば良い。またどうぞ」


 魔王が言葉を失っている間に、ハイゴーゴンの神官は神殿の奥へと消えていく。

 後には、言われた言葉の意味を咀嚼しきれずに棒立ちする、姿を偽った魔王だけが残った。





 魔王は外見を変える魔術を解くことも忘れ、魔王城の自身の寝室へとトボトボと戻って来た。途中、魔王城の者たちに止められた気はするが、どうやって寝室に来たかまでは魔王はよく思い出せない。寝室のお気に入りの椅子に座り、なんとか組み直したお気に入りの机に向き直り、その上にうず高く積まれた黒い指輪を見る。じっと見つめる。

 そうこうしてる間に、なんとか事態を咀嚼し始める。


 アドバイスに従って、神殿を訪れてみた。だが、神殿から渡された言葉は「自分で頑張れば良い」……

 自分で頑張りたい、とは言ったが、頑張れる状態ではないから助けを求めに行ったのだが……? あるいは、人族の神殿であれば何か違うのか……? いや、きっと変わりない。助けを求めるなど、やはり無駄だったのだ。助けを求めるなど、無駄だった。無駄だったのだ。

 魔王の心には怒りはもはやなく、虚無のようなものが渦巻き、虚脱感が体を押しつぶさんとしていた。


「(シ ト、し 

   ゴ   な  ば

        けレ

            。)」


 そうだ、仕事ヲ、しよウ。

 シゴト、しな、い、ト。


 手に取ったコーリングリングからは罵声が魔王へ浴びせられる。


 ワタシ、は、魔、族に、向いテ、ないかもシレなイ。

 魔王ハ、別、ノ、誰かガ、やれば良イのニ。


 黒い指輪の声が、魔王の眼球の中で深い痛みに変わり始める。


「(自力        ば   

    デ、頑   がん る。   

       張る。      

                が

                  ン

                   ば

                       れ、


                            ナイ)」


 魔王の手から、コーリングリングが落ち、床の上で跳ねる。それを拾うでもなく、魔王は机を見つめていた。

 いっそ、全部捨ててしまおうか。そんな無責任な、しかし最善手なような気がする手段が浮かんで来て、それに考えが支配されていく。それは頭痛のように頭蓋の中にこだまし、文字通り全てからの逃避行を自分に命令し始めた。義務感すら感じる。抗えない自身への加害の命令は、最悪の形で実行されようとしていた。

 魔王の限界は、訪れた。ほんの小さなきっかけで。









 そこへ突如、何時か聞いた声が、魔王の意識を現実へ連れ戻す。


『もしもし、聞こえますか? いつか話したあなたに、話しかけています』


 魔王は、その声がする方へ、机の引き出しにしまわれた白い指輪へ目を向ける。




『もう一度、あなたと話をするために、話しかけています』


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