第20話 恋と恋敵

 桜狩邸の門扉は、その由緒に恥じないほど大きい。かつては武家屋敷として栄えたこともある桜狩の邸宅は、度重なる戦乱などにより最盛期の一割ほどしか残っていないが、千彰からすれば広すぎると毎日のように思っている。

 残った一割には門扉も含まれていて、千彰でさえ余裕で通れるほどの大扉が備え付けてあるが、開け閉めが面倒なうえ、開けると家の前を通る道路を完全にふさぐため閂が通され、普段は脇の通用口から出入りしている。

 千彰を呼び止めた明香梨は門扉の脇に立つ街灯にもたれかかり、赤緑のメガネをかけ、太い三つ編みを巻いた、いまにも殴りかかってきそうなほどに目を吊り上げて千彰を睨み付けていた。


「なんだよ、こんな時間に」


 面倒なことになりそうだと予感しつつ、無視することもできそうにないので千彰は憮然と返す。


「あんたこそなにやってるのよ」

「眠れなかったから散歩してただけだよ」

「あの女と一緒に?」


 あの女、と言われて誰のことか一瞬考え、鋏臈に行き着いた。


「鋏臈とは偶然会っただけだ。向こうはずっとこっち見てるらしいけどな」

「なにそれストーカーじゃない」

「ただ見てたってだけだよ」

「肩持つわね。あんたああいうのがいいの?」


 なんだそりゃ、と眉根を寄せる千彰。


「うるさい莫迦。ひとの気も知らないで」

「お前こそ突っかかるじゃないか」

「突っかかってない」


 突っかかってるだろうが、と嘆息しつつ、


「で、なんの用だよ。稽古なら明日だぞ。音がうるさいって近所迷惑になるからな」

「ちがうわよ。わたしは、あんたが」

「鋏臈のことなら危険性はない、っていうか、あいつは」

「千年前から因縁があるって言うんでしょ? そんなのどこまで信じられるってのよ。……あんたまさか信じてるの?」

「証明しようがないだろ。騙さなきゃいけない理由もない」


 そうだけど、と口をへの字にしてぐずぐずと零す。


「人間の男の子って結局ああいうのがいいんでしょ」

「あのな明香梨、俺は」

「うるさい。どうせわたしとあんたは」


 はーっ、と深く息を吐いて、一回しか言わないからな、と前置いて。


「お前が俺のことをどう思ってるか知らないけどな、俺は、お前のことを好きだからな」

「……は? いま、言うの? こんなムードもなんにもない時に、口論のついでみたいな形で??」

「そうだよ。いま言わなきゃお前、俺に愛想尽かす気だっただろ」


 明香梨の表情がめまぐるしく変わっていく。主に混乱と喜びと怒り。それらがぐるぐると入れ替わり立ち替わり、段々鎖骨から頬から額から朱く染まり、やがてぽんっ、と湯気を立ててしまった。


「お、おい?」

「ば、莫迦! わたしがあんたに愛想尽かすことなんてないわよ!」

「そ、そう、か」


 言った千彰も、明香梨からの反応に今更ながらに恥ずかしさがこみ上げてきたのか、頬は真っ赤に染まり、言葉もしどろもどろになっている。


「あらあら。お熱いこと」


 そのふたりへ別の声が投げかけられる。


「ですが障害が多いほど恋は燃え上がるというものです」


 斑目トワ子だった。千彰たちが立つ、片側一車線の道路。その反対車線側の街灯の下に彼女は立っていた。


「こんばんは千彰さま。さきほどは我が主がご迷惑を」


 明香梨には目もくれずに深々と頭を下げるものだから、千彰は慌てて顔を上げるよう言う。


「迷惑ってことはない。安心してくれ」

「ありがとうございます。それより鬼の姫様は、命を救われてなお我が主をお疑いなのですね」


 底冷えのする微笑みとともに視線を向けられてなお、明香梨はトワ子をにらみ返す。


「なんでこんなところにいるの」

「わたしは鋏臈さまの従者。人の身でないわたしがどんな時間にどこにいようと、あなたには関係のないことでしょう?」

「そ、そうだけど」

「千彰さまを慕う我が主が、恋敵である鬼の姫であるあなたの命を救う手助けをした。その意味も心根も察しようとしない。さらに言えばあなたは恋敵。ならば、わたしがここで」


 すらり、とどこからか取り出したのはひと振りの刀。


「我が主の恋路守るため、その命」


 切っ先を後方やや下に、からだを深く沈めてちからを溜めるトワ子。反射的に明香梨も抜刀し、正眼に構える。

 やる気だ。

 止めなければ、と思った瞬間、玄関が開いた。


「なんですかこんな夜中に!」


 桃の花があしらわれた寝間着姿の百恵が、まずはよく通る声で割って入った。


「百恵さま、とめないでください」


 明香梨は視線だけを向け、


「これは私闘です。百恵さまにはご迷惑はおかけしません」


 トワ子は言葉だけで仲介を拒絶する。


「ご近所迷惑です。やるなら明日、うちの道場でやりなさい」


 驚いたのは千彰。てっきり止めると思っていたのに。


「百恵さん?」

「対話が成立しないというなら、あとはからだでぶつかり合うしかないでしょう」


 口調は柔らかだが、瞳に宿る光は真剣だ。


「いいですねふたりとも。きょうはこのまま泊まっていきなさい。そして明日、朝ご飯を一緒に食べて、それでもまだ許せないというのなら、武器は使わず、わたくしを立ち会い人として存分にぶつかり合いなさい」


 でも、と反論したのはどちらだったか。


「我が家の軒先で喧嘩をはじめた以上、これは当家が預かります。返して欲しいのなら、いま言ったことに従っていただきます」


 ぴしゃりと言い放ち、そのままきびすを返して邸内へ。

 呆気にとられる明香梨とトワ子。それぞれの刀を鞘に戻させてそれぞれの手を引き、千彰も邸内に足を向ける。


「ちょ、ちょっと待って」

「あ、あのあの、せめて我が主に連絡を」

「はやくしてくれ。これ以上は百恵さんに迷惑だ」


 このまま敷地から出てしまうのは簡単なこと。しかしふたりがそれをしなかったのは、百恵の迫力に気圧されただけでは、ない。

 にらみ合いつつも物理的な接触はしなかった明香梨とトワ子は、百恵が別々の部屋に用意していた布団に渋々入り、そのまま眠りについた。

 千彰は百恵に礼をいってから自室に戻り、寝間着に着替えてから眠った。


「……はぁっ」


 あくびではなく、長いため息だった。

 今日だけは、このまま終わってほしい。

 そういう願いが込められた、ため息だった。

 なのに、ふすまが小さくノックされたので、思わず乾いた笑いが出てしまった。


「千彰さん、少しいいですか?」


 百恵だったのは、意外だった。

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