第22話 会敵
「もう少しでなにか掴めそうなんだ」
鶻業への連絡は、御堂の家が妖に渡しているスマートフォンへ。鶻業も千彰との稽古は楽しいらしく、呼び出しから数分と経たずに来てくれた。ありがたいと思いつつ千彰は出会うなりそう告げ、稽古を始めた。
鶻業は鶻業であれから個人で鍛錬を重ねていて、剣筋が以前より鋭くなっていた。
「やっぱおまえ、ちゃんと相手を見れるようになってるな」
鶻業がそう切り出したのは、稽古を始めてから三時間ほどが経過し、一旦休憩しようとどちらからともなく言いだし、百恵に持たされた水筒から麦茶を飲んでいた時だった。
「そうか? 前もちゃんと見てたけどな」
「は? 見てねぇよ。あーいや、見てはいたか。こっちの剣を受けないように、自分の剣を当てないようにってな」
「そんなつもりは」
千彰の反論も無視して鶻業は続ける。
「それに、あの時は目も死んでた。無理して稽古してるって感じだったけど、きょうはなんか楽しそうだぞ、お前」
「楽しそう?」
「ああ。目が活き活きしてるっていうかな、公園とかではしゃいでるガキみたいな、そういう目だ」
子供みたいな、と言われて表情を硬くする千彰に、鶻業は微笑み、
「前にあった迷いが無くなってるってことだよ。踏ん切りでもついたか」
「……まあな。あんたともう一回試合したいって思えるぐらいには、なってると思う」
「そうか。それもいいな」
ふふ、と微笑みあうふたり。
あのときは無我夢中だったが、こんどはもっといい試合ができるような気がする。
でもそれは、やるべきことを片付けてからだ。
なあ、と表情を引き締めて、鶻業に問いかける。
「鏨牙、っていう妖を知ってるか?」
急に話題を変えられて鶻業は怪訝な顔をしたが、千彰の真剣な表情にすぐに思考を切り替える。
「んにゃ、やっぱ知らねぇな」
「じゃあ御堂八錠って人間は?」
「人間ならもっと知らねぇよ」
そうか、と返して、
「きのう、すごく強い相手と戦ったんだ」
「ああ、その相手が鏨牙って名前なのか」
こくりと頷いて、
「そのときに、はじめて戦ってて楽しいって思えたんだ」
「んだよ。俺とやったときは楽しくなかったのか?」
拗ねたような、からかうような鶻業の仕草に、千彰は戸惑う。
「あ、いや、あんたとやったときは、空飛ぶ相手は初めてだったから、無我夢中っていうか、その、」
慌てふためく千彰を笑い飛ばし、ばしばしと肩を叩く鶻業。
「冗談だよ。で、その鏨牙とやったときの感覚を、俺で再現しようってことか」
たぶん、鶻業の言う通りなのだろう。
鏨牙と戦ったときの高揚感。
あの中に強くなる鍵があるような気がしてならないのだ。
「ま、喋っててもなんだし、やるか」
適当な木に立て掛けていた木刀を取り、鶻業は何度か振って構える。
苦笑しつつ、腰にさしていた木刀を抜いて千彰も構える。
呼吸を整え、いままさに動きだそうとした瞬間、市街地を挟んだ先にある南の森から鏨牙のものとおぼしき強い気配をふたりは感じた。
馬籠が用意してくれたのは三日。
きょうは二日目。
馬籠を信じていない、というよりも鏨牙の力が上回っただけ、と千彰は判断し、木刀を適当な木に立て掛ける。
「行くのか」
「ああ。せっかく誘ったのに、悪いな」
「あほか。俺もいくからな」
「……あんたには縁のないことだろ」
「弟子が戦地に行こうってのに師匠が黙っていられるか」
「頼んでおいてなんだが、あんたに師匠面されるとちょっと腹立つな」
「んだとこら」
「稽古付き合ってもらっただけだろ」
そうだけどよ、と苦笑する鶻業。
言いながら両手を翼に、両足も猛禽類と同じような物を掴める足趾へと戻した。
「……まさかあんた」
「そりゃそうだろ。あのちんまいのの家からクルマとか借りるより早く着く。お前こそ歩いていくつもりだったのか?」
う、と千彰がうめく。
御堂の森から試合場のある南の森までは、市街地を挟んでいるため距離がかなりある。
自動車やバイクを使っても縦断に十五分は必要で、徒歩となれば一時間はかかる。
「ほれ手、横に広げろ。飛んでってやるから」
それでも渋る千彰に、鶻業は呆れたように言う。
「まさか高いところが恐いのか?」
「そ、そうだ。悪いか」
悪くはねぇよ、と翼を広げて羽ばたき、ふわりと浮く。
「じゃあ目閉じてろ。ここからなら五分もかからないから、がまんしろ」
