第19話 五十年前の因縁

 五十年前。

 全ての妖を例外なく滅ぼすと行動を開始した八錠は、鬼や人の剣士からも、生家である御堂の家からも拒絶され、断絶された。

 それでも、混迷極めていたあの時代、八錠の意志に賛同した個々人から支援は秘密裏に行われ、八錠は妖を妖魔を問わず駆逐し、撃滅していった。

 全身に札を貼り付け、拳で脚で戦う中で徐々にヒトの姿を心を無くしていく八錠を、親友であり義弟である玄壱は力尽くで止める決意を固め、実行した。


 悲痛な戦いだった。

 人同士が争った戦争も、その戦後ももう終わった。人々の心に安寧が満ち、妖たちの心もそれにつれて落ち着いていく、と玄壱は説得を諦めなかった。

 奪われた命に、守れなかった命に、残された命にどう詫びればいい。奪い、喰らい続ける妖を誰が罰するのだ、と拒絶する八錠。

 ふたりの信念は決して交わらず、ほんの僅かな差で玄壱が勝利。

 荼毘に付し、丁寧に埋葬した。

 札を使い、遠隔地から見届けたひばりも百恵も、なによりとどめを差した玄壱自身そう確証していた。

 その八錠が、十年前に復活した。

 その討伐に玄壱が向かい、倒したところまでは札で遠隔監視していたひばりも確認している。が、戦いの激しさから札も破損し、それ以上の状況を把握することはできず、即座に御堂の家の者が現状把握に向かったが、玄壱も八錠も、その姿を確認することはできなかった。

 そして、八錠は二度目の復活を果たした。

 名と記憶を失い、五十年前の願いを果たすためだけの存在、鏨牙へと姿を変えて。


「わたくしが知っているのはここまでです」


 語り終え、ふう、と長い息を吐いて百恵は目頭を押さえた。

 千彰たちは言葉を失ったように口を閉ざし、百恵から受け取った過去をそれぞれに消化していた。

 真っ先に口を開いたのは、千彰。


「でも、鏨牙がそんな悲壮な思いを背負ってるようには感じなかったです」


 たぶんだけど、と手を上げたのはすずめ。喋り続けて疲労の色が濃い百恵を気遣ってのことだ。


「復活する度に記憶を失って、妖のひとたちを倒すっていう執念だけが残ったんじゃないかな」

「私もそう思います。おそらく、復活するたびに記憶は欠け落ち、一番中心に残った思いだけで動いているのかと」


 百恵の湯飲みに茶を丁寧に注いでからすずめは鋏臈に向き直る。


「鋏臈さんは千年間生きてるんですよね? その間ってずっと普通に生活してたんですか?」


 急に自分へ話題をふられて首を傾げつつ鋏臈は返す。


「お話しても構いませんが、なぜです?」

「えっと、鏨牙ってひとがどうやって復活してるのか気になって。鋏臈さんが千年生きてきた方法から推理できるかなって」


 そういうことですか、とひと言置いて、


「わたくしは百年ほどの間隔で肉体を産み、そこに魂と記憶を移植して生きながらえてきました。その際に、複製によるゆがみを防ぐために人の肉を頂いています」


 え、と一同の視線が集まる。こほん、と咳払いをして。


「わたくしが過去に頂いた人肉は全て屍肉。それも髪ならひと房、肉ならひとつまみ、骨ならひと欠片のほんの一部です。

 それ以前に、わたくしは森で見つけて肉体を頂いたあとは必ず埋葬し、ご遺体に残っていた遺志を辿って可能な限りご遺族へ連絡もしています。それはからだを頂いていない方でも変わりはありません」


