第23話 鏨牙 (後編)
すずめの警告と共に柱が外れるとそこから膨大な光が溢れ、まっすぐな光の大樹となって伸び上がる。そのまま瞬く間に鍾乳石むき出しの天井を貫くと、ゆっくりと消えていった。
光の大樹があった場所には、ふたりの妖が。
「……すまぬ」
カンカン帽に浴衣姿で横たわる馬籠と、
「ぬぅん!」
馬籠の首を無造作に掴み上げる鏨牙。
ぎりり、と妖であろうと危険だと判る音が馬籠の首から響く。
「おおおっ!」
反射的に飛び出したのは千彰。鋏臈が作ってくれた鎧は動きを阻害することなく、むしろ補助してくれているように感じる。ありがたい。
鏨牙は千彰たちに対して右側を、つまり吊り上げている右腕がこちら側にある。間合いに入る。鏨牙の視線は馬籠にある。切っ先は下。馬籠を掴み上げる右手首を狙って刀を振り上げる。
「ぬんっ!」
鏨牙は馬籠から躊躇なく手を離し、左拳で馬籠の腹部を強打。すさまじい勢いで馬籠のからだが吹き飛んでいく。
「馬籠さま!」
鋏臈が糸を網状に放出して馬籠のからだを受け止めるのと、千彰のからだが上空へ吹き飛ばされるのは同時だった。
「がっ!」
丸くくり抜かれた天井の穴の外縁。そこに千彰は腰を強かに打ち付けられ、そのまま落下を始める。
「急急如律令!」
鏨牙に、ではなく落下する千彰を救助するためにすずめは札を大量に飛ばす。そしてそれに併走するように鶻業が両腕を翼に変えて低空から迫る。
「おおおっ!」
鏨牙が右掌を札に向ける。先日の経験からすずめは鏨牙が札に干渉できる距離はある程度限定されると判断。その範囲を避けるように札の流れを上方向へ切り替える。
鏨牙の意識がほんの一瞬札に向かったのを鶻業は見逃さない。
大きく羽ばたいて鏨牙の右側へ回り込み、注意を引きつける。
「こっちだ!」
叫ぶと同時に中空から羽根を無数に降り注ぐ。わずかに怯んだ隙を逃さず、強く何度も羽ばたいて突風も起こし、リングの表面にあった土埃や小石をも巻き上げ、竜巻と化し、鏨牙をその中に閉じ込める。
これでいい。
竜巻の中心にいる鏨牙がここから脱出する道は上しか無い。導線をはっきりさせて相手が動いて無防備なところへ攻撃を仕掛ける。最悪でもあの札が千彰を、
「……? ……ぐぶっ」
意識を逸らしたつもりは一切無い。彼の瞳は瞬膜も備えているので舞い散る土煙から瞬きをする必要もない。なのに、いま、彼の腹部は鏨牙の拳に貫かれている。
「は、ちょうど、いいか……っ!」
左翼を腕に変えて自らを貫く大木、いや鏨牙の右腕を絡め取る。そのまま右翼の上部で鏨牙の首を狙う。
また、だ。
あいつがなにかやる瞬間が、全く見えない。
くそが。
蹴り飛ばされ、腹部に開けられた穴から大量の鮮血をまき散らしながら、観客席を覆う金属製のフェンスへ一直線。ぶつかる寸前鋏臈の糸がやさしく彼を包み、最悪の事態は防いだ。
「鶻業さん!」
だが彼が時間を稼いでくれたおかげで千彰は無事札で保護できた。千彰をくるむ札を操ってフェンス脇に控えていた陰陽師たちへあずける。
「千彰くんをお願い!」
すぐさま懐から妖用の治癒札を取り出しつつ駆け出し、鶻業の元へ。激突を防いだ糸がすでに包帯代わりになって傷口を塞いでいた。
安堵しつつ妖用の治癒札を取り出し、腹部を中心に貼り付ける。
「急急如律令!」
張り付いた札が淡く光を放ち、ゆっくりと癒やしていく。
「わるいな。あの姐さんがつくってくれた鎧が台無しだ」
ひどいかすれ声だ。いくら妖でも腹をくり抜かれてはまともにしゃべれないのだ。彼の言うように鋏臈が作り上げた鎧も無惨な大穴が開けられている。
「黙って。動くと血がもったいないし、喋られると術に集中できないから」
「なあ、嬢ちゃんは見えたか?」
「だから黙ってって」
「頼む。答えてくれ。いま、あいつが俺の腹を貫いたのを、嬢ちゃんは見えたか?」
もう、と困り顔でため息を吐きつつ、
「見えた。すごく速かったけど、ちゃんと見えた。あたしは武術は素人だけど、千彰くんの試合とか討伐とかでそういう目はちゃんとあるから」