何度かうめいて、ぎゅっと目を閉じて両腕を横に広げた。
「離すなよ」
「お前こそ暴れるなよ」
そのままするすると千彰の背後に回り、ゆっくりと、足趾で器用に肩から二の腕のあたりを掴む。
不思議な感覚だった。
しっかりと重さは感じるのに、のしかかるような圧力はない。筋肉だけで出来ているのが見た目にもはっきりわかる。突き出した爪はこちらを傷つけないようにうまく避けてくれている。
「きつくないか」
「もう少しきつくてもいい」
ん、と返して掴み直し、翼を大きく羽ばたかせる。
「足首掴んでろ。少しは安定する」
悪い、と短く返して千彰は鶻業の足首を掴む。
すごい。薄皮の下にはっきりと筋肉の存在が感じられる。こんな足に蹴られたら人間のからだなどひとたまりもないと痛感できる。
「んだよ。じっと見やがって」
「いや、すごい筋肉だなって思って」
あほか、とため息混じりに鶻業は羽ばたく。
「じゃあ行くぞ」
返事を待たず、鶻業は千彰を掴んだままふわりと浮き上がり、次の瞬間には森の木々をあっさりと超える高さまで飛んだ。
「うおおっ」
「だから目つむってろって」
「閉じててもわかるんだよ!」
「知るか。急ぐで行くから、がまんするか気絶してろ」
その慰めもどこまで聞こえていたか。
「無茶言うなあああっ!」
千彰の悲鳴を置き去りに、ふたりはまっすぐ南の森へ向かった。
* * *
その後、無事に南の森へ到着したふたりは、地下にある試合場まで駆けていった。
普段御堂の家が主催する試合会場と構造が同じなことが幸いし、迷うことなく馬籠が封印を施している試合場まで到着できた。
目につくのは、あの日ここを去る直前にはなかった、リングの外縁をぐるりと突き刺された杭。杭はしめ縄で繋がれていて、杭にはそれぞれ細く小さくされた札が幾重にも垂れ下がっている。
監視を続けていた陰陽師のひとりに話を聞けばこれは、すずめの指揮の下で馬籠のからだを使った封印結界を補助するために展開されたもの。
そのすずめは、と訪ねれば、この結界を貼るために体力と精神力を使い果たしてしまったためにいまはここから離れた控え室がわりに使われている部屋で眠っているそうだ。
「……あの嬢ちゃんたちには悪いが、これでもながくないな」
鶻業のつぶやきに千彰は同意せざるを得なかった。
すずめの札には過去何度も助けられているが、リングの中央にある柱からは殺気と敵意と憎悪が、いまにもあふれ出しそうなほどに強く放出されている。
普段から修羅場を潜っている千彰だから受け流すことができるが、そうでない者がこの場にいれば気絶するだけでは済まないだろう。
しかし、とふたりは思う。あの柱が馬籠が変化(へんげ)した姿ならば、彼はいま鏨牙を封じ込めるために懸命に戦っているはずだ。動きを封じられているからといってうかつに攻撃を加えればどうなるか、門外漢であるふたりには判らなかった。
思案するふたりの前に、リングの向こう側から鋏臈が歩み寄ってくる。
「千彰さま。……と、鶻業さんですわね。初めまして。鋏臈と申します」
「……なんで俺の名を知ってる」
「だって、わたくしは千彰さまのすべてを知っていますもの。交友関係だって当然把握していますわ」
空恐ろしいことを言われた気がするが、いまさらなので千彰はなにも言わなかった。
「そうか。ま、こいつに惚れる気持ちもわかるよ」
「でしょう? でしょう! さすが鶻業さんですわ。千彰さまの良さを十分に理解していらっしゃる」
ぐいぐいと迫られ、鶻業は気圧され後ずさる。
おっと、とからだを戻し、両手を組んで頬を赤らめつつ鋏臈は言う。
「ですが、千彰さまに娶っていただくのはわたくし。そのことをお忘れなきよう」
「あほか。千彰はただの弟子だよ。そこまでするつもりはない」
「だから弟子呼びするなってさっきも言っただろ」
「いいや、弟子だね。もう決めた」
甘噛みのようなふたりの掛け合いに目を細める鋏臈だが、すぐに表情を引き締める。
「お二方とも、しばしよろしいですか?」
ああ、と千彰が返すと、鋏臈は蜘蛛の腹部を持ち上げて六本脚の間から糸を放出し、ふたりの全身に絡みつかせる。
「お、おい」
「苦しかったらおっしゃってください」
視界を塞がれるほどに糸は全身を覆うが、不安はない。なので彼女のやりたいように身を委ねることにした。
「はい、終わりました」
すっと開けた視界に映った鶻業は、籠手と具足の無い、胴と鉢金だけの漆黒の鎧を纏っていた。籠手と具足がないのは鶻業が両手を翼に、脚を足趾に変化させるときに邪魔にならないように、という配慮からだろう。
鋏臈は、どうやら糸を編んで作ったらしい手鏡を千彰に向けている。
鏡の中の千彰は深い朱色の鎧を纏っていた。
千彰の鎧は当然手甲も具足も付与されているが、見た目にはかなり重苦しい鎧だ。
「は、鎧武者とはいい趣味してるな」
まんざらでもなさそうに鶻業は口角を上げ、千彰は腕を回したりして可動域を確かめている。
「頭部は視界を塞がないよう、鉢金にしました。可動域や重さは千彰さまや鶻業さんの邪魔にならないように仕立ててあります」
「……助かる」
「いえ。八錠さまの強さは折り紙付き。ですが、おふたりでならば互角に渡り合えましょうが、少しでも損害を防ぐために、差し出がましくはありますが、このようなものを用意しました」
言いながら深々と頭を下げる。
「いや、これでいい。ありがとう」
最初は戸惑ったが、いまでは不思議と馴染んでいる。まるで昔からこの鎧を纏って戦っていたようにすら感じている。
千彰には生涯言わずにいるつもりだが、彼に着せた鎧は千年前に鋏臈が惚れた男が愛用していたものと同じ意匠。千年前の彼と千彰が別人だということは鋏臈も重々承知しているが、それでもここまで面影が重なるものかと痛感している。
「どうした? やっぱり似合ってないか?」
傍目には重苦しい表情の鋏臈に、千彰は不安そうに問いかける。
「い、いえ。あまりにも見目麗しくて」
なんだそりゃ、と苦笑する千彰に、鶻業がからかい気味に肘打ちをする。
「責任取れよ」
「あほか。あ、いや、へんな意味じゃなくてな」
「なになに千彰くん。ついに身を固めるの?」
三人の背後から声をかけたのはすずめ。
「お前までなに言ってんだ」
「妖のひとと人間が結ばれた事例なんて珍しくないでしょ? それに鋏臈さんは千彰くんを産まれたときから推してるわけだしさ」
すずめは明香梨を友人と思っているが、彼女の想いに関しては援護してやるつもりはない。もしこのことで明香梨に睨まれたなら、それぐらいは自分でやらなきゃ意味がないでしょ、と返すだけだ。
「あら、統領さまからお墨付きをいただけるなんて僥倖ですわ」
「んふふ~。それぐらいいくらでもあげるよ。その方が面白くなりそうだし」
最後は小声だったが、千彰は聞き逃さなかった。
「なにか言ったか?」
「べっつに~」
色恋沙汰などというものは、端から見て、時折ちょっかいを出しているぐらいが一番楽しいものだ。それが幼なじみであれば尚更。
すずめが昔からこういう性分なのは重々承知している千彰は、いちど嘆息してから表情を切り替え、
「いいのか、寝てなくて」
うん、と頷いて。
「馬籠さまはお強いけど、お年を召されてるからね。ご無理はさせられない。それに、あんなつよい力放出されて、おとなしく寝てられないよ」
無理するなよ、とひと言置いて、
「ひばりさまは、なにかおっしゃってたか?」
「ううん。ていうか、百恵さまからうかがった話はまだ報告してないし、たぶんすることもないと思う」
そうか、と返して千彰はもういちどリング中央へ視線を向ける。
言われるまでもなく鶻業たちもリングの中央に鋭く視線をやる。
「あの柱が馬籠のじいさまなのか?」
鶻業の問いに鋏臈が頷いて答える。
「いま馬籠さまはご自身を柱に変えて八錠さま、つまり鏨牙さんをあのリングに封印されています。
馬籠さまはかつて御堂の家と共に陰陽道を開発なされた一派に連なるお方だと聞き及んでいます。だからすずめさんたちの補助も機能しているのだと思います。けれど、」
杭に貼り付けられた札が激しく揺れ、リングの外側へ向かって大きくたなびいている。
「やっぱだめだったね」
「馬籠さまが施された結界が傷口にあてるガーゼなら、あたしたちが張った結界はガーゼを固定する包帯みたいなもの。血が出たり傷口が広がったりするのを止める力はない」
実験の結果を見た科学者のような晴れ晴れとした口調に、千彰はむしろ安心した。
すずめたちが打った杭はもう半分以上が外れ、散乱している。
中央の柱もがくがくと激しく揺れ、いまにも抜け落ちそうだ。
「くるよ!」
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