第24話 家畜
明香梨が御堂の森へ千彰を迎えに行く途中、鶻業が千彰を掴んで南の森へ向かう姿を見かけたのは幸運だった。
ふたりが森に入ってしばらく後に南の森から光の柱が立ち上るのを見た明香梨は、百恵に電話で事情を説明し、南の森へ急行した。
光の柱が立ち上った地点を追って来てみれば、両手を広げてもまだ余裕のあるほどの穴が開いていて、その真下には先日鏨牙が出現した試合場。そしてすずめの背後から迫る鏨牙の姿だった。
反射的に抜刀し、考えるよりはやく穴に飛び込んでいた。
「わああああっ!」
叫びながら落下し、鏨牙の脳天を狙う。
大声をあげるのは、自らを鼓舞するのと同時に鏨牙の注意を引くため。
いままさに横たわる鶻業へ振り下ろされようとした右拳を、ぐるりと振り仰ぎながら明香梨の刀身へ放つ。
「せあああっ!」
右。
鏨牙が拳を振り上げはじめた瞬間を狙って千彰が迫る。
がら空きの鏨牙の右脇腹へ、まっすぐな突きを滑り込ませる。鏨牙の右拳が一瞬速い。明香梨の刀が真ん中からたたき折られ、先端部が回転しながら吹き飛ぶ。着地した明香梨は一歩間合いを詰め、半分の刀身で鏨牙の左腕を横薙ぎに切りつける。
「むうんっ!」
左掌を向けて明香梨の斬撃を受け止めた鏨牙だが、千彰の突きは深々と受けていた。いまだ、とすずめに視線を送りつつ千彰は明香梨の首根っこを掴んでバックジャンプで間合いを大きく離す。
「急急如律令!」
すずめの声と共に彼女が両手に持つ札から雷光が閃き、鏨牙に迫る。直後、轟音と共に鏨牙に直撃。爆煙と爆風が千彰たちを襲う。
「ふたりとも!」
リングの中央まで距離を取っていた千彰たちへ、鞘に収められた刀が二振り投げつけられる。すずめがいつも用意してくれている予備の刀だ。千彰は爆煙の中心地点に視線を置いたまま手を伸ばして、明香梨はわずかに戸惑いつつも両手でキャッチする。
「危ねぇな、嬢ちゃん」
中空から、鶻業が羽ばたきながら零す。傷口はもう塞がったようだが、声音ほど表情は軽くなく、呼吸も荒い。
「ごめんごめん。でも鶻業さんなら逃げてくれるって信じてたから」
足趾に両肩を掴まれながらすずめは明るく言う。雷の札を励起させた直後、鶻業はすずめを掴んで上空へ避難していたのだ。
爆煙の向こうから、金属が落下する音が二回。わずかな水音が聞こえる。
あの雷がどれほどのダメージになったかは判らないが、やはり鏨牙はまだ生きている。
「ほら、離すぞ……っ!」
返事を待たず、鶻業は足趾を開いてすずめを落とす。「わわっ」と悲鳴をあげながらどうにか着地したすずめと行き違うように鏨牙が上昇していく。
「まずは、妖!」
「鶻業さん!」
振り仰ぎ、警告しながら袂から札を取り出す間に、鶻業は両翼で突風を起こし、鏨牙にほんの僅かな減速を強いる。あの傷で対応できたのはさすがだと思う。
その一瞬があれば千彰には事が足りた。
「はあああっ!」
一足飛びに跳躍し、鏨牙の背中に脚を乗せ、岩石かと見紛うばかりの逞しい背中へ刀を突き降ろす。だが、
「ぬああっ!」
構わず振り抜いた鏨牙の拳が鶻業の翼を砕くほうがわずかに速い。それでも千彰の刀は鏨牙のうなじから胸板までを貫き、ふたり分の鮮血を降らせた。
「……かはっ」
翼を砕かれ、その衝撃で腹部の傷も開いた鶻業は、それでも足趾を持ち上げて鏨牙の左腕を掴む。
「……落ちろ!」
そのままリングへと投げつけ、自身はよろよろと落下し始める。
「鶻業!」
一瞬速く鏨牙の背中から飛び退いていた千彰は、空中で鶻業のからだを抱き寄せ、リングサイドへと落下していく。
「千彰さま、こちらへ!」
