第18話 八錠と御堂の家

 這々の体で試合場を脱出した鋏臈は千彰と明香梨を桜狩邸へと運んだ。桜狩邸の門扉が見えたあたりですずめが貼っていた札は霧散し、千彰はゆっくりと目を覚ました。


「……、いま、試合場に残した子蜘蛛から通達がありました。残られ、馬籠さまをお手伝いなさったすずめさんはご無事です。馬籠さまも……現状、命に別状はありません。鏨牙もまた活動を停止。現在は無害です」

「そうか。ありがとう」


 鋏臈に礼を言って千彰は馬籠に思いを馳せる。

 桜狩の家の贔屓だと言ってくれたあの好々爺の思いに報いなければ。

 そんなことを考えながら門扉を潜った千彰を出迎えたのは、百恵だった。


「ああ、……よかった……」


 千彰の無事を確認できた百恵は玄関先でへたり込むほどに安心した。気丈な祖母のそんな姿を見せられて千彰は自分が普段このひとにどれだけの負担を強いているのかを痛感した。


「ごめんなさいね、取り乱してしまって」


 目元をこっそり指で拭いながら立ち上がった百恵は、見慣れない乙女が申し訳なさそうに立ち尽くしていることに気付き、声をかける。


「あらあら、どうしたのですか?」


 百恵の気配を感じた瞬間に、白のワンピース姿に黒の長髪姿の乙女に化けた鋏臈は、ひどく怯えたように全身を震わせた。


「……だいじょうぶですよ。剣士が戦場いくさばで傷つき、倒れることは当然のこと。わたくしが心配してもしなくても、それは変わりありません。千彰は剣士としての務めを果たした。それだけのことですから」