 重くなった空気を払うように、百恵が手を軽く叩いて、


「まあまあ。それはご苦労なことをなさって」

「いえ。わたくしは元が妖魔です。感情だけをいただく術を身につけるまでは当たり前に人を喰らっていました。その罪滅ぼしのようなものです」

「他の命を頂くのは人も同じです。むしろそのまま進化もせずに無尽蔵に作り、無尽蔵に喰らい続ける人のほうが罪は重いでしょう」


 口調は軽いが、すずめなどは表情を引きつらせている。


「ま、まあ、人の原罪は置いておくとして、いまは鏨牙ってひとがどうやって復活してるかってことを考えましょうよ」


 引きつったまますずめが言うと、そうですね、と大人ふたりは頷く。


「八錠さまはオスです。そのためわたくしと同じ手法は採れません。ですが、心当たりはあります」

「本当ですか?」


 すずめの期待に満ちた目に鋏臈はゆっくりと頷き、


「玄壱さまには口止めされていましたが、わたくしは十年前のあの日あの場所に助太刀をしていました」

「えっ、鋏臈さんが?」

「はい。玄壱さまが二度目の決闘を挑まれたときに、『八錠は復活したが、いまここで倒した。ならば不安を煽る必要もあるまい』と」

「玄壱さんのその後をご存じなのですか?!」


 息巻いて立ち上がったのは百恵。表情には困惑と、僅かな期待がにじみ出ている。

 しかし鋏臈はゆっくりと首を振る。


「決闘で深い傷を負われた玄壱さまを、わたくしは懸命に治療しました。その甲斐あってどうにか立ち上がれるようになったその日、猫のように姿を消されてしまいました。わたくしは子蜘蛛たちも使って懸命に捜索しましたが、もうどこにも、気配すら見つかりませんでした」


 鋏臈の言葉を受けてゆっくりと座り、うつむき、絞り出すように言う。


「……そうですか…………。主人の世話をしてくださり、ありがとうございます」

「いえそんな! 目を離したわたくしが悪いのです。責められこそあれ、感謝を受ける理由はありません」

「いいのです。主人のことですから、困っているひとの気配を感じてそこへ向かったのでしょう」


 上げた顔はすっきりとしていた。


「……おずるいです。そういう風に押し込めてしまうのは」

「人は、こういうことができないと、生きていけないのです。……たまにふと思い出して落ち込んだり喜んだりする程度でいいのです。特に、愛する人との思い出は」

「そうかも知れませんね。わたくしも、人の遺志を受け取るようになってから少しですが、理解できます」


 ええ、と百恵が頷くのを待って、


「ともあれ八錠さまのことですが、玄壱さまを捜索している途中、とある祠を見つけました。その祠はとても小さく、ですが中に八錠さまの肉体の一部が残っていました」


 あ、とすずめが漏らす。

 ええ、と頷き、


「おそらくですが、肉体のごく一部と記憶を別の場所へと封印し、本体の消失をきっかけとして力を蓄え始め、完了したら復活する、という術を使ったのでしょう」

「術?」

「はい。千年前のわたくしは、千彰さまに会うために様々な方法を探していました。その中で陰陽の方々と知り合い、ご教授いただくことでいまの方法に辿り着きました。陰陽の方々も、権力者から不死の秘術を研究させられていたので、わたくしの存在は渡りに船だったのでしょう」


 ふふ、と懐かしむように微笑み、


「陰陽師の方々は、権力者たちにはわたくしが使う術しか出来なかったと報告し、八錠さまが使用された術は禁忌とされ厳重に封印されたはずでしたが、八錠さまは見つけてしまわれた。わたくしはそう考えます」