いつの間にか落下地点にいた鋏臈が、リングとフェンスの間に糸でクッションを作ってくれている。世話になりっぱなしだ、と感謝しつつどうにかクッションへと落ちる。
ゆっくりと沈み込んだクッションは反動で跳ね上がることもなく、柔らかくふたりを受け止める。ふう、と息を吐いた千彰。鶻業の顔は青ざめ、呼吸は荒いが、まだ笑い返すぐらいの余裕はある。
「急急如律令!」
即座に大量の札が鶻業を包み込み、
「失礼いたしますわ」
さらにその上から鋏臈が大量の糸で簀巻きにする。
「お、おい姐さん! これは余計だ!」
鋏臈ですわ、と冷淡に睨みつつ、
「これ以上の戦闘は不可能と判断します。こんな深手ではすずめさんの札でも完治までは相当時間がかかります。このまま戦うのならば千彰さまの足を引っ張ってしまいかねません。いまは陰陽師の方々と傷を癒やすことに専念してくださいませ」
すずめに視線を送り、受けたすずめは控えている陰陽師たちに鶻業を医務室へ運ぶように指示する。
「ごめんね鶻業さん、あたしも鋏臈さんと同じ意見だわ」
「お、おい、俺はまだ」
抗議もむなしく簀巻きにされたまま鶻業は陰陽師たちの鮮やかな手際により担架に乗せられて医務室へ運ばれていった。
ふう、と息を吐いてリングへ向き直る。投げつけられた衝撃でまたも立ち上る土煙の中から、鏨牙がぬっと姿を見せる。
千彰が貫いた胸の傷はすっかり塞がり、いまは痛ましい傷跡だけ。
「若き妖士、ひとつ問いたい」
そう語りかける鏨牙のたたずまいは、への字口ではあるが穏やかだった。
* * *
鏨牙と名乗ったこの妖は、千彰からすれば大叔父にあたる御堂八錠という人間。
御堂すずめと自分と縁があり、なにより百恵の兄だ。
昨夜自分の部屋に訪れた祖母は、「覚悟はとうの昔にできていますから」と僅かに声を震わせながら言い、そして一枚の札を千彰に渡した。
『わたくしが過去、一枚だけ作成したお札です。せめて、これだけでも兄に会わせてやってください』
大切な祖母からそんなことを言われた大叔父をただ切り捨てることなど、千彰にできるはずもなかった。
明香梨をリングから下ろし、中央で千彰と鏨牙は向かい合う。
「なぜ妖をかばう」
いちど刀を鞘に戻して千彰は、鏨牙からの問いにゆっくりと返す。
「妖も鬼もずっと人に寄り添ってくれてる。あんたが妖を憎むようになった原因は全部人間だ。変わらなきゃいけないのは、人のほうだ」
「だとしても、人を喰らっていい理由にはならぬ!」
「それは理解できる。でも、妖と話してみてわかった。向こうからすれば、俺たちは食糧にすぎない。寄り添ってくれるのは家畜に愛情注ぐみたいなもんだってな」
鋏臈は無論この対話を余さず聴いているが、口を挟むことはしない。千彰が語るような感情も、少なからずはあるからだ。
「うぬは自らを家畜と定義するか」
怒気を妊んで眉根が上がる。
「すぐ同族同士で殺し合ったりしてるの見れば、妖たちより程度が低い生き物だって思うよ。いっそ連中に管理してもらったほうがいいんじゃないかってな」
「自由意志を棄てると言うか!」
「違う。この千年そういうことをしようとすらしなかったのは、連中の優しさだ。だから俺はその優しさに甘えないだけの強さが欲しい。それだけだ」
まっすぐに言いながら、千彰は柄に手をかける。
「それでも妖を滅ぼすと言うのなら」
「よかろう。我とてもう妖を滅する以外の思慮は残っておらぬ」
ずい、と足を引いて拳を構える。
「我を祓い、超え、証明して見せよ!」
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