「でも、」


 苦しそうに胸に手を当てる鋏臈に、百恵は柔らかく微笑んで返す。


「だいじょうぶです。千彰は剣士。いつどうなってもいい覚悟はしています。それに孫はこうして無事に帰ってきました。それでもう水に流させてください」

「……はい」


 それ以上なにも言えず、鋏臈はただ深く頭を下げた。


「さ、立ち話もなんです。みなさん上がってください。お風呂も沸かしてありますから、いちどゆっくり汗を流してくださいな」


 明るく言う百恵の声に押され、一同は履き物を脱ぎ、たっぷりの湯に浸かった。

 無論、明香梨たち三人も、別々にではあるが汗を流している。


     *     *     *


 風呂からあがって着替えも終えて。

 千彰が風呂からあがったのと前後してすずめも桜狩邸に到着し、入れ替わるように風呂で一汗流している。

 一同は居間に集まって百恵の用意した茶と和菓子を頬張っていた。

 話題は試合場に現れた、鏨牙と名乗る妖について。

 心当たりがあるのか、それまで聞くばかりだった百恵は口を開き、こう言った。


「……その鏨牙と名乗った妖はおそらく、千彰さんとすずめさん、あなたたちの大叔父にあたる方です」


 ゆっくりと語り始めた祖母は、千彰の目には落ち着いているように見えた。


「大叔父、っていうと玄壱じいちゃんの?」

「いえ、わたくしの兄です」


 じゃあ、とが声をあげる。


「ひばりさまの、弟ですね」

「はい。わたくしの生まれは御堂の家。ですが、妖魔と戦えるだけの力は持てなかったため、桜狩の家に嫁ぎました」


 頷くふたり。千彰とすずめが親戚関係にあるのはふたりが幼い頃から知っているので驚きはない。


「でもひばりさまもお母さまもそんな方がいらっしゃるなんて」

「御堂の家にとっては、汚点のような方ですから。すずめさんには話したくなかったのでしょう」


 汚点、とつぶやいて千彰は、


「百恵さんが言うのはいいんですか?」

「とくに口止めはされていませんし、出会ったのなら、隠すこともできないでしょう?」


 少し意地悪く言う百恵の瞳には、ほのかな怒りが見えた。

 その怒りをどうにか掻い潜りながら明香梨が問いかける。


「どんな、ひとだったんです?」

「名は八錠はちじよう。御堂の家に生まれながら、拳術の才覚に溢れたひとです」


     *     *     *


 遙か遙か以前、鬼は妖を統べる立場として君臨していた。

 だが千年前、鬼は妖の一派から抜け出し、人と和解した。

 なんの予告も通達もなく置き去りにされた大勢の妖たちは、困惑しながらも人と対立する者が大半となった。

 が、妖と人が千年間絶えず争ってきたわけではない。

 過去には何度も歩み寄り、親密になった時期も少なからずあった。

 直近では五十年前からいまに続く時代。

 それを実現したのがすずめの祖母のひばり。

 それを徹底的に拒絶したのが大叔父の八錠。

 彼が動き出したのは、人間同士の世界戦争が終わり、その後始末も戦争以上に時間をかけてどうにか終えた頃。

 妖は人の感情を喰らう。

 人の世界が平和であれば、湧き出る感情も和やかな、平穏なものが多くなるが、戦争や不況などで人心が乱れれば溢れる感情もそれに準ずる。

 それを喰らう妖もまた、あふれ出る感情の影響をうける。

 負の感情を喰らい続けた妖は非常に好戦的となり、挙げ句人肉を喰らうようになる。

 人と妖が争うのはそういう時期だ。

 とくに、八錠たちの世代は、彼らが物心ついた頃から妖は人肉を喰らっていた。

 元来もつ戦闘能力と知性をそのままに、妖魔以上の残忍さで人々に襲いかかる妖たち。

 討伐にあたる人や鬼の剣士も、当然陰陽師たちにも甚大な被害や犠牲が出た。

 それでなくとも人の世界は人間同士の戦争により損害を被っていたのに、このままでは妖により滅ぼされてしまう、と冗談ではなく誰もが思った。

 それを回避するにはまず人間同士の戦争をやめること。

 かねてより軍部から打診のあった、鬼や人の剣士たちを戦場に送ること。御堂の家はこれを承認。敵国の中枢へ奇襲をかけて制圧。講和へと導いた。

 だがその間にも妖は人を喰らい続ける。

 八錠の身内や友人も、その中に数えられた。

 故に彼は妖を滅ぼす修羅へと成っていった。


「兄は、真面目なひとでした。妖によって喪われる命ひとりひとりに涙するような、優しさも持ったひとです」


 そこまで話し終えた百恵は、茶をすすって唇と喉を潤す。


「いきさつは分かりました。でも、あのひとの見た目は、妖みたいでしたよ」


 問いかけたのはすずめ。

 おそらく彼女が一番俯瞰で鏨牙との戦いを見ていた。

 鏨牙の見た目は、筋骨逞しい人間の男性。が、その筋肉は人間にしては異常なほど発達していた。角髪を解放した鬼でさえあり得ないと断言できるほどに。

 問われた百恵は、静かに湯飲みを置いて少しずつ話し始める。


「……わたくしも、断片的なことしか分かりません。ただ兄は、玄壱さんとも仲がよかったせいか、お札による援護ではなく自身が直接拳術を使って戦っていたそうです」

「はい。すごく、強かったです」

「ああ、だから刀を使ってなかったんですね」


 千彰の同意とすずめの納得に百恵は薄く微笑み、「本題です」と続ける。


「すずめさん、あなたたちが使うお札はなにをもとにして作られているかを、統領であるあなたならご存知ですね?」


 すずめは、一瞬言いよどみ、そして「まさか」と小さくつぶやいた。

 つぶやきに、頷いて返して百恵はゆっくりと言う。


「お札は妖魔の肉を、墨には妖魔の血を混ぜて作ります。千年前、御堂の初代が妖魔と戦うために編み出した技術だと聞いています。わたくしもあの家に居た頃は作る作業を手伝っていました」

「札に妖魔の屍肉を使っている、という噂は本当だったのですね」


 口を開いたのは鋏臈。

 こくりと頷く百恵とすずめ。

 ふたりの神妙な面持ちに、鋏臈は微笑む。


「妖魔とわたしたち妖は別種です。あなたたちが猿に対して抱く感情と大して変わらないと思いますよ」


 そうですか、とすずめは安堵したように息を吐く。


「つまり、お札を使いすぎて、素材の妖魔と一体化したってこと、ですか?」


 明香梨の推理に百恵は辛そうに頷く。

 言葉を探していたすずめに、百恵が視線を送り、告げる。


「わたしから話します」


 膝立ちになってすずめが慌てたように返す。


「でも、百恵さまはもう」

「いえ、御堂の統領のすずめさんが話せば角が立つこともあります。そうは言ってもわたくしは桜狩に嫁ぐまでの知識と、すずめさんたちから聞く話を混ぜ合わせたものになりますが」


 にこりと微笑んでみせる百恵だが、声音の奥には震えが感じられる。膝立ちのまますずめは百恵に寄り添い、そっと手を握った。

 ありがとう、と返して茶をひとくち。


「さて。ではすこし長くなります。まずは前提から」


 こくりと一同は頷く。


「生身の人間では妖魔と力の差があります。だからお札を使って身体能力を底上げし、剣術を駆使してようやく撃退することが可能になります。

 札は、先ほども言いましたが妖魔の肉を使って生成されます。

 わたくしも生まれは御堂の家ですから、その制作過程は、実際にやったことがありますから重々承知しています。もっとも、才能がなくてすぐ見限られてしまいましたが」


 ふふ、と遠い目で微笑む。


「いまの形で札を使うようになったのは千年前と聞きます。先祖が妖魔以上の力を持つ妖を相手取るにはそうするしかなかったのでしょう。

 札の効果もあったからか、鬼の方々とは和解し、そのほかの妖の方々ともいまはよい関係を保てています。が、五十年前は違いました。

 あのとき世界中に広がっていた人間同士の戦火は、妖の方々を、なにより人間の倫理を大きく歪めてしまいましたから」

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