第25話 八錠

 強い。

 刀を合わせて数分。千彰の胸に去来するのは高揚感だ。

 すぐ隣に援護ぐらいさせなさいとリングに上がってきた明香梨がいても、そちらへ刀を向けることもない。

 これ以上無く集中している、と自覚できるほどに千彰の意識は覚醒している。

 明香梨はうまくこちらをフォローしてくれている。千彰が攻撃する際に生じる隙を丁寧に潰し、鏨牙の足を止め、千彰が攻撃し易く誘導している。

 そうしてようやく、鏨牙と互角に渡り合える。

 楽しい。

 全力を出すことに、

 全力を出せる相手がいることに。

 全力を出してなお圧倒される相手がいることに。

 お膳立てされた攻撃はすべていなされ、あるいは回避され、当たったとしても表皮を浅く削る程度。いままで二度命中させられた攻撃は、鏨牙の意識がこちらに無かったとき。

 明香梨もそれを察しているからこその援護なのだが、一向に有効打が入らない。


「千彰遅い!」

「お前が速いんだ!」


 焦ってはいけない。即席のコンビネーションにしてはうまくやれている。戦いながら、互いの呼吸を読み取り、次の一手に活かす。

 だいじょうぶだ。鏨牙の攻撃も何度か喰らっているが、まだどれも致命傷には至って、


「がっ!」


 喰らった。腹。鋏臈が編んでくれた鎧に亀裂が走り、砕け、腹回りががら空きになる。そして千彰の口からは鮮血に染まった吐瀉物が大量に吐き出される。


「ぬうんっ!」


 くの字に折れた千彰の背中へ、鏨牙は両拳をひとつにして落とす。鎧は背面も砕かれ、千彰のからだはリングへめり込むほどに叩き付けられた。


「千彰!」


 鏨牙のさらなる追撃を防ごうと一歩出た明香梨を、


「うぬでは到底及ばぬ!」


 鏨牙は事もなげに蹴り飛ばし、すずめたちのすぐそばにあるフェンスへ叩き付けた。手を伸ばすも間に合わなかったすずめたちは、札で糸で明香梨を救助し、すぐさま治療を始めた。


「だめだって明香梨さん!」


 札を貼り付けるよりも、糸で包帯を巻き付けるよりもはやく明香梨は飛び出し、再度の援護へ向かう。止めることはもう無理だから、とすずめは札を投げつけて少しでも傷の治療と身体能力の底上げを行う。


「千彰!」


 足を振り上げ、千彰の背中を踏み砕こうとしていた鏨牙が明香梨を見やる。


「足りぬと言った」


 上げていた足をリングに置いて。ぐっと腰を落として拳を構える。このとき、居合わせた全員が気付いていなかったが、うつ伏せに倒れ込む千彰のふところが淡く輝いていた。


「わかってるわよ、そんなこと!」


 即席でコンビを組んではっきりとわかった。以前すずめが言ったとおり千彰は自分よりも強い。鏨牙との力量差にいたっては言わずもがな。だからと言って放ってはおけない。あいつは、いま、死にかけていて、殺されようとしているのだから。

 圧倒的に開いている力量差を埋めるには、自分ひとりの力では無理だ。

 叩き付けられた壁から飛び出した瞬間、ほんの一瞬、ほんの一瞬だけすずめたちに視線を送る。


「わあああっ!」


 叫びながら迫り、間合いに入る。と同時に拳が迫る。この巨岩と錯覚する拳にも少しは目が慣れた。だいじょうぶ。そう見えているだけだ。


「はあっ!」


 強く踏ん張り、迫る拳を縦に切りつける。硬い。が弾かれることだけはなかった。皮膚を浅く裂いただけ。

 だがそれでいい。いまの一撃は鏨牙にこちらを認識させることが目的。こちらの真意を悟られないよう細心の注意を払いながら少しずつ鏨牙を移動させる。こちらの攻撃は相手の攻撃を誘うための布石。だが一撃でも喰らえば致命傷になりかねない以上、回避や防御主体の立ち回りになる。それも全てはすずめの札で千彰の治療をさせるため。


「明香梨さん!」


 すずめも明香梨の意図を酌み取り、ばら撒く援護の札の中に千彰を治療する札を紛れさせる。そして鋏臈が、その札たちにさらに紛れさせる形で糸を伸ばし、千彰のからだに絡ませ、少しずつ引き寄せる。

 その様子を視界の隅だけで確認しつつ、明香梨は鏨牙に挑み続ける。

 鏨牙もこちらの狙いはとっくに気付いている、と思っていたほうがいい。

 焦るな。すずめを信じろ。迷うな。気を抜けば一気にやられ、


「かふっ」


 一瞬だった。

 ほんのわずか、鏨牙の左拳の処理を甘くなってしまった直後、アッパー気味の右拳が明香梨のみぞおちにめり込んでいた。

 口角から血を流しながら、つま先が地面から離れながらも明香梨は切っ先を下に振りかぶり、鏨牙の丸太のような、こちらの全体重を支える右腕へ振り下ろ、


「ぬぅん!」


 拳が振り抜かれるのが先だった。

 回転しながら吹き飛ばされる明香梨が向かう先は、まだ無傷のフェンス。距離がありすぎて鋏臈の糸も届かない。だが構わない。風車のように激しく回転する視界の中で、千彰は立ち上がっていたのだから。