そうか、と悔しそうに返す鶻業に、すずめははっきりとした口調で続ける。
「でも、鶻業さんの動きも遅かった。たぶん、鏨牙……に遅くされてたんだと思う」
「あ? 俺が遅く?」
「うん。鏨牙はお札を使える。細かい説明はあとにするけど、そういう力を使って鶻業さんの動きを遅くしてたんだと思う」
「俺のからだを、札として使ったってことか」
「そうだとしか考えられない。鶻業さんは純粋な妖だけど、馬籠さまは人の血もほんの少し入ってるっておっしゃってたから、ちゃんと戦えた。だから」
す、と左の袖をまくって肌を晒すと、懐から短刀を取り出し、躊躇なく切った。
* * *
時間はほんの少し、鶻業が鏨牙と交戦している頃まで戻る。
「では、馬籠さまをお願いします」
馬籠を救助した鋏臈は、控えていた陰陽師にあずけ、リングへ向き直る。
「千彰さま!」
札にくるまれて落下する千彰へ糸を放出して保護し、手元にたぐり寄せる。その間にも彼の脈拍や意識の有無を糸から伝わる細かな振動で確認。大丈夫。多少痛みを感じてはいるが意識も心拍も、すずめの札の効能で安定している。
「……悪い」
「当然のことです。すずめさんの札にも感謝しなければ」
ああ、と返しながらも千彰は鏨牙を見据えている。それでも鋏臈は三歩下がって粛々と糸を回収し、土汚れを払う。
「行ってくる」
「ご武運を」
典雅にお辞儀をして見送る。
ああ、と肩越しに返して千彰は走る。
フェンス前に横たわる鶻業と、彼を治療するすずめ、そしてふたりへとゆったりと歩を進める鏨牙へと。
* * *
「おい? 嬢ちゃんなにやってんだ」
驚くのは鶻業のほう。
こっちの治療をやってくれている、と思った矢先に短刀で自らの腕を切ったのだから。
「鶻業さんにあたしの血を混ぜて、一時的に混血にします。こうすればたぶん、鏨牙の術も効果が薄れるはずだから」
言いながら左腕を鶻業の腹の上に。すずめの血がぽたぽたと落ちていく。
「混ぜるっておまえ」
「いまは、少しでも戦力が欲しいの。イヤでも我慢して。全部終わったら抜くから」
イヤじゃねぇけどよ、としゃがれた声で返して。
「そんなに、千彰が大事か」
「うん。戦友だし。でもいまは鶻業さんたちも大事。鏨牙を放っておいたら、たぶんこの町の妖魔も妖も全部殺されちゃう」
「おまえは、陰陽師だろ。妖がいなくなるなら嬉しいんじゃないのか」
ゆっくりと首を振って。
「そんなわけない。千年以上ずっと戦ったり仲良くなったりしてても、お互いを滅ぼそうってしてない。だから、いまの関係を壊す鏨牙は、止めないといけないの」
「そうか。陰陽師ってそういう連中だったんだな」
「ううん。あたしの個人的な思い。でも、あたしは統領だから、どうにかして根付かせたいって思ってる」
ゆっくりと、震える手を伸ばして鶻業はすずめの頬を撫でる。
「な、な、な、なに!」
あまりにも唐突な行動に、すずめは頬を赤らめてしまう。
「柔らかいな。それに、あったかい」
微笑む鶻業が、とても寂しそうに感じてすずめは強く言う。
「やめて。そういう物言いは、あたしたちからすると不吉な言い回しなの」
なんだよそりゃ、と苦笑してもういちど頬を撫でる。
「怒るよ」
「いいじゃねえか。少しぐらい」
「莫迦」
す、と自分の細腕に治癒の札を貼ってすずめは袖を戻す。
「もう少しで傷が塞がる。それまで、」
影がふたりを覆う。
「退け陰陽師。さもなくば」
振り返るまでもなく鏨牙だ。呼吸ができなくなるほどの圧倒的な殺意を受けてなお、すずめは懐から札を、
「叩き潰す」
鏨牙が拳を振りかぶる。とっさに鶻業がすずめの奥襟を掴んで投げ飛ばす。それでも、と手にしていた札をばら撒くすずめ。
上から、
「鏨牙! こっちだ!」
深紅の角髪が輝跡を描きながら落ちてきた。
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