 そっか、と見た目には軽く頷くすずめの瞳に、仄暗い火が灯ったのを気づけたのはどれほどいただろうか。


「ありがと鋏臈さん。どっちにしても家のひとたちに調べてもらわないと、だね」


 言いながらスマートフォンを取り出し、百恵にひと言告げて部屋を去った。


「さて、ではお食事にしましょう。冷めてしまいましたからいま温めてきますね」

「あ、わたしがやります」


 明香梨が立ち上がるのと、鋏臈が割烹着姿に化けるのはほぼ同時だった。

 あらあら、と意味深に微笑みつつ千彰の顔を見る百恵。なんですか、と訝しむ千彰。まったくもう、と嘆息してこんどは明香梨と鋏臈に微笑みかける。


「じゃあ、おふたりにお願いしますね」


 う、とうめいたのはどちらだったか。


 明香梨と鋏臈は少なくとも傍目には協力的に夕飯を作り終えた。そのまま一同は夕餉に舌鼓をうち、そのまま解散した。

 ふだん以上に広く静かに感じる家に、百恵は寂しそうに微笑みながら風呂に浸かり、寝室に入っていった。

 千彰ももう一度風呂に入り、百恵に挨拶をして自分の部屋には入ったが、中々寝付くことはできなかった。

 眠れなかった千彰は「少し散歩してきます」と書き置きを残して家を抜け出し、あてもなく街を歩いていた。

 念のため刀は腰に、衣服も制服で。

 あてのない散歩は今夜が初めてではない。

 とくに妖魔と戦った日や、妖との試合があった日などはこんな風に出歩いている。

 百恵も気付いてはいるが、へたに咎めて精神に負荷をかけてしまうよりは、と放置しているが心配なものは心配だ。

 出て行った気配を感じると、彼女もまたまんじりともせず夜を過ごし、結果翌朝はふたり揃って寝坊したり朝の支度をいくつかすっ飛ばしたりしている。

 が、実際心配は杞憂に終わることが大半。妖魔が活発に動き出す夜間は御堂の家の者が哨戒にあたって人々の安眠を守っているので、偶然現場に居合わせない限りは千彰に累が及ぶことはない。


「コンビニ……はもう閉まってるか」


 妖魔の影響で、二十四時間営業はおろか、夜も八時を待たずに閉まる店が大半。なので夜の散歩はほんとうに静かだ。

 民家からは灯りが消え、街灯のみ。聞こえるのは自分の足音と、衣擦れの音。時折ノラ猫が横切ったり足下にすり寄ってくるだけで、ひょっとしたら自分以外みんないなくなってしまったのでは、と、とりとめも無く思ってしまう。

 そんな自分の考えに薄く笑ってまた歩き出す。

 風に乗って薄く妖の気配を感じる。

 鶻業かと思ったが、少し違う。


「鋏臈か」


 千年前に惚れた相手の来世が生まれるのを千年間待ち続けた、と言っていた。

 おそらく本当だろう。記憶とも違う、言うなれば魂のようなものが鋏臈を知っている、と告げるのだ。

 八錠たちの世代と違い、千彰にとって妖たちは試合をする相手。

 ちゃんと言葉を交わした妖なんて鶻業ぐらいだが、祖父たちと憎み合い、殺し合っていたとは考えられないほど気のいい連中だ。

 むしろ、八錠たちと当たり前に戦っていただろう者たちでさえ、自分や他の剣士たちにも気さくに接していた。

 いま思えばすごいことだと思う。

 でも、鋏臈の想いを受け止めることはできないと思う。

 自分は、鋏臈が惚れた相手ではないのだから。


「悪いな。鋏臈」


 彼女の気配のする方向へ、ぽつりと。それできびすを返して今夜の散歩を終わりにするつもりだった。


「いいえ。千年前のあの方はきっかけにすぎません」


 なのに、振り返ったそこに、本来の半人半蜘蛛の姿で佇んでいるものだから、千彰は思わず声を上げて驚いた。


「そんなに大きな声を上げられると、いささか傷つきます」


 街灯に照らされながら鋏臈ははっきりと分かるほどに渋面を作っていた。


「わ、悪い。そんな近くにいるとは思わなくてな」

「うふふ、冗談ですわ」


 一転して破顔し、千彰の腕を絡め取る。


「お、おい」

「よいではありませんか。将来の伴侶なんですもの」

「だから俺は」

「千彰さんはあの方とは違います。あの方とは直接お話したことさえないですが、千彰さんは産まれたときから見守っています。ご両親にも、御堂の方々にも気付かれないよう、こっそりと」

「……」

「ですので、あの方への想い以上に、千彰さんへの想いは強いのです」

「お前の気持ちは、分かった。でも、俺からすれば急なんだ。……すこし、待ってほしい」


 一瞬、寂しそうな顔をした後、すぐさま微笑み、


「わかりました。待つのは、慣れていますから」


 悪い。

 そう千彰が返すのを待って、鋏臈は闇に消えた。


     *     *     *


 そのままふらふらと歩きながら家に戻った千彰を待っていたのは、


「ちょっといい?」


 明香梨だった。

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