 どうにか、しなさいよ。

 吸い込まれるようにフェンスへ激突する、と誰もが思った瞬間、


「助かった」


 千彰が明香梨の背中を、優しく受け止めていた。


「なによ、それ……」


 か細い呼吸の中で、どうにかそれだけ言ってわずかに苦笑すると、明香梨は静かに意識を失った。


「すずめ! 鋏臈!」


 ゆっくりとフェンス前の地面に明香梨を横たわらせてふたりを呼ぶ。


「改めて、俺が相手をします」


 明香梨の前に出て、これ以上ない自然体で正眼に構える。粉砕された鎧は鋏臈がいちど糸に戻され、いまは千彰が着る衣服と同化し、防御能力を底上げしている。『鎧は、無粋だったかも知れませんね』と治療を受けている最中、鋏臈がどこか寂しそうにつぶやいていた。


「よかろう。ここより先、一切の邪魔立てをするでないぞ」


 さいごはすずめたちへ向けて。

 はい、とふたりが答えるのを待って、千彰はリングへ走り出す。一足飛びにリングに飛び乗り、一気に間合いを詰める。鏨牙は腰を落とし、腰溜めに拳を構え、千彰を待つ。


「おおおおっ!」


 雄叫びをあげる千彰のふところから、淡い光があふれ出していた。


     *     *     *


「むぅ、この輝きは……」


 目を灼くような鋭い光ではなく、穏やかで、けれど凜とした輝きが千彰の制服の隙間からあふれ出している。


「百恵さん……?」


 昨夜百恵からもらった札は、お守り代わりに学生服の内ポケットに入れてある。他に心当たりのない千彰は刀を納め、札を取り出す。

 やはり発光源は百恵からもらった札だった。


「……もも、え……?」


 光を浴びながら、鏨牙がうわごとのようにつぶやく。


「八錠さま……?」


 鋏臈と共に戦うふたりを見守っていたすずめもつぶやく。


「お、おお、玄壱か。久しいな」


 視線の先にいるのは無論、千彰。


「ああ。お前も元気そうでなによりだ」


 自然と、言葉が口をついて出てきた。まるで自分の口を借りて誰かが喋っているような感覚だった。


「……そうか。思い出した。我はもう、ヒトではないのだな」

「そうらしい。……どうする。まだ、やるか?」


 虚を突かれたように八錠は目を丸くし、やがて高らかに笑い声をあげた。


「我とそなたがこのような場で再会したのだ。やることなぞ決まっておるわ」


 静かに両拳を握り、八錠は静かに構える。

 そうか、と千彰も正眼に構え、ゆっくりと息を吐く。

 弾かれたように動き出したのは、まったくの同時だった。


「ふん!」

「ぬおおっ!」


 決着もまた、一瞬でついた。

 八錠の拳が届くよりもはやく、千彰は八錠を袈裟懸けに切り伏せた。

 鮮血をほとばしらせながら八錠はゆっくり膝をつく。


「……変わらず、強いな」


 視線は正面。千彰は踏み込んで切り伏せたので八錠の左手側にいる。


『どうじゃ。儂の孫は強かろう』


 聞き馴染んだ、しかし懐かしい男声。

 はっと振り返ったそこに、千彰の祖父、玄壱の姿があった。

 いつの間にか手の中から無くなっていた百恵の札の輝きの中、胴着に袴紺姿の玄壱の姿が。


「ああ。おまえ以上に鋭い太刀筋だな」

『言いよるわ。はようこっちへ来い。ここは遊び相手がおらず、つまらぬからの』

「まったく、おまえは……」


 への字口をゆっくりと解きながら、八錠は前のめりに倒れていった。


「八錠さま!」


 すずめの叫びのあと、八錠のからだから小さな光がふわりと浮かびあがり、天井の穴から飛び立っていった。

 それを見届けた玄壱は千彰に向き直り、


『ありがとうな千彰。八錠を止めてくれて』


 そう笑顔で言うとすぐさま眉根を寄せて、


『百恵さんにも、謝っておいてくれ。別れを言えずにすまなかった、とな』

「うん。じいちゃんも元気で」


 自分でもなに言ってるんだと思ったが、素直な気持ちが口をついて出てしまった。

 玄壱も一瞬きょとんと目を丸くして、すぐさま豪快に笑った。


『そうじゃな。気を付けるよ。じゃが、お前たちは、できるだけゆっくり来るのじゃぞ。よいな』

「うん。俺、もっと強くなるから」

『うむ。見守っておるよ』

「ありがとう。じいちゃん」


 いいさ、と微笑んだときにはもう、玄壱の姿は札が放つ光と共に消え去っていた。

 残ったのは、端のすり切れた百恵の札だけだった